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月下で蠢く漆黒の影2

     ◆


 ちょうど作り終えた頃に、菖蒲が少しだけぶかぶかの服を着て東雲と食堂にやってきた。東雲の服にしては小さいけれど、菖蒲の服にしては大きい。


 オムライスを皿に盛り付けながらその服を見ていると、唐突に耳元で東雲の声が上がる。


「おおっ! すごくおいしそうですねえ!!」


「びっくりした……。なんで君はいつも僕の鼓膜を破る気満々なの……何かの作戦?」


「ああ、失礼。ついつい声が大きくなってしまうんですよね。ちなみに菖蒲くんの服は私が中学生くらいの時のものです。びしょ濡れの服よりは良いかと思いまして」


 僕が菖蒲を見ていた理由に気付いていたみたいだ。やはり彼は良い観察眼を持っている。ただ単に僕が分かりやすかっただけという可能性もあるが。


 菖蒲は椅子に座って、テーブルの上にオムライスが運ばれてくるのを待っていた。顔を上げた彼と僕はすぐに目が合う。


 今更だが、僕は菖蒲に聞いてみた。


「菖蒲ってさ、男の子、でいいんだよね」


「えっ、まさか女の子だと思ってたんですか? ぼくはれっきとした男です」


「間違えられない? 髪長いし、さっきは三つ編みしてたし」


 菖蒲の分のオムライスとスプーン、コップを彼の前に置いた。僕の分と東雲の分も持ってこなければと思ったが、東雲がすぐに運んできてくれる。


 なんとなく菖蒲の向かい側に腰掛けると、僕の隣に東雲が座った。


「すっごくおいしそうですね! 紫苑さん、料理まで出来るなんてすごい!」


 菖蒲が満面の笑みを浮かべてオムライスを一口食べる。どうやら僕の質問はオムライスの存在で忘れられてしまったようだ。


 彼は幸せそうな顔を浮かべると、僕の方に身を乗り出してきた。


「おいしいです! どうやって作ったんですか!?」


「普通に作っただけだよ。隠し味は生クリームと粉チーズ」


「なるほど!」


 理解したように言っているけれどきっと理解していないのだろう。菖蒲は聞いてきた割に、作り方には興味が無さそうだった。


 東雲からも美味しいという言葉を聞きたいのだが、彼は無言のままだ。気になって目をやると、まだ一口もつけられていないオムライスが彼の前にあった。


「東雲? 冷めるよ」


「あ、はい。そう、ですね」


 何か考え事でもしているのか、東雲は声をかけても尚ぼうっとしている。自分のご飯が冷めてしまうのは嫌だから、僕はもう気にせずに食べ進めることにした。


 僕が半分くらい食べた頃、菖蒲が両手を叩き合わせる。


「ごちそうさまでした!」


 彼は早食い競争で負けなさそうだなと思いつつ、小さく頷きを返してやった。食べ終えた食器を台所の方へ運びながら、菖蒲が東雲を呼んだ。


「あの、ぼく寝たいんですけど。どこで寝ればいいですか?」


 食べたばかりだというのにもう寝るなんて、子供は早寝だ。寝る子は育つとよく言うし、子供は親に早く寝るよう促されることが多いから、そういう習慣が身に付いているのかもしれない。


「トイレの向かい側の部屋にベッドがあるので、そこで寝ていいですよ。おやすみなさい」


「あ、はい。おやすみなさい」


 廊下に繋がる扉が小さな音と共に閉じられた。この早さで寝室に向かったということは、きっと食器を流し台に置いただけで洗っていないのだろう。小学生だから、食べた食器を洗う機会が少ないのだと思われる。


 菖蒲がいなくなって少ししてから、東雲がようやく口を開いた。その口に一口も食べられていないオムライスを突っ込んでやりたい気分だ。


「彼、能力者ですかね」


「は?」


 真剣な顔でぽつりと零すと、東雲はもう冷めているであろうオムライスを食べ始める。僕が問い返したというのに、彼の次の言葉は真面目な空気を取り去った。


「おおおおおおっ! 美味しいですね! 紫苑くん、シェフとしてここに毎日通いませんか?」


「出来立ての方が美味しかったと思うんだけど。というかそんなことはどうでもいいよ。菖蒲が能力者って、どうして分かる?」


 僕は立ち上がって台所に向かった。やはり置きっぱなしになっていた菖蒲の食器と自分の食器を洗う。


 東雲は顔だけをこちらに向けた。


「君、メールをくれたでしょう? 他の能力者について。先程菖蒲くんのランドセルの中身を見ましたが、入っていたのはスケッチブックと筆記用具だけでした」


 それだけで、東雲が言いたいことがよく分かった。蘇芳の言っていた、スケッチブックとペンをいつも持っている小学生の男の子。それが菖蒲なのではないか、と彼は言いたいのだ。


 皿を洗う手が止まってしまうくらい、僕は動揺していた。


「どうして菖蒲に直接聞かなかったんだ?」


「零時になってから確認した方が早いかと思いまして、ね。といっても私はそこのソファで寝ますけど」


 東雲が指さしたのは食卓から少し離れた位置にあるソファだ。その前には大きな黒いテレビが置かれていた。


 東雲の部屋のベッドでは菖蒲が寝ている。東雲は一人暮らしと言っていたから、他に寝る所といったらソファくらい。突然押しかけてきて家主をソファで寝かせるのは申し訳なく思ったが、ふと気付く。


「僕はどこで寝ればいい?」


 洗い終えた皿を布巾で拭いて食器棚に戻す。東雲はなかなか言葉を返してくれない。この沈黙の長さから察するに考えているのだろう。


「少し狭いですが一緒にソファで寝ます?」


「少しどころじゃないよね、あの大きさどう考えても一人しか寝られないよ」


「ふむ……押入れなら空いていますが」


「……うん、それでいいや。さっき菖蒲に言っていた部屋?」


 濡れた手を冷蔵庫にかかっているタオルで拭いて、僕はテーブルの傍に置いていた鞄と椅子にかけていたブレザーを取る。


 東雲はもう三分の二ほどオムライスを食べていた。咀嚼しながら彼は頷いてくれる。


「食器、自分で洗って。僕は風呂を借りてから十二時まで寝る。寝すぎていたら起こして欲しい」


「はい。一応菖蒲くんには気を付けて下さいね」


 廊下に出てから、風呂場はどこか聞き忘れたことを後悔する。とりあえず東雲の部屋に向かって鞄を置きに行くことにした。


 菖蒲はもう眠っているだろうかと思い、そっと扉を開ける。室内に足を踏み入れると、微かな寝息が聞こえてきた。


 僕はゆっくり歩いて、音を立てないようにしながら押入れを開けた。下の段には物が沢山入っているが、上段は何も入れられていない。


 上段に鞄を放り込んでから、部屋を出た。押入れの下に大量の猫のぬいぐるみがあったことは黙っておこう。僕は何も見ていない。


 この部屋の向かい側にある扉にはプレートがかけられていて、『TOILET』と書かれているからきっとトイレだ。


 その隣にもう一つ扉があったため、開けてみる。適当に開けただけだがどうやら正解だったようだ。


 僕は脱衣用のかごにブレザーを放り込んでから左耳に手をかける。慣れた手つきでピアスを外し、傍にあった棚の上に置いた。


 不意に、頭が痛んだ。僕は僅かに顔を顰めたが、何事も無かったかのような顔をしてネクタイを解く。


 手に何かが当たって、気付かずにその何かを落としてしまった。床に落ちたそれは棚の上に置かれていたのだろう。他に置けそうなところはない。ピアスを置いた時はぼうっとしていたせいか気付かなかった。


 白くて四角いパレットを、そっと拾い上げる。白かったのはその面だけだ。裏返したら、洗っても落ちなかったのであろう絵の具のおかげでカラフルになっていた。


 思えば、彼が普段何をしているのか聞いたことがない。紫土のようにデザイナーみたいな仕事をしているのか、それとも絵を描くのは趣味なのだろうか。


 僕が中学生の時に学校で買わされたパレットもこんな形だったな、なんて思いながらまじまじと眺める。


 弄っているうちに気が付いたが、二つ折りになるタイプのようだ。元々開いていたのか、落ちた拍子に開いてしまったのか分からない。開いたまま棚の上に戻すべきかどうか悩んでから、濡れているわけではないため閉じて置いておくことにした。


 棚の上に乗せて壁に立て掛ける。白いパレットには名前が書かれていた。学校名と学年も書かれていることから、学生時代に買ったものなのだとはっきりする。どうやら三日市の中学校に通っていたようだ。


 他人のものをこんなに観察するのは良くないことなのだろうが、僕は暫しそのパレットに釘付けになっていた。


『東雲悠斗』


 しののめ、ゆうと。


 ――ユウト。


 あの絵に書かれた名前と同じ。だからといって、あの絵を描いたのが東雲とは限らない。ユウトなんて、よくいるような普通の名前だ。それにあの女性の言葉が正しければあの絵の作者は現在高校三年生。東雲は成人している。


 東雲とあの女性が協力者だったとしたら話は別だろう。……いや、東雲は『ウサギ』ではないはずだ。


 考えれば考えるほど頭が痛む。僕はその痛みに苛立って、小さく舌打ちを漏らした。


 早くシャワーを浴びて、眠りについてしまおう。


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