笑顔2
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朝十時頃に蘇芳と待宵駅で合流して、それから数時間経った今、僕達は彼女のオススメだというカフェにいた。彼女が僕を誘ってきた理由も気になるが、それよりも僕はここ最近ずっと菖蒲の心配ばかりしている。
事情を知ってから、放っておけなくなったのだ。あれから夜は浅葱と三人で訓練のようなことをしていたが、菖蒲は暗い顔を一切見せていない。それは良いことなのだろうが、一人で抱え込んでいないか心配になる。
僕はイチゴのムースケーキをつつきながら、ふと浅葱の顔を思い浮かべた。菖蒲のことばかり気にかけていたせいで、最近浅葱の方をあまり見ていない気がする。今浅葱は何をしているだろうか。休日だから、家でだらだらしているのかな、なんて考えていると、眼前にフォークが突きつけられた。
「呉羽先輩? もしかして他の女のことでも考えてたんですか? デート中ですよ?」
「……とりあえず、君の事情とやらをとっとと話して欲しいんだけど」
「うわー……動揺も謝罪もしてくれないなんて、あたしへの好感度絶対低いわ……」
独り言のつもりだったのだろう。しかし独り言にしては声が大きかったから、もちろん僕の耳に届いてきていた。呆れて眼を細め、彼女を一瞥する。
「君、好きでもないのによくそんなこと言いまくれるよね」
僕はケーキを一口食べて、目を瞠った。美味しい。自然と口が綻ぶ。他にも美味しそうなケーキがメニューに載っていたから、また今度来ようと思う。
食べることに夢中になっていた僕に、再びフォークが向けられた。それが充分凶器に成り得るのだと分かっているのだろうか。
顔を上げると、真っ直ぐこちらを見ていた彼女と視線が交わる。
「あたしがもし本当に呉羽先輩を好きで、付き合いたいって言ったらどうします?」
「……付き合えないよ。出会ったばかりなんだから」
「あたしは、ずっと見てきましたけどね」
「え?」
声も、表情も、真剣そのもの。出会ってから、という意味であることは間違いないだろうが、それでも彼女と過ごした時間は二十四時間にも満たないはずだ。僕が黙考していると、蘇芳が真面目に考えている僕を馬鹿にするように笑った。
「もちろん、冗談ですよ。ストーカーじゃあるまいし……ってそうだ、ストーカーです」
「ストーカーじゃないって言ったり、ストーカーだって言ったり、どっちなのさ?」
「違うんですよ、ストーカーは、あたしが言った事情のことです」
蘇芳のフォークがチョコレートケーキの上の苺に刺さる。それを口に含んで咀嚼しながら喋ろうとするから、注意してやった。
「喋るか食べるかどっちかにしなよ」
口がへの字に曲げられたが、食べながら喋るということはやめてくれたようだ。僕はもう食べるものが無くなってしまったため、コーヒーを喉に流し込んだ。
「最近、学校帰りとか、ストーキングされてる気がするんですよ」
「へえ、女子中学生は不審者に狙われやすいだろうから気を付けてね」
「ほんと呉羽先輩冷えっ冷えですよね、今まで冷凍庫にぶちこまれてたんですか?」
「……不審者じゃなければ、クラスメートとかじゃない? もしかしたら能力者って可能性もあるね。ああ……能力者を捕まえている組織の可能性もあるか」
今まですっかり忘れていたが、そんな組織があると東雲が言っていた。警察みたいなものなのだろうか。僕は普通の世界で能力を使うことが滅多にないから、世話になることはないと思う。蘇芳が日常的に能力を使っているとは考えられないが、もしそうならこの可能性が一番高い。
などと思考を巡らせていたら、蘇芳がつまらなそうに嘆息を漏らした。
「あたしの冷凍庫発言にはスルーですか」
「真面目に考えてるのになんで不機嫌そうなんだよ」
「ストーカー捕まえてやる、とか、僕が守ってやるよ、とか、これから登下校一緒にしよう、とか言ってくれる呉羽先輩を想像していたのに」
「へえ。で、用件ってそれだけ?」
もっと何か深刻な事情でもあるのかと思ったが、蘇芳はあっさりと頷いた。
「そうですね、このことを相談したかったのと、ただデートしたかっただけです。というか、会うのに真面目な理由がないといけないんですか? 遊びたいから、話したいから、一緒に笑いたいからってだけじゃ、駄目なんですか?」
苛立っているのか、その声付きは刺々しい。僕は気圧されるように、椅子の背もたれに背を預けた。
確かに、友人同士が会うのに深い理由などいらないと思う。それでもなにか事情があるのかもしれないと思うのは、彼女との関係がただの友人ではないからだ。協力者であり能力者であり、招かれた者である僕達が交わす言葉は、あの偽物の月の世界での話くらい。『ウサギ』やあの世界のことの情報を交換し合うことくらいだ、と思い込んでいた。
今一番大事にするべきなのは『日常』なのだ、と東雲が言っていたことを思い出す。僕の日常には、僕が思っている以上に偽物の世界が蔓延っているみたいだった。
「呉羽先輩? 聞いてます?」
「……聞いているよ」
「呉羽先輩は、真面目な話をするのが好きなんですか?」
「別にそういうわけじゃないけど」
「じゃあなにか面白い話をしてくださーい」
面白い話……。なにを面白いと感じるかは人それぞれであって、僕が『これは面白いぞ』という話を話したところで彼女はきっと面白いとは思わない。だから言葉に詰まった。いや、本音を言うと、面白い話なんて一つも持っていない。笑いのセンスをいきなり僕に求められても困る。
ふと浅葱のことを頭に思い浮かべ、それとほぼ同時に口が動き出していた。
「浅葱が電車内で必死に揺れと戦ってた話とかどうかな」
「え、なんですかそれ。宮下センパイなにしてるんですか」
蘇芳の声が僅かに震えている。笑わせることに成功した、と思っても構わないだろうか。他にネタはないから、成功したことにしておく。
ケーキをフォークで切っている蘇芳の手元をぼうっと眺めていると、蘇芳は切り終えたケーキを刺すことも口に運ぶこともなくぴたりと動きを止めた。
「……食べないの?」
「食べますよ。でもそんなじっと見られてると流石のあたしでも恥ずかしいです。女子中学生の白くて綺麗な素肌をじっと見つめるなんて呉羽先輩なかなか変態だったりします?」
「あんまりふざけたこと言ってるとそのケーキ僕が食べるよ」
「えっ、間接キス……!?」
「……そうなるのか。それは御免だな」
「うっわひどっ」
僕が少し視線を逸らしたら、蘇芳がようやくケーキを食べ始めた。食べているところを見られることに抵抗があるのかもしれない、と考えてすぐにそれを否とした。
蘇芳が気にしているのは恐らく、手首を見られることだ。リストカットの痕があるという話が本当なら、この予想は確信に変わる。
ケーキを食べ進める蘇芳を視界の端に捉えつつ、コーヒーを一口流し込んだ。
「……半袖、寒くないの?」
「寒くないですよ。長袖より半袖の方が好きなんです。でも今日は長袖で来ればよかったなと思いました。呉羽先輩とデートなのに、失敗したなーって」
「じゃあこの後服でも買いに行こうか」
「おっ、デートっぽい! そうしましょう! あたしが食べ終わるまでゆっくり待っててくださいね」
あと二口くらいで食べ終わりそうなのに、なぜゆっくりと言ったのか不思議に思い蘇芳の方を見てみると、彼女はちょうどケーキを食べ終えていた。それから両手でコップを持ち、コーヒーを少し飲んで顔を歪めて、テーブルに置く。
置かれたコップに入っているのがブラックコーヒーだと気付いた僕は、くすりと笑ってしまった。
「もしかして、苦いの駄目なのにブラック頼んだんだ? ミルクと砂糖取ってきたら?」
「……そんなの無くても飲めます。あたし子供じゃないんで」
「へぇ」
そこまで言うのなら、頑張って飲み干すのをゆっくり待つしかない。ちょっとずつ飲んでいた蘇芳が、残り半分くらいというところで僕の方にコップを押し寄せてきた。
「飽きました。あとは呉羽先輩にあげます」
「……仕方ないな」
僕もあまり苦いのは好きではないが、飲めないわけではない。わざわざミルクを取りに行くのも面倒だから、そのまま飲み下した。
蘇芳は店を出る準備が出来ているみたいだったため、僕は鞄を取って立ち上がる。
「じゃあ、行こうか」
「店出たら手繋いで歩きません? それか腕を組むか」
「よく聞こえなかったんだけど、なに?」
もちろん聞こえていたが、返し方に困ったので聞き返してみた。すると機嫌を悪くしたようで、蘇芳の口がへの字に曲がる。長い髪を揺らして僕に背を向け、先に店のドアの方に向かっていった。
「……なんでもないわよばーか」
吐き捨てるように言われて、苦笑する。僕は蘇芳の背を追いかけるように店を後にした。




