決して剥がれぬ微笑の仮面4
「あんたが、『ウサギ』?」
制服と身長からして中学生くらいと見受けられる。片耳にイヤホンが嵌められているのを見て、僕は彼女の質問に答えずしばし思案する。
音楽を聴いている、というわけではないだろう。とすれば、協力者と連絡を取っているのかもしれない。その考えに至ると、彼女を視界の端に入れつつ周囲に目をやった。
顔を僅かに動かしたら、それを許さないと言わんばかりの勢いで彼女の髪が眼球に迫る。
「聞いてんの? あたしの質問に答えなさい」
「昨日も変な奴に同じ質問をされたけどさ、愚問だよね、それ。違うと言ったところで信じる気はないんだろ?」
「しらばっくれる気? 『ウサギ』が高校生だってのは分かってんのよ」
「高校生がこの世界に僕だけだと?」
と言ったものの、本当に僕だけだったとしたらこれ以上言うことはない。
それにしても、興味深い情報が手に入った。信じるわけではないが、『ウサギ』は高校生なのか。これが本当なら、人兎の中に『ウサギ』は混ざっていないことになる。
「あたしはもうこの世界にいる奴らを見たことがあるわ。あんたを見るのは今日が初めてじゃない。いつも弓張駅あたりをうろうろしてるわよね。あんた高校生だし、なにより『ウサギ』っぽい」
「ぽい、で人を勝手に『ウサギ』扱いしないでくれる?」
彼女を説得して協力者に出来れば、良い情報が多く得られそうだ。僕の顔には自然と笑みが浮かぶ。それを見てか、彼女の表情は歪んだ。納得がいかないと言いたげな面貌だった。
「あんた、本当に『ウサギ』じゃないわけ? この世界で高校生はあんたとあたしの協力者ともう一人。もう一人は自分の能力すら知らない女よ? あんたしかいないじゃない」
「まず教えて欲しいんだけど、『ウサギ』が高校生だってどうして分かる?」
『ウサギ』について分かるのはそうぞうの能力者だということだけだ。一体どこから『ウサギ』が高校生だと言う情報が流れているのだろう。彼女の話を信じるなら高校生は三人。そのうちの誰かを陥れようとした者がいてもおかしくはない。
『ウサギ』本人が、自分を疑いの目から避けるために適当な情報を与えた、という可能性も考えられた。
「あんたポーカーフェイスとかそういうの得意でしょ」
長い沈黙の後の開口は、僕の眉を顰めさせた。答えるつもりはないということと、僕が『ウサギ』であることを信じて疑わないことを告げられた気分だ。
自分よりも年上の言葉なら信じてしまうのか、それとも、その情報を持っている相手に彼女が惚れていて、信じざるを得ないのか。それ以外にも理由は色々と考えられるが、情報源となる人間の人物像を思い浮かべられる理由はそれくらいだ。
黙ったまま考えて込んでいると、なぜか彼女は片足を上げて道路を思い切り踏みつけた。
「信憑性が! あったからよ!」
突然声を荒げられても、何にむきになっているのか理解が追いつかない。彼女の発言と結びつくものを見つけるのに、しばしの時間を要する。
「ああ、『ウサギ』が高校生だという情報に、ってことか。君さ、話の繋げ方おかしいから国語を勉強するか本を読んだ方がいいんじゃない?」
多分、違う。そういうことじゃない。
…………。
――切り替えるべき、か。
「うるさい! あんた、いい加減にしないと彼女ぶっ殺すわよ!?」
「は?」
かのじょ。それが誰を指しているのか分からず疑問符を投げた。僕の協力者は東雲だけだ。まさか東雲が女だったなんていう展開は絶対にあり得ない。もしそうだったらあいつがそうぞうの能力者ではないかと疑うくらいだ。
首を傾げて少女を見つめる。
「誰のこと、それ」
「はあ!?」
それにしても、うるさい。東雲といい、なぜこうも他人の鼓膜を破る気満々で声を発するのだろう。もう少し声のボリュームを考えた方がいい。
それを訴えるように細めた瞳を向けたら、彼女は瞠目していた。
「か、彼女じゃないっての!? 同じ制服で、しかも携帯に写真が入ってたのに!?」
「……」
思い当たる人物は、一人だ。
宮下浅葱。
思い当たってすぐに、僕は目の前の少女を嘲笑った。いや、浅葱を思い浮かべた自分自身を、と言った方が正しく思える。
「誤解じゃないかな? 他人の空似だよ」
「他人の空似って、あんたが凡人顔だったらそうかもって思ったけど、その顔で空似はないでしょ」
「世界には似た顔の人が三人いるって言うよね。知らないの?」
「だとしてもよ! あれはあんたでしょ? 知らないなんて言わせないわよ? この女のこと!」
イヤホンが繋がった先はやはり携帯電話だった。突き付けられる画面には一枚の写真が映っている。
その人物は、否定しようが無いくらいに浅葱その人だった。
――紫苑、先輩。もし、ですよ。もし……――
「ああ、そういうことか」
もし。その先に続けられるはずだった言葉がようやく見つけられた。彼女はやはり、僕に相談しても意味がないと判断した言葉を続けようとしていた。
もし、自分がこの世界に招かれた能力者だとしたら。きっとそのような内容の言葉を言おうとしたのだ。
心の中で乾いた笑みが漏れた。この程度のことで乱れそうになっている心を笑って、平静を保とうとする。
「で? 浅葱がここにいるから、なに?」
彼女はつまり、僕が『ウサギ』で浅葱が『ウサギ』の協力者だと言いたいのだ。どんな思考をしていたら、頭のネジが数本抜けているような浅葱を敵とみなせるのだろうか。
「え……」
僕はそんなに可笑しなことを言ったつもりはない。というのに、携帯をポケットに戻そうとしていた少女の動きがぴたりと止まった。
きょとんとした顔で僕を正視しているけれど、その表情を浮かべたいのは僕の方だ。
「なんであんた、そんな素っ気無いの?」
「は?」
「彼女なのよね……? あんた、今の写真見たでしょ!?」
彼女ではない、と否定するのも面倒くさくなって、苦笑する。
写真の中の浅葱は椅子に座ったまま縛られていた。目が閉じられていたし、眠らされたのだろう。だけれど今の僕は、浅葱を助けに行くなんていう選択肢を選ぶつもりは無かった。
僕はなんとなく感じている違和感から、この状況を楽しむという選択肢を選ぶことにしていた。
「君が僕に何を求めているか知らないけど、こちら側にいる人間の思考回路が普通だと思ったら大間違いだ。そんなことよりも、僕は戦うことの方が好きなんだよ」
見て分かるくらいに動揺している少女の前で、僕は堂々と携帯電話を取り出す。開いて、目的の画面まで操作する。
声には出さず、胸中で「ごめんね」と呟いた。もちろん、浅葱が殺されないことを祈っておくが、助けには行かない。
「な、なにしてんのよあんた!」
「何って、浅葱にメールでもしてやろうかと思ったんだけど。そうか、失礼だねこれ。女性の前で別の女性に構おうとするのはいけないことか……ごめんね、子猫ちゃん」
東雲の言葉をこんな時に使ってみるんじゃなかった。自分が気持ち悪すぎて口から体内のものを全て吐き出しそうだ。
顔にはひたすら微笑を貼り付けて、少女をにこりと見据える。子猫ちゃんという呼び方は中学生の女の子に対して効果的だったのかもしれない。そう思うくらい、彼女の顔はみるみる赤く染まっていった。
「こ、ここ、ねこ、ちゃん……?」
「まあそんなことはどうでもよくてさ」
「どうでも!?」
もしかしたらまた余計な一言を言ったかもしれない。少しだけ後悔したけれど、携帯電話をポケットに仕舞い直してそのまま続ける。
「せっかく綺麗な星空の下にいるんだ。……綺麗に〈飛んで〉みせてよ」
「!?」
少女の体が宙に浮く。物を浮かせたことは何度もあったが、人を浮かせたことは初めてだ。彼女同様、僕も目を丸くしていた。
人ってこんな風に飛ぶのか、と宇宙空間にいるような光景をぼんやりと見ていた。しかしすぐに次の行動を起こすべきだったと悔やんだ。
「このっ!」
ツインテールの片方が伸びて、電柱に絡み付く。僕の能力に力尽くで抗うよう、元の長さに戻っていく髪の方へ少女の体は引かれる。
電柱に衝突する手前で地面に足を着くと、少女は猫のように目を吊り上げて僕を睨み付けた。
「待ちなさいよ」
「君の能力、髪を自由自在に操れるって感じかな」
「交渉しない?」
敵を見る目つきのまま僕にそう言ったのは、能力的に勝ち目がないと思ったからだろうか。しかしやりようによっては彼女に負けると思う。
だが、待てと言ったということは、もとから戦うつもりはなかったみたいだ。仮に負けるとしても楽しめればいいと思っていたから、戦いに発展しないのは残念だった。
それでも唇で弧を描いてみせると、少女は警戒心を強めたようだ。もっと怯えてくれたって構わない。
「一応話は聞いてあげるよ」
「……あんたが抵抗せずに殺されてくれるなら、宮下浅葱を助けてあげる。嫌だって言うなら、あたしの協力者が彼女を殺すわ」
電話を繋いでいる理由が明らかになり、気になることは無くなった。注視する必要の無くなったイヤホンから興味を失くした後、悩むことなく小さく笑ってやった。
「悪いね、僕は自分の命より他人を優先なんかしないよ。自己犠牲とかそういうの嫌いなんだ。というか彼女は味方でもなんでもない。偽りの友達、っていうのかな。そんな関係だから、彼女が死のうが生きようが、僕には関係ない」
「な、によ、それ」
「そうだ、僕からも一ついいかな? 僕が君を戦闘不能にしたら、協力者になって欲しいんだけど」
「そんなことより! 本当に殺すわよ!?」
子猫の方が利口なくらい騒がしい。今すぐ強制的にその口を塞いでやりたい。大体初対面の僕に何を期待しているんだ。
そんな、人としておかしい、みたいな目で見ないで欲しい。
僕だって――。
はっとして、己の手を握り締めた。爪が食い込んだ手の平が痛む。ふっと息を吐き出すと、自然と口端が緩む。
どうでもいい。本当に下らない。殺すから何だ? 僕は痛くも痒くもないし、面白いことでもない。僕にとって何にも利益がない。
普通に笑ったつもりの僕の顔はどう見えただろう。少女は幼い子供のような顔で肩を震わせた。その姿を見て確信し、余裕が湧き出す。
こんな少女では、僕の表情一つ剥がせない。
「殺せばいいだろ。僕はそんな面白くない言葉に興味なんてない。同じ言葉を返してあげるよ。『そんなこと』よりも、僕の提案に答えてくれない?」
「人の命が、そんなことだって言うの?」
不愉快――いいや、滑稽だった。
「っはは、なにそれ。僕というつまらない存在の発言一つで簡単に宮下浅葱を殺そうとしてる君が、何を言ってるんだよ。君にとっても他人の命って軽いものなんだろう? ほら、殺しなよ。とっとと協力者に『その女を殺せ』って叫べば? ……もしかしてさ」
――笑え。
ひたすら、狂ったように笑え。ああそうだ、他人の命がなんだっていうんだ? 助けるとか助けないとか馬鹿馬鹿しい。そんな仲間ごっこ、僕にはなんの娯楽にもならない。
早く歪めよう。折り曲げて砕いて、押し潰して突き飛ばして、静寂に甲高い悲鳴を響かせるんだ。ここはそれが許される世界なんだから。それを娯楽にしないと。
口角は、自然と上がっていく。
「怖いんだよね? ま、言うだけなら簡単だ。本当は殺すなんて出来ないんでしょ?」
「っ、甲斐崎! もういい、殺して!」
甲斐崎。それが協力者の名か。一応記憶しておくが、名前なんて知ったところで正直なんの得にもならない。
少女は叫んだ後、今までよりもどこか大人びた表情を浮かべた。数秒前まで五月蝿かった彼女には似合わない冷静な顔だ。
「さっきの話、嫌だと言ったら?」
「嫌だと言ったら君に恐怖を植え付けるくらい苦しめながら聞きたいことを吐かせるだけだよ」
「……いいわ。あんたが本当にあたしを倒せたら、協力者になってあげる。それと、あたしだけあんたの名前を知ってるのもどうかと思うから教えてやるわ」
少女の名前などに興味はない。それに、名前を知られていることに僕は気付いていなかった。
「あたしは河内蘇芳。中学二年生よ」
「へえ、そう。僕は高校二年だよ、よろしく。知ってるなら名乗らなくていいよね」
「ええ。じゃ、呉羽先輩。――手加減しないわ! 『参った』って言わせてやるんだから!」
――ああ、なんて疲れるんだろう。
少しでも気を抜くわけにはいかない。僕は、心から狂人じみた笑いを浮かべ続けなければならない。けれど挑発するように、心で冷笑した。
奥にかくまった声は、聞かせてやらない。




