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第五章 片刃の因縁

 米が炊ける音で目が醒めた。燈瑞はソファから体を起こし、頭を掻きながら窓に向かう。ブラインドを開くと朝日に目を細め、欠伸をした。

 一階に続く階段の扉を開き下を覗くと、ヤマブキがベッドの上で丸まっていた。

「ヤマブキ、朝だぞ」

「……んん」

 燈瑞は二階に戻り、机の上の眼帯を取ってそれを右目に着ける。

「……今日の予定はー?」

 目を擦りながらヤマブキが現れた。燈瑞は冷蔵庫から作り置きのおかずを取り出しながら振り返る。

「ダウンタウンに行く」

「……んんー?」

「ミズチが、球磨田に引き取られただろう。あれから様子を見に行っていないからな」

「ふあーい……」

 ヤマブキは大きく欠伸をした。

「それと、午後は葬式だ」

「ん……【カグツチ】のか」

「ああ」

「喪服?」

「ああ」

「……はぁい」

 ヤマブキは食器棚から茶碗を取り出し、踏み台に上ってご飯を盛る。その間に湯を沸かしながら、燈瑞は胸元の板を弄った。

「……どした、【ムラクモ】。昨日くらいからちょくちょく、物思いに耽りやがって」

 燈瑞の顔を覗き込み、ヤマブキが首を傾げた。燈瑞は首を横に振る。

「何でもない」

「そうかよ」

 電話が鳴った。燈瑞は火を止め、デスクに向かう。

「もしもし……ん? ああ、海石榴野の……そうか。そうだな……夕方の五時でどうだ。ああ、その後だ……そうか。では五時半。待っている」

 電話を切り、燈瑞は短く溜息を吐く。振り返ると、首を傾げるヤマブキがいた。ヤマブキは味噌汁をローテーブルに並べ、それから頭の、牛の頭蓋骨を取っている。燈瑞は、わしゃっ、とその白い髪を撫でた。ヤマブキは俯き、嬉しそうに頬を緩ませる。

「……食べるか」

「はぁい」

 ぼすっ、とヤマブキはソファに飛び乗った。



 沙弥子の家は、ダウンタウンの北西、陰陽師の多い住宅街の一角にあった。やはり陰陽師としてサムライ協会の陰陽課に所属していることもあり、それなりに立派な一軒家だ。清潔なダウンタウンに似合う淡い色遣いにスレート葺きの屋根、門の装飾なども細やかで美しい。

「……アンダーシティとは違うな、やはり」

「【ムラクモ】もダウンタウンに住んだらいいじゃん。金はあんだろ?」

「面倒だ。マジモノが出現するのはアンダーシティがほとんどだからな」

「ふーん」

 インターフォンを押すと、女の声で返事が聞こえた。まもなく玄関が開く。顔を出したのは、洋服の、淡い水色のワンピースを着た沙弥子だった。

「……あら、燈瑞さん」

「一週間ぶりだな。ミズチの様子を見に来た。どうだ」

「どうぞ、入って。ミズチちゃんは奥よ」

 沙弥子が手招きをし、燈瑞は玄関に入って靴を脱ぐ。ヤマブキは懐から取り出した布で足の裏を拭いた。沙弥子は玄関からまっすぐに伸びた廊下を進み、突き当り、階段の隣にあった扉を開く。

「中には入らないで」

 引き開けられた扉の奥は、殺風景な部屋だった。床には巨大な円陣が、正方形の部屋いっぱいに描かれている。四つ角にはそれぞれ色の違う小さな柱がある。窓には鉄格子が付けられ、それの無い換気用の天井付近の窓には、こまごまと文字が書き込まれた札が貼ってあった。

 その封じ込めの印に、燈瑞は顔をしかめた。円陣の中央には、膝を抱えてそれに顔を埋めたミズチがいる。扉が開く音に顔を上げ、ミズチは驚いたように立ち上がった。

「ヒスイ……? 来てくれたんですか?」

 ミズチの、憔悴した顔に笑みが浮かぶ。

「球磨田……これは、上級用の陣だろう? 力が強すぎるんじゃないか」

「これでやっとミズチちゃんの力を押さえられたの。髪に巻いていたリボンは無くなっちゃったし。あれ、相当の術者が作ったものよ。私の力じゃこれが精一杯」

「……そうか」

 ミズチは燈瑞に歩み寄り、二重になっている円陣の、内側の円の前で足を止めた。

「ごめんなさい、これ以上行けなくて」

「いいや。……気分はどうだ。少し話そう」

 燈瑞はその場に腰を下ろした。沙弥子がヤマブキの手を引いてその場を離れる。ミズチも円の中で正座した。

「気分は……よくないです。息苦しいですし。でも、ご飯は美味しいし、とても、良くしてもらっていますよ」

 控え目な笑みを浮かべ、ミズチは言う。燈瑞は小さく息を吐いた。

「閉じ込められて、良くしても何もないだろう」

「……そうですね」

 燈瑞は顔を上げた。ミズチは目を伏せ、自嘲気味な笑みを零す。

「私、マジモノだったんですね」

「…………ああ」

「知っていたんですか?」

「ああ、初めから……お前があの五人を殺したのだと、知っていた」

 ミズチは顔を上げる。そして、表情を変えない燈瑞を見詰め、唇を噛む。俯き加減になると、長い睫毛の奥の紅い双眸が一層、薄暗がりで光って見えた。

「でも、覚えていないのは本当なんです。今だって……全然、思い出せなくて……リンさんが事務所に来て……それからのこと、全然……私が、リンさんの家族を殺したなんて……」

 ミズチは頭に手を遣り、俯いた。

「全然覚えていないんです。私が家族と思っていたのがリンさんの家族だなんて、今も信じられませんし……どうして殺したかも……私は、全然」

「思い出さなくて良い」

 言って、燈瑞は煙草に火をつける。それから、右目の眼帯に触れた。

「……思い出さないほうが良いことも、ある」

「……ヒスイ?」

 ミズチが不安げな顔になる。

「あの……もしかして、ヒスイも、家族を?」

「ああ。俺がまだ三つの時にな。もう……三十年近く前の話だ」

「……ごめんなさい、不用意に」

 ミズチは俯いた。燈瑞は目を細め、ふぅ、と息と煙を吐き出す。

「……海石榴野の家は、士族の家系だったそうだ。俺もそうだ。マジモノに狙われることには慣れている」

「……それは、家紋ですか?」

 ミズチが指差すのは、燈瑞が常日頃首から下げている、ペンダントのような木の板だ。

「そうだ。俺の家……(ふじ)(とら)の、家紋だ」

「……フジトラ……」

 ミズチは小さく、その言葉を口の中で繰り返す。

「じゃあ、ヒスイの名前は、フジトラヒスイなんですね」

「ああ」

「……どうして、名乗ってくれなかったんですか?」

 ミズチが言って、燈瑞は僅かに――――本当に少しだけ、笑った。仏頂面で固まっていたような顔が綻び、その雰囲気が一気に弛緩する。

「家の名を背負うには、俺は臆病者なんだ……藤虎の名を背負う父親の最期を、見たからな」

 そう、燈瑞は自嘲するように言った。初めて見るその笑みに、ミズチは驚いたように言葉に詰まる。

「代々続くサムライ―――士族の家系というのは、マジモノに狙われやすいんだ。マジモノを作る陰陽師の中には、サムライに仕事を奪われた者もいる……有名だというのは、狙われるということだ」

「……そう、なんですか」

「ああ。身分制度もなくなって、残っているのはご立派な過去の栄華を背負った名だけなんだが。……海石榴野も、そうだったんだろう」

 深く、重く、燈瑞は紫煙を吐き出した。

「……私、いつになったらここから出られますか?」

 膝の上で手を握り、ミズチは俯いた。

「出たいか」

「出たいです。仕方ないと割り切ろうとしても、化け物扱いは嫌です」

「……考えておく。土産だ。暇つぶしにはなるだろう」

 燈瑞は立ち上がり、腰のポーチからスライドパズルを取り出してミズチに放り投げた。ミズチはそれを両手で受け取り、苦笑する。

「ありがとうございます」

「ああ。また来る」

「はい」

 ミズチも立ち上がり、深々と礼をした。

「……待ってまいす」

 ミズチが微笑み、燈瑞は頷いて扉を閉める。

「……笑え」

 燈瑞は扉に背を預け、俯いて額に手を当てた。

「望み通りだ。……笑え」

 そう呟いても、口元は先刻のようにあっさりと笑ってはくれない。燈瑞は唇をゆるく噛み、それから顔を上げた。

「終わった?」

 沙弥子が、マグカップを手に現れる。燈瑞は煙草を携帯灰皿に押し付けた。

「ああ」

「そう、少し話しましょう。リビングに」

 沙弥子が言って、燈瑞は立ち上がる。リビングは台所に繋がっており、四人掛けのテーブルと椅子があった。椅子の一つにクッションを乗せて高さを合わせ、ヤマブキが座っている。ヤマブキは大きなカップを両手で握り、その前にはクッキーの入った籠が置かれていた。

「はい。あなたはココアが好きだって、彼が」

「……ヤマブキ」

「だって事実じゃんか」

 ふい、とヤマブキは顔を逸らす。燈瑞は息を吐き、ヤマブキの隣に座った。

「まあ、良い。で?」

「あの子、記憶が戻らないんだけどね。一つ仮説が。陰陽道の知識があるあなたなら分かるでしょう」

 沙弥子は身を乗り出した。

「あの子、多重人格タイプよね?」

「……恐らくな」

「しかも、記憶を共有していない……そうやって、マジモノを隠している」

「ああ。仮説だが、本性はどちらの記憶も持っているんだろう。だがあの人当たりの良い人格は、それを知らない……といったところか」

 燈瑞はカップを口に運ぶ。煙草臭かった口内が甘い香りで満たされた。

「そうね。私もそう思う。あの人格……私は『仮面』と呼んでいるけど。あの子は本当に、何も知らない女の子として創られたんでしょうね」

 創られた、と言う言葉にヤマブキが顔を上げた。

「……式神なら、多重人格いたぜ。でもマジモノは聞いた事ない」

 クッキーを齧りながら、そうヤマブキが口を挟む。

「そうか、式神の事情はヤマブキ君の方が詳しいわね。多重人格って、実際どんなモノ?」

「んー……大体、戦闘用とかの怖い奴と、愛玩用の可愛い奴を表裏にしておくのが一般かなぁ。怖い奴がいつでも出てこられるよう、本性は怖い奴が持ってる感じだったぜ。つっても、俺が創られたころの話だから、随分昔だけどな」

 頭を揺らしながらヤマブキは言った。「だとすると」と沙弥子は口元に手を当てる。

「マジモノも、殆ど式神と同じような作り方だものね。そういう設定をつけることは、不可能じゃないんじゃない?」

「だろうな」

 燈瑞はココアを一口飲み、短く息を吐く。

「だが、マジモノがマジモノたる由縁は、人の常識が通じない所にある」

「……そうね。あの子は特例、ってことかしら」

「大体、マジモノは誰かが誰かを呪う為に創ったものの成れの果てだ。人間らしい理性など、初めから持ち合わせないのが常だろう」

「そうね。だから、特例なの」

 沙弥子はマグカップの飲み口を唇に当て、ふう、と息を吐いた。燈瑞も同じくカップを口に運ぶ。口の周りの食べかすを払い、ヤマブキが手を挙げた。

「俺の考えも言っていいか?」

「ああ、そうね。あなた結構物知りだし」

 沙弥子の視線がヤマブキに向き、「へへ」と照れたように頭を掻く。

「ミズチは、行動とか見ててもふっつーの式神っぽいんだよな。何と言うか、【ムラクモ】と【サクヤ】が言ったみたいに、二重人格っていうのもあり得るけどさ。あんまり、作ってる感じがしないんだよ」

 頭に乗せていた牛の頭蓋骨を外し、ヤマブキは視線を彷徨わせた。

「良くも悪くも、素直ーって感じで。……で、あのおっかない方。一瞬しか見えなかったけど、普通のマジモノの感じじゃなかった」

「普通?」

「普通のマジモノって、千里眼で依代を探すと、すぐ見えるんだよ。要するに、依代と、犠牲になった誰かと、あとは土だからさあ。でもあいつは……」

 ヤマブキは口元を頭蓋骨で隠し、ぶるっ、と小さく身震いをした。

「底なし沼みたいだった。……多分、普通のマジモノとか式神の考えを当て嵌めることそのものが、ちょっと間違いなんじゃねぇかな」

 ヤマブキが視線を落として、燈瑞と沙弥子も押し黙った。

「……少し、話題変えましょう」

「……そうだな」

 燈瑞はカップを握った。半分ほど空になっていた籠に、沙弥子がクッキーを追加する。

「そう言えば、慧は元気? ここ一週間、会っていないけど」

「元気……いや、流石に、海石榴野の一件で少し落ち込んでいるな。教育係だったようだし」

「あら。意外」

「そうか?」

 燈瑞はクッキーを齧り、頷く沙弥子を見遣った。

「あいつは案外に情が深い奴だ。切り替えは早いから、非情ともとられるがな」

「……あなたと慧って、真逆のタイプよねぇ。よく付き合いが続いていると思って」

「まあ、それは俺も思っている」

「あなた、硬派っぽいから」

 くすくすと沙弥子は笑った。燈瑞は一瞬手を止めたが、黙ってココアを啜る。

「高杉のフォローをする訳では無いが、あいつは、只多くの人間に情を掛けられるだけだ。一人一人を軽んじている訳ではないだろう。お前のことも、好きな方だと言っていた」

「あら。新しい女の子と付き合うたびに電話で自慢してくるくせに?」

「………………」

 それは知らなかった、と燈瑞は呆れ顔になる。

「新しい子はルックスが良いんだ、とか、ファッションセンスがーとか色々言ってきて散々彼女自慢して、一ヶ月以内に別れたって報告するんだから。馬鹿よね」

「……阿呆だな」

 だが、と燈瑞は、頬杖を付いて溜息を吐く沙弥子を見た。

「一々報告するということは、それだけ――――」

「……何?」

「……いや、何でも無い。野暮だな」

 燈瑞はカップを置いた。既に中身は空になっている。それを見て、ヤマブキも席を立った。

「ご馳走様。また来る。ミズチについてはまた調べよう」

「ええ。……ミズチちゃんも、楽しみにしていると思うわ」

 沙弥子は空になった二つのカップを持ち、小さく笑った。



 琳の葬式が行われたのは、アンダーシティの東、集合墓地に近い葬祭場だった。喪主である慧は、黒いスーツを着、会場に向かっていた。

「……燈瑞」

 向かいから歩いて来た男に、慧は足を止める。燈瑞も正装で、隣を歩くヤマブキも、黒を基調とした喪服に着替えていた。

「……高杉」

 燈瑞も慧に気付き、足をそちらに向けた。だが、燈瑞が口を開いた瞬間、慧はびっと姿勢を正して頭を下げる。

「ごめんなさい」

 折り目正しい礼と謝罪は、普段の慧とはまるで別人のようであった。顔をあげない慧に、燈瑞は短く息を吐く。

「何故お前が謝るんだ」

「部下の失態だ。それは僕の責任だ。……本当は始末書じゃ済まないだろうに、あなたの名前があったから多少心証がよくなった」

 ゆっくりと顔を上げて、慧は首を横に振る。

「教育係である僕が、止めなければいけなかったんだ」

「……済んだことを言うな。お前の悪い癖だ」

 燈瑞は頭を掻く。そして、俯いて唇を噛んでいた慧の肩を軽く叩いた。

「思い詰めるな。寝ていないだろう。鍛錬ならいつでも付き合ってやる」

「いくら鍛えたって、僕は所詮人が斬れないサムライだよ。ちっとも成長しちゃいない」

 吐き捨てるように慧は言った。

「……また今度、三時間ほどお願いします……先生」

「分かった分かった」

 燈瑞が言って、慧は小さく頭を下げる。そして改めて髪を撫でつけると、大きく息を吸って踵を返した。既に葬祭場の受付には、複数人の参列者が待っている。

 表情を切り替えて受付に立つ慧を見、燈瑞は深い息を一つ吐いた。



 ノックをすると、まもなくドアが内側に開かれた。開いた相手が見えずに視点を下げると、白い、牛の頭蓋骨が見える。

「……えっと、」

 来客―――真夜は、困惑して視線を巡らせた。だが間違いなくここは、サムライ【ムラクモ】の事務所だ。少年の前にしゃがむと、大きな緑色の双眸が見えた。

「ああ、楠木か。約束通り、五時半だな」

 ドアの奥から燈瑞が現れ、真夜はほっとしたように息を吐いて立ち上がる。

「突然にすいません、【ムラクモ】さん」

「構わない。入れ、丁度湯が沸いた」

 ヤマブキがひょこひょこと台所に向かい、真夜は遠慮気味に事務所に入る。燈瑞はローテーブルに茶菓子―――煎餅や饅頭―――を置いた。真夜は燈瑞の向かいに座る。

「俺、一階にいるから。用があったら呼べ」

 二人分の茶を並べた後、ヤマブキは言って階段を降りて行った。

「……いい子ですね」

「まあな。随分と素直になった」

「……あの、本日は貴重なお時間ありがとうございます。【ムラクモ】さんに、相談したいことなどがあって伺いました」

「高杉では駄目か?」

「慧さんは……勿論、このあと伺う約束をしていますが……でも、今ちょっと……気まずいので。燈瑞さんの方が、変に気を遣わない気がします」

 そうかもな、と燈瑞は茶を啜った。

「私……サムライを、辞めようと思っています」

 真夜はそう言って、膝の上で拳を握った。

「元々、確固たる意志があってサムライになろうと思った訳じゃないんです。中学で、二つ上の琳に憧れて、養成校に入ったんです。琳はルックスも悪くなかったし、サムライ養成コースでの成績も良かったですから、早くから全国の組合から問い合わせがあったみたいなんです。でも、琳自身は、このアンダーシティで、フリーでやっていきたいと言っていました」

「………………」

「あなたに憧れていたからです、【ムラクモ】さん――――藤虎、燈瑞さん」

 真夜がその名を言い、茶碗に伸ばしていた燈瑞の手が止まる。それから、しばらくの時間をかけてゆっくりと顔を上げた。

「……何処でその名を?」

「琳から。琳は独自にあなたのことを調べていたそうです。飛び級をして、何の伝手も使わないで実力だけでのし上がって、フリーとしてやっていけているあなたを、尊敬していたそうですから」

「……一本、良いか」

「どうぞ」

 燈瑞は煙草を一本咥え、火をつけた。

「琳もサムライの家系でした。でも、家族に見限られて勘当されたそうですから、同じ元士族の燈瑞さんに、より強い憧れを持ったんだと思います。いつも言っていました。海石榴野は華族に仕えていたけれど、そこは血縁が重視されていて、実力で勝ち取った地位じゃない。軍で生き延びてきた藤虎こそ、目指す強さだって。本当に、いつも」

 真夜は俯く。燈瑞は深く煙草の煙を吸い込んだ。

「琳と運良く付き合うことになって、一緒にサムライになろうと言われて、だから頑張ったんです。琳が院に行って陰陽道を学んで、丁度私と一緒に新人サムライとしてデビューすることになって……正直、琳がいなかったら、私はサムライの道を諦めていたかも知れません」

「……そうか」

「だから、琳がいない今……もう、サムライをやっていく意味が見出せないんです……琳が一緒だったから……」

 真夜は両目に涙を溜める。燈瑞は黙ってティッシュを差し出した。

「ごめんなさい」

「気にするな」

「違うんです……今日ここに来たのは、こんな泣き言を言う為だけじゃないんです」

 きっ、と真夜は顔を上げる。

「琳の、死の真相を知りたくて来たんです。堕ちたのは知っています。でも、どうやって死んだのか、高杉さんは教えてくれなかったですから」

「……そうか」

 燈瑞は深く紫煙を吐き出し、それから煙草を灰皿に置いた。吐き出された煙が天井付近まで漂い、煙草の匂いがゆっくりと広がる。

「俺だ」

「え?」

「俺が、海石榴野を殺した」

 そして、燈瑞は両腕を膝に乗せ、手を組んで俯いた。

「奴に請われて、俺が殺した。この、手で」

 噛み締めるように、燈瑞は言う。真夜はしばし、呆然として燈瑞を見詰めていた。

「……高杉さんでも……アサカミズチでもなく……?」

「ああ。戦いの途中で突然ミズチが正気付いた――――いや、マジモノではない人格に変わった。その隙に止めに入った。正気に戻った奴は、死を望んだ」

「……どうし、て」

「確かに生き延びることはできた。だが、奴自身が、死を望んだ。……その選択が正しいか否かは俺は判断しない。ただ、あの場所ではあいつの意志を尊重した」

「……そうでしたか……」

 真夜は俯き、それから、僅かに哀しげな笑みを零した。

「……良かった。琳は、人間として死ねたんですね」

 真夜が言って、驚いたように燈瑞は顔を上げる。真夜は涙をいっぱいに溜めた双眸を細めて、笑って見せた。

「あなた達を、恨みはしません。責めることも出来ません。でも、もし琳が只の化け物として殺されたんだったら、哀しかったから」

 真夜はそして、「そうだ」と言って懐から何かを取り出す。

「遅くなってしましましたけど……琳が堕ちる前日、預かったものです。明日以降に渡して欲しいとも言われました。高杉さんにも、既に渡しています」

「……そうか」

 燈瑞は紙を受け取り、丁寧に折り畳まれたそれを開いた。


『拝啓 ムラクモ、もとい 藤虎 燈瑞 様


 恐らく、この手紙が届くころには俺は復讐を終えているでしょう。その結末がどのような形になるかは予想できません。

 俺は、弱い人間です。家族に見捨てられても家族を遠くから愛することしかできず、その死を知っても他人に当たることしかできない。だから、強い燈瑞さんに憧れました。少しでも燈瑞さんに近付こうとして、無礼なこともしてしまいましたね。その節は、本当に失礼しました。

 俺はきっと死にます。それくらいの覚悟は決めています。真夜ちゃんには申し訳ないと思います。でも、それが報いでしょう。向こうで家族に会えるのが楽しみです。ああ、でも、俺は地獄行きでしょうか。

 最後にこのような形でのあいさつをすることをお許しください。俺は、あなたのような強い人間に出会えたことを誇りに思います。弟子にして欲しいと思ったのも、事実です。とりとめのない文章でしたが、最後に少しだけ、我儘を言わせてください。


 どうか、俺のようには、ならないでください。


 敬具  海石榴野 琳    』


 煙草の灰が、灰皿に落ちた。どれくらい、手紙を見詰めていただろうか。

 燈瑞は、元のように丁寧に手紙を折り畳み、立ち上がった。

「……燈瑞さん?」

「―――馬鹿だ……何故分かってやらなかった……」

 デスクの引き出しに手紙を入れ、燈瑞はデスクに両手を付いて俯く。

「……すまなかった……海石榴野」

「え、あの、燈瑞さん?」

 真夜が困惑したように燈瑞を見上げて腰を浮かせる。燈瑞は真夜を振り返り、短く息を吐いてまた仏頂面に戻った。

「用は終わったか?」

「あ、はい……ありがとうございました、もう、失礼しますね」

 控えめに笑って真夜は立ち上がる。

「……サムライを、辞めるか?」

「……止めますか?」

「いいや。お前の意思を尊重する。無理に続けても辛いだけだろう」

「……そうですか」

 少しばかり残念そうな顔で、真夜は俯いた。

「……止めて欲しいなら」

 燈瑞は新しい煙草に火を点け、玄関を指差す。

「俺ではなく高杉に言うんだな。俺は……俺は人のことまでどうこうと言えるほど立派な人間じゃない」

 真夜は目を瞬かせ、それから戸惑ったようなまま頷いた。



 サムライは通常、二十四時間依頼を受け付けている。

 組合の詰め所に真夜が行くと、丁度昼と夜の受付嬢が交代をするところだった。真夜はガラス戸を開き、壁掛けの時計を見上げる。時刻はもうすぐ六時を過ぎるころだ。

「すみません、高杉さんは……」

 ロビーで待ち合わせだと言っていたのに。真夜は眉宇をひそめて受付嬢を見遣った。受付嬢は、地下道場への道を示す。

「お客さんが来たらよろしくと言われていましたので。第二道場だそうです」

 真夜は礼を言って階段を降りる。薄暗い地下の廊下の先、第二道場からはうっすらと灯りが洩れていた。近付くと、板間を足で踏み鳴らす音が響いてくる。

 真夜は、道場の戸の隙間から中を覗いた。中には、小太刀を握った慧が一人で立っている。その足元には、切り刻まれた木片が散らばっていた。

「――――入ってきたらどうだい、真夜ちゃん」

 汗を拭きながら、慧が言う。真夜ははっとして息を飲んだ。

「七時まで借りているんだ。邪魔は入らないよ」

 真夜はおずおずと戸を開く。振り返った慧は、晴れやかとすら言えそうな笑みを浮かべていた。小太刀を鞘に納め、散らばっていた木片を脇にどける。

「さあ、それじゃあお話しようか。何かな。サムライを辞めたいとか、かな」

「……、」

 慧が床に胡坐をかき、真夜はその向かいに正座する。

「ご存知だったんですか?」

「想像はつくさ。恋人が死んで。容赦なくその現実を受け入れさせられて。僕だって辞めたかった時期があるからね。気持ちは分かるよ、うん」

 慧は小太刀の鞘を握ると、すっと笑顔を引っ込めた。

「辞めるなら辞める。それは君の選択だ。……君はきっと、人を斬れないサムライだろうから、辛いことも起きるかも知れない」

「人を斬れない……?」

 真夜が首を傾げ、「ああ」と慧は頷いた。

「相手がマジモノだと頭で理解していても、形が人間だったら、斬れない。刃を向けることができない。そういうサムライは多いんだよ。……僕だってそうだ」

 慧が自嘲気味に笑い、真夜は驚いたように眼鏡の奥で目を丸くする。

「……昔からね。駄目なんだ。あの人はまだ人の形をしている。だから助かるかも知れない。そう思ってしまう……」

「でも、マジモノなんですよね?」

「残酷なことを言うけれど、目の前に琳君がいたら、君は斬れるかい」

「えっ……」

「彼は堕ちている。彼は彼であって彼じゃない。……さあ、斬れるかい」

「……、」

 真夜は唇を震わせて俯いた。それから、弱々しく首を横に振る。

「……サムライの現場で、斬らなければいけなくなるのは多くの場合、仲間だったものだ。マジモノに関わることは、サムライの方が圧倒的に多いからね……だから斬れないサムライは、辛いよ。人の形のまま死なせてやれた相手が、人の形を逸脱してしまう瞬間を見てしまうかも知れないんだ」

 慧は腰の飾りに触れ、ゆっくりと首を横に振った。

「それでも僕は斬れないんだけどね。……まあ今は僕の話じゃなかったね。君の話だ」

「……斬れなかったら、サムライを辞めた方がいいってことですか」

「そういう極端な話じゃないよ。僕は斬れないけれどサムライをやっている」

 慧は苦笑する。

「ただ、往々にしてそういう選択肢は君の前に現れる。その時、いつでも逃げられる程甘い職業じゃないってことさ」

「今辞めることは、やっぱり、逃げですか」

「……どうだろうね。でも、逃げること自体が悪いとは僕はぜーんぜん思っていない。嫌なのに続けるのだって、酷だし。要するに、よく考えて、何の言い訳もなしに辞めたいと思ったんなら辞めればいいってことさ」

「言い訳……?」

「『琳君が死んだから』とか、『誰かにどうこうと言われたから』とか。人っていうのは不思議と、いつでも言い訳を探しているものでね。決まった本心を自分に納得させる理由を欲しがるんだ。でもその理由を全て退けて、それでもその本心が変わらないなら、それは本当に本物だ」

 胸に手を当てて、慧は言う。それから、「師匠の受け売りだけど」と笑って見せた。

「まあ所詮、僕が言えるのはそれくらいだ。でも、止めて欲しいとどこかで思ったまま相談しているなら、それは辞めたくないってことだろう?」

 慧の言葉に、真夜は膝の上で手を握り、唇を噛んで慧を見上げた。

「ああ、良い顔になったじゃないか」

 慧は優しく微笑んで、真夜の頬を伝う涙を拭った。

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