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第二章 「能無し」

 ブラインドを上げる音がする。それから、軽い足音。

「ヒスイ! 朝ですよ――――きゃあっ!?」

「ぐえっ!?」

 ソファで眠っていた燈瑞の腹の上に飛び乗り、ミズチは小さく悲鳴を上げる。ミズチは痩せてはいるが、決して小柄なほうではない。その衝撃に、流石に燈瑞も呻いた。

 ミズチの悲鳴の理由は、飛び乗るとほぼ同時に向けられた銃口だ。燈瑞が枕にしていたクッションの下にあったらしく、ミズチの気配を感じた燈瑞が、ミズチの襲撃と同時にそれを反射で抜き放っていたのだ。

「あー……すまん」

「……朝ごはん、できてますから」

 少々ふて腐れて、ミズチは燈瑞の腹から降りる。体を起こすと、ローテーブルには二人分の朝食が用意されていた。炊き立ての白米に味噌汁、野菜炒めや焼き魚など、質素だがそれなりに量もある。

 ミズチを保護し、共に生活を始めてから、随分と健康的になった気がする。燈瑞は寝癖で逆立った髪を頭に押し付け、息を吐いた。

「今日は、出かける予定はありますか?」

「依頼が一件入っている。それとその前に、陰陽課の、高杉の知り合いと会う。お前を診て貰おう」

「分かりました」

 ミズチは箸を持ち、苦労して白米を口に運んでいる。その様子を見ながら、燈瑞は僅かに目を細めた。



 慧に案内された、組合の二階、小会議室。燈瑞は不安そうなミズチの背中を押して、清潔な部屋に入った。

「待っていたわ」

 部屋にいたのは、白い着物を着た女だった。

 立ち上がると、衣擦れの音が僅かにする。気の強そうな鋭い黒瞳と、しっとりと濡れたような黒髪が美しい。袴の下に見える足はブーツを履いていた。袴の穴を通すようにベルトが腰に巻かれており、やはりそこにはサムライと同じポーチがついている。

 女は腕を組んで燈瑞とミズチを見遣った。ミズチはその鋭い視線に、燈瑞の背後に隠れる。

「初めまして、ミズチちゃんね? 陰陽課の【サクヤ】よ。名前は球磨田沙弥子(くまださやこ)。この子が、言っていた、……感染者の?」

「ああ」

 燈瑞は、口裏を合わせてくれたらしい慧に内心感謝する。燈瑞に押し出され、ミズチは不安を顔に浮かべて沙弥子を見上げた。

「そう。座って。よく見せて。……男は出ていきなさい」

 椅子を引っ張って自分の前に置き、じろりと沙弥子は燈瑞を見遣った。が、出ていこうとした燈瑞の服を、ミズチが全力で引っ張る。

「……いや……あのな、ミズチ」

「うう……」

 ミズチは抗議するように沙弥子を見た。沙弥子は唇を曲げる。

「服、剥くわよ? 良いの?」

「……良いです」

「……出ていきなさい」

 沙弥子は視線を燈瑞に向けた。燈瑞はミズチの手を握って無理矢理に服を離させる。

「……外にいて、ください」

「分かった分かった。何処にも行かないから」

 燈瑞は溜息を吐いて会議室を出る。廊下にある休憩用のベンチには、慧が座っていた。慧は燈瑞を見て片手を挙げる。

「やあ、お疲れ」

「ああ」

「ちょっと、話さないかい? 人払いはしてるからさ」

 燈瑞は慧の隣に座る。慧は膝に腕を乗せて指先を絡ませ、燈瑞を見上げた。

「それで? ミズチちゃん、どんな感じ?」

「普通の女だ。料理は美味い」

「……嫁かよ」

 ぼそりと慧が呟いた。

「珍しいじゃないか、あなたが積極的にこういうことに首を突っ込むなんて。組合抜けて、もう面倒事は嫌なんだと思っていたよ」

「少し、思うところがあるんだ」

「そう」

 慧は微苦笑を漏らす。それから、腕を頭の後ろで組んで大きく伸びをする。

「あーあ、僕もいい加減結婚しないとなぁ。良い人がいたら、身を固めたいんだけど。親にも、早く孫の顔を見せてくれって言われるんだよ。ほら、サムライは殉職多いし」

「結婚……お前には無理だろうな」

「酷くないかい?」

「女癖が治らない限り無理だろう」

 燈瑞の言葉に、慧は肩を竦める。

「治らないよ。だって僕の色好みとマジモノ嫌いは筋金入りだからね」

「……そうか」

「で? 話を戻すけど、あの子、記憶は人間なのかい?」

「ああ。どうやらな」

 燈瑞は煙草に火を点けた。「そっか」と言って、慧は頬杖を付く。

「だが、箸の使い方や文字の読み書きなど、あの年齢ならできそうなことが出来ていない」

「ふーん。……何歳?」

「十五、六だそうだ」

 燈瑞は紫煙を吐き出す。そして、右目の眼帯に触れた。

「……疼くかい?」

「ああ、どうもな……」

「僕は只のマジモノ嫌いだけど、あなたはマジモノアレルギーなんじゃないかい?」

「笑えない冗談はやめろ」

「冗談じゃないんだけどなーあ?」

 首を捻る慧に舌打ちをし、燈瑞は煙草を咥えて膝に両肘を乗せた。そして、軽く煙草を上下させる。

「利用するとか言ってたけどさ。どうするつもりなんだい?」

「考え中だ」

「ノープランってことだね。もしあの子が、マジモノとしての人殺しの記憶を取り戻して襲ってきたらどうするのさ?」

「臨機応変にだな」

「行き当たりばったりってことだね」

「……いちいち五月蝿いな」

「あなたが心配なんだよ、僕は」

 慧は眉宇を顰める。燈瑞は指先で煙草を挟み、深く、煙を吐き出した。慧はシャツの胸ポケットから二つに折り畳んだ紙を取り出すと、それを燈瑞に差し出す。

「ん?」

「ミズチちゃんの『家族』の情報。一応、調べたんだよ。貰っておいて」

「……ああ、礼を言う。そう言えば、あの女はどうした」

「君の依頼人? ダウンタウンで治療してもらってるよ。あと三日もすれば、マジモノの毒気も抜けるだろうってさ」

「そうか……」

 燈瑞は受け取った紙を開く。

「結構有名な、サムライ……というか、士族の家系だったらしいよ。勘当された長男以外、五人家族が全滅」

「……奇妙だな」

「ん?」

「名前だ。ミズチは『朝霞ミズチ』と名乗った。この家の姓は……何と読むんだ」

「……『ツバキノ』、だね」

「そうか……違うな」

「ふーん?」

 慧は口元の笑みを深める。

「つまり、名前はオリジナルってことか。でもマジモノなのに名前を持ってるなんて珍しいね。式神なら、術者が名を付けるのは自然だけど。まあ、」

 会議室のドアが開いた。ぐっ、と慧は言葉を飲み込み、そちらを見る。

「……煙草臭」

「嫌いだったか? 悪かったな」

 燈瑞はポケットから灰皿を取り出し、それに煙草を押し付けた。ドアを開けた沙弥子の後ろで、ミズチが不安そうな顔をしている。燈瑞は最後の煙を吐き出すと、ベンチから立ち上がった。ミズチがすぐに燈瑞に駆け寄り、その背後に隠れる。

「取り敢えず、詳しいことは後で電話するわ。今言えるのは、そうね……服買ってあげなさい」

「ん?」

「そこらへんの露店で買った服でしょう、それ。あなた稼いでるんだから、ダウンタウンでちゃんとしたのを買ってあげなさい」

「………………」

 燈瑞はちらりとミズチを振り返る。

「服、欲しいか?」

「え? あ、えっと……」

「欲しいに決まってるでしょ。女の子はおめかししたいものなの」

 両腰に手を当て、沙弥子は燈瑞を睨み上げる。

「……欲しい、です……あ、でも! お金は、ちゃんといつか返しますから!」

「いや、別にそこは気にしていないが」

 両手を胸の前で握ったミズチに、燈瑞は溜息を吐く。沙弥子は小さく笑い、燈瑞に、名刺入れ程の大きさのケースを差し出した。

「はい、こっちもメンテナンス、終わったわよ。問題無いわ」

「ああ、礼を言う」

「たまには構ってあげなさいよ」

 沙弥子からケースを受け取り、燈瑞はその中身―――掌ほどの大きさの、人型に切られた板を取り出した。

「それ、何ですか?」

 ミズチが背伸びをしてそれを覗き込む。燈瑞は「ああ」とそれを握った。

「俺の式神だ」

「式神?」

「あら、式神も知らないか。作り方はマジモノとほとんど同じなんだけど、マジモノは人の血肉と呪念を吸うって言っただろう? だけど、式神はそれがない。マジモノの命の素となっているのがマガツカミなら、式神の命の素はナオビカミっていうんだ。綺麗な神様で……マジモノの天敵だよ」

 ミズチの傍らに顔を出し、慧が言う。「へえ……」とミズチは曖昧に頷いた。

「……出さないんですか?」

 ミズチは木の板を指差して首を捻る。

「出してって、言ってます」

「……聞こえるのか?」

「え、はい。聞こえないんですか?」

 不思議そうな顔をするミズチに、燈瑞と慧は顔を見合わせる。燈瑞は板を―――依代を握り、空中に放り投げた。

 ぽんっ、と、小気味の良い破裂音と共に、一人の少年が現れる。背はミズチよりやや低く、服装は白い狩衣、頭に、牛の頭蓋骨を乗せていた。隙間から見える大きな双眸は緑色をしている。短く切り揃えられた髪は、雪のように白かった。

「……久し振りだな、ヤマブキ」

 燈瑞が言うと、式神の少年、ヤマブキはじろりと燈瑞を見上げた。

「けっ、相変わらずジジクセェ奴。メンテに出す程度の貧弱な知識と技術しかないんなら、式神使うなよな」

 刺々しく言って、ヤマブキは腕を組んで燈瑞に背を向けた。

「サクヤから聞いたぜ、女連れ込んだって。どうせまた長続きしねぇだろ」

「……まあ、いい、今日はこれから、ダウンタウンに行く。悪いが留守番を頼めるか」

「イ・ヤ・だね。一週間ぶりに召喚されたんだ、街をテキトーにぶらついて、」

「『一緒に行きたい』」

 唐突に、ミズチが口を挟んだ。ヤマブキは愕然としてミズチを振り返る。ミズチは燈瑞の後ろに隠れながらも、じっと、その紅い双眸でヤマブキを見詰めた。

「『やっと召喚されて嬉しい、ご主人様、だいす』」

「ふっざけんじゃねえええええ!」

 淡々と言おうとしたミズチに飛びかかり、真っ赤な顔でヤマブキはその胸倉を掴み上げる。

「か、考えてないからな、そんなこと! 久々に呼び出されても嬉しくなんかないからな!」

「……ああ、そうか」

「先に下で待ってるからな! おい、お前も来いよ!」

 ヤマブキはミズチを引っ張り、階段に向かって行った。ミズチは力負けしたのか、あっさり燈瑞から引き剥がされる。

 二人が見えなくなるまで見送り、燈瑞は小さく溜息を吐いた。

「……式神の声が聞こえるって……それ、つまり、マジモノの声も聞こえるってことだよね? 憑いている神様そのものの声が直接聞こえるってことなのかな」

「かも知れないな」

 慧が燈瑞の顔を覗き込む。そして、にっ、と口元を笑わせた。

「よかったじゃないか、燈瑞。普通に利用価値はありそうだ」

「……ああ、そうだな」

「……問題は、あの子に自分がマジモノだってことが、分かっていないらしいことなんだよねぇ。無意識に、避けてるみたいだ」

「……そうだな」

「ま、ヤマブキ君が戻って来たなら、監視は楽になるだろうから、ゆっくり観察したら? 結果を教えてくれるなら、協力は惜しまないよ」

「非常に不愉快だけど、私も慧に同意ね」

 沙弥子は肩を竦めた。慧は沙弥子を見、唇を尖らせる。

「酷いなぁ、そんな言い方しなくていいじゃないか。そんなに、僕が嫌い?」

「女の子をとっかえひっかえのあんたを、好きになれって言う方が無理よ」

 噛み付くように沙弥子が言い返す。慧は微苦笑を漏らした。

「僕は一度だって、一度に二人以上の女の子を好きになったことは無いよ。ただ、ほんのちょっと飽きっぽいだけ。女の子達は皆愛してるさ」

「それが、最低だって言ってるの」

 沙弥子は腕を組んで慧を睨む。燈瑞は壁に寄りかかって息を吐いた。

「僕だって、本当に惚れた子には誠実だよ? 腕の一本くらいはあげても良いって思ってる」

「ワケ分からない。何それ」

 沙弥子は慧から視線を逸らした。慧は困ったように頬を掻く。二人が黙った頃合いを見計らって、燈瑞は口を開いた。

「……今なら良いだろう。電話は面倒だ、先に言え」

 燈瑞は沙弥子を見遣った。沙弥子は表情を真面目なものに切り替え、頷く。

「あの子、やっぱりマジモノね。人と同じ体の形をしているけど、心臓の上に、陰陽の太極図があったわ。タイプは……少なくとも、二十年以上前のモノ。依代を見ていないから、呪われた対象が死んでいるかどうかは分からないわ。それと、どうして毒気が抜けているかも」

「……そうか」

「それと、あのリボン。あれ、マジモノの力を抑える役割みたいよ。捲ってみたら、式神の術式が書き込まれていたわ」

「だとすると、誰かがミズチちゃんを意図的に、抑え込んだってことだね?」

 慧は首を軽く傾げた。「そうだな」と燈瑞も頷く。

「『朝霞』か……ちょっと、調べてみようか?」

「いや、それくらいは俺が……と言うか、お前は、さっき何を言いかけたんだ」

「ん? んー……ああ、『マジモノに名を付けるなんて珍しいね』って話か」

 慧は得心がいったというように笑顔になる。

「いや、ね。只、マジモノも式神も、もとは同じ依代と人の念の塊だよ。マガツカミとかナオビカミとか、その命の素は違うけどさ。だけど、神様の司るものなんてその瞬間瞬間で、案外変わるモンだし。つまりさ、」

 慧はそして、きゅ、と口角を吊り上げた。

「ミズチちゃんは、堕ちた式神なんじゃないかってこと」

「……それは無いな」「無いわね」

 ほぼ同時に、二人が否定した。「あれー?」と慧はワザとらしく首を傾げる。

「自信あったんだけどなぁ」

「ナオビカミとマガツカミの違いが分からないわけではないだろう」

「まあそりゃ、ナオビカミはそうそう堕ちないけどさ」

 燈瑞はやれやれと天井を仰ぎ、腰に手を当てて伸びをした。

「そろそろ行こう。あいつらが待っている」

「子守り、大変だね。頑張れよー」

 ひらひらと慧は手を振った。沙弥子も軽く手を振り、燈瑞は片手を上げる返事を返す。

「……やれやれ。サクちゃん、巻き込んでごめんねぇ」

 振った手をそのまま顔の横で停止させ、慧は薄い笑みのまま言った。

「別に。あの子は私も興味あるし、迷惑じゃないわ」

 沙弥子は淡々と返す。そして、腕を組んで慧を見上げた。

「あんたこそ、随分積極的に首突っ込んでるじゃない? 平和主義者のくせに」

「僕は燈瑞の親友だからね、自称だけど。ホント、あいつは向こう見ずで正面突破以外の能無しだから困るんだ」

「……ああそう」

 沙弥子は少しばかり呆れ顔になった。



 アンダーシティの東、小高い丘の向こうにダウンタウンはある。首都トウキョウの核の部分であり、その為、マジモノの侵入を阻む結界が張られていた。マジモノや式神など、人ならざるものが通れるのは、陰陽師の検問がある西一番ゲートのみだ。

 ミズチは燈瑞の腕を掴んだまま、呆け顔で、ビル群を見上げている。ヤマブキは頭蓋骨の仮面を持ち上げ、双眸を瞬かせた。

 西一番ゲートに近付くと、丁度そこにいた青年―――琳が、燈瑞に気付いて振り返った。隣には、同じくサムライのポーチを持った女もいる。

「【ムラクモ】さん! ダウンタウンに、御用なんですか?」

 琳は笑顔で駆け寄って来た。ミズチが額を燈瑞の背中に押し当て、強く服を握る。

「ああ。お前は?」

「……デートです」

 へへっ、と琳は照れたように頬を掻いた。連れらしい女が、琳の後ろに駆け寄って来る。髪は肩口で切り揃えられた黒、凛とした双眸に、紅いフレームの眼鏡を掛けている。服装は動きやすそうな簡素なものだったが、化粧をしているのか、ほんのりと甘い香りがした。

「あら、【ムラクモ】さんですね?」

「ああ、そうだが」

「私、【スセリ】、楠木(くすのき)真夜(まや)と申します。先日はこいつが突然失礼しました」

 女、真夜は言って、琳の耳を引っ張る。

「い、痛い痛いよ真夜ちゃん」

「全く。初対面の人に失礼なんだから。ごめんなさい【ムラクモ】さん、邪魔しちゃって」

「いや、気にしていない」

「良かった。それじゃあ」

 真夜は一礼し、足早にゲートへと向かった。琳も引き摺られるようにして続く。

「なあ、俺達も行こうぜ?」

 ヤマブキが燈瑞を見上げた。「そうだな」と言って燈瑞は歩き出す。

 ゲートにいた陰陽師は、ミズチとヤマブキを見て一瞬顔をしかめたが、燈瑞がサムライだと知るとあっさり許可証を出した。結界の影響から逃れるための数珠を渡され、ミズチとヤマブキはそれを手首に装着する。

 ゲートをくぐると、ダウンタウンの商業地に出た。広い道路と、その脇の歩道、そして数多の店が並んでいる。通りの向こうには、政治地区のビル群も見えた。

 ダウンタウンは、アンダーシティとは比べ物にならない程の賑わいであった。道路は全て舗装され、ビル群がまるで城のようにそびえ立っている。『城下町』はどの店も人でごった返していた。カラフルな服や装飾品と、強烈な化粧の匂いがする。道路と歩道が白い鉄棒の柵で区切られており、道路は自走車で溢れかえっていた。

「あ、何かいい匂いする!」

 ぱたぱたと、人ごみを掻き分けてヤマブキは道の先に向かう。

「全く……」

 呆れ顔で燈瑞は後を追った。ミズチは燈瑞の服の裾を掴み、はぐれないようにと足を速める。

「……ん」

 燈瑞はふと足を止めた。ミズチは燈瑞の背中にぶつかり、不思議そうに燈瑞を見上げる。走って行っていたヤマブキも、戻ってきていた。

「なあ、何か、いるよな?」

 くい、とヤマブキは燈瑞の袖を引く。が、燈瑞はしばらく路地の方向に視線を向け、

「気のせいだろう。服屋に行くぞ」

 そう言って、二人の背中を押した。



 ノックの音に、慧は気だるげに返事をする。

「失礼します」

「んー……ああ、君か。【スサノオ】君」

 組合の一回奥、個人休憩室。ソファに座っていた慧は、首を後ろに倒して入って来た青年を見た。すっきりと切り揃えられた焦げ茶の髪に鋭い双眸の青年は頷く。

「……はい。篠原威斯(しのはらたかし)、です。頼まれていたあいつの資料、持ってきました」

「ああ、ありがと」

「……何に使うんです?」

「特にやましいことじゃないよ。対策」

 慧は威斯から紙束を受け取り、正面を向いてそれを捲る。

「燈瑞はなあ。あの人はほんっと、斬る以外に能の無い奴だから。しっかり支えてやらないと大馬鹿やらかすからなぁ」

 くすくすと笑いながら、慧は威斯を振り返る。

「ありがと、これだけあれば十分だ」

「……はい」

 威斯は僅かに不安そうな顔になった。慧はそれを見、顔の笑みを深める。

「大丈夫だって。僕は、サムライの矜持をちゃんと、心得ているよ」

 そう言って、慧は紙束でぽすぽすと威斯の頭を叩いた。

「マジモノという悪鬼から人々を護るために、完全無欠で一点の曇りもないまま悪鬼を斬る武人、サムライ。その潔白は、絶対に僕は守り続ける」



 服の入った紙袋を膝に乗せ、ミズチは公園のベンチに座っていた。燈瑞はヤマブキと共に、サムライ御用達の銃火器系の店に向かっている。公園で売っていた移動販売のクレープを頬張り、ミズチは大きく息を吐いた。

「隣、良いかな?」

 声を掛けられて顔を上げると、琳がいた。ミズチは「どうぞ」と体を片方に寄せる。

「失礼するよ。いやぁ、参ったよ、女の子は買い物が長くて」

「……そうですか」

「名前を聞いていなかったね。【ムラクモ】さんの連れだろう? 名前は?」

「朝霞、ミズチです」

「そっか。俺は海石榴野琳。よろしくね」

「はい」

「君は、どんな依頼を、【ムラクモ】さんに?」

「家族が、マジモノに殺されて……四人、皆殺しにされました」

 ミズチの言葉に、琳は一瞬驚いたようにミズチを見遣る。

「そっか。……ごめんね」

「いいえ」

「何だったら、協力してあげようか?」

「え……」

「いや、俺もね。【ムラクモ】さんの手助けができればそれでいいんだ。弟子にはしてくれないみたいだから、実力を見せる」

 ぐっ、と琳は両手を握った。ミズチは小さく笑みをこぼす。

「それじゃあ、家の場所を教えてくれないか――――うわっ!?」

 つかつかと近付いて来ていた真夜が、琳の頬を摘まみ、それを引っ張り上げた。

「痛い痛い痛い痛い! 耳より痛いよ真夜ちゃん!」

「デートだとか言っておきながら、他の女の子に声をかけておいてよく言う」

「【ムラクモ】さんの連れだよ! 下心は無いってば!」

 真夜は鼻を鳴らして手を放す。琳は頬をさすった。

「下心があるか無いかは問題じゃないの。それに、」

 ぐいっ、と真夜は琳の顔を自分に引き寄せ、耳打ちした。

「相手はマジモノよ? 高杉さんからも注意されたでしょう。下手にボロを出したら高杉さんに怒られるし、最悪ここが戦場になるかも知れない。関わらないのが吉でしょ」

「そうは言ってもさぁ……」

 琳は困ったような顔になる。

「家族を殺されたって言ってるんだよ?」

「それが、あの子の家族な訳ないでしょ。自分で殺して、記憶をすり替えたんじゃないの」

「それはそうだけど。普通の女の子じゃないか。家族を失う痛さは、俺もよく分かるしさ」

「あんたは喧嘩しただけでしょうが」

「痛い痛い痛い耳やめて、今日久し振りに帰ってみる予定だからさ」

 琳は溜息を一つ、ミズチに向き直る。ミズチはクレープから顔を上げた。チョコレートソースの乗った生クリームが、頬についている。

「ごめんね突然。まあ、気が向いたら相談してよ」

 琳は手を伸ばし、指先でミズチの頬の生クリームを拭う。

「【ムラクモ】さんは忙しいだろうけど、組合の、俺達みたいな新人は、割合仕事が回されてこないんだ」

「……ありがとうございます」

 小さく頭を下げるミズチに、琳はクリームを舐め、爽やかな笑顔を見せた。

「……そういえば」

 ふと思い出したように、ミズチは琳を再び見上げる。

「ツバキノって、有名な苗字ですか? 何処かで、聞いたことがあるんです」

「そう? まあそうかも知れないな。有名かあ、そう言われると照れてしまうけど」

 琳は頬を掻いて顔を緩ませる。首を捻るミズチに、琳は「実はね」と語り始めた。

「サムライのシステムって、近代から結構変わったんだけど、その前は士族、まあ、要するに本物のお侍さんがマジモノを狩っていたんだよ。その時からずっとサムライをやっている家系はもう少なくて、その一つが、華族に仕えていた海石榴野なんだ。それでね」

 琳の隣に座り、真夜は買物袋の中を漁り始める。

「……ごめんって真夜ちゃん。そろそろ帰る?」

「別に、いいわよお話くらい。それで、軍に所属していた藤虎が憧れだったんでしょう? 本当に、家の話となるとあなたは」

 真夜が呆れたように言い、琳はただ苦笑いを漏らした。



 まず鼻を突いたのは、腐臭であった。

「……なん、だ、これ……」

 琳は、小さい家の入り口に立ったまま呆然として呟く。

 雨風を凌ぐのがやっとのような住まい。壁はどす黒く変色した血で染められ、片付けきれていない肉片に蛆が群がっていた。

「……父さん、母さん……?」

 何も、そこには残っていなかった。琳は踵を返し、通りの向こう、集合墓地に向かう。黄昏色に染まるアンダーシティの片隅、簡易の柵で囲った中に、等間隔で墓石が並べられているだけの、粗末な墓地に、他に人影は無い。

 真新しい墓石には、五人――――家族全員の名前が刻まれていた。指先で冷たい墓石に触れ、琳は膝をつく。

「…………何で」

 呟かれる言葉が、嫌に空々しい。まるで自分の声でないように感じられた。

 琳の手から、握っていたサムライのポーチが落ちる。そこに刻まれた、サムライの紋様が、嫌に目の奥に焼き付いた。

「嘘だ、こんなっ……こんな、」

 涙すら出ない。自分の誇りであるサムライの紋様が霞み、強烈な吐き気が喉をせり上がってくる。どうやって生活していたかも分からないような家に残されていたもの、あれは――――

 あの壁の肉片は。血は。まさか。

「あ、あああ、うあああ、」

 能無しでないと、やっと証明できた。ようやく、家族に戻れると思っていたのに。

 今夜こそは父と和解するのだと、決意したのに――――自分は、家族の死すら、知らずに。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 頭を掴んで額を地面に叩き付け、琳は絶叫した。

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