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万有引力の法則3

     ◇


 放課後、二人で向かったのは弓張駅。学校から二駅、私の降りる駅の一駅先で、紫苑先輩の自宅の最寄り駅だ。


 弓張駅前にある喫茶店はメニューが豊富で、店の雰囲気も落ち着いている。妹と何度か行ったことがあるという話を先輩にしながら、私達は店内に入った。


 カウンターでメニューをちらと見てから、私は紫苑先輩を見やる。彼はじっとメニューを眺めていた。その瞳が心なしか輝いているような気がして、気に入ってくれたのかと嬉しくなる。


「先輩なに頼みますか?」


「とりあえずコーヒー。あとは君のオススメでいいよ」


「えっ、でも先輩の好みとか分からないですよ?」


「大抵のものは食べられるから安心して。ちなみに甘いものは好きだ」


 そういえば、昼休みに先輩が飲んでいた飲み物は、桃色の紙パックに入ったいちごミルクだった。

 甘いものでなおかつ苺が入っているものにすれば、気に入ってもらえるかもしれない。そう思って注文を決める。


「あの、これと、これと……あとこれとこれ、それとコーヒーを二つお願いします」


 店員に頼んでお金を払い、番号札を渡されると、私は紫苑先輩と共に空いている席を探した。なんとなく窓際にしてみたけれど、正解だったなと頬を緩める。綺麗な夕陽がどこか心地いい。


「君すごい量頼んでなかった?」


「え、そうでもないですよ。だって紫苑先輩の分も頼んだのですから」


「ああ、そうだったね」


 少しして、注文したものが運ばれてきた。並べられていくスイーツに、紫苑先輩の顔が綻ぶ。私も早く食べたくてよだれが出そうになっていた。


 すぐにでも口に運びたいという気持ちを、なんとか抑える。


「先輩、ティラミスとショートケーキとワッフル、ミルフィーユの中から二つ好きなものをどうぞ」


「浅葱はどれでもいいの?」


「はいっ、どれでも美味しくいただけます!」


「じゃあショートケーキとミルフィーユをもらうよ。食べ終わったあとでいいからレシート見せて。このままじゃ君の奢りになる」


「あ、分かりました」


 私は別にそれでも良かったのだが、先輩としてはそうもいかないのだろう。それは後にして、とりあえず私はティラミスを食べ始めた。


「美味しいっ」


 つい声に出してしまうくらいの味だった。紫苑先輩の反応が気になって顔を上げると目が合う。彼の綺麗な顔には自然と笑みが零れていた。


「美味しいね」


 先輩はショートケーキを一口食べていた。どうやら上に乗っている苺は最後に食べる派らしい。まだ手をつけられていない。


 大きく頷いて、互いに二口目を口にする。


「先輩のこと、私全然知ることが出来ていませんが、甘いものが好きだということを知れました」


「そんなに嬉しそうに言うこと?」


「はいっ!」


 一つ、新しく先輩のことを知ると、一歩彼に近付けたような気がして嬉しくなる。もっとたくさん彼のことを知って、もっと彼に近付きたい。


 食べる手を止め、じっと先輩を見た。横の髪を邪魔そうに耳にかける仕草が、綺麗な顔も相俟って女の子みたいだなと思った。


 気が付けば私は、携帯電話を取り出して彼に向けていた。シャッター音が響いたおかげで、彼の目がこちらを向く。


「……盗撮?」


「ちがっ、わないですねごめんなさい。今の消しますから撮っていいですか?」


 初めからこうしておくべきだったなと後悔した。いくら友達と言えど失礼だ。紫苑先輩は私に何も返さないままショートケーキを食べ終えると、ポケットから携帯電話を取り出した。


「撮ってあげようか」


「えっ、私の写真はいらないです! 紫苑先輩の写真が欲しいんです!」


「僕は写真嫌いだから『はい、チーズ』みたいなの嫌なんだよね。欲しいなら勝手に盗撮でもなんでもすればいいさ。友達だから別にいいよ」


 そう言われて、私は撮ったばかりの写真を結局削除せずに保存することにした。嫌われてしまうかも、というのは余計な心配だったかもしれない。


 にやけ顔で携帯を見つめ、先輩の写真を待ち受け画像に設定した。


 さらさらの髪に触れて小さく口を開いている紫苑先輩。欲を言うなら、ケーキを食べてフォークをくわえている場面を撮ってみたかった。もちろん、この一枚でも充分満足だ。


 少し下を向いて細められた瞳を見ていると、どきっとしてしまう。彼の、物憂げにも見える無表情を美しいと思うのは私だけだろうか。


「先輩、可愛い顔してますよ」


「……前言撤回しようか。とりあえずデータ全て消したいからその携帯貸して。僕が壊す」


「じょ、冗談です!」


 冗談ではないけれど、冗談ということにしておかなければ本当に携帯電話が壊されてしまいそうだった。先輩は携帯電話を仕舞うと、コーヒーを一口飲んでミルフィーユにフォークを向ける。


「食べたら次はどうするの?」


「えっ?」


 きょとんとして待ち受け画面を目線から外すと、紫苑先輩も同様に「え?」と言いたげな面差しをしていた。それから無言で見つめ合っていたら、彼がケーキに向き直る。


「ごめん、友達ってどういうものなのかいまいち分からないんだ。もっと色々な店とか見て回ったりするものなのかと思って」


 失敗した――それは多分私に聞かせるつもりはない呟きだったのだろう。店内が思ったよりも静かで、紫苑先輩の独り言は私の耳に届いていた。


 先輩は、私の友達であろうとしてくれている。それが嬉しくて、私はティラミスを口にした時よりも深い笑みを浮かべた。


「私の方こそ、ごめんなさい。先輩、面倒なこと嫌いだと思ってたので……」


「まあそうだね、面倒事は嫌いだ」


「じゃあ、紫苑先輩がもしよろしければ、なんですけど。色々なお店を見て回りませんか?」


 食べてすぐに帰るつもりだったけれど、紫苑先輩との買い物風景を想像して、帰りたくないなと思い始めた。


 もともと喫茶店に行こうと考える前にショッピングモールに行くつもりだったのだ。ただそれは、紫苑先輩を嫌々付き合わせることになるかもしれないと思ってやめたのだが、彼も嫌では無さそうでほっとした。


 私はワッフルを半分に切って、それを一口で食べた。少し口に含みすぎたかなと思いつつ咀嚼していると、小さな笑い声が耳に届く。


「君って小動物みたいだなと思っていたんだけど、ハムスターみたいだね」


「……それ、もしかして褒めてます? 可愛いですよね、ハムスター」


 ごくんと飲み込んでから微笑んで返す。褒め言葉ではないことくらい分かっている。こう言ったら先輩はどう返してくれるだろうかと気になって言葉を選んだが、よく考えてみると自惚れているようで恥ずかしかった。


 恥ずかしさを誤魔化すように残り半分のワッフルを口に押し込んだ。


「そうだね、可愛いと思う」


 それはハムスターに対しての言葉であり私に対してのものではない。だというのに、顔はどんどん熱くなっていく。頬は赤くなっているかもしれない。鏡で確認したかった。


「でもあれは小動物だから可愛いんであって、その真似事をしたところで本物には敵わないよ」


「真似をしているわけじゃないです」


「知ってる。あえて真似をするようなおかしな人間はいないだろうね。食べっぷりは素晴らしいけど口元にクリームとか付くから気を付けた方がいいと思うよ。僕は気にしないけどさ」


 即座に、慌てながらナプキンで口元を拭う。気付いていなかったが、確かにワッフルにのっていたホイップクリームがナプキンに付いていた。気付かなければどうということはないのに、気付いてしまうと無性に恥ずかしくなる。


「……次から、気を付けます」


「急いでいるわけじゃないんだから、少しずつ食べた方がいい」


「はい。でも私はもう食べ終わりましたから、紫苑先輩が食べ終わるのを待ってますね」


 コーヒーを一口飲むと、もうコップの中身は空になった。待っている間ゆっくり飲もうと思っていたものの、思っていたよりも無くなるのが早い。


 携帯電話を弄るのも失礼かと思って、私はじっと正面に座る紫苑先輩を見つめていた。


 私はミルフィーユを食べるのが苦手だ。バラバラになってしまって、食べにくい。紫苑先輩は食べ慣れているのか、ナイフとフォークを使って倒れないよう器用に支えながら食べていた。


 上品な手つきを見ていて、ふと気になる。


「紫苑先輩って、お金持ちだったりしますか?」


 一口サイズに切ったミルフィーユを口に運んで、しばし無言のまま口を動かす。彼はそれを飲み込んでから首を横に振った。


「いや、普通かな。豪邸とかじゃなくてただの一軒家だし」


「なんか、先輩って雰囲気が高貴な感じしますよ」


「他人なんてそんな風に見えるものだよ」


 なるほど、と無言で納得しつつ、食べられていくミルフィーユを観察する。特に楽しくはないのに、なぜニヤニヤしてしまうのだろう。


「浅葱、食べたいの?」


「へっ!?」


 そんな私の姿は、乞食のように映っていたのだろうか。そういう訳ではなかったため首を左右に振ろうとしたが、ミルフィーユの最後の一口がフォークに刺されて、私の方へ向けられた。


「ほら、あげるよ」


「あ、ありがとうございます」


 お言葉に甘えることにして、私は口を開いた。無意識の内に目を閉じてしまう。口の中に甘い味がなかなか広がらず、私は瞼を持ち上げる。


 フォークを持ったままの紫苑先輩が面白そうに笑っていた。


「あのさ、フォークごと渡すつもりだったんだけど」


「さ、先に言ってください! 恥ずかしいじゃないですか! 食べさせてくれるのかと思いました!」


「恋人じゃないんだからさ……。そういうのは好きな人が出来てからその人にしてもらいなよ。ほら、フォーク」


 促されるままに私は紫苑先輩の持っているフォークを指先で摘まむ。僅かに触れた先輩の手が冷たくて、驚いた。


 暑い気候の中ブレザーを着ているのに、どこまでも涼しげな人だ。店内は微かに冷房がかかっているけれど、私の体はそこまで冷えていない。


 私は受け取ったフォークの先、ミルフィーユを口内に入れてフォークをそっと置いた。


「美味しい、ですね」


 好きな人がどう、という話を出されて私は何故かむっとしていた。そのせいでミルフィーユへの感想は少し苛立った口調になってしまったが、紫苑先輩はそれを気にも留めず破顔した。


「そうだね、美味しかった。またそのうち来ようか」


 優しい微笑み。こんな表情も出来るのだなと思うくらい、優しくて、どこか暖かい。本当の意味での、彼の笑顔のように感じた。


 彼についてほとんど何も知らない私がそんな風に感じて良いのだろうか、とも思う。しかし彼の今の微笑は、とても綺麗だった。


 視線が釘付けになっていて、時が止められているような感覚に陥ったまま、ぼうっとし続けた。視界で立ち上がった紫苑先輩が、私の顔を覗き見る。


「食べ過ぎてお腹でも壊した?」


「あっ、いえ」


 声をかけられてようやく、私は店を出るため荷物をまとめ始める。駄目だ、つい先輩を見すぎてしまう。


 あまりテレビは見ないけれど、紫苑先輩は芸能人に負けないくらい綺麗だ。先輩が彼らの前に立ったら、彼らに劣等感を与えてしまいそうなほど容姿が整っている。


 こんなに綺麗な人が目の前にいたことなんて無かったから、視線がどうしても縫い止められてしまうのだ。


 恥ずかしいだけでなく、とても申し訳ない。ずっと見つめられるなんて、嫌だろう。


「で、どこに行く?」


 店を出て、先輩が駅前をぐるりと見回しながら言った。普段あまり周りを見ないのか、最寄り駅だというのに初めて来た人のように視線を彷徨わせている。


「そこのショッピングモールに行きましょうっ。色々なお店が中にあるんですよ」


 私は紫苑先輩の手を引いて、大きな建物の中へ入っていった。


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