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 *** 8日目~リターン~ ***

作中にはリアリティー追求の為、一部実在の設定・名称に基づく表現を使用しておりますが、こちらの物語は作品全体を通してフィクションです。



 彼は周囲を手当たり次第に触れ、自分が何者なのか漸く自覚する。

 そして、彼は絶望に身を任せた。


 まだ微かに小さく収まっていたはずの靄が、埃のような集まりから突然ハッキリとした形を成していく。


 それらは東間の意思を完璧に汲み取り、部屋に充満していた消毒液の匂いを完全に消した。

 彼にはもう、少しの人間性も見受けられない。


 ーーーーダメだ!


 叉々女は勢いよく突進する。その衝撃を諸に受けた東間は、茫然自失したまま床に倒れた。



 ***



 私は今朝の数分だけ、八千種(やちぐさ) 百栄(ももえ)という女の子を見ていた。

 自分が気に掛ける男の子が執着している彼女は、一体どんな人なのだろうと思ったから。


 彼の動向に注視しなくて済んでいるのは、彼が生きていた頃の行動を続けているおかげ。


 今日も彼は変わらず、午前八時十分の電車に乗ることだろう。それまでの彼女の生活ぶりを見てみることにした。


 彼女は朝六時に目覚めると、三十分掛けて丁寧に着替えや歯の洗浄を終え、一階へと降りていく。


 そして用意された朝食を二十分ほどで食べ終えると、また自室に戻り部屋の壁一面に広がる本棚の前に立った。


 それから三十分ほど掛けて本の選別を終えた彼女は、本を鞄にしまうと十分ほど使って部屋を整え始める。

 五分で持ち物を再確認して姿見で制服の乱れを直し、午前七時五十分に彼女は家を出た。


 それから最寄り駅までは十分ほどで着き、辺りを確かめれば成る程同じような格好をした子たちが、各々で話しながら続々と集まっている。


 彼女以外にも女の子はいるし、同じように生きている明るさが眩しい子もいた。


 けれど、彼女の輝きはそのどれよりも濃く、そして危うかったのだ。


 周りと比べてみると良く分かる。

 彼女は引き寄せるほどに、美しかった。


 盗賊にとっての宝のように。

 私たちにとっての宝は、その生きて輝くもの。


 彼女が駅前にある横断歩道の手前で止まった時、私は思わず手を伸ばそうとした。目の前の交差点で行き交う車の群れに、押し出そうとするように。


 ーーそこで、自制が掛かる。

 自分がここにいる目的を思い出す。


 彼の想いを理解し、そして歯止めになること。

 同じ幽体であるからこそ、彼と私が感じるものは同じだ。


 けれど彼と違うのは、生きた人に及ぼす影響を考えていること。

 私たちが強く乞えば、人間がどうなるかは明白だ。


 ーーつまり、死。


 それを自覚していることが、私がこの土地から離れられない由縁でもある。


 そして、もう一つの役割によって、私は彼から目を離すことができない訳だが。


 生きた女の子が乗った電車は、彼と同じ午前八時十分の車両。けれど彼と重なる地点までは分からないので、仕方なく彼女の元を離れた。




 ーーーー彼のいる駅に戻ってその姿を目にすれば、もう以前のような人らしさはなくなっていた。


 この状態になると、最悪の結果に成りかねない。私は、不確定要素だらけの相殺に託すことしか出来なかった。

 車両の動く音で徐々に張り詰めていく彼の様子に不安を感じながら、私は願いばかり繰り返す。


 ーーどうか、上手くいきますように……。


 ジャッ、とすれ違いざまの風で存在を確認する。

 彼と彼女が乗る最後尾はすぐに交わり始めた。その瞬間、彼は無意識のように窓へと身を押しつけ、彼女のもとへ行こうとした。


 けれど、反応は私の方が早かったようだ。どんな状態か分からないまま、意識だけは彼と私を囲むような膜を想像していた。


 それが彼をここに押し留め、尚且つ彼の放った靄のような埃を内側に閉じ込める。

 その濃さと息苦しさで鳩尾に鈍痛を感じたけれど、引いて弱めるわけにはいかない。


 このまま彼が電車を降りるその時まで、吐き気を抑えながら顔を顰めて踏ん張る。

 踏ん張るための脚は、地に着いていないけれど。



 何とか私の気力は保ったみたいだけれど、安心した瞬間に気が抜けて弾かれたように飛び退る。


 今この瞬間にも問題を起こしそうな彼に、どうにかして接触しなければならない。

 だが、自覚のない幽体に会うことは危険だと直感が告げている。


 もし激しく動揺して事実を拒絶しようとしたら、暴走に繋がってしまうだろうか。


 そんな考えに至り、気付くまでは私が補完しようと心に決めた。


 しかし、その機会の訪れは、私たちの気持ちを待ってはくれなかった。



 ***



 彼が教室に入った時、いつも真っ先に座っていた席には全くの別人が座っていた。

 我が物顔で鎮座するその人物に彼は話し掛けたが、周囲にその姿は見えるはずもない。


 彼のことを無視するように談笑で埋まるその場所で、彼は体を硬くした。


 何が……? 


 と思ったところで、ふと目に入る。見下ろせるような位置にいたので、よく見えた。

 席を囲むうちの一人が、手をぶらつかせて軽口を叩く姿。


 誰にでも分かるその意味にハッとした時、彼が風を切るように去る後ろ姿が視界に入った。

 生きていない彼の行動は、無自覚でも無意識にそれらしさを発揮する。


 同じ私は、彼の後ろにピッタリと張り付いて警戒した。


 最近、気に入ってるらしい白くて鼻がツンとする部屋に、彼と同じく入っていく。中では、白衣を着た人が開いたドアにも気付かず、手に持った紙と睨み合っていた。


 ーーいや、違う。

 その人は気付いている。勝手に開いたドアが何を示すのか。


 敢えて気付いていないように振る舞い、細々とした物の数を確かめる目は軽く泳いでいた。


「なあ、先生……?」


 声を震えさせて話しかけた彼。だけど、それに対して特に反応はない。


 今の彼の声が聞こえていないことに安堵した。内に込められた彼自身の思いに、私ですら寒気を覚えたのだ。


 彼は周囲を手当たり次第に触れ、自分が何者なのか漸く自覚する。

 その顔から、感情が消えていった。


 動揺していた目はスッと据わり、ひくついていた鼻と戦慄いていた唇は動きを止め、僅かに掻いていた汗は一気に引いたようだ。


 彼の顔に残ったのは、生きていないという事実確認をするような思考の遠ざかり。


 これまでの自分の言動を、きっと彼は思い返している。そして、自分が言った言葉に重複する、別人の声に気付くことだろう。


 その場面を見ていないけれど、きっと彼は生きた誰かに乗り移り学生生活を送っていた。

 その誰かに同調できていたのは、彼が学生時代に対して未練を持っていたから。


 だけど、その生活を続け生きているという錯覚に慣れてしまった彼は、例の彼女に出会ってしまった。

 個人として彼女に惹かれてしまい、取り憑いた学生が別の人間であった為に、同調は解かれた。


 生きた誰かの意識とその体を自分のものと思い込んでいた彼は、互いに綱引きの要領で引っ張り合い、それが生きている本人に体調不良という影響を与える。


 彼が回想に入り事実で刺され続けているだろうことは、彼の目の奥に見える悲哀から見て取れた。


 内側にある感情の波を体現するように、まだ微かに小さく収まっていた筈の靄が、埃のような集まりから突然ハッキリとした形を成していく。


 それらは東間の意思を完璧に汲み取り、部屋に充満していた消毒液の匂いを完全に消した。

 彼にはもう、少しの人間性も見受けられない。


 ふと視界の端で、目元を抑えて蹌踉めく白衣が見えた。


 ーーーーだめッッ!!


 背筋が寒くなり、ビリビリと痺れる脳が喉元を締め上げても、私は彼に向かって我武者羅に突進し意識を戻させようとする。


 その衝撃を諸に受けた東間は、茫然自失したまま床に倒れた。


 体に少しの衝撃を感じながら、床に倒れ唖然とする彼と時間差で目が合う。

 そこに浮かんだのは、驚愕だろうか。


 やがて自認が追いついた彼は、その目を真っ直ぐ私に向けてきた。


 彼は怒るだろうか。体当たりしたことを。


 自分の状態を、私の所為にしてくるだろうか……。


 でも、それで良い。彼が執着をやめ、まともになってくれるなら。

 直接ひとに手を出して、その身を貶めないでいてくれるなら。


 私の思いは届いたのか、彼に有った埃のような色の濃さが消えていく。


「俺は、死んでるんだな……」


 私を認めた彼はそう問いかけてくる。私はただ頷いた。


「あんたもか……?」


 力なく俯いた彼は更に聞いてきた。私は、また頷く。


「なんで……」


 そう呟いた彼の言葉は、誰に縋る訳でもなく空気に還る。

 その声にはもう狂気は感じられないけれど、聞いた者の胸を締め付けるような悲壮感が窺えた。


 死んだ瞬間はもう遠い昔になる私には、それを思い出すことすら出来ないけれど。

 それでも、その寂しさだけは、とても良く理解できた。


 自分はもう、世間から認知されていないという事実。

 誰かと笑い合うことも、誰かと悲しみに暮れることも出来ない。

 誰かと、共有できないという事実。



 私たちのように生きていないものは、二手に分かれる。

 一人で統治する側と、それらによって強制的に在るべき場所へ送られる側。


 この場合、自分は前者で彼は後者だ。


 私にとっても初めての役割。


 それまで彼以外にこの場所で亡くなった者はいないから、私は彼に付きっ切りだった。

 そして、情が芽生えてしまったのだ。


 ーーああ。これでお別れ。


 彼とは違う種類の寂しさに、私はつい問い掛けた。


「君は、どうしたいですか?」


 聞かれた本人は片眉を上げ、不思議そうな顔をした。


「君には選択肢があります。今すぐ在るべき場所へ送られるか、それとも未練を断ち切ってから送られるか、もしくは……このまま残るか」


 最後に提案したものは、最悪の結論だ。


 もし彼が3つ目を選んだら、私は役割を放棄したと見做され罰される。

 そして新しく任に就いた別の者の手に拠って、彼は在るべき場所へ送られる。


 私は、2つ目を選んで欲しかった。

 情を抱いてしまった彼に、せめて未練を断ち切ってから送り出してあげたいという我が儘だ。


「もし選べるなら、もう一度だけ彼女に会いたい……」


 自分が惹かれた彼女に会いたいという彼の言葉に、慎重に息を呑む私を見た彼は言葉を選んでいるようだった。


「もう……何も、するつもりは無いよ。だけど、……確かめたいんだ」


 そう真剣に告げる目を見ると、嘘は言ってない様子。声からも強い意志を感じた。


 ーー大丈夫。何かがあっても私が……。


 これは最初に、彼を正しく対処しなかった自分の責任だ。

 私は新たな決意を込め、彼に向かって微笑んだ。



 ***



 私は彼女がいるだろう、ある場所へと向かう。

 彼女の学生鞄には、何かの勲章のように華やかな校名と校章が刺繍してあったから。


 ちょうど移動教室に向かうところなのか、二階にある外に剥き出しの渡り廊下を澄まして歩く彼女を見つける。

 自覚を終えた東間の体は、私に倣い浮遊していた。


 そのまま彼女から数歩離れた位置に降り立ち、向かってくる彼女を見つめる彼は無表情で、何を感じているのかまでは窺い知れない。


 私はただ、彼が行動に移るその時を待つ。しかし、それが必要とされる事は無かった。


 こちらに進んでくる彼女は、何かに気付く様子を見せず体をすり抜けて行く。

 それに縋るように振り向いた彼を同じく追えば、彼女の姿はもう見えなくなっていた。


 彼を気遣うように見やれば、伸ばした腕を宙に彷徨わせて静止している。

 ひとまず彼に危うさは見られないことから、私は何もせず隣で静かにしていた。





 ーーーー「良かった……」


 どれくらいの時間が経ったのか分からない。隣で溢れた言葉に反応したら、静止から急に動かした首が少し軋んだ。

 やっと絞り出したように言った言葉にはもう、以前聞いた粘り着くほどの重みは感じられない。


 もっと、晴天のように爽やかだった。


 隣で浮かべる混じり気のない笑顔を見ながら、彼が何を確かめたかったのか悟る。

 きっと、自分に芽生えたものの正体だ。


 彼は今、どちらの自分で、彼女に惹かれているのだろう?


 彼自身ではない私には、どちらかなど計れない。

 けれど、彼はやはり人なのだと、心の底からそう感じていた。





 ーーーー彼女はきっと、彼に気付くことはない。これから先も。


 だけど、彼女に対する思いが彼をまともにし続けてくれるはずだ。

 それが、どれだけ独りよがりでも。例え、自己満足だとしても。


「でも、出来るなら……」


 もし、こんなどうしようもない私の願いを聞き届けてくれる何かが居るなら、どうか私の独りよがりな願いを叶えて欲しい。


 ーーいつか、彼が生きて、その想いを抱けますように。


 彼を見送ったままの体勢で空を見上げる私は、またいつか、今度は生きた彼を見守る日が来ることを祈ってーーーー。


「……ーー」



 ***



 百栄は帰り道、読み終えた本の内容を脳内で再生しながら、今朝と同じ事を考えていた。


 ーー最後まで想われ続ける男の子は、女の子の幸せを願いながらも幸せを感じていたのだろう。


【自分を忘れないでいてくれる女の子】


 自分にも、そんな存在がいるのだろうか。


 自分を深く想ってくれる存在。自分を想って忘れないでいてくれる存在。

 そんな強い思いを向けてくれる相手と、向ける相手と……いつか出会えるだろうか。


 その瞬間、ふと、そよ風を感じる。

 それは、わたしが吐露した情報を体現するように、優しく吹き抜けて彼方に消えて行った。



試しに読んでくださった方も、ブクマしてくださってる方も、ツイートから飛んできてくださった方も、読了ありがとうございます。

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