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月の絵2

     ◇


 少しだけ涼しい気候になってきた。一昨日はブレザーを着ていて暑かったが、今日はそれほどでもない。少しずつ、季節が秋に向かっている。


 心地いい風に鼻歌を乗せたくなるが、隣にいる紫苑先輩に笑われるかと思ってやめておいた。


 欠伸をすると、紫苑先輩の目が私を向く。せめて口元を手で隠せばよかったと思ったが、先輩は私の顔なんて気にしていなかっただろう。


「……大丈夫?」


「へっ?」


 ただ欠伸をしただけなのに、先輩は本気で私を心配している。そんなにひどい顔だったのかと不安になった。もしかしたら昨日眠れなかったせいで、くまが出来ているのかもしれない。


 少し恥ずかしくなって、私は先輩に顔を見られないよう俯いた。


「えっと、大丈夫ですよ?」


「本当に? 無理はしない方がいいよ。授業中に寝たって構わないし、教室で寝るのが嫌なら保健室に行くってのもありだ」


 ポケットから折りたたみ式の小さい鏡を取り出して、私は自分の顔をちらと見てからすぐ仕舞い直した。くまが出来ているわけではなくて安心する。


 紫苑先輩はただ単に、私の寝不足を心配してくれていただけみたいだった。


「……ところでさ、浅葱があの世界に招かれたのは昨日? まだ能力が分からないって聞いたけど」


「あ、いえ。紫苑先輩に会った日です。能力は分からないんですけど、心当たりはあります。でもどうやっても使えなくて」


 夜だけおかしな世界にいることになるなんて、未だに信じられない状況だが、紫苑先輩も同じだということにほっとしている自分がいた。けれども先輩の顔は、とてもつまらなそうに歪められていた。しかし、私の視線に気付いてこちらを向いた相貌はいつも通りだ。


「心当たりって?」


「あの日、車に轢かれかけて絶対に間に合わないと思ったんですけど、間に合ったんです。だから、もしかして私はワープ出来るのかなぁなんて」


「そっか」


 紫苑先輩は短く返しただけで何も言わなくなる。しん、としたまま、人通りの少ない通学路を進む中、少しだけ気まずさを感じた。先輩の口数が多い方ではないのは知っているから、傍にいるのに互いに黙っていると何か喋らなければと思う。


 こんな心境を紫苑先輩が知ったら、笑うだろうか。


「先輩って――」


「浅葱。能力を使えないのは危険だし、使えたとしても君は危なっかしい。人兎は人の匂いを感知して、辿って、襲う。人がいるのが建物内だろうが関係ない。だから、次からは合流しよう。弓張市まで来れるかな?」


 小さく、私は頷いた。私の家は弓張駅と三日駅の中間くらいの所にあるから、行こうと思えば行ける。ただ、それまでに人兎に出会ってしまったらと思うと体が震えそうになる。


 能力を使えることが出来ればいいのに、まだ使うことが出来ないため、走って逃げることしか出来ない。


「合流場所は弓張駅だ。もし襲われたら自分でなんとかして。僕は君の危機を察知して駆けつけるなんてこと出来ないから」


「は、はい。それで、えっと、質問してもよろしいでしょうか?」


「質問? ……ああ、さっき何か言いかけていたね。遮ってごめん」


「いえ。紫苑先輩の能力は、どんなものなんですか?」


 蘇芳ちゃんは髪を操ることが出来、甲斐崎さんは心を読める。紫苑先輩はどんな能力なのか、興味があった。


「……能力者を捕まえている組織に目を付けられるから、普通の世界であまり能力を使うなって言われたんだけど……見せた方が分かりやすいか」


 彼は歩く速度を少し遅くして、ガードレールを指さした。何の変哲もないガードレールをじっと見つめていると、彼が何かを呟く。聞き取れなかったから聞き返そうとして――ガードレールが突然立てた大きな音に意識を奪われた。


「な……」


「まあ、こんな感じ」


 突然曲がったガードレールに驚きすらしない先輩は、溜息混じりにそう言った。その発言から察するに、今あれを曲げたのは他でもない先輩なのだと思う。


「え、っと?」


 それでも私の口から疑問符が飛び出したのは、信じられなかったからだ。というよりも、何が起きたのかをちゃんと説明してもらいたい。紫苑先輩が小さな声で「面倒くさいな」と呟いたのを私はしっかりと聞いていた。理解力がなくて申し訳がない。


「視界に入っている物体や人物に働いている力の大きさを自由自在に変えられる、って言ったらいいのかな。あそこに落ちている空き缶を浮かせることも出来るし、押し潰すことも、捻って歪めることも出来る。人の腕を折り曲げることだって容易だし、潰してしまうことも簡単だ」


 つまり紫苑先輩は、やろうと思えば簡単に人を殺せる。腕を折れるということは、きっと首だって折れるのだろう。そう考えると、少しだけ怖いなと思った。


 以前先輩が、「指を一本ずつ折られるのと首をゆっくり百八十度回転させられるのと爪剥がされるの、どれがいい?」と言っていたけれど、どれも簡単にやってしまいそうでつい手が震える。


 黙りこくってしまった私の顔を、紫苑先輩が覗き見た。


「浅葱?」


「え、あっ、ごめんなさい。なんでもないです」


「……別に良いよ。慣れているから」


 私が紫苑先輩を怖いと思ってしまったことが伝わってしまっている。それは明白だった。それでも先輩は、微笑んで、優しい目で私を見た。


 ――違う。優しい目、じゃない。先輩の目は、何の感情も宿していない。優しい目なのに、その奥には、感情なんて込められていない。


 慣れている、という言葉が私の耳に妙に残っていた。


 私だって同じ能力者なのに、先輩に怯えてしまった自分を罰したくなって手を強く握り締める。


「君はさっき、ワープ出来る能力を持っているのかもしれないのに使えないと言ったけど、移動出来る範囲が限られているんじゃないかな。僕や東雲の能力と同じように、見えている範囲限定っていう可能性がある」


「あっ、なるほど」


 その通りかもしれない。使ってみようと思った時、私は二回とも見えていない所に移動しようとした。横断歩道を渡りきりたいと望んだ時は、確かに移動先が見えている場所だった。


 能力を使えるようになれたら良いと思っていたが、瞬間移動のような能力でどう人兎と戦うのだろう。これでは結局逃げ回れるだけだ。協力者の紫苑先輩達の力にはなれそうにない。


「はぁ……」


「……溜息を吐きたいのはこっちだよ」


「ご、ごめんなさいっ!」


 咄嗟に謝ったけれど、ん? と首を傾ける。なぜ紫苑先輩が溜息を吐きたくなるというのだろうか。


「……ごめん、なさい」


 理由はどうであれ、きっと私のことだ。私が駄目な所ばかりだから、先輩も呆れてしまっているのだろう。だから、私はもう一度謝罪をした。


 はあ、と、紫苑先輩の口から大息が漏れる。


「いや、僕だってこれは想定外だったし。あー……納得いかない。気に食わない」


「そ、そんなに私が能力者であることが駄目、ですか?」


「は? ……別にそれはどうだっていいよ。僕が言っているのは君があちら側に招かれたことだ。君を死なせたくない僕は、面倒事が増えた」


 本当に、この人は正直な人だと思う。他人のことに関すると包み隠さず本心を曝け出しているのが常、みたいな。


 面倒だというのなら、しなくてもいいです。そう言いたかったものの、飲み込んだ。紫苑先輩は多分、正直だけれど素直ではない。優しい人だけれど、その優しさを自分では知らないような、そんな人だ。


「私、早く戦えるようになりたいです」


「別に無理に戦わなくていいよ。逃げていてくれれば」


「ですが、私も戦えるようになれば紫苑先輩の面倒事を減らせるじゃないですか」


 迷惑ばかりかけてはいられない。友達だから迷惑をかけていいと言う人もいるが、紫苑先輩が私に迷惑をかけないから、私も迷惑をかけたくない。


 だって、友達はきっと助け合うものだ。私ばかり助けてもらうのは、なにか違う気がする。私も彼の力にならなくては、いけないような気がする。


 だから、私はそうありたい。そうあることを誓うように、顔を綻ばせた。紫苑先輩は、こちらを見ていなかったけれど。


 前だけを見つめる瞳はとても静かで、何を考えているのかすら分からない。先輩は、『友達』をどういうものだと思っているのだろう。『私』を、どういうものだと思っているのだろう。


 まだ遠い彼との距離に、私は軽く目を伏せた。


     ◆


 浅葱と別れた後、教室に入ろうとした僕は瞳を細めた。


 扉の前で固まって立ち話をしている数人。すごく迷惑だということに気付かないのだろうか。僕の登校時間は早い方だけれど、こういった者との遭遇を回避するなら、もっと早く来なければならないようだ。


 僕の席は一番窓側、後ろから二番目の所にある。後ろから行った方が席は近いが、仕方ない。前から行くことにした。


「あっ、呉羽!」


 突然呼び止められて、僕は徐に振り返った。立ち話をしていた内の一人がおはようと言いながら僕に手を振ってくる。他二人は僕の様子をじっと観察していた。


 そういえば彼は昨日の昼休みも声をかけてきていた。二日連続で話しかけてきたとなると、何か用があるのは明らかだ。今日は昨日みたく立ち去らず、用件を口にされるまで待った。


「お前さ、文化祭どうしたい?」


 文化祭……もうそんな時期なのか。


 僕のクラスは確か喫茶店だった気がする。間違っているかもしれない。曖昧なのは、やる気がないから話し合いすらまともに聞いていないせいだ。


 どうしたい、と言われても僕の答えは一つだった。


「屋上でぼうっとしているつもりだけど」


「え、いや、働いてくれよ……」


 はは、と苦笑する彼は、かといって嫌な顔はしていない。彼の友人と思われる二人はあからさまに苛立っていた。それもそうだろう。非協力的で協調性のない人間は嫌われるものだ。


 繕うのが上手いとかそういうことではなく、僕に話しかけてきている彼は満面の笑みを浮かべた。多分、誰にでもこういう態度を取る人だと思われる。


「二時間立ってるだけでいいからさ! 楽しもうぜ文化祭!」


「ああ、そうだね」


 面倒くさい。というか文化祭まではまだ一ヶ月ほどあるというのに、なぜ既に楽しむ気満々なのだろう。楽しもうぜって言葉は前日くらいに言うべきなのではないだろうか。楽しむつもりなど一切ないが。


 適当に相槌を打って教室に入ろうとしたら、まだ話があるのか肩を掴まれた。自然な動作で、ついその手を振り払う。


「あっ、悪い!」


 払った僕が悪いだろうに、彼は本気で済まなそうに謝ってきた。目的を果たして行き場のなくなった手を、無言のまま身体の横に下ろすと、僕は彼の言葉の続きを待った。


「で、さ。女子の方の文化祭委員の飯田が、お前にメイド服着て欲しいって――」


「は?」


 何を言っているんだこいつ。いや、こいつじゃない。女子の方の文化祭委員の飯田とやら、何を言っているんだ。少し前の発言と合わせると、つまり僕にその屈辱的な格好で二時間立っていろという事になる。


「君が着てやれば?」


「いやぁ、俺じゃ背高くて似合わないだろ?」


「……もういいよね、じゃ」


 口元が引き攣り始めたあたりで、それを誤魔化すように彼へ背を向けた。今度こそ彼の声を全て遮断して教室に入っていく。


 確かに僕は背が低いかもしれない。いや、そうでもないと思う。百六十は超えている。大体身長がなんだというのだ。兄といい今の彼といい、身長を馬鹿にして何が楽しい。


 朝のホームルームが始まるまでまだ時間がある。僕は携帯電話を開いた。東雲からメールが来ていたから、それを開いて目を通す。


 何の用かと思ったが、そういえば僕が月のことを聞いたのだった。メールを見る限り、東雲も月だけが本物とかけ離れていることに気が付いていたみたいだった。


 気が付いていた、というだけでやはり『ウサギ』の意図は分かっていないらしい。


 もしかしたら、これについても蘇芳が知っているかもしれない。


 今彼女のことを思い出したおかげで、今日の十七時に三日市の図書館に行くということを浅葱に話し忘れていた。これを忘れずに後ほど伝えようと思う。


 それにしても、浅葱が心配だ。一睡も出来なかったのであろう眠そうな顔は、見た者が心配にならない方がおかしいくらいだった。


 あとで寝る時間を早くすることを勧めておこう。零時まで数時間睡眠をとれば少しはマシになるはずだ。


 ふと気付くと、僕は浅葱のことしか考えていない。話し相手すら元々いなかったから、話し相手が出来るとこうなってしまうものなのだろう。


 携帯を弄っていて電池が切れてしまったら困るから、電源を切った。前まで読んでいた小説はもう読み終えてしまったため、することがなくて窓の外をぼうっと眺める。所々色が変わり始めている木の葉が風で揺れていた。葉と空を眺めても面白味など欠片もない。


 なんて、退屈なんだ。


 日常が退屈なんて、ずっと前から知っている。孤独がつまらないことだなんて、とっくに分かっているはずなのに、今更退屈を覚えたような気になっているのは、おかしい。


 ――先輩って、教室に一人で、辛くありませんか?――


「辛くないに、決まってるだろ……」


 陽光が不愉快なほど眩しくて、僕は机に顔を伏せた。


 友達として浅葱と接することは、僕にとってそれほど楽しいことなのだろうか。そういうわけではないと否定したいのに、喪失感のようなものに襲われている僕にはそれが出来なかった。


 浅葱といると、かつての友達と過ごした日々を思い出す。その度に苦虫を噛み潰すような顔を浮かべそうになる。


 友達なんていらない。結局拒絶されるだけだ。そう思っていたから、浅葱との関係は彼女を死なせないための友達ごっこに近かった。


 彼女が能力者だと分かって、納得がいかない反面ほっとしたのも事実だ。同じ能力者なら――きっと拒絶されることはない。


 ――本当に?


 本当に、拒絶されないと言い切れるだろうか。


 彼女は僕の能力を見た時、言い逃れ出来ないくらいに怯えていた。そんな彼女が、人兎を笑いながら殺している僕の姿を見たなら。それでも彼女は僕から離れていかない、と自信を持って言うことは出来なかった。


 とはいえ、もし離れていったとしてもそれでも構わない。離れていきたければ、離れていけばいい。ともだち以外に生きていたい理由を彼女が作ったなら、僕はもういらない。


 初めからそうだったではないか。彼女が自殺願望を捨て、生きていたいと思えるようになればそれでいい、と。


 離れていったとしても、それを引き止める理由が僕にはない。


 僕は彼女と自分の身を守るために、化け物を狩り続けるだけだ。殺生から離れるために『ウサギ』を早く見つけ出して、殺す。


 それだけ。


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