表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/80

ウサギの声2

 子供に簡単な問題を投げかけるみたいな声が静寂に響き、早苗は戸惑ったようだ。今の僕は不敵に笑ってみせる事だって出来る。――これが全て強がりに塗れた虚勢だなんて、少し考えなければ分からないくらい自然だった。


 そんな僕の隠した弱さを見つけたように、早苗は笑う。疲弊のせいか、力ない笑みだ。


「あなたには、教えたくないわ。面白く無さそうなんだもの」


「死にたくなかったら早く答えなよ」


 脅しのためにナイフを捻る。悲鳴を堪えたような声を漏らしたが、彼女はそれでも笑みを絶やさない。


「殺せないでしょ? 殺したら、聞けなくなるのよ?」


「殺したら、他を当たればいいだけだ」


「手、震えているわよ」


 馬鹿にするような言い方じゃなかった。諭すような優しい声に、僕は顔を俯かせる。見ると、僕の手は本当に震えていた。情けない。表情を作って、冷静を装っても、手は正直だ。


 いくら人兎を殺してきても、人を殺すことなんて、本当に出来るわけがなかった。能力という異常なものを抱えている僕はきっと、心だけは正常でありたいと、ブレーキをかけているのだ。本当に弱い。けれど人を殺すことが強さになるなら、僕は弱者のままでいい――とさえ思うのは、甘えの類なのだろうか。


 自己嫌悪の八つ当たりみたいにナイフを握る手に力を込めていたら、早苗に「やめなさい」と優しく言われた。調子が狂う。本当に、紫土に似ている。僕が知らないだけで、こういう人は多いのかもしれない。弱いから誰かを傷付けて、けれども優しさがあるから、傷付いた誰かを見続けることに苦痛を覚える。そんな人に、どう接すればいいか分からない。


 何も言葉にしない代わりに唇を噛んだ。そんな僕に、早苗が語り始める。


「前にも言ったと思うけれど、あの月の絵を描いたのは私の知っている生徒なの。この世界にいる能力者の、お兄さんよ」


「誰かの……」


「ええ。その子にとっての、たった一人の家族。けれどそのお兄さんは、交通事故にあって、それからずっと植物状態」


 兄がいる能力者と聞いて、真っ先に僕自身を思い浮かべた。しかし続けられた言葉に、『ウサギ』が僕ではないという確証を得る。


 早苗の顔を見ると、彼女は『ウサギ』を憐れむような表情で薄く笑っていた。許してあげてとでも言い出しそうな彼女へ、僕は低い声を落とす。


「だから、なんだっていうんだ。不幸な目に遭ってるからって、無関係な僕達を巻き込んで」


「『ウサギ』はね、ずっと、泣いてるのよ。孤独に泣いて、叫んで、ずっと……愛されたいって、思っているの」


 その言葉に、胸を締め付けられる。孤独の痛みも、愛されたい思いも、誰だって分かると思う。誰だって悩んで、泣くと思う。


 僕は、親友を失って独りになったと悲しげに告げた浅葱の顔を思い出した。母に好きになってもらいたいと、そう言って泣いた菖蒲のことを思い出した。心の声が聞こえてきて生き辛いと、苦しげに吐き出した枯葉。満たされない思いを暴力に変えて叫ぶ紫土。僕に友達でいてくれるかと、助けてくれるかと、弱さを見せた蘇芳。


 東雲は、僕に『ウサギ』を救って欲しいと言った。僕でなければ、駄目なのだと。


 僕は逡巡しながらも、問いかけた。


「僕は、さ。『ウサギ』と……関わったことが、あったのかな」


「それを知りたかったらお兄さんに聞いてみなさい。私は彼から聞いたことがあるけれど、彼の口から聞いた方がいいでしょう?」


 紫土が何かを隠していることは分かっていた。早苗の言うことは尤もだが、彼が素直に話してくれるとも限らない。けれどきっと早苗は、ちゃんと兄と話せ、と言いたいのだろう。


 狂気が溢れた表情はとっくに失せていて、その顔は教師が浮かべるものだった。優しげに、ゆっくりとその口元が動く。


「心当たりが無くても、仕方ないわ。だってあなた、一度こっちで死んでるじゃない」


「それは、分かってるけど」


「あら、分かっていたのね。どうして死んだか、誰に殺されたかは?」


「そこまでは知らないよ」


「そう……まあ、知っていたら関わったことがあったかなんて聞かないものね」


 早苗の目元が、柔らかく細められた。今彼女の手が動いていたなら、僕の頭にその手を伸ばしていたと思う。そんな風に感じたのは、一体彼女の表情が何の記憶を思い起こさせたからなのだろう。彼女の笑みを見ていたくなくて、即座に目を逸らした。


「ねえ呉羽くん、あなたはどうするのかしら。神屋敷くんを殺した『ウサギ』を殺して、終わらせる?」


「殺さないさ。そもそも殺したって、終わらないんだろ」


「終わるわよ。本当に、本当の世界で殺せば」


 その言葉に顔を顰めたが、早苗の諦めたような面差しを見たら、咎めることなんて出来なくなる。ただ静かに、一言だけ落とす。


「……僕に犯罪者になれって言ってるのか」


「それが嫌なら『ウサギ』を説得して終わらせてみなさいよ。こんなことをしてもなんにも意味がないって、あの子に、分からせてあげなさいよ」


 懇願するみたいな響きだった。希うその瞳は、自信満々に無力さを曝け出していた。誰かを救い出すのに、大人だとか子供だとかそう言ったことは恐らく関係ない。そもそも『救う』なんて大それた言葉を使えるほど、僕は出来た人間じゃない。


「教えてくれて、ありがとう」


 それでも僕はせめて、救うなんてことが出来ないからせめて、きっと『ウサギ』も知っている『思い』を、思い出させてやりたいと思った。



 元の世界に戻った僕は、そっと右目に手をやった。向こうで負った傷は治ると分かっていても、ちゃんと治っていることを確認しなければほっと胸を撫で下ろせなかった。安堵の息を吐き出して、携帯電話を取り出す。関係のない人間に電話をかけて詮索をするような真似をするのは気が引けたが、今すぐに確かめられる術はこれくらいしか浮かばなかったのだ。


『もしもし』


 こんな時間だというのに、その声は眠そうに聞こえない。早起きは慣れているのかもしれない。


「いきなりごめん。聞きたいことがあるんだけど」


     ◇


 駅で電車を待ちながら、私は早く紫苑先輩に会いたいなと思っていた。最近は偽物の世界で先輩と会えていなくて少しだけ寂しいが、それでも普通の世界で毎日のように会えているから幸せだった。


 といっても、文化祭の後の二日間は振替休日だったから、先輩と会うのは文化祭ぶりだ。文化祭のことを思い出すだけでにやけてしまうから、マスクでもしてくればよかったと後悔した。恋をすると女の子は可愛くなると言うけれど、挙動不審になるだけだと私は思う。


 一日目の文化祭の後は、向こうの世界で甲斐崎さんと蘇芳ちゃんに会うのがなんとなく気まずかったけれど、二人共いつも通りに接してくれてほっとしたものだ。


 そういえば、紫苑先輩が私を甲斐崎さん達に任せるようになったのはいつからだっただろう。一人でしたいことがあるから、と言って私と行動するのをやめたのだ。『浅葱、今日からは枯葉達と一緒に行動して』といったような内容のメールが送られてきた時は、悲しいよりも納得がいかない気持ちでいっぱいだった。


 目の届く所にいてだとか、勝手に死んでいるなんて許さないだとか言ってくれたのに、自分から離れていってしまうなんてあんまりだ。


 けれどきっと、紫苑先輩は私が足手まといになるから一緒にいたくないのではなく、私を危険に晒すことになるから一緒にいたくないと判断したのだろう。と考えてみると、自分の不甲斐なさに苛立った。


 私は今も、甲斐崎さんや蘇芳ちゃんに守られてばかりだ。能力を多少使えるようになったけれど、やはりいきなり人兎に襲撃された時などは恐怖のせいでうまく使えない。紫苑先輩がどこかで一人で戦っているのなら、私もそこに赴いて力になりたいと思ったけれど、無駄に命を落とすだけのような気がした。


 何も出来ていない自分に深い溜息を吐き出してから、私は顔を上げた。いつも乗る電車が、ちょうど目の前で走り去っていった。


「……え?」


 揺らされた髪をそっと押さえて、ぎこちなく首を動かして電車を目で追いかける。目の錯覚でもなんでもなく、無情にも電車は遠ざかっていく。今から走って飛び乗れば乗れるだろうか、なんて非現実的なことを考えて現実逃避しても笑えない。


 十トンくらいの絶望が頭上に降ってきたみたいで、がくっと項垂れた。


「――なにしてるのさ」


 呆れたような声に、私ははっとして頭を持ち上げる。なぜか目の前に紫苑先輩がいて、幻覚を見てしまうくらい疲れているのかと自分自身に呆れてみたが、どこからどう見ても幻でもなんでもなく紫苑先輩その人だ。


「えっと、先輩どうしてここにいるんですか?」


「はぁ? 珍しく君が乗ってこないからどうしたのかと思ってホームを見てみたら、馬鹿みたいにぼうっとしてる君がいたからわざわざ降りてやったんだけど?」


「わ、わざわざありがとうございますっ!」


 ぺこぺこと頭を下げたが、紫苑先輩は私なんて見ていなかった。先輩は駅の時計をじっと見てから、首を傾けて私を見てくる。


「文化祭の疲れ、取れてないの? それとも寝不足?」


「い、いえ! 幸せ疲れです!」


「幸せ太り?」


「太ってはないですよ!?」


 響きがいいと思って幸せ疲れと言ってみたのだが、まさか幸せ太りと同じ響きだったとは。気付かされて苦笑する。正直に言うと、文化祭時に食べ過ぎたせいで体重が少しだけ増えていたが、見て分かるほどでもないので太ってないと言っても許されるだろう。


 うんうんと一人で頷く。ふと紫苑先輩の顔色を窺ってみると、「ん?」という表情を浮かべられた。


「紫苑先輩こそ、疲れてませんか?」


「僕は疲れてないから安心して」


 薄く笑う顔から、確かに疲れは見て取れない。「それなら良かったです」と返してみたけれど、駅のアナウンスに掻き消されてしまった。停車した電車に乗って、私は扉の横の手すりを掴んだ。


 隣に立っている紫苑先輩から目を逸らして、窓の外を眺める。ぼけっとしていると、浅葱、と呼びかけられた。


「今日の帰りに三日市の図書館に行きたいんだけど、また案内してもらえないかな?」


「もちろんいいですよ!」


 弓張の方には図書館はないんですか? と聞こうかとも思ったが、せっかく紫苑先輩と放課後に一緒にいられるのだから、余計な質問は仕舞い込んでおく。


 電車に揺られながら、私は放課後の下らない妄想に頭を働かせていた。図書館、ということであまり会話は出来ないだろうけれど、二人で静かに過ごすのも落ち着けて良いだろう。文化祭の二日目も屋上の扉の前でのんびり過ごしたが、楽しかった。


 これから電車を降りて学校に着くまで何を話そうか、帰り道で何を話そうかなどと考えながら、流れていく景色を目で追いかける。


 そうしているとすぐに電車は停まって、繊駅に着いた。


 電車を降り、改札を抜けて駅を出た。紫苑先輩と並んで歩道を進んで行く。隣を歩く紫苑先輩を少しだけ見上げてみたら、目が合った。私が先輩の方を見るとは思っていなかったのか、驚いたように瞼が持ち上げられている。多分、私も同じような顔をしていることだろう。私はそっと目を逸らして、かけるつもりだった言葉を心地良い風に乗せた。


「先輩、今日のお昼ご飯ちゃんと持ってきました?」


「そりゃあ、ね」


「ですよね……あはは」


 やはり質問がいきなりすぎたせいか、紫苑先輩の語尾に小さな疑問符が付いていたように感じられる。今日は珍しく自分で弁当を作り、先輩にも食べてもらいたかったから多めに作ったのだ。昨日のうちに連絡しておけばよかったと思ったが、自分で作ると決めたのが今日の朝なのだから仕方ない。


 今日は珍しく私が先に起きていったため、弁当が用意されていなかった。私が作っている時に萌葱がリビングにやってきて「お、自分で作ってる。感心感心」などと言っていたから、遅く起きてきたのは私に料理をさせる作戦だったのかもしれない。


 多く作りすぎてしまった分をどうするか考えていると、つい唸り声を出してしまう。紫苑先輩がそんな私を訝しげに見ているのは、視界の端の雰囲気から察せられた。


「……もしかして、僕の分も作ってきた?」


「ふぇ!? あっ、えっと、す、少しだけ!!」


「え。冗談のつもりだったんだけど本当だったんだ……」


 呆れられるかと思ったが、紫苑先輩の顔を見る限り、ただ驚かれただけみたいだった。少しだけとは言ったけれど、自分の分の弁当箱とは別にもう一つ弁当箱を持って来ており、その量は少しとは言えない。いや、私の弁当箱より小さめだから少しと言ってもいいのかもしれないが、少食な人の一食分くらいの量だ。


 頑張れば私だけでも食べきれるかもしれないが、残すのが賢明だろう。しかし食べ物を残すなんて勿体ないと萌葱に怒られそうだ。渡ろうとした横断歩道の信号が赤なのを見て足を止め、私が悩んでいると、紫苑先輩が言った。


「じゃあ、折角だしいただくよ。僕のも少しだけあげる」


「し、紫苑先輩の……手作り!」


 食べてもらえる嬉しさよりも、食べさせてもらえる嬉しさの方が勝っていて、なんだか恥ずかしくなってくる。恥ずかしげもなく嬉しそうな大声を上げてしまったことを振り返ってみると頭を抱えたくなった。


「浅葱って意外と食い意地張ってるよね」


「先輩? それ褒め言葉じゃないですからね?」


「思ったことを言っただけだよ」


 紫苑先輩が歩き出したため、前を向くと、信号は青に変わっていた。慌てて早足で進み、先輩の隣に並ぶ。


 今日はいつも以上に昼休みが楽しみだ。朝から幸せな気持ちで満たされて、私は小さな小さな鼻歌を漏らした。もちろんそれは、先輩に聞かれて微笑されてしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ