↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

第1話 「フィールドの支配者、死す。」


スタジアムを埋め尽くす、八万人近い観客。


その中心に、俺は立っていた。


白いユニフォーム。


胸元には、誰もが知る王冠のようなエンブレム。


――ルアレ・マドリード。


世界最高峰のクラブの一つ。


俺――豊田すばるは、今日、このクラブの一員として初めてピッチに立つ。


「……本当に来たんだな」


思わず呟く。


子供の頃からテレビで見ていた場所。


いつか、ここでプレーしてみたい。


そんな夢を、本当に叶えてしまった。


しかも――。


俺の移籍金は、三百億円。


日本人選手としては、考えられないような金額だった。


それだけ期待されている。


それだけ、このクラブは俺を必要としてくれた。


「豊田、準備はいいか?」


監督に声をかけられる。


「はい」


俺は頷いた。


そして、ピッチへと歩き出す。


観客席から、地鳴りのような歓声が降り注いだ。


「すばる!」


「トヨダ!」


「Vamos!」


その声を聞きながら、俺は笑った。


――最高だ。


俺は今、この場所でサッカーをしている。


◇


豊田すばる。


二十四歳。


ポジションはMF。


日本人として初めて、イタリアの名門インテレで中心選手として活躍した男だ。


特徴は、圧倒的なボール奪取能力。


相手のパスコースを読み、次の動きを予測する。


そして奪ったボールを、一瞬で攻撃へと変える。


昨シーズン、インテレが挙げたゴールのほぼ半分に、豊田すばるが絡んでいた。


アシストだけではない。


自らゴールも決める。


いつしかイタリアのメディアは、彼をこう呼ぶようになった。


――フィールドの支配者。


そんな男が今、ルアレ・マドリードのユニフォームを着ている。


「さあ、いよいよキックオフです!」


日本のテレビ局による生中継。


スタジオでは、元日本代表選手とサッカー解説者が画面を見つめていた。


「いやぁ、すごいですね。豊田選手が本当にルアレ・マドリードのピッチに立っています」


「日本人選手がここまで来るとは……感慨深いですね」


「しかも移籍金は三百億円!」


「それだけの金額を払う価値があると、ルアレ・マドリードが判断したわけです」


画面がピッチへ切り替わる。


すばるが中央に立つ。


「さあ、始まります!」


――ピーッ!


試合開始。


「ルアレ・マドリード、まずは後方からゆっくり組み立てています」


ボールが最終ラインから中盤へ。


すばるが下がってボールを受ける。


「おっと、豊田がここでボールを受けました!」


相手選手が一人、距離を詰める。


すばるは一度だけ首を振った。


右を見る。


左を見る。


そして――。


相手が動くより先に、ボールを前へ運んだ。


「うまい!」


「今のは相手のプレスを完全に外しましたね!」


観客が沸く。


すばるはそのまま中央を進む。


相手MFが二人、寄ってくる。


しかし――。


すばるは二人の間へボールを通した。


「おおおっ!」


前線の選手へ。


「素晴らしいパス!」


だが、シュートはGKに阻まれた。


「惜しい!」


すばるは手を叩く。


「ナイス!」


まだ始まったばかりだ。


そして――。


前半二十二分。


相手が中央から攻撃を仕掛ける。


パスがMFへ入った。


「ここは注意です。相手が中央を使ってきました」


解説者がそう言った瞬間。


すばるが動いた。


「――あっ!」


相手選手がボールを受けた、その瞬間だった。


すばるが横から滑り込む。


ボールだけを正確に奪う。


「取った!」


「すごい!」


観客が一斉に立ち上がる。


そして、すばるはすぐに前を向いた。


カウンター。


味方が右サイドを駆け上がる。


すばるは迷わない。


「そこだ!」


一本のロングパス。


右サイドへ完璧に通る。


「素晴らしい展開です!」


味方がクロス。


中央へ走り込んだすばる。


「豊田も入ってきた!」


ボールが来る。


右足を振り抜いた。


――ズドン!


ネットが揺れた。


「ゴーーーーール!!」


スタジアムが爆発した。


「豊田すばる!」


「ルアレ・マドリード加入後、初ゴールです!」


すばるは両手を広げる。


仲間が駆け寄ってくる。


「すばる!」


「最高だ!」


俺は笑った。


こんなに嬉しいゴールは、いつ以来だろう。


◇


前半三十五分。


再び中盤。


相手がパスを繋ぐ。


すばるはじっと相手を見る。


「豊田選手、今ほとんど動いていませんね」


「はい。でも、あれは相手のパスコースを見ています」


「なるほど」


「豊田選手はボールを追いかけるというより、相手が次にどこへ出すかを予測しているんです」


次の瞬間。


相手がパスを出した。


――そこに、すばるがいた。


「奪った!」


ボールを奪う。


そのまま前へ。


味方が中央を走る。


すばるは一瞬だけ相手DFを見る。


そして――。


右足で、鋭い縦パス。


「通った!」


味方が抜け出す。


そのままシュート。


ゴール!


「アシスト!」


「これで豊田選手、今日一ゴール一アシストです!」


スタジアムが揺れる。


すばるは拳を握った。


まだ終わらない。


前半終了間際。


またしてもチャンス。


今度は左サイド。


すばるがボールを持つ。


相手DFが寄せてくる。


すばるは一度止まった。


そして――。


逆サイドへ大きく展開。


味方が受ける。


中央へクロス。


ヘディング。


ゴール。


「決まったぁぁぁ!」


「これで豊田選手、前半だけで一ゴール二アシスト!」


実況の声が響く。


「とんでもないデビュー戦になっています!」


解説者も興奮している。


「いや、本当にすごいですね。ルアレ・マドリードのデビュー戦ですよ? それで前半だけで一ゴール二アシスト。しかも全部、豊田選手が試合を動かしています。」


スコアは――。


3-0。


そして、前半終了。


◇


朝のワイドショー。


イタリア・ミラノで撮影した街頭インタビュー。


「豊田すばる選手について、どう思いますか?」


マイクを向けられた中年男性が笑う。


「すばる? もちろん知ってるよ!」


男性は親指を立てた。


「彼は間違いなく世界のトッププレイヤーの一人だよ!」


今度はインテレのユニフォームを着る少年。


「僕もすばるみたいなMFになりたいんだ!」


さらに別の女性。


「インテレを離れたのは寂しいけど……ルアレでも絶対に成功すると思うわ」


映像が終わる。


スタジオに戻る。


「世界の豊田! 日本の誇りですねー」


◇


後半開始。


俺はピッチへ戻った。


3-0。


最高のデビュー戦だ。


(あと45分)


まだ終わっていない。


もう一度、ゴールに絡んでやる。


そう思った。


相手のキックオフ。


ボールが前線へ蹴り込まれる。


俺は走った。


いつものように。


相手より先にボールへ。


そして――。


相手選手と身体がぶつかった。


「――っ!」


次の瞬間。


視界が反転した。


後頭部に――。


強烈な衝撃。


相手選手の膝が、俺の頭を直撃した。


ゴキッ。


聞いたことのない音がした。


身体から力が抜ける。


(……え?)


倒れる。


芝生が近づいてくる。


観客の声が遠ざかる。


誰かが叫んでいる。


「豊田!」


「医療班!」


俺は動けなかった。


頭の中が、真っ白になる。


(……俺)


まだ。


まだサッカーをしたい。


ルアレ・マドリードで。


もっと。


もっと――。


そこで、俺の意識は途切れた。


◇


――暗闇。


何もない。


音もない。


光もない。


(……死んだのか?)


答える者はいない。


ただ、暗闇だけが続いている。


どれくらい経ったのか。


わからない。


一日なのか。


一ヶ月なのか。


一年なのか。


時間という概念すら、ここにはなかった。


俺はただ、そこにいた。


何もない暗闇の中で。


(サッカー……)


ふと、思い出す。


ルアレ・マドリードのピッチ。


八万人近い観客。


歓声。


仲間の笑顔。


前半3-0。


一ゴール、二アシスト。


夢だった舞台。


ようやく立てたのに。


(もっと……やりたかったな)


悔しい。


悔しくてたまらない。


でも、どうすることもできない。


声も出ない。


手も動かない。


ただ、意識だけが残っている。


そして――。


長い。


長い時間が過ぎていった。


一日。


一週間。


一ヶ月。


それとも、もっと長い時間だったのか。


俺にはわからない。


ただ、暗闇の中で。


俺はずっと、そこにいた。


やがて――。


遠くから、何かが聞こえた。


ドクン。


……ドクン。


小さな音。


規則正しい音。


ドクン。


ドクン。


その音は、少しずつ大きくなっていく。


(……なんだ?)


暗闇の中で、俺は耳を澄ませた。


ドクン。


ドクン。


まるで――。


誰かの心臓の音みたいだった。


そして。


その音が、最後の一度だけ大きく響いた。


ドクンッ!


――光。


突然、目の前が真っ白になった。


◇


「おぎゃああああ!」


声が聞こえた。


……俺の声?


いや。


違う。


でも、泣いているのは確かに俺だった。


「元気な女の子ですよ!」


身体が動かない。


目も、ほとんど見えない。


誰かに抱き上げられた。


「……女の子」


男の声。


その声は、少し震えていた。


俺を抱きながら、泣いている。


「元気に生まれてきてくれて、本当によかった……」


その声を聞きながら、俺は必死に考えた。


(……俺は?)


手を動かそうとする。


動かない。


足も。


首も。


身体の感覚すら、思うようにならない。


(なんだよ……これ)


声を出そうとする。


「……っ」


出ない。


口から出てきたのは――。


「おぎゃあああ!」


(……なんでだよ!)


状況を知りたい。


俺はどうなった?


ここはどこだ?


あの試合は?


ルアレ・マドリードは?


でも、何一つ伝えられない。


そんな俺を、男は優しく見つめていた。


「小さいな……」


そして、少しだけ笑う。


「俺の娘……」


俺の娘。


その言葉を聞いた瞬間。


胸の奥に、妙な感覚が生まれた。


俺は、その男を見上げる。


ぼんやりとした視界。


よく見えない。


それでも――。


この人が、俺の父親なのだと。


なぜか、そう思った。


「名前は?」


誰かが尋ねた。


男は少しだけ考える。


いや。


きっと、もう決めていたのだろう。


そして。


俺を見つめながら、静かに口を開いた。


「エリザベスだ」


(……エリザベス?)


「この子は、エリザベスだ」


その名前を聞いた瞬間。


俺は理解した。


俺は死んだ。


豊田すばるという男の人生は、終わった。


あのピッチに立つことも。


ボールを蹴ることも。


憧れだったルアレ・マドリードで戦うことも。


もう、二度とない。


そして――。


今。


俺は、生まれた。


別の世界で。


女の子として。


――エリザベスという、新しい人生を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。