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あなたのおうちはどこですか2

 構えていたナイフを、先輩は下ろした。先輩と知り合いらしいその子供は、スケッチブックを抱きしめてお辞儀をする。挨拶にしては、なかなか下げられた頭が上がらない。


 頭を下げたまま、少女は言った。


「いきなり攻撃して、すみませんでした。東雲さんが、紫苑さんに挑んでみたらどうかって言ってたので」


 東雲さん、は確か、この前助けてくれた紳士的な人だ。背が高くて、優しそうな人だった。


「はぁ? というか君、本当に能力者だったのか」


「はい。昨日東雲さんにこっぴどく負けまして、今は協力者です。なので、ぼくと紫苑さんも協力者。そこのお姉さんも協力者、ですか?」


 可愛らしい女の子の口から飛び出した『ぼく』という一人称。男の子なのか女の子なのか分からなくなってきた。どちらだろうとじろじろ観察していたら、その子は不思議そうに私の方を向く。視線が不快だったのかもしれない。


 と思ったがそんなことはなく、可愛い童顔は綻んだ。


「ぼく、神屋敷菖蒲って言います。よろしくお願いしますね」


「あ……うん、よろしくね。私は宮下浅葱。あなたは……男の子?」


「はい? あ、ええ、そうです。浅葱さんは……どこからどう見ても女性ですね」


 にこにこ笑っているが、その表情はどこか大人びていて、年不相応に思えた。子供の皮を被った大人なのではと疑ってしまいそうになる。しかし紫苑先輩の方に向いたその目が爛々として、先ほどの大人っぽさが嘘みたく消えた。


「他にも協力者がいると聞いたのですが、一緒にいるわけではないんですね」


「枯葉と蘇芳に会いたかったなら残念だったね」


「ところで紫苑さん、東雲さんから伝言です。今日、授業が終わったら来てください、だそうですよ」


「ああ……今日こそ傘を返しに行かないと、か……」


 先輩の手にはもうナイフが握られておらず、ポケットに仕舞ったようだった。菖蒲くんももう攻撃する気はなさそうだ。不意に、疑問が頭の中に湧いて出た。


 この世界にいる能力者は八人。私、紫苑先輩、甲斐崎さん、蘇芳ちゃん、菖蒲くん、東雲さん――この六人が今協力者になっている。今の協力者を信じると、『ウサギ』は残り二人のどちらかになる。


 ――本当に?


「……あの」


 なにかを話していた紫苑先輩と菖蒲くんの会話を遮って、私は小さく挙手をした。二人の目がこちらを向く。先輩はいつも通りの顔で、菖蒲くんはやはり先輩に向けていた顔とは違う顔で、私を見ている。その幼い目に、少しだけ怯えてしまった。


 彼は、私を『ウサギ』だと疑っているのかもしれない。そう考えたら、言葉を続けていいのか分からなくなってしまった。


 いつまで経っても口を動かさない私に、紫苑先輩が待ちきれなくなって「なに?」と問いかけた。菖蒲くんは黙って私を見ている。この空気が、少しだけ嫌だった。逃げ出したくなる。


「……え、っと……その、協力者の中に、『ウサギ』がいる可能性も、あるんですよね……?」


「もちろんあると思いますよ」


 紫苑先輩が答えるよりも先に、菖蒲くんが答えてくれた。菖蒲くんは、柔らかそうな頬を緩めて笑う。


「でもぼくは、浅葱さんと紫苑さん、東雲さんは疑っていません」


「えっ?」


 驚きのあまり声が出てしまっていた。そのことに驚いたように、菖蒲くんはきょとんとしていた。


「……僕は、浅葱と菖蒲は疑っていない」


「東雲さんとか他の方は疑っているんですか?」


 菖蒲くんが首を傾げた。私もよく首を傾げるが、幼い子がやるとこんなにも可愛いのか、と思う。紫苑先輩はそんなこと全く考えていないのだろう、相変わらずの冷めた顔で彼を見返した。


「そりゃあね。招かれたばかりの浅葱は疑う理由がないし、菖蒲は年齢的におかしい」


「浅葱さん、来たばかりなんですか?」


「――そうだ菖蒲。僕は君の能力を知らないから知っておきたい。ちょうどいいし、浅葱が重傷を負わない程度に攻撃してもらえるかな?」


「はい!?」


 思いがけない発言に私の声が裏返る。菖蒲くんはやる気満々らしく、目を鋭くさせて私にボールペンを突き付けた。


 紫苑先輩が私達から少しだけ離れると、何かを思い出したように「あ」の形に口を開けた。


「浅葱。君は逃げるだけでいい。出来る限り能力を使って、ね。まずいと思ったら割って入るか止めさせるから、安心していい。ただ、甘やかしはしないよ」


 紫苑先輩は私に実戦の練習をさせようとしている。それはもちろん分かっているけれど、いくら練習でも怖いものは怖い。私も菖蒲くんの能力を知らない。なにが迫ってくるのか、予測出来ない。


 額にうっすらと汗をかきながら、私は菖蒲くんから視線を外さず、そのまま数歩後退した。攻撃に備えて、菖蒲くんから目を逸らすわけにはいかなかった。


「そろそろいいですか、浅葱さん?」


 にこっと笑うと、菖蒲くんはスケッチブックにボールペンを走らせた。その能力で人を傷付けてしまうかもしれないというのに、その顔はゲームを楽しむ子供のものだ。


 大人の悪意よりも、子供の純粋な愉悦に恐怖を覚える。足が震え出しそうだった。菖蒲くんの持つ刃が飛んでくる前に、走って逃げたかった。それをぐっと堪えているうちに、もう何かが向かって来ていた。


「――っ!」


 能力を使う暇がないほど速く、黒い何かが私の上を通り過ぎる。慌てて屈んだから避けられたものの、反応が遅れていたら貫かれていただろう。


 ほっと息を吐いた私に、菖蒲くんが微笑む。


「浅葱さん、気を抜いては駄目ですよ。『あの子』は――ケッキサカン? ですから」


 言われて、私は通り過ぎて行った何かに目をやった。黒い馬かと思ったが、少し違う。それが大きな猫なのだと気付いた時には、視界に黒い線が走っていた。


「痛っ……!」


 駆け抜けていった黒猫の爪は、私の肩を掠めていた。痺れるような痛みが走って力が抜けかけたが、地面を強く踏みしめ、振り返る。


 再び向かって来ようとしていた黒猫から目を外し、夜空を見上げて瞼を閉じた。黒猫が駆け出したのか、風が小さく鳴く。それをぼんやりと聞きながら、目を見張った。


 勢いを付けるために目を張ったのだが、直後目にした光景は更に私の目を大きくさせた。


「……っぁあああああ!!」


 猫は飛べない。だから空に逃げれば、と考えて上空に――私の家の屋根と並ぶくらいの高さへワープすることを願った。そこまではよかったのだろう。


 転移は出来ても、私はただの人だ。空を飛べるわけがない。当然私の体は重力に逆らえず落ちていく。地面に衝突する寸前で、私の体は浮かんだまま止まった。それからゆっくりと降下し、私は地面に転がる。


「……たす、かった……?」


「助かった……じゃないよ。何してるの君」


 起き上がってみると、紫苑先輩が呆れと怒りを混ぜたような冷たい顔をしていて、つい息を呑む。菖蒲くんの方を見てみたら、顎が外れてしまったのではと思うくらい口をぽかんと開けていた。その彼の傍で黒猫はただ佇んでいる。


 私は苦笑を顔いっぱいに広げた。


「……と、飛べば安全かな、って思いまして……」


「……へぇ」


 絶対零度の瞳が私をがたがたと震えさせようとする。口に浮かべた笑みはどんどん引き攣っていった。紫苑先輩はいつも通り静かだが、相当怒っているのは確かだ。目が、いつも以上に冷たく鋭い。


「僕が君を助けられない時は、今みたいな馬鹿なことをしないでほしい。せめて屋根の上とか、ちゃんと足を着ける場所にしなよ」


「は、はい……」


 以後気を付けるために、もう一度頭の中で今の先輩の言葉を反復した。それでようやく気付く。


「今……先輩が助けてくれたんですか?」


「他に誰が助けられるのさ? というか、いつまでもぼうっとしてないで集中して。気を取り直してもう一回やってもらうよ」


「え!?」


 私と菖蒲くんの声が重なった。私は「まだやるんですか!?」という意味で叫んだのだが、菖蒲くんは多分違う意味なのだろう。三秒程度しんとしてから、菖蒲くんに心配そうな目を向けられる。


「浅葱さん……これ以上やったら骨折してしまうんじゃ……」


 紫苑先輩が私を一瞥して、こくりと頷いた。二人して私を憐れむような目で見ないで欲しい。二人の言いたいことは尤もだけれど。


「……そうだね、じゃあこうしよう。浅葱は緊急時でも能力を使えるように、転移にかかる時間を出来る限り短くしてほしいから自己練習。菖蒲は僕と相手をしてくれるかな。ああ、もちろん――」


 そこで言葉を止めると、紫苑先輩が口の端を少しだけ上げた。形の良い唇がとても小さく動く。なにを言ったかは聞き取れなかった。


 先輩の視線の先を、菖蒲くんがはっとしたように辿る。菖蒲くんと私の後ろで、潰れた人兎が倒れていた。私は凄惨な光景から目を逸らしたが、菖蒲くんはとても冷静な顔をしたまま、視線を先輩へ戻す。


 私が、来たばかりだからだろうか。なぜ幼い菖蒲くんは、怯えないのだろう。夥しい量の血が広がっているのに、何も思わないのだろうか。


「人兎が来たら、その排除が最優先だ」


「……はい」


 紫苑先輩の声を聞いて思考を一時停止させ、私はまた白線と睨み合うことになった。


※以下、おまけの挿絵です。

 自作絵ですので苦手な方はご注意ください。








挿絵(By みてみん)


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