光太郎
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母さんが、室内を横切り庭に出てゆく。ダイニングテーブルのテーブルクロスを、両手で持ち、日向でパタパタと払っている。
光でテーブルクロスの一部が反射して、ゴールデンレトリバーの光太郎がじゃれついているみたいに見える。と思ったら、光太郎がやって来た。
光太郎は母方の爺さんの名前だ。光太郎を飼う事になった時、母さんが光太郎を抱きしめて「光太郎にする!」と、泣きながら連呼して決めた名前だ。
母さんに言わせると、光太郎の顔は爺さんに似ているらしい。家に来る前は、処分場にいた。今は庭で寝ている。石をのっけて。
母さんは洗濯物を干し始めた。母さんの周りを光太郎が嬉しそうに、ピョンピョン跳ねながら吠えている。
でも、大丈夫だ。俺以外の他の人には聞こえない。元気のいい奴だったからな、生前は静かにするよう、よく説得したっけ。
母さんは今度はキッチンへ行き、冷蔵庫を開けながら、ちゃんと料理して食事するのよ、と言う。母さんの足元で、光太郎が、自分の皿にジャーキーを入れてくれと吠えるが、母さんには聞こえないらしい。
昔も食事時間外なのに、何度もおやつが欲しいと、せっつきに来てたっけ。オヤジは、母さんの声にスルーしている。
大丈夫だよ母さん。
ちゃんと料理して、写真を撮り、入院していた母さんに写メ送っていただろ。
その他にもネットにアップしているし。
オヤジはダイニングテーブルの椅子に座り、新聞を読んでいる。新聞を読み始めたら、声を掛けても聞こえない。
新聞に夢中だ。ま、いつもの事だ。
母さん今度は、庭に面した窓際で窓を全開にして、日向ぼっこがてらアイロン掛けを始めた。
光太郎は体を庭に下ろし前足だけ部屋の中にいれ、アイロン掛けしている母さんを嬉しそうに見上げている。
光太郎は母さんが大好きだったからな。
尻尾をパタパタと思いっきり振っている。
庭で寝ている身だから、土煙は上がらないが、なんだか溜め息が出そうになる。
そんなに、母さんが好きだったんだ。
まあ、そうだったかもな。何もかも母さん任せだったからな。
弟の大志はバイ トにはまっていて、情報誌を食い入るように見ている。
あれは、はまっているとは言わないかもしれない、狂っていると言える域に達しそうだ。
なにが、そうさせるんだろうか。
入院費なら、オヤジと俺の給料で大丈夫なのに。
母さんの入院中は、3人で交代で食事を作り、母さんが大事にしてる花には、早朝オヤジが水をあげてるし、風呂と部屋の掃除は、俺と大志の交代制だ。心配するなって。
いつの間にか母さんがいない。
「母さんが来ていたのに、消えちゃった。」と言うと、オヤジがガタンと急に立ち上がった為、椅子が倒れた。
大志を見ると、目が飛び出そうなくらい見開き、口を開けている。
ああ、そうだっけ、見えるのは、俺だけだった。
大志は「バイトに行く。」と言って、うつむきながら出かけてしまった。
悪い事をした。
オヤジはというと、隣の和室にある仏壇の前に行き、正座してチンと鳴らしてから
「大丈夫だよ。母さん。」と言って、写真を眺めてる。
俺は傍にいき、おずおずと伺うように「どんな風だったか聞く?」と声を掛けると
「いや、大丈夫だ。きっと母さんのことだ、洗濯物を干したり、アイロン掛けをしてるんだろ。」
さすがオヤジ、合ってます。
少し安心して
「母さんが来たから嬉しくて、光太郎まで庭から出て来た。母さんの周りを嬉しそうに付いて回ってたよ。ジャーキーが欲しいとせっついていたよ。」
すると「ははは、あいつはおやつ好きだったからな。」
言えそうだなと、感じたから
「母さん冷蔵庫を開けて、ちゃんと料理して食事しろって言ってた。」
オヤジが呆れたように
「なんだ、それは。やってるよなあ。輪番制で頑張ってやってるって言っておいてくれよ。」
「俺、見えて、聞こえるだけだから…。」
「そうか。…元気そうだったか?」
「うん、昔と全然かわらない。賑やかそうで、忙しそうだった。」
「母さん気が向いたら、向こうからやってくるみたいだな、まだ居るみたいな気分になるな。」
「大志には、悪い事をした。つい、ポロッと出ちゃって。」
「大丈夫だ。あいつもわかっている。その内に、見えなくても聞こえなくても、居るって気がつく。……将来お前達の彼女が挨拶で家に来る事になった時、母さんきっと来るぞ。
前日からなぜその洋服なんだとか、どうしてその色の靴下を選んだんだとか言うぞ。」
「ははは、言いそう。俺だけが聞いちゃうんだ。……なんかちょっとやだな。」
「俺にはわからないから、好きなのにする。ふむ、良かったかもしれないな。…また来るか?」
「うん、たま~~~にだけど。」
「なら、いい。うん、うん、うん。」
「オヤジ、俺…この家…壊さないでずっーと使い続けるから、ずっーと住み続けるから。」
「そうか、そうか、ありがとうな。」
「庭で光太郎も待ってるし、…光太郎スッゴく嬉しそうで、尻尾を土煙が上がりそうな位パタパタさせてた。」
そして2人でいつまでも、庭で寝ている光太郎の石を見ていた。