表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/80

月の絵4

「親友がいなくなってから、ずっと一人で。暗くなったとか噂されて、心配してくれているような声も、たまに聞こえていたんです。……でも、私と紫苑先輩が、付き合ってるとか陰で言われて」


「……」


 確かに、登下校も昼も一緒だと誤解を招くかもしれない。下らない噂で盛り上がるなんて当人にとっては迷惑でしかないのだが、楽しければ良いと思っている人間は誰かの迷惑なんて一切考えないものだ。


「『桜がいなくなって可哀想だと思ってたけど、彼氏出来て浮かれてるとか最低だ』って」


「そう言う奴らは何をしていても文句を言ってくるんじゃない?」


 気にしなくていいと思うけど。そう続けたかったが、僕は口を噤んだ。気にしないでいられるなら始めから気にしていないだろう。出来ないことを要求するのは酷なことだ。


 こう言う時はどう言ってやるのが正解なのだろうか。今ここに、その答えが載っている解答用紙が欲しい。


「でも、私でも、思うんです。彼女はもう笑えないのに、私が笑っていいのかなって」


「むしろ笑いなよ」


「……どうして、ですか」


「じゃあ君は、死んだ人の為とか言って感傷に浸り続けて、感情を殺して、死んだように生きることを『生きている』って言えるのか?」


 腹が立つ。きつい言葉しかかけられない自分に、苛立つ。八つ当たりのように道路を強く踏みつけながら歩く。


 小さく空気を吸うと、少しだけ落ち着けた。黙り込んだままの浅葱に、僕は続ける。


「苦しむのも、笑うのも、なにもかも生きているから出来ることなんだ。せっかく命と一緒に与えられた特権を殺したら死者と何も変わらない。君は車に轢かれそうになった時、死にたくないと強く願ったんだろ?」


「……はい」


「じゃあちゃんと生きなよ。死が訪れるまで笑って、足掻いて藻掻いて、欲しい物は醜いほど執着して手に入れて、自分が生きられる方へみっともないほど手を伸ばして、そうしていつか死んだら親友に言ってやりなよ。君の分まで輝いた人生を送ったんだ、って。君のせいで笑えない人生だったなんて言葉をかけるより、断然いいと思うんだけど」


 自分で何を言っているのか分からなくなるくらい、口が勝手に回り続けていた。また傷付けるようなことを言っていないか、少しだけ不安になって浅葱の様子を覗き見た。


 俯かせていた顔を持ち上げて、きょとんとしたように僕を見ている。泣いてしまいそうなのか、潤んだ瞳が吸い込まれそうなほど綺麗で、視線を逸らせない。


「そう、ですね。確かに、桜のせいで笑えない人生だったなんて、言いたくないです」


「……だからさ、何も知らない周りの人に何かを言われても君は笑っていればいい。泣きたければ泣けばいいよ。君は、『君』を殺す必要なんてないんじゃない?」


 傷付いて、それでも前に進んでいく。辿り着きたい場所に、無理だったとしても手を伸ばす。


 僕はそんな人を醜いだなんて思わない。みっともないとも思わない。


 どれほど挫折をしても諦めずに足掻き続ける姿は、人の姿で一番美しいのではないだろうか。


「紫苑先輩、なにか私にしてもらいたいことって、ありますか?」


「は?」


「私ばかり迷惑かけているから、申し訳ないんです。私も、先輩に迷惑かけて欲しいんです」


 好き好んで迷惑を求める人なんて初めて見た。それに、僕だって充分迷惑をかけていると思っていたのだが、彼女にとっては迷惑とみなされていないみたいだ。


 僕の心無い言動のせいで振り回されているのは彼女にとって充分迷惑だと思う。


 何かを求めるつもりなどはなかったけれど、何かしら言わなければ浅葱は諦めなさそうだった。どこか頑固そうな瞳で僕を見つめながら歩いているから、目の前に電柱があることに気付かない。


 手を引いて僕の方に寄せると、浅葱は驚いたように「わっ」と声を上げる。引き寄せなければ電柱に突っ込んでいただろう。


「じゃあさ、マフラーだけじゃなくてもう一つなにかプレゼントをくれないかな。それでいいよ」


「本当に……もう一つだけでいいんですか?」


「それでいい。沢山物をもらうとなると僕が迷惑だ」


 駅に着き、不思議と会話が途切れた。改札を抜けてプラットホームで電車を待つ。あと数分もすれば来るようだった。


 蘇芳は待つことを分かっていて図書館を選んだのかもしれない。あそこなら、読書をして暇を潰すことが出来る。


 蘇芳のことを考えていたからか、ちょうど彼女からのメールが届いた。遅いという文句を覚悟して見たが、内容は全く別のことだ。


『東雲さんと甲斐崎も呼んだけど都合がつかないみたいです。まあ甲斐崎はあたしの知ってる情報全部知ってますから問題ないですけど、東雲さんには呉羽先輩から今日の話を伝えてくれないでしょうか』


 わざわざメールで言わなくても、会って話を聞かせてから言えば良いような内容だ。その文面を見て、ふと思ったことを口に出してみた。


「蘇芳って、枯葉は呼び捨てなのに東雲にはさん付けなんだね。僕には敬語を使うし、どういう基準なんだろう」


「私には先輩ってつけてくれますが敬語は使ってくれないんですよ……。多分、彼女の能力より優れている能力を持っている人に対しては敬語なんじゃないでしょうか」


「……一理あるかもね」


 そういえば東雲は蘇芳と枯葉と一度戦っているらしい。同時に相手にしたかは分からないが、蘇芳が東雲の能力を知っていても不思議ではない。相性の良し悪しはあるだろうが、東雲の能力は確かに強い。


 アナウンスの後、電車が停車して僕達はそれに乗り込んだ。目的地は三日市だから一駅だ。椅子には座らず、僕は扉の前の吊り革に、浅葱は扉の傍の手すりに掴まった。


「ところで、先輩はどうして甲斐崎さんを枯葉って呼ぶんですか?」


「え? 甲斐崎枯葉って名前なんだよね? 文字数的に甲斐崎より呼びやすいかなと」


「いや、あの……――いえ、やっぱり甲斐崎さんに紫苑先輩が怒られる場面を見てみたいので言うのをやめておきます」


 やはり浅葱もおかしい性格をしている気がする。僕が枯葉に怒られる場面を見て一体何が面白いのだろう。そもそも何故僕が怒られなければならない。


 その場面を想像しているのか面白そうにくすっと笑う彼女へ、僕は目を細めた。


「そんなに僕が怒られるところが見たい?」


「だって、いつも余裕そうな先輩が怒られたらどんな顔をするのか気になるじゃないですか」


「別に少し言い返すだけだよ」


 いつも余裕そう。彼女から見た僕は、余裕そうなのか。


 少しだけほっとして、僕も表情を緩めた。余裕に見えているということは、僕は彼女を不安にさせるような顔をしていないということだ。それだけで良かったと思えた。


「では、図書館への案内、任せてくださいね」


 電車が揺れて、停車する。扉が開いて、どこか楽しげな足取りで浅葱が下車をした。僕は普通に下りると、先を歩く彼女の背を見つめる。


「また紫苑先輩と甘いものを食べたいところですが、そんな時間はないみたいで少し残念です」


「昨日食べたばかりじゃないか。愛情欠乏症なの?」


「愛情……なんですか?」


 甘いものが好きな人は愛情が不足しているとよく聞くが、そうでもないような気がして「なんでもない」とだけ返した。


 浅葱は愛情不足ではないだろう。家族に愛されているような印象を受ける。


 駅を出ると、浅葱は歩きながら駅前の建物を指差した。クレープ店のようだ。


「あそこのクレープ、すごく美味しいんです。今度行ってみませんか?」


「ああ、うん。今度ね」


「やった……!」


     ◆


 それから浅葱と他愛もない話を交わしながら、ようやく図書館に着いた。弓張市にも図書館はあるが、三日市のものの方が大きいような気がする。


 自動ドアを通って中に入ると、浅葱が携帯電話を確認し始めた。


「えっと、蘇芳ちゃんはこっちみたいです」


 控え目な声だったが、それでも静かな館内には響く。靴音を反響させながら、入り口から真っ直ぐ進んで右手側に曲がり、立ち並ぶ本棚の前を通って行った。


 長い本棚を抜けた先に、テーブルがいくつか並べられていた。座って読書をしている人が数人。大抵の人が一つのテーブルを前に一人で座っている。


 それは蘇芳も同じで、一番窓際のテーブルに数冊の本を置いて読書をしていた。


 手に持たれている本は、分厚い。表紙には『グリム童話集』と書かれている。テーブルの上に置かれている本も童話だ。童話が好きなのかもしれない。


「蘇芳、遅くなってごめん」


「いえ。じゃあ場所を変えましょうか。これ、棚に戻してくるので少しそこで待っててください」


 紐の栞を挟んでから本を閉じると、蘇芳は立ち上がった。三冊の書物をまとめて持って、近くの本棚の方へ歩いていく。


 グリム童話のなでしこは、どんな物語だったろう。


 僕も蘇芳が読んでいたグリム童話集を読んだことがあるが、何年も前のことだから内容が思い出せなかった。


 蘇芳が栞を挟んだのがなでしこのタイトルが書かれているページだったため、今度来た時に読んでみようかと思う。思い出せそうで思い出せないこの感じが好きではない。


 三冊の本を片付けてくると、蘇芳はテーブルの下に置いていた鞄を肩にかけて、付いてくるよう視線で促した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ