ホワイトデーに返礼を(2)
「ふふん…なぁに?」
「…。」
一瞬、目をぱちくりさせた少女。
が、すぐにその顔が不遜と傲慢でいっぱいになる。
上から目線のエルレーンに対し、ラグナは無言。
「ご用はなぁに?ラグナ」
「くっ…」
勝ち誇ったような、からかうような表情。
この間の座談会で、自分の意図をすでに知られてしまっている…そして今日が3月14日である以上、ここにあらわれた目的は明らかだ。
透明な瞳をきらきら輝かせて、いたずらっぽくこちらを見返す。
「やりたいことはわかっちゃってるんだよ?」とでも言いたげに。
…悔しいが、いまさら繕っても仕方ない。
大きく息をついてから、ラグナはつっけんどんに言い放つ。
「…ついて来い」
「えっ?」
「いいから、ついて来い!」
「…どうして?」
背を向けたまま声を荒げるラグナに、きょとん、となる少女。
困惑している背後の気配に、彼はなおも重ねてこう言うだけ。
「どうだっていいから!」
そう言い捨てて、後は勝手にずんずん道を歩きはじめる。
しばし、ぽかあん、となっていたエルレーン…
だが、どんどん先に行ってしまうラグナの後ろを追いかけて、てふてふと走り出した。
街の風景がだんだんと変わり、高いビル群が目立ちだすようになる。
やがて、青年の歩みが、ぴたり、と止まる…
「…。」
そこは、真っ白い外壁の眩しい、やや大きめのホテル。
一階には、瀟洒な雰囲気のカフェコーナー。
ちょうど午後はスイーツバイキングを行っているようで、白いクロスのかけられた長テーブルの上に、趣向の凝らされたケーキたちが色彩の豊かさを誇っている。
ガラス越しに見える店の中では、客の誰もが楽しげにケーキの山に見とれ、迷い、おしゃべりに興じながら舌鼓を打っている…
「…は、入るぞ」
「え?どうして?」
前を向いたままぼそぼそと言うラグナに、根がややサディスト気味なのか…わざとらしく、なおも追い打ちをかけるエルレーン。
…効果は、覿面(そう、だから面白いのだ)。
かあああっ、と、血が昇っていく様子がはたから見ていてもはっきりわかる。
「あっ…!あ、あんなやり方をされたとはいえ!…一応、その、…もらうものはもらってしまったから!」
ふん、と大仰に息をついて。
「れ、礼みたいなものだ!…好きなだけ喰うがいいさ」
乱暴な口調で言い放つ緑髪の青年。
そんな彼の顔を、エルレーンはじっ、と見つめる…
「…うふふ」
「ッ…な、何だ、じっと見るな、気持ちの悪い!」
昼下がり、3月中旬。
ぽかぽかとあたたかい春の日差しが、透明なガラスを突き抜けてきらめく。
ずらり、と行儀よく並んだスイーツに、誰もが目を奪われる。
あれもこれもそれも、どれだって食べたい。
ちょうど軽食にはいい時間帯。
女子大生のグループや、奥様方がおしゃべりする声がさざめく店内…
その中に、あの二人組。
テーブルの上をとってきたケーキでいっぱいにして。
添えられているのは、砂糖を入れた甘いコーヒーと紅茶。
「はぅ、次はこれ…」
「…それは私が取ってきたものだ。欲しければ、自分で取りに行け」
「…ラグナのけち」
心底くだらない言い争いをしながら、ケーキを食べる二人。
その場の雰囲気に似合わない憮然とした空気を振りまいている青年は、また、ため息を一つつく。
ちらり、と、その赤い瞳が動き、目の前の少女を射た。
…彼の最大の宿敵は、ケーキの海に夢中だ。
普段はぽやぽやして、こんなふうに油断だらけの癖に…何度戦っても、奴の剣舞は自分を凌駕する。
同じ師に学んだ剣術が、何故…?
だが、今、彼の眼前に在るのは…剣を握った時とはまったく違って見える、憎悪の対象。
宝石のようなスイーツたちに目がくらんでいるエルレーン。
…心底憎んでいる怨敵と同じテーブルを囲み、スイーツをつついている。
はたから見れば、この光景が他人の目にどのように映っているか…
簡単に思い浮かぶが、あえて非モテ騎士はその思考を押し殺してしまう。
これはあくまで返礼だ、ただの返礼だ、と何度も何度も頭の中で繰り返し、ひたすらにケーキを口に運ぶ。
いちごのショートケーキ、ガトーショコラ、フルーツロール。
「…。」
モンブラン、シュークリーム、ミルフィーユ。
「…。」
アップルパイ、カスタードプティング、コンフィチュールのかかったスコーン。
「…。」
ホテルの喫茶だけに、上品な甘さに仕上げられた美味。
とても美味しいのにもかかわらず、ラグナは仏頂面をしたままケーキを食べ続ける。
視線をやれば、目の前の仇敵はうふうふ微笑みながらケーキを次々と食べている…
と、あまりに食べることに夢中になっているものだから気付かないのか、その唇の端にクリームをちょっぴりつけている。
「…。」
「え、何?…あぅ」
ナフキンを一枚取り、無言のままエルレーンの口元に腕を伸ばす。そのまま口を拭う。
少女は唐突なラグナの行動に面喰らうも、やがて恥ずかしそうに微笑んだ…
けれども、彼はそれを敢えて見まい、見まいとしている。
…ずうっと、視線を外したまま。
ふてくされたような、怒っているような、困っているような顔で。
頬をわずかに赤く染めたまま、がつがつとケーキを食べ続けている。
だが、せめて。
せめてもの自己弁護に。
非モテ騎士は、やっぱり少女に目線を向けることのないまま、わざとらしく凄みを利かせた口調で告げるのだ。
「い、いいな?こ、こんなのは今日だけだ…次に会ったら、殺すぞ!」
「うふふ、おいしかったねぇ」
「…。」
もう詰め切れないくらいに、おなかの中にケーキを詰め込んで。
カフェコーナーを後にした二人組の間に、会話は成り立たない。
長身の青年は、背にかかる少女の声を全く無視し、前だけ見つめて歩き続ける、かつ、かつ、かつ。
短髪の少女は、めげずに大きな背中に向かってしゃべりかけながら歩き続ける、てふ、てふ、てふ。
かつ、かつ、てふ、てふ。
二種類の足音。ばらばらのリズム。
「また行きたいね?」
「…。」
「…もうっ!」
かつ、かつ、てふ、てふ。
問いかけの合間を埋めるのは、足音だけで。
少女が苛立った声を上げるも、青年は断固として無視を続ける…
と。
かつ、と、硬い足音が立ちどまり。
分かれ道。
相変わらずエルレーンの顔も見ずに、あさっての方向を向いたままに短く言い放つラグナ。
「…ではな。次は殺す」
照れ隠しなのか、剣呑な言葉を最後に添えて…
ふいっ、と顔をそむけ、自宅へとさっさと帰ろうとした。
「あっ、待って…」
が。
「!」
強く、左腕をひかれた。
何をする?!と、湧きおこる怒りに満ちた表情でエルレーンに振り返った…
その、刹那。
「ッ?!」
突如、左頬に触れる、柔らかい感触。
それが、軽く背伸びした少女の唇であることに気付いた瞬間には、もう遅かった。
思いもかけない状況にあっけにとられ、ぽかん、となるラグナ。
立ち尽くしたまま呆然としている長身の青年の顔が、やがて…かあっ、と紅潮していく。
言葉を失った彼に、エルレーンは嫣然と笑いかける。
「今日は、ありがとうなの」
「あ、ッ…」
「うふふ、…じゃあね!」
そうして、軽く手をふって彼女は駆けていく。ラグナを置いてきぼりにして…
見る見るうちに小さくなっていくその背中を、声もかけられずに見送る。
やがて、姿が消えてから、やっと…
悔しさが顔にあらわれる、困惑と動揺と羞恥もないまぜになって。
「くっ…」
真剣な殺意を向ける自分に対し散々手ひどくからかってきて、かと思えば恥ずかしげもなくあんなことをやってのける。
「だ…だから私は嫌いなんだ、あの女が…」
耳まで真っ赤になった、非モテ騎士。
もにょもにょと呟かれたそのセリフは、まるで敗北宣言そのものだった。