表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/80

決して剥がれぬ微笑の仮面6

「はあっ、はっ、げほっ……!」


 乱れた呼吸だけを互いに漏らす。僕はすぐに落ち着いて、まだ苦しそうにしている蘇芳に相変わらずの微笑を浮かべる。


「僕は、楽しいから笑っているだけだよ」


「目は、全く楽しそうじゃ、なかった。……はぁ」


 蘇芳は立ち上がると、まだしゃがんだままの僕へ手を差し伸べてきた。それが何を意味しているか、聞かなくても分かった。長い髪が風に薙がれ、血の気の色が引いた顔ばせを隠そうとする。彼女は思いの外悔しそうではなく、小夜風と同じくらいの温度を両目に灯している。


「あたしの、負けでいい。協力者になってあげるわよ。あんたの能力、本当に『ウサギ』じゃなさそうだし」


「……そう、よかった」


 ああ、本当に疲れた。ならもう笑う必要なんてない。心で狂人を演じるのもこれまでだ。


 僕は蘇芳の手に触れたものの、自分の力で立ち上がり、辺りを見回した。曲がり角や電柱の陰を見ても人影はない。照明の落ちた建物内までは上手く窺えなかった。


「で。僕の心を読んで君に伝えていた君の協力者はどこにいるのかな? 彼の為に僕は下衆な戦闘狂を演じ続けていたわけだけど」


 その存在に気付いてすぐは、読まれても問題ない程度の心の声を言わなければと思った。浅葱の名が出てからは、彼女が僕にとって無関係であるという確証を得させるために演技を始めた。


 正直、浅葱がこの世界にいると聞いた時、認めたくないという強い思いが湧いて来て、それを誤魔化すのが一番大変だった。今思い返しても、浅葱がこちら側に招かれた能力者だということが許せそうにない。


 宮下浅葱をこちら側に招いた『ウサギ』も、そうなるように綴られていた運命も、僕はきっと許さない。


 どうしてか、浅葱がこちら側にいることは、わけも分からず憤るくらい納得がいかなかった。今更ながらに苛立って、馬鹿馬鹿しいなと息を吐く。


「――なるほどな、演技だったわけかよ。どうりでたまにおかしい心の声が聞こえてきたわけだ」


 少し離れた場所にあった店から出てきたのは、不良みたいな外見をしている男だ。蘇芳が言っていた通り、高校生のようだ。年上だろうか。


「ああ、俺は高三だぜ。協力者になるみてえだし、自己紹介しとくか。甲斐崎朽葉だ。……てかお前、いつ心が読まれてるって気付いたんだ?」


「蘇芳がおかしな会話の繋げ方をしてきた時だよ。僕が内心でぼやいたことと繋げると、彼女の発言は綺麗に繋がった。携帯電話に繋がったままのイヤホンを嵌めているのも連絡を取り合っているんだろうな、ってね」


 それにしても、完璧に繕えていたと思っていたが、ところどころ穴があったみたいだ。気付かなかった。


 けれども頑張った方だと思いたい。本心を隠すように心さえ嘘で固めなければならないというのは、少しどころではなくかなり難しかった。


「おい蘇芳、お前なにボロ出してんだよ」


「るっさいわね! 呉羽先輩じゃなかったらバレなかったわよ! 多分!」


「ところで、浅葱は?」


 浅葱の安否が気がかりで、思わず彼に詰め寄ってしまう。見上げた先で切れ長の目が丸められる。頭一つ分ほど高い位置にある間抜け面に、身長差のせいで負けた気分になって目を逸らした。


「何もしてねえよ。あいつも協力者だ」


 男――えっと、枯葉だっけ? 彼から浅葱の無事を確認するも、東雲のことが気になり携帯電話を開いた。東雲からは『ミッションクリアーです!』というメールが来ていた。本当に浅葱は無事みたいだ。ようやく肩の力が抜けていく。


「その、呉羽先輩」


「ん、なに?」


 携帯電話を仕舞おうとして、もしかしたら連絡先を交換するかもしれないと思い、手に持ったまま蘇芳の様子を覗き見る。今までの刺々しさはどこへやら。彼女はなぜか大人しそうに俯き、なかなか喋らない。


 枯葉がそんな蘇芳のことを全く気にせず、僕に声をかけてきた。


「なあ、一応聞いておきてえんだけど。お前本当に宮下の彼氏なのか?」


「違う」


 浅葱に気でもあるのか、枯葉は小さくガッツポーズをした。気付かれないように小さくしたつもりだろうか。それでも無意味だ、見えている。


 心の声が聞こえたらしく、彼は気まずそうな顔で僕を見てから背を向け――僕はいきなりぐいと腕を引かれて、危うく転びそうになった。


 蘇芳が折れていない方の手で僕を引っ張っていた。にこにこ笑っているが、その手はもう痛くないのかと聞いてやりたくなる。


「あのっ、協力者になったわけですし、先輩年上ですし。あたし、敬語使います」


「……好きにすれば?」


 いったい何の宣言だ。いや、確かにいきなり敬語で話されても変な物でも食べたのかと思うが、いきなり宣言されても戸惑う。


 やった、となぜか喜んでいる蘇芳から、視点を携帯電話に落とした。


「連絡先、交換しようか」


     ◆


 蘇芳と枯葉に案内をしてもらった僕は、三日市にある中学校の体育館へ足を踏み入れた。


 電気の点いた館内に入ってすぐ、人兎の死体が目に入る。僅かに顔を顰めてステージ側を向くと、そこには東雲と浅葱の姿があった。


 道すがら、東雲という協力者がいることは蘇芳達に話していたため、殺気立った空気は流れない。緘黙に靴音を響かせて、ステージの方へ近付いて行った。


「浅葱」


 実際にその姿を認めて、彼女がこちら側にいるのだということを、信じたくなくとも信じなければならなくなった。


 彼女の自殺を止めた直後にこれだ。偽物の世界に招かれて、彼女は死に近付くことになった。この世界での死が彼女にショックを与え、日常で笑えなくなったらどうする。ふざけるな、と吐き捨てたいほど憤懣が滲み出す。


 彼女が怪我をしているのを見て、人知れず噛み合わせた歯をぎりと軋ませた。


 招かれるべきではないような人間を招くことに、僕は苛立っている。普通の日常を過ごすべき人間を、こんな風に異常な世界へ引き寄せるなど頭がおかしい。


『ウサギ』の目的は、本当に何なのだろうか。


 むしゃくしゃしたまま凝然としていた僕に、浅葱が抱きついてきた。思わず目を見開いたが、ゆっくりと苛立ちが鎮まっていく。


 というよりも、鎮めなければという意思が働いていた。


「遅いです」


「……ごめん」


「いいえ、ごめんなさい」


 僕にしがみついたまま、顔すら上げない浅葱。どうして彼女が謝罪をしたのか、見当も付かなかった。


 謝るのは僕の方だ。彼女が知らない所でとはいえ、彼女をないがしろにしたのだから。


「私、先輩のこと、信じられなかったんです。ごめんなさい。先輩が、私のこと本当にどうでもいいと思っているって、先輩、優しいからそんなことないのに、私……」


 もう少し落ち着いて、何を言いたいかまとめてから話せばいいのに。今にも泣き出しそうな声を耳にして、僕はどうしたらいいのか分からなくなる。


 とりあえず、彼女の頭に手を置いてみた。


 柔らかで犬みたいな髪の毛だ。そんなことを思って、こんな状況にもかかわらず、僕は犬を撫でる感じで髪に触れていた。浅葱は少し動揺したようだったが、大人しくしている。


 かと思うと、いきなり顔を上げてきた。


「あの、紫苑先輩っ。私のこと心配して、東雲さんを来させてくれたんですよね。ありがとうございました。私、先輩のこと、だ――」


 あ、の形に口を開けたまま、浅葱は固まった。その顔がどんどん赤くなっていって、なんだか見ていて面白い。


 つい笑ってしまったのがいけなかったのか、浅葱に軽く突き飛ばされた。後ろにバランスを崩すと、何故か蘇芳が背後から腰に手を回してくる。


 正直抱きつかれるのはあまり好きではなく、思わず顔を顰めた。


「蘇芳何して――」


「宮下センパイ、あたしの呉羽先輩を突き飛ばさないでくださーい」


 僕の発言は無視か。というか勝手に人を所有物みたいに呼ばないで欲しい。


 僕はなんとか蘇芳の手を引き剥がし、浅葱と蘇芳の間から立ち去ることにした。東雲にお礼を言っていないことを思い出して彼のもとへ歩いていった。


「あたしの、って……え!? 蘇芳ちゃん!?」


「あたし、負けませんから」


「え、えええええ!?」


 体育館に響き渡る二人の声は大分うるさい。ただ、浅葱が楽しそうにしていると表情が緩む。今まで繕っていた分、自然と緩んでいく感覚はなんだか心地よかった。今なら綺麗な笑顔を浮かべられている自信がある。


 その表情のまま、僕は足を止めた。


「東雲」


 声をかけると、枯葉と話していた東雲がこちらを一瞥して、枯葉の後ろに隠れ始めた。枯葉の肩から顔を出して、僕を指さす。


「浅葱さんからなにか聞いたんですね! 私を懲らしめに来たんですね! おお怖い!」


 どうやら枯葉は盾代わりのようだ。わざとらしく怯えているが、そもそも東雲が何をしたのかすら知らない。


 そういえば、ここにいるのが浅葱だということを東雲には伝えていなかったけれど、どうやら僕が助けを頼んだことと、恐らく彼女の制服で分かったみたいだ。


 戸惑っている枯葉と震える東雲が可笑しくて、僕は唇を撓らせた。


「いや、お礼を言いに来ただけなんだけど」


「もしや何も聞いていませんか?」


「何、東雲お前僕に殺されるようなことでも――」


 ……。


 思ったより、時間の流れというのは早い。


 見上げていたのは、自分の部屋の天井だった。東雲を問い詰めたり蘇芳に他の能力者の話を聞いたりしたかったが、そんな時間はなかったみたいで、普通の世界に戻っていた。


 起き上がって時計を見ると、当然時刻は朝六時。あと一時間ほど寝られるだろうかと思うも、どうせ十分後くらいに紫土の目覚まし時計が鳴る。


 能力を使いすぎて疲れたせいかとてつもなく眠いが、学校に行けば眠ることが出来る。睡眠は授業中にとることにした。


 制服に着替えようとして、ずっと制服だったことを思い出す。欠伸を噛み殺しながら部屋の扉に手をかける。ポケットの中で携帯電話が振動して、指先が軽く跳ねた。


 階段を降りつつそれを取り出し、届いていたメールに目を通す。蘇芳からだ。


『他の能力者や『ウサギ』についてのことを話したいので、今日の十七時くらいに三日市の図書館に来てください。場所、宮下センパイなら分かると思います』


 分かった、とだけ返して、僕は洗面台の前に立って顔を洗う。


 少しだけ目が覚めたが、気休め程度だ。何の気なしに顔を持ち上げたら、目の前にある鏡の中の自分と視線が絡んだ。蘇芳と戦っていた時のことを思い出しながら、薄く微笑んでみた。


 ――目は、全く楽しそうじゃ、なかった――


 確かに、鏡に映る僕は酷い顔だ。壊れそうと言われても仕方がない気がする。どうして僕はこんな目をしているのだろう。


「……――っ」


 気付いたら、鏡に手を叩きつけていた。割れなくて良かったと思う。ただ、手の側面が痛むだけだ。何をしているのかと笑ってしまいそうなくらい、殴った理由が掴めなかった。


 浅葱の前でもこんな顔をしているのか。そう思うと、自分が許せない。浅葱に花のような笑顔を向けてもらいながら、僕はこんな微笑しか返してやれないなんて。


 いつからだろう。目の色が、こんなに冷たい絵の具で塗られたのは。


 鏡に映る瞳の奥は、暗くて黒くて、何も見えない。僕は――彼女といる時、何色の目をしているのだろう。彼女といる時、上手く笑えているだろうか。


「……浅葱」


 僕は彼女を死なせないと決めたから、人兎からも能力者からも守らなければならない。


『友達』だから。


 ――友達というのは、嫌な響きだ。


 もう名称なんてどうでもいい。友達だからとか、協力者だからとかどうでもいい。


 死なせたくないから、死なせはしない。僕が『友達』という単語を素敵なものだと思えるまで、理由はそれでいい。


 宮下浅葱を、死なせはしない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ