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第八章 似非者の矜持

 冷たい床に額を押しつけて、土埃が口に入ったのを覚えている。

『お願いします、助けてください! 仲間が堕ちたんです、助けようとしたんです! 僕が、罰は僕が受けますから、お願いです、皆を助けてください! 僕の力じゃ何もできないんです、まだ生きてるんです、助かるんです! 助けてください!』

 もう十二年も前のことだというのに、一字一句違わずに覚えている。慧は苦笑し、額に触れた。滑らかな包帯の感触がする。

 組合のロビーのベンチに座り、慧は目を閉じて天井を仰いだ。空調の静かな音と、僅かな人の息遣い。それを掻き消すような足音や衣擦れの音。あの日、燈瑞の返答を待った数秒間と同じ音が、まだそこにはあった。

「高杉さん、新人全員集まりました」

「ああ、ありがとう」

 真夜の声に、慧は目を開いて立ち上がる。

「高杉さん、なんすか? 今日は研修会の筈じゃあ……」

「慧! 何よ急に呼び出して、病院だったのに」

 威斯の言葉を遮り、ガラス戸を開いて沙弥子が現れた。慧はひらひらと手を振り、新人達へ向き直る。沙弥子は首を捻ってソファに座った。

「緊急事態だ」

 慧は笑顔を引っ込めた。その声音に、ぴりっ、と緊張が走る。

「まだ不確定だが、ミズチとその関係者が動き始めた。敵の目的は断定できていない段階だから明言を避ける。だけど、被害が出ない内に対処しようと思う。敵意があると考えた方がいいので、新人は先に退避を」

「退避!? 俺達はサムライですよ」

 威斯が噛み付く。慧は鋭くそちらに視線を向けた。

「言葉を選んでいる暇はないから厳しいことを言う。足手まといだ」

 慧の言葉に、威斯はぐっと言葉を詰まらせた。

「……でもっ!」

「【スサノオ】。これは命令だ。退避しなさい」

 有無を言わせない声音で言い、慧は威斯を黙らせる。沙弥子は頬杖を付き、ふう、と息を吐いた。

「でもミズチなら!」

 威斯を押し退け、真夜が口を開く。

「琳の仇です。足手まといになりませんから、私も戦わせてください!」

「そ……そうですよ! 詳しい事情は知りませんけど、俺達だって!」

「高杉さん」「高杉さんっ!」

 新人達に詰め寄られ、慧は苦い顔になった。

「――――ダメと言ったら駄目だ」

「でもっ」

「いい加減にしないか!」

 自分でも驚くほどの大声が出た。慧の怒鳴り声に、新人達は一気に静まり返る。

「確かに君達はサムライだ。マジモノを狩り、人々を護るのが君達の役割だ。だが、相手と自分の力量も冷静に測れないのなら戦場に出すわけにはいかない。無様に死ぬだけだ!」

 かつての自分を見ているようで、胸を逆撫でされるように感じた。慧は一度言葉を切り、驚いた表情のまま固まっている威斯を、真夜を睨む。

「……すまない。状況が分かったらまた連絡をする。今は、退避をしていてくれ。……君達新人は、このアンダーシティを護る要になっていくんだ。アンダーシティを護ること、ひいてはダウンタウンを護ること。それが君達の仕事だ。不確定要素が多いが危険だと判断できる戦場に、不用意に送ることはできない……」

 息を整えながら、慧は小さく首を横に振る。

「恨みつらみはマジモノの力となる。もし相手に攻撃意志が無いならそれで良し。でも期待はできないし、私怨で仕掛けて返り討ちに遭えば被害が出る。それを、僕は一番避けたい」

「……高杉さん、」

「地下道場に、退避を。あそこが一番安全だ。万が一の備えもあるし、入り口が塞がれても非常口からなら遠くまで逃げられる。真夜ちゃん」

「は、はいっ」

「一時間以内に僕及び他のサムライからの連絡がなかった場合、皆の動きは君に一任する。責任は僕に被せていい」

「えっ……無理です、そんな大役! 私はとても、判断なんてっ」

「君は頭がいい。冷静になったときに一番周りが見えていたのが君だ。それに言っただろう? 今回は、責任は僕が被るから大丈夫。いずれの戦闘の練習、練習」

 硬くなっていた真夜の頭を軽く叩いて、慧は地下への廊下を指差した。

「行きなさい」

 慧の一言で、新人達は一斉に動き出す。最後に真夜が一礼して背を向けると、慧は安堵の息を吐いた。

「珍しく厳しいのね」

「……ま、たまには先輩らしくしないとね」

 慧はすとんと沙弥子の隣に座る。

「サクちゃんには、ちょっとお願いをさ。頑丈な結界牢の準備をして欲しいんだ。出来れば陣を描くタイプじゃなくて、針とか、クナイとか、そういうのを地面に差すタイプの奴を」

「今から?」

「うん。材料だったら陰陽課の部屋にあると思うなあ。今サムライのほうの課長も支部長も出払っててさ。依頼じゃないし、ミズチに関する調査の云々は正式な手続きができないんだ。だから、直接お願いをね。ちょっと急だけど、ねっ、お願い」

 慧は両手を顔の前に合わせて片目を瞑る。沙弥子は腕を組み、溜息を吐いた。

「全く。昔から急なことばっかりなんだから。やるわよ。やってあげる。感謝しなさいよね」

「うん、ほんと、感謝してるよ」

「はいはい。……その軽薄な物言いだけ直せば、もっとましになるでしょうに」

 沙弥子は立ち上がり、軽く両手で袴の皺を伸ばす。

「サクちゃん」

「ん?」

 呼び止められ、沙弥子は階段へと向けていた足を止める。慧は、振り返った沙弥子の頬に手を当てた。

 そして、沙弥子が声を上げる暇もなく、その唇にキスをする。

「っ!?」

 カウンターの向こうで、受付嬢が黄色い声を上げた。沙弥子は両手で慧の肩を掴むが、壁と慧の体に挟まれて抜け出せなかった。振り上げられた沙弥子の手を、慧の手が捕まえる。

「――――――っはっ……」

 しばらくして慧が離れると、僅かに唾液が糸を引いた。

「~っ!」

 唇を擦り、沙弥子は平手で慧を殴る。パアンッ、と清々しいほどに良い音がロビーに響いた。慧はよろめいて、頬に手を当てる。

「っ……と、突然っ……」

「……ごめん」

「強引だしヘタクソだし長いし、最低っ! この偏執根暗もやし!」

「もやし!?」

「いっつも彼女自慢してくるくせに成長しないんだから! 馬鹿、本っっ当に馬鹿!」

 沙弥子は顔を真っ赤にして怒鳴り、階段を駆け上がっていった。

「………………」

 慧は頬をさすり、はあ、と溜息を吐いた。

「……さて、と。僕も一応準備しないとな……」

 頭を振って表情を切り替え、慧は踵を返して詰め所の奥へと足を向ける。と――――目が合った受付嬢が、青い顔で慧の後方を指差した。

「高杉さん!」

「うん?」

 慧が振り返るのとほぼ同時に、入り口のガラス戸が弾け飛んだ。



 特殊強化ガラスが、古びて黄ばんだガラスのように、いとも簡単に砕け散る。一瞬真っ白に染まったガラスの破片が、ロビーの床にばらばらと散らばった。

「何だ、随分と人が少ないじゃないか」

 拳を突き出して立っているのは、黒装束の男だ。その背後には、虚ろな表情のミズチも立っている。

「……君は」

「あん? ああ……何だ、昨日の今日でもう動けるのかよ……」

 男は慧に気付いて舌打ちをする。慧は腰の小太刀を抜き、腰を落として身構えた。

「お前はなかなか手強そうだから、離脱したままでいて欲しかったんだが」

「君は何者だい? 彼女に何をさせようとしてる」

「何者……その質問には答えたくないな。それに、ミズチに何かをさせようとしてもこいつは俺の命令に百パーセント従ってはくれない。狂暴化していないから何とか制御出来る程度だ。だから後者の質問にも答えられない」

 男は肩を竦めてみせた。

「それより、俺と話す気があるなら交渉しないか、サムライ。死んでもいいサムライを十人と、式神をありったけくれ。ミズチはそれくらい殺したいらしい。飲んでくれればミズチを俺が消してやる」

「式神と相殺させて、人間に戻そうって?」

 慧の言葉に、男は頭蓋骨の仮面の奥で目を丸くした。

「牛頭のと接触した匂いはしないが……驚いたな。俺の目的が分かっているなら話が早い。ミズチの強さは知っているだろう? サムライ十人と式神ありったけで、これから死ぬかもしれない山ほどを救えるんだ。ウィンウィンで行こうじゃないか」

「君正気? だったら笑えてしまうね」

 慧は鼻を鳴らした。男は唇を曲げる。

「ミズチはサムライを殺す為に作られたんだ。サムライを差し出せば満足する。俺の命令なら、自らの毒となる式神も自分で喰う。俺はいわばリモコンだ、互いに被害は最小限がいいだろう? 未熟なサムライなら十人くらいいいだろう」

「はははっ……」

 慧は構えを解き、小太刀の峰で肩を叩く。男はミズチをその場に立ち止まらせ、慧に近付いて握手の手を差し出した。

「――――反吐が出るよ」

 男が間合いの内側に入った瞬間、慧は小太刀を振り下ろす。男の額を小太刀の切っ先が叩き、骨の仮面が割れた。

「うわっ!?」

 男はたたらを踏んで尻餅をつく。

「君一人の妄執に付き合ってられないよ」

「うわ、ちょっ……俺は戦闘用じゃないから」

 ばたばたと男は慧の刃から逃げ、ミズチの元まで戻った。

「ミズチっ、駄目だ、殺していい! お望みのサムライの命だ!」

 慧を指差し、男が叫ぶ。慧は後方へと飛びのいて小太刀を構えた。

「………………」

「……?」

 ミズチが動かず、男が怪訝な顔で振り返る。ミズチは人形のように突っ立ったまま、口元へと手をやった。緩慢に、細い指先が形のいい唇をなぞる。

「ミズチ……?」

「……ふふっ……ゲンブが必死な顔……ふふふっ……」

 細い声で、ミズチが呟く。口角がきゅっとつり上がり、作り物のようだった瞳が光り、露出した白い歯に指先が当たる。

「……ミズチ、お前、」

 男――ゲンブが目を見開き、ふらりと立ち上がる。ミズチの髪がざわざわと蛇のようにうねり、白かった指先が赤紫に変色した。

「ミズチっ! 待て、今何て言った? お前、お前自分から喋って、」

 ゲンブはミズチの肩を掴んで、その細い体躯を揺する。だが、ミズチの手は容易くそれを払いのけ、その胸を蹴り飛ばす。ゲンブは吹っ飛んで、慧の横のカウンターに激突した。

「ははっ、あははっ。すごい、馬鹿みたい。弱いくせにご主人ぶって。はははっ」

 ミズチが笑いだす。先刻まで人形のようだったその少女の、あまりに無邪気な笑顔に、慧は慄然とした。ミズチの視線がゆっくりと持ち上がり、それに伴って慧の背筋を悪寒が這い上がる。あまりに可愛らしく毒の無い笑みで、ミズチは慧を見上げた。

「……もうご主人なんて要らないわ。だって、私の中にはたくさん、たぁくさん、知恵をくれるお友達がいるんだもの」

 至極当然のことのように言って、ミズチは胸の前で両手を合わせた。

「ふふっ。ついでに邪魔なあなたも、ここで死んでもらいましょう」

「……そうも、いかないんだよなあこれが」

 慧は余裕を取り繕って笑って見せた。

「あら残念。楽に殺してあげたのに」

 ミズチが両手を広げ――――その間に、紅の球が連なったものが現れる。まるで手品のように両手の間から現れたそれが、橙色に発光した。

「っ!」

 ミズチに向かって飛び出した足を、床に減り込まん勢いで止める。腕を振り上げて勢いを殺すと、即座に踵を返してミズチに背を向けた。

「あははっ。臆病者っ! あはははははっ!」

 ぐったりとして床に倒れるゲンブに手を伸ばし、慧はカウンターの天板に手をかける。飛び越える刹那に振り返った視線の先で、ミズチが笑っているのが分かった。

 間に合わない。間延びした意識の中で、自分の体の動きが嫌に遅く感じられる。焦燥に駆られて、息を大きく吸うのすら忘れていた。

 そして爆音が轟いた。

 ミズチが放った紅の球が、次々と破裂する。ロビーのソファを吹き飛ばし、残っていたガラスを砕き、壁を抉っていく。ミズチだけが、目に見えない壁に守られていた。壁に走った大きな亀裂は天井へと派生し、やがてぱらぱらと、天井からコンクリートの欠片が落ちてくる。

「さようなら、タカスギアキラさん、はりぼてのご主人様」

 ぱちんっ、とミズチが指を鳴らし、新たな球が空中に現れて破裂した。

 壁が砕かれ、支えを失った天井が落下する。いくつもの巨大な瓦礫に押し潰され、ロビーは完全にコンクリートの欠片に埋まった。

 ミズチは目を細め、天板がひしゃげたカウンターを見遣る。そのコンクリートの隙間から僅かに見える床に、紅い液体が流れ出していた。

「……ふふっ。さあ、折角自由になったし、何をしようかしら?」

 ミズチはくるりと踵を返し――――そこで、自分の脇腹に突き刺さっている小太刀に気付いた。身を翻す寸前、慧が投げたものだ。

「あら」

 ミズチはそれを抜きとると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らして瓦礫の山に放り投げた。一瞬血がにじんだ腹も、すぐに再生する。

「もっと期待していたのだけど。本当に残念」

 ミズチは、埃で汚れた手を叩く。改めて歩き出した先に、ダウンタウンが見えた。

「……うん。あそこがいいわね。式神(ごはん)もたくさんいるでしょう」

 軽い足取りで、ミズチはダウンタウンへと向かう。

「ご主人には感謝しなくちゃ。マジモノだって知恵は必要よね。ただ殺していた頃よりずっとずっと楽しいもの」

 ミズチは唇に指を当て、くすくすと笑う。

「さあ。何も知らない人間達を、絶望につき落としてやりましょう?」

 長い髪を風に靡かせて、ミズチは駆け出した。



 冷たいシャワーをヤマブキに浴びせながら、燈瑞は苦い顔になる。

「予想が当たったか……」

「どうするんだよ【ムラクモ】。ただのマジモノならともかく。知恵を持った奴がついてるんだぜ」

「だからといってやることは変わらない。……お前は自分の穢れを抜くことに集中しろ」

 瓶に詰めた塩をヤマブキの前に置き、燈瑞は顎を撫でる。

「しかし……そうか、主人を取り戻したい、か」

「なあ……別に、手を抜けとは言わないが、あの式神も俺達も、ミズチって言うマジモノを消したいのは同じだろ? どうにかならないかな」

「……ヤマブキ。分かっているだろう」

 燈瑞の手が、ヤマブキの頭に乗る。ヤマブキは俯いた。

「マジモノになり、姿かたちが変わった時点で、喰われた人間は死んでいる」

 燈瑞の言葉に、ヤマブキは小さく頷いた。

 燈瑞は事務所へと戻り、煙草を咥えて火を点ける。長い時間をかけて、ゆっくりと、吸い込んだ紫煙を吐き出した。

「穢れがある程度抜けたら行くぞ」

「……はあい」

 ヤマブキは頭から塩を被り、またシャワーを浴びる。洗い落された赤黒い液体は、塩水に触れるとじゅうじゅうと音を立てた。

 デスクに寄りかかり、燈瑞は拳銃の弾を込め直す。予備のマガジンにも弾を込めると、腰のポーチに詰め込んだ。ナイフと砥石、布きれを残りのスペースに入れていると、ヤマブキが頭をタオルで拭きながら戻ってきた。

 燈瑞は眼帯に指を押し当て、煙草を揉み消す。

「行くか。霊力は行きながら補充しろ」

「おうっ」

 燈瑞が肩を指差し、ヤマブキはそこに飛び乗った。



 目を醒ますと、目の前に血の海があった。

「…………、」

 ゲンブは体を起こそうとして、腕に力が入らず困惑する。痛みはない。だが、肩から先の感覚、そして腰から下の感覚が、ぷっつりと途切れていた。視線だけを動かすと、周囲が瓦礫で埋まっているのが分かる。自分がいる場所だけが、辛うじて瓦礫の直撃を免れていた。その僅かな空間を作ったのは、ひしゃげているこのカウンターだろうか。

「……ミズチ」

 ぽつりと呟き、ゲンブは顔をしかめる。

『はりぼてのご主人』

 ミズチの嘲るような声が、嫌に耳に残っていた。

「……あいつ、いつから自我を……」

「……起きたかい?」

 掠れた声に、ゲンブは息を飲んだ。

「サムライっ、お前、」

「名前……」

「えっ? あ、ああ……その、ゲンブ、だ」

 視線を声の方へ動かしても、何も見えない。

「そう……君なら、ここから出られるかな」

「はっ?」

「伝言を……ね。後輩達と、サクちゃんにお願いしたい……ミズチの、こと、と」

 咳き込む音がして、ゲンブは息を飲む。

「おい、ふざけるなよ!? 何が伝言だ、自分で言え!」

「……ちょっとは、先輩らしく振舞えたかな……」

「何……? 待てよ、聞いてるのか!」

 ゲンブが声を上げる。

「ふざけるな、まさか俺を庇ったってのか!? おいサムライお前、返事しろよ!」

 感覚のはっきりしない体を動かし、ゲンブは体勢を変えて声の方へと向き直る。

「ふざけるなって言ってるだろ!」

 ざわっ、とゲンブの髪が逆立ち、その顔が苛立ちに歪む。

「何で敵のこと庇ってんだ、馬鹿じゃないのか! 返事しろよ! おい……返事しろって言ってるだろうがっ……!」



 どこまでも深い闇に堕ちていく。

(……この子は)

 掻き消えそうな意識で、ウズメは反転した世界を見上げた。一つのマジモノに取り込まれ、生まれた大きな『ミズチ』という化け物。自我を持ったその存在の内側は、嵐のように荒れていた。ヤマブキが一瞬だけ開けた風穴もすぐに埋まり、黒く染まった式神達が、『ミズチ』の力となり、知恵となり、集結して人格となる。

 その全てを従える『ミズチ』は、仮面のように式神を使い分け、借り物の笑顔と言葉で笑い、奪い取った術で周囲を破壊し――――あまりに空虚な自らを、着飾っていた。

 お前の力も寄越せ。そう、ミズチはウズメに手を差し出す。

 数多の式神を纏い、自らの根源である怨嗟と、術師の無念で力を繋ぎ止め、式神を取り込んでまた成長する。人を殺し、その恐怖と怒りを力とする。正にマジモノそのものの姿だ。たかが一己の自分が敵うはずがない。そう、頭では分かる。

 だが。

(私はあなたに力は貸せない)

 切り裂かれ、微かに残った自我を、意識を飲み込まれそうになってもなお、ウズメはミズチを拒絶した。

(全部借り物……サムライに対する殺意、憎しみすらも借り物のあなたに、絶対屈しないんだから!)

「それでいいわよ、朝霞の」

 胸の奥で叫ぶウズメに、ミズチは余裕の笑みを浮かべてそう返した。

「知ってるわ。私は全部偽物。でもそんなこと言ったら、本当なんて何処にも無いでしょう? 人間だって、マジモノだって。そう思わない?」

 アンダーシティの東の端、小高い丘を越えるとダウンタウンがある。紅の目を細め、ミズチは髪を掻き上げた。墨を流したような艶やかな黒髪は、白い肌によく映える。

「ねえウズメ。私を空っぽだって言うなら、あなたは? あの牛頭のは? サムライは? ご主人は? ねえ、何処に本当があるか言ってみてよ」

 裸足の足を踏み出すと、赤黒い靄と共に靴が作られた。纏っていた薄汚れた服が、純白のワンピースへと変わる。

「知ってるの。ええ私は空っぽよ。でも、だったらマジモノは全部、ぜーんぶ空っぽ。人間に命令されたから人を襲って、暴れるの。そうなれと願ったのは人間なの。でもそんな人間だって、本当なんてないの」

 頬の埃を払い、風に広がるスカートを押さえる。近付いてきたダウンタウン、それを囲む巨大な結界を見上げて、ミズチはやはり、にっこりと笑った。

「タカスギアキラは、いい先輩の振りをしていただけ。自分で自分をいい先輩だなんて思ってないでしょう。周りに優秀だと言われるあの人は本当は優秀じゃなくて、優秀なように取り繕っていただけなのよ。真似事よ。私とおんなじ。ゲンブはご主人の真似事。フジトラヒスイは立派なサムライと父親の真似事。ツバキノリンは復讐者の真似事。本当なんて誰も分かっていないくせに。はは、あははっ! 空っぽのくせに!」

 間も無く、陰陽師が守るゲートがそこに見えてくるだろう。

「――――無意味なくせに、何で殺すことに躊躇う必要があるのかしら」

 前髪を降ろして、紅の目を隠す。そうして、ミズチはダウンタウンのゲートへと踏み込んだ。異変を察した陰陽師達が、ぞろぞろとミズチの前に現れる。

「本当、残念な存在」

 あざ笑うように言ってミズチは軽く首を傾げ――――その背後から現れた触手が、陰陽師達の首を薙ぎ払った。



 爆音と共に、建物全体が揺れる。天井からぱらぱらと埃が落ちて来て、真夜は唇を噛んだ。

「なあ、上……やばいんじゃないのか? もしかして襲撃されてるんじゃ」

「きっとそう。陰陽課の人も来ていたし、高杉さんは襲撃されたらしいから、敵にとっては不都合な存在のはず」

「じゃ、じゃあ俺達も」

「駄目! 言われたでしょう?」

 武器を握った威斯に、真夜はぴしゃりと言い返した。

「今出て行ってもきっと足手まとい。収まってからの方がいい」

 真夜は、ぴったりと閉じたドアを見上げて唇を噛む。

 当然、不安だ。慧の実力は重々承知だが、それでも相手のことを考えると胸がざわつく。あの琳が勝てなかった相手であり、何より――――

『相手がマジモノだと頭で理解していても、形が人間だったら、斬れない。刃を向けることができない。そういうサムライは多いんだよ。……僕だってそうだ』

 朝霞ミズチは、少女の姿だ。

 ずずん、とまた重い音が降ってきた。恐怖と緊張、そして無力感で涙がにじむ。眼鏡を外して、何度も目を擦った。

「……止まった?」

 威斯が壁から身を剥がし、真夜に駆け寄る。真夜は唾を飲み込んだ。

「……なあ」

「駄目。まだ一時間経ってない」

「だけど、音が止んだってことは……良くも悪くも、上に出るなら今じゃないのか?」

「でも、もしミズチが上にいたら? 今度は死ぬのは私達になる」

「だったら高杉さんだって危ないだろうが! 命令違反だろうが俺は行く!」

 威斯が真夜を押し退け、扉を開く。「あっ!」と真夜がそれを止めようと手を伸ばすが、それより先に威斯は地上への階段を駆け上がっていた。

「行っちゃった……ど、どうしよう、」

 追うべきか、無視して残るべきか。真夜が諮詢している間に、威斯が駆け戻ってきた。

「おい、大変だ! 皆来てくれ、上が、高杉さんが!」

 威斯は、握っていたものを突き出して皆に見せる。それは、べったりと赤黒い血で汚れた、慧の小太刀だった。



 バイクを走らせていると、遠方に煙が見えた。

「ヤマブキ、ラジオ入れてくれ」

「はいよ」

 燈瑞にしがみついたまま、ヤマブキはラジオのスイッチを入れる。

「チャンネルは? ローカル? 全国?」

「ローカルの方が速いだろう。トウキョウ中央で」

「へいへい」

 ノイズ混じりの音声が次第に明瞭になり、やがて男のアナウンサーの、焦ったような声が聞こえてきた。

『――――現在被害状況は確認できておりませんが、アンダーシティに隣接したゲートが何者かに襲撃されたということで、ダウンタウンの一部地域に屋内退避命令が出ています。該当地区は……』

「【ムラクモ】!」

「ああ、やはりあちらに向かったか……!」

「式神市場は、こっちからだと商業地の先だ! もし式神を狙ってるなら」

「商業地区を横切る……か」

 苦々しく呟き、燈瑞はバイクの速度を上げる。

『なお、アンダーシティからの襲撃ということで、異形浄化専門協会、通称サムライ協会のアンダーシティ支部に確認をしているとのことですが、今のところ、連絡はついておりません。ゲートの襲撃であるため、一時的にダウンタウンの保護結界が弱まる可能性があります。該当地区以外の皆様も、自主的に、屋内退避をお願いいたします。繰り返します……』

 サムライ組合の詰め所が見えてきた。燈瑞は舌打ちし、バイクの向きを変える。タイヤが滑り、停止したのは丁度、崩壊した詰め所の前だった。

「球磨田!」

 バイクを壁に立てかけて、燈瑞は瓦礫の山に駆け寄る。燈瑞の声に、沙弥子ははっとして振り返った。

「襲撃か?」

「燈瑞……、」

 青白い顔で、沙弥子は慧の小太刀を握っていた。燈瑞は息を飲む。瓦礫に手をかけている新人達も、一様に青い顔をしていた。

「……まさか」

「何をしてるの、早くダウンタウンへ行って!」

 沙弥子が、悲鳴のように叫ぶ。

「な……」

「あの馬鹿がこんな簡単に死ぬわけないでしょう! ここよりダウンタウンを護ることが先決でしょう! すぐに追うから、とにかく被害が出る前に行って……行きなさいよ!」

「っ……、そうだな、すまん」

 燈瑞は苦い顔になり、踵を返してバイクに駆け寄った。

「ヤマブキ! お前は残って手伝え」

「お、おう! 分かったすぐに行くから!」

 バイクに飛び乗り、燈瑞は焦燥に顔を歪める。突き刺さる視線から逃げるように、バイクを走らせた。

 もし、出会ったあの日にミズチを討伐していたら。

 もし、琳が堕ちた折りにミズチを討伐していたら。

 分かっている、と燈瑞は苦々しく顔を歪めた。自分の同情、自分の身勝手でミズチに刃を振り下ろすのを先延ばしにしてきた。

 だが。

「――――お前は俺が殺すと、最初から決めていたんだ」

 だからこそ、これだけは譲らない――譲れない。

「俺はお前を、ずっと探してきたんだ」

 ラジオの音量を下げ、燈瑞は更にバイクの速度を上げた。

 ゴーグル越しの視線の先には、揺らぐ結界に包まれたダウンタウンが見えてきていた。

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