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メリークリスマスを君に

作者: あれっくす

 呼び鈴が鳴って玄関のドアを開けると、僕の腰くらいまでしか身長がない少女が可愛らしく立っていた。辺りに大人の影はない。

「どうしたの?」と訊ねてみる。

「ママが、ここで待っていなさいって」

 これは困ったことになった。この部屋に済むことになって半年以上経つがこういったお客様、もとい迷子が来なかった月はない。ほとんどが大人だったが。

「ママはどこに行ったのかな?」

 子供がドアを叩くのは初めてであるが、対応は大人と同じで構わないはずだ。言葉を丁寧にして、前の住人ではないことを伝えればいい。

「知らない。遠いところ」

「どうしてここに来たのかな?」

「ここで待ってればいつか迎えに来るからって、ママが」

 つまり、捨て子と言うことだ。あまり聞こえのいい言葉ではないがほぼ間違いないだろう。世の中はクリスマスムード一色、何もこんな日に捨てることないだろうに。

「ごめんね。僕は君の期待に添えそうにないよ」

 少女は意味が理解できないらしく無垢なまなざしをこちらへ向けていた。これは警察に届けるしかあるまい。しかしなぜこの部屋の元の住人に押しつけようだなんて思ったのだろうか。

 今までのお客様はガラの悪いのが半分以上だった。田舎に住んでた頃には見られなかった本物のヤクザもここへ来た。詐欺に遭って文句を言いに来たおばさんもいた。子供は一人も来ていない。

「警察に行こうか」

 僕はドアを閉めて少女の手を握った。

 途端に少女の瞳が潤んできて、今にも泣き出しそうなほどにまでなった。

「アタシ、悪い子じゃない。良い子にしてた」

「そうじゃなくて……」

 僕が泣かせているみたいだった。このままでは僕が警察のご厄介になりそうなので手は離して「じゃあ、どうしようか?」と聞いてみた。

 無言で僕の部屋を指さした。

 部屋に入りたい、と言うことで良いのだろうか。良いんだろうな。今まで女性を連れ込もうと思ったことは何度かあったがことごとく断られていた。まさか自分から入ろうとする女がいるなんて。まあ、少は付くけど……。

「でも、僕が家に入れたら問題あるからさ。人さらいか何かみたいだし」

 少女はポケットからおもむろに一万円の紙幣を取り出し、僕の手に握らせた。とても冷たい手だった。たぶん相当長い間外にいたのだろう、部屋の中で暖まっていた僕の手はそれを氷か何かと勘違いしてしまいそうだった。

「――わかったよ」

 僕はドアを開けて小さな客人を部屋に招き入れた。決してお金の為ではない。断じてない。寒そうな彼女が可哀想だったからだ。

 僕の部屋は六畳の和室にキッチン、ユニットバス、そして押し入れが付いた何とも監禁に適した部屋だった。さらに家賃が三万円なのだから、監禁と言わずとも愛人と会うのに使ったり浮気をするのに使ったりと用途を探すのに苦労はしない。恐らく前の住人はそういう使い方もしていた人間だろう。

 少女が寒そうに見えたので、最近節約のために使っていなかったエアコンをかけた。あと何か暖かいものを作ろうと思って冷蔵庫を開けたが、板チョコ半分しか残っていなかったためそれを与えることにした。これで我が家の食料はなくなった。

「仕方ない。僕の大好物を進呈しよう。心して食えよ」

「ミカも大好き」と、にこにこした笑顔で言ってくれた。

 あと、一万円札は返しておいた。


 時計を見ると昼を回っていた。

「ベッドは?」

 部屋を見ると少女が走り回っていた。これは失敗したな、やっぱり警察に連れて行っておくべきだった。

「ないよ。和室だからな」

「アタシんちにはあるよ。アタシのとママのと」

 僕は急いで万年床と化している布団を上げようとした。さすがにこの状況で布団があったらまずい。

「いいなあ、ベッド。僕もベッド欲しいよ。シングルじゃない奴」

「買えば良いじゃん」

 しかし、少女が邪魔で布団がたためない。

「おい、少女。ちょっとそこどいてくれ。布団がたためない」

 何を思ったのか少女は奇声を発して僕に突進してきた。本来ならこんな質量の物体に負けることはないのだが、布団を引っ張っていたため押し倒された。

「アタシにはミカという名前があるのです! であるからして……」

 馬乗りされているのか、僕は。なんか地味に屈辱的だぞ。

「わかったよ、ミカちゃん。ちょっとどいてくれ」「ちゃん、は付けないで。子供っぽく聞こえるから」

 ミカの年齢は大体、小学校低学年くらいに見える。幼い頃の記憶は薄れる一方ではっきりとしたものではないが、僕が小学校の頃はクリスマスは楽しみだったと思う。この子はその事を一切口にはしない。僕が他人だからだろうか。

 起き上がって再び布団をたたむ。

「お前、お昼食べたのか?」

 冷蔵庫に食材があるわけではないが一応聞いておく。

「食べてない。だってママいないんだもん」

 そう言えば、この子は父親の話をしない。ベッドの時も父親は出てこなかった。あまり家にいない父親なのかもしれないがベッドがないのはおかしくないか? いや母親のベッドがダブルなのか。

 しかし困った。何を食べさせれば良いんだ? このくらいの子供が好むものって……、やっぱり母乳か。もちろん僕は出せない。でも打って付けの人物を知っている。

 と。

 呼び鈴が鳴った。もしかしたらこの子の親かもしれない、という淡い期待を胸にドアを開けた。後ろからミカも付いてくる。

「ちょっと! 昼間っからうるさいんだけど! まあ、朝でも夜でもうるさけりゃ怒鳴り込んでくるけどね、アタシは」

 京子さんだった。僕の部屋の真下に済む女性で、僕の大学の二年先輩に当たる人物だ。確か今年二十一になったと思う。母乳が出せそうな巨乳の持ち主だ。性格は荒い。

「ちょっと! その子誰? もしかして隠し子? あ、でも奥さんいないからなあ」

「本物の子って可能性はないんですね」

「面白くないからね。でも認知しなさいよ。楽になるわよ」

「僕の子じゃありませんから」

「そうやって嘘ついて。お姉さん知ってるのよ。アンタが影でシコシコやってるのを。あれ? いや、でも、もしかして……誘拐?」

 はあ、と溜め息を吐いてそっとドアを閉めた。後ろではミカが不安そうにこちらを見ていた。表情の一つ一つが大人っぽくて子供であることを忘れそうだ。女の子は男よりも大人って聞くから精神年齢は僕より上なんじゃないだろうか。そしてたぶん玄関で泣きかけたのは演技だろう。

 居間に戻りたたんだ布団を押し入れに突っ込んだ。

「っておい! 答えは聞かせなさいよ」

 遠くで京子さんの声が聞こえた。




「かくかくしかじか……」

「へえ、そうなんだ、って言うと思った?」

「駄目ですか? やっぱり」

 京子さんは僕の部屋に上がり込んで事情の説明を強要してきた。警察を呼ぶとまで言い出したのだから説明しないわけにはいかない。

「冗談で聞いてるんじゃないんだから真面目に答えてよ。かくかくしかじかなんて今時中学生でも使わないわよ」

 京子さんは教育系の学部で学んでいて、最近教育実習をしに中学校へ行ってきたばかりだから、中学生でも――、が口癖になっている。ミカは部屋の隅でかくかくしかじかを唱えていた。

「簡潔に説明したいんだけど、ちょっと言いづらいって言うか」

 子供の前で捨てられたなんて言えるわけないだろう。その辺京子さんにも察して欲しい。

「とにかく困ってるから、助けて欲しいんだけど」

「じゃあ誘拐じゃないって証拠、見せて」

「ミカ、こっちおいで」

 ミカは前と同じように僕に突進してきた。

 僕は座っていたのであっさり押し倒された。

「どうよ。これで誘拐じゃないってわかりますよね」

「よくそこまで調教出来たわね。二人とも褒めてあげる」

 ミカはわけもわからず喜んでいる。いや、わけはわかっているが京子さんを敵に回したくないと思っているのだろう。ミカは賢い子なのだ。

「冗談よ。それで何を手伝うの?」

 母乳……、と言おうとしたが思いとどまった。これでは変質者ではないか。

「メシ!」

 ミカの笑い声だけが聞こえた。

「いや、このくらいの子がなに食べるかわからなくて……。ミルクとかかなあ、なんて思ったりもしました。でもやっぱり、京子さんに聞くのがいちばんかな、と。一応教育学部ですし」

「つっこみどころが多すぎてなんて言ったらいいか……。とりあえずこのくらいの子はミルク飲まないわ。牛乳は飲むけど。て言うか、それくらいわかりなさいよ! ねえ、きみいくつ?」

「八歳」

「ほらね。あと教育って育児じゃないから」

 言い負かされた気がした。それに八歳ってミルク飲むんじゃないのか?

「アタシが何か作ってあげようか?」

「残念ながら冷蔵庫は空ですよ。ついでに言っておくと鍋もフライパンも包丁もありません。さあ、どうします?」

「よくそれで生きてこられたわね」「コンビニ行けば何でもありますからね」

「そんなんじゃいつか病気になるわよ。そうだ! せっかくクリスマスなんだし、パーティしましょうよ。調理用具とか買い揃えてさ。そしたらアンタも明日から料理とか出来るし」

「お客さんもいることだしね」

 僕はミカの方を見た。会話に参加できなくて寂しそうにこちらを見ていた。

「クリスマス? 赤の日?」

「何だそれ? クリスマスだよ、クリスマス。わかるだろ? そう言えば京子さん、彼氏さんは良いんですか? 今日クリスマスですよ」

「……うん。もう良いのよ」

 気まずい空気が流れる。ミカもそれを察して黙っていた。

「じゃあ杉山、あんた留守番ね。アタシとミカちゃんで買い出し行ってくるから」

 もう杉山じゃないんだけどなあ、と言いかけたが面倒なのでやめた。去年、母と父が離婚して苗字が変わったのだ。僕の家は婿養子で、父に引き取られたから苗字が母の杉山から父の末次になった。京子さんは前の苗字で呼ぼうとする。毎回訂正しようとするのだが頑なに僕を杉山で呼ぼうとする。

 服の袖が引っ張られた。ミカが僕の服を掴んでいる。身長が低いのでつり革に掴まっているみたいだ。

「ハァ……」

 京子さんの溜め息が聞こえる。

「さあ、行きましょ」と言ってミカの、僕を掴んでいない方の手を引いた。ミカは激しく首を振る。

「どうやって調教したの?」「してないって」



 結局僕まで買い物に付き合わされることになった。よく考えると車を出せるのが僕だけだったのでこうなることは決まっていたのだと思う。

 僕は愛車のRXー7をアパートの駐車場から出しながら考える。ミカは前の夫に預けられただけなのではないかと。前の住人が子持ちだったとはな。そう考えれば辻褄が合う。たぶん母親は子育てに疲れたのだろう。

 ――しかしミカにそんなことは関係ない。急にミカが哀れに思えてきて僕はブレーキを踏んだ。駐車場の入り口には京子とミカが待っている。五十メートルくらい先にその姿が確認できる。

 このまま……、このままアクセルを噴かしてミカを轢き殺せば、悲しい思いをせずに済むのだろうか。五十メートルあれば子供一人殺すのには充分くらいには加速できるだろう。

 近頃犯罪者の思考に近付いている気がする。気を付けないと。

 いつものように急加速させ入り口手前でブレーキを踏んだ。タイヤがぼろいので効きが悪いが充分止まれた、はず……。

「ちょっと危ないじゃないの!」

 窓を叩きながら京子さんが言っているのがわかる。すぐに窓を開けた。

「ちょっと驚かせようと思って」

「殺されるのかと思った」

 横ではミカがぼーっとしていた。

「乗って」

 僕は二人が乗ったのを確認すると車を発進させた。

 初めに百貨店で調理器具を買うことにした。食材は最後でないといけないらしい。

 調理器具売り場には見慣れない金属やら木材やら合成樹脂で出来た何かが大量にあった。こういう物一つ一つにも意味があるのに。

「とりあえず杉山、今いくらある?」

「これだけ」

 財布を取り出してみせると中には千円しかなく小銭もほとんど残っていなかった。

「だっておごりだと思ってましたから」

「アタシもこれしかないわよ」

 そう言って京子さんは財布を取り出した。中には千円とポイントカードがあるだけだった。

「大の大人が揃いも揃って千円だけって……」

 僕は二千円以内で買える物を探してみたが用途のわからないものばかりだった。それに一つか二つ、何か買えてもそれだけでは役に立たないことが多い。

「給料まだ引き出してないし、銀行行ってきます」

 確かここの一回に銀行があった気がする。僕はエレベーターまで戻ろうとした。

 服の袖が引っ張られる。ミカが引っ張っていた。

「ミカもついてくるか?」

 首を振る。京子さんが来てからミカは一言も口を聞いてくれない。

 ミカは自分のポケットに手を入れそっと何かを差し出してきた。お守りみたいだ。相当でかい。僕の掌くらいある。

 それを僕に押しつけてくる。銀行に行くのにそんなのいるのか。

「何か入ってるんじゃない? お金とか」京子さんがそう言ってお守りを受け取ろうとするとミカはそれを振り払い、再び僕に差し出してきた。

 しかたがないので僕が受け取った。重みはそんなにない。

「中、見てみる?」

 ミカは力強く頷いた。

 巾着の結び目をほどき中を見てみると、紙が入っていた。紙幣だ。一万円だ。十枚ほどある。

「これママから貰ったの?」

 僕がそう聞くとミカは再び頷いた。僕は巾着を閉じきつく結んだ。

 これは、困ったことになった。この子の母は今頃、この世には居ないかもしれない。

「ちょっと、杉山。なんで閉じるのよ。何が入ってたの?」

「お金。十万」

「なんで? この子ほんと誰なのよ? なんであんたが、かくまってるの? ホントは訳あり何じゃないの?」

「昼に家に来たんだ。ママにここで待ってろって言われて。この子の母親ってのが、たぶん前住んでた人の知り合いか、もしかしたら奥さんで」

「アタシてっきりアンタの姪っ子か誰かだと思ってた。アンタそれ、真に受けたの? 見ず知らずの子を家に入れて……」

「外は、辛いだろ」

 ミカは一人蚊帳の外、という感じで僕らのやりとりを眺めている。それより僕にはやらなければならないことがある。

「アンタおかしいわよ! 普通そういうときは警察に届けて」「今さらそんなこと言ってもどうにもならない。この子の母親を捜さなきゃ」

「なんで? なんでそうなるのよ! そんなこと、警察に任せておけば良いのに……」

 僕は自分の考えを言おうかどうか迷った。ミカがいる前で言って良いのか、逆にパニックになるだけじゃないのか。しかし他に方法がない。

「母親が死にかけてる。……たぶんだけど。普通口減らしに子供を捨てるときお金なんか持たせない。自分で精一杯だからな。お金を持たせる時は、自分に余裕があって子供が邪魔なときか、自分を犠牲にするときだ。この子は母親によく懐いていたみたいだから、余裕があったら母親は捨てない。だから――」

 僕はそこで一瞬、どもった。直接言って良いものか。

「ママが、自殺」

 強い子だと思った。八歳ってこんなものなのか。この子が普通じゃないのか。僕なら泣き崩れるか、理解が出来ずに途方に暮れるというのに。

「それこそ警察に言うべきよ! そんなこと、アタシ達の手に負える訳ないじゃない!」

「それじゃ間に合わないんだよ。僕は母親を探しに行く。ミカは付いて来るか?」

 ミカは小さく頷いた。

「京子さんは?」「ア、アタシは……」

 時間がない。

 僕はミカの手を引いて駐車場へ向かった。



 駐車場には僕の愛車が来たときと変わらず置いてあった。普段はただの燃費の悪い車だけど、急いでいる時には頼りになるはずだ。

「ミカ、何かママの行きそうな所に心当たりはある?」

 言った後でそれでは駄目だと思ったが聞いておいて損はないと思い訂正はしなかった。

「海」

 この近くには有名な自殺スポットがある。確か海の方だ。名前は詳しく覚えていないけど何とか岬だったと思う。岸壁で身投げをするのだ。そこが最初の目的地だ。

「後ろだけど、しっかりシートベルトして。飛ばすから」

 僕はいつものようにアクセルを噴かし百貨店の駐車場を出た。

 市街地を抜けると一気に辺りは田舎になる。そして建物が少なくなってきた辺りで大きくアクセルを踏み込む。岬までは山一つ超えなければならないからこれくらい早くからスピードに乗せておいた方が良い。

 今までにないような思い切りでアクセルを踏み込む。最速でたどり着けないなら死んでもいい。ミカの母親が死んでしまうならミカは生きていても辛いだけだ。僕が死んでも悲しむ人はいないからそれでいい。

 直線があると車は二百キロ近くまで加速する。カーブのたびに百キロ弱まで減速する。この時のために全てがあったんだと思いたい。

 山を越えると海が見えてくる。真昼の太陽で輝く海が憎い。

 海岸沿いに進めば自殺スポットは見えてくる。時間にして後五分くらいだろう。

 間に合うだろうか。間に合わないかもしれない。



 休憩所のようなものが見えてきてそこに車を停めた。車を停められるのはここだけなので、可能性があるとすればこの辺りだろう。

「ママの名前は?」

 そういえばまだ聞いてなかった。

「文枝」

「ありがとう。危ないからミカはここで待ってて」

「イヤ」

 この反応は予測していたが、仕方ない。文枝さんを説得しなければならない事態になったときこの方が有利だろう。

 二人で岩場を歩いて数百メートルほど移動した頃、ミカが何かを見つけた。波打ち際に何か引っ掛かっている。

「ママのハンカチ!」

 よく見るとハンカチに見えなくもない。崖の高さは二十メートルほどあるのでしっかりとは見えないが白い物がそこにはあった。

「アタシ取りに行く」「危ないから」

 そう言って制止した。死なせてやる方が良いのかもしれないが、あまり良い気分にはならないだろう。我ながら自分勝手だと思う。さっきまで死なせてやった方が楽だと思っていたのに。

 でも母親の生きている望みは少ないだろうと思う。本気でこの子の行く先を心配しないといけない。そうなったら、やっぱり僕は警察に連れて行くんだろうな。ここまで関わっておいて投げ出す自分がイヤになる。

 それから数時間、日が傾くまで僕らは見つかるはずのないミカの母親を捜し続けた。



 生者とも死者とも顔を合わすことはなかった。日が暮れる前に家に戻った方が良さそうだろう。二人とも昼食を摂っていなかった。

「ミカ、ごめんな」

 理由もなく謝った。謝るべきなのは母親なのだろう。もし仮にあそこから身を投げていたとして、最期の瞬間に謝罪の言葉を呟いたのだろうか。

 ミカは黙ってフロントガラスを見つめていた。

 帰ったら銀行からお金をおろしに行こう。そして何か美味しいものをたくさん食べさせてやろう。そうじゃなきゃ報われない。

 クリスマスなのに……、クリスマスなのに。

 アパートの駐車場に車を入れ部屋に戻った。玄関に灯りが点いていた。

「空き巣かな」

 隣を歩いていたミカに呟いた。反応はない。

 二人とも精神が参っていた。今家から空き巣が出てきても無抵抗だろう。

 ドアを開けた瞬間、中からパン、という乾いた破裂音が聞こえた。銃でも撃ったのだろうか。

「メリークリスマス! 二人とも湿気た面しちゃって、なんか悲しいことでもあった?」

 京子さんだった。手にはクラッカーが握られておりさっきのはそれを鳴らした音だろう。

「京子さん……、ありがとうございます」

 救われた気がした。この人の空気が少し僕らの気持ちを柔らかくしてくれる。

 部屋の中はクリスマス色に飾られており部屋の隅には小さな、ミカくらいのツリーが飾られていた。

「これ、どうしたんですか?」

「自分で買ってきたの。飾りもツリーも全部。飾り付けは――も、だけど」

 僕らが探している間京子さんもいろいろ考えていてくれたのだろう。暖かい気分になった。京子さんに少し好感が持てた。

「さあ! 食べよう。二人とも席について」

 和室の中央にテーブルがあってそこにオードブルが乗っていた。キッチンを見ると調理した跡があったためこれは京子さんの手作りだと断定できる。

 京子さんはエビチリを指さして言った。

「これが一番おすすめだな、やっぱり。とりあえず全員ノルマ二個ってことで」

 ノルマ制のオードブルがあるなんて初めて知った。

「それじゃいただき」「待った! クリスマスと言ったらあれでしょ、アレ」

 歌か? しかしこんな気分では歌えない。表面ではもう悲しんでいないが、まだ元通りとはいかないはずだ。特にミカは。

「歌?」とミカが言った。

「惜しいね。プレゼントだよ、プレゼント」

「それって食べ終わってからじゃ駄目なんですか?」

「いやどっちでも良いんだけど、今回ばっかりはそうもいかないというか……」

 何だか煮え切らない態度に苛ついた。僕もミカもお腹が空いているんだ。頼むから食べさせてくれ。

「僕、プレゼント用意してませんよ」

「アタシからミカちゃんへ。それだけしか用意してないから、アンタは変な気回さなくても結構よ」

 京子さんは押し入れの前に立ち取っ手に手をかけた。

「メリークリスマス!」と言う京子さんの声と同時に押し入れが開け放たれた。

 押し入れの中には半分泣きかけた女性が座っていた。

「ママ!」

 ミカが駆けていくのと同時に女性が押し入れから出てミカを抱きしめた。見ているこっちが恥ずかしくなるような再会だった。

「スギヤマ、残念ながらアンタの推理は外れね。この通り文枝さんは生きてるわ」

 文枝さんはミカにしきりに謝っていた。

「でも、ここのにずっと隠してたんですか。文枝さんを」

「いやアンタの車さあ、変な音するじゃない。それにここで車使うのアンタくらいだし。だからさっき隠したの」

「でもなんでここに文枝さんが?」

 文枝さんは抱きしめていたミカを話すと語り始めた。

「すいません。あの人が、あ、前の旦那のことです、ここを出て行ったとは思っていなかったんです。それで……ミカをお願いします、とあの人に電話をかけたら今ハワイにいるって言うもんですから、びっくりして戻ってきてしまったんです。本当にお騒がせしました」

「その電話はどこからかけたんですか?」

「この近くの海のそばから、ケータイでです。お恥ずかしいことながら自殺しようと思っていたんです」

 心の中で勝ち誇った気分になって京子さんをチラッと見る。

「でも、あの人から復縁しようって言われて……、それで引き返してきたんです。駄目な人間ですよね」

 僕は何も言えなくなって黙っていた。

「今からハワイに発ちます。何かミカを預かって貰ったお礼をしたいとしたいと思うんですが、それについてはまた後日連絡したいと思いますので、連絡先を教えていただけないでしょうか?」

 僕は住所と電話番号を書いた紙を手渡した。ここで遠慮できない辺り貧乏人の性を感じられる。

「では、失礼します。本当にありがとうございました」

 ミカが母親の手を離して僕の手を引っ張った。全身の体重をかけて引いてくるので割と強かったがグッと耐えた。

 手を振り解いて「じゃあな」と言ってやった。

 玄関まで見送ってドアを閉めて部屋に戻ろうとしたとき再び服の袖が掴まれた。

「ミカ、やめなさい。お兄さん困ってるでしょう?」

 文枝さんの制止を聞かずにミカはグイグイ引っ張ってくる。僕はその引っ張る方向が外ではなく下であることに気づいた。引っ張られるのに任せてしゃがんでみた。

 ミカの顔が近づいてきて何かが頬に当たった。文枝さんはクスクスと笑っていた。

 二人を見送ったあと、部屋には僕と京子さん二人だけになった。

「やっぱり調教してたのね。なんかちょっと妬ける」

「してないって。でもこれ全部食べられるのかな」

 僕はテーブルのオードブルを見た。二人で食べるには多すぎるように見えた。

「ノルマ、四つに増量ね」「そうだね」

「明日からここに住んでも良い?」「え」

「彼氏に金、持ち逃げされて、もともと結構家賃滞納しててさ。追い出されちゃったの」

 京子さんは悪い人ではないし一緒に暮らすのも良いな、と思った。料理も上手いみたいだし、家が明るくなっていいと思う。

「僕はいいですよ」

「じゃあ食べよっか」

 いただきます、と言ってエビチリを一つ口に入れた。

「今の取り消し」

 それから三日間、トイレが僕の部屋になったのは言うまでもない。

ありがとうございました。

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