EP 3
帝国ホテルの最上階、貸し切られたスイートルーム。
分厚い絨毯と豪奢なシャンデリアが彩る空間には、甘く芳醇な香りが漂っていた。
「……ほう。これは驚いた」
海軍省の重鎮である大将が、ティーカップを置きながら感嘆の息を漏らす。隣に座る大蔵省のトップ官僚も、指で摘んだ色鮮やかな焼き菓子――マカロンを口に運び、目を丸くしていた。
「外はサクッと、中はしっとり……。帝都のどの西洋菓子店でも、これほど繊細な味は出せまい。桜田の若き御当主は、随分と腕の良いお抱え菓子職人を雇われたようだ」
「お口に合って何よりですわ、先輩方。ですが、それは私の手作りですのよ」
上質なベルベットのドレスに身を包んだリベラは、淑女の微笑みを浮かべて首を傾げた。
その言葉に、政財界のトップに君臨する五人の老紳士たちは一様にどよめいた。彼らは皆、慶應義塾を卒業し、現在の大日本帝国を裏から動かす『三田会』の長老たちである。
先代の急死により突如として巨大財閥のトップに座った、うら若き未亡人。
最初は「小娘のお遊び」と高を括り、あるいは桜田の資産をどうしゃぶり尽くすか品定めするつもりで集まった彼らだったが、供された極上のダージリンティーと未来の洗練されたスイーツの前に、すっかり毒気を抜かれていた。
(よし、胃袋と警戒心は解いた。ここからが本番ね)
リベラは、部屋の隅に置かれたベビーベッドに視線を送る。ふかふかの毛布に包まれた優太は、すやすやと心地よさそうに眠っている。
その寝顔を確認した瞬間、リベラの纏う空気が一変した。
甘いお茶会の空気を一刀両断するように、彼女はテーブルの上に数枚の書類を滑らせた。
「美味しいお茶の時間はここまでです。……さて、先輩方。我が国が数年以内に、致命的な経済的破滅を迎えるお話をしましょうか」
「……破滅、だと?」
大物政治家が眉をひそめる。
リベラが提示した書類――それは、彼女が現代の記憶と知識を総動員して書き上げた、数年先までの国際市場の動向、そして帝国陸軍が企てる大陸進出がもたらす『対日経済封鎖』の完璧な予測データだった。
「陸軍の強硬派は、資源を求めて暴走を始めます。結果、諸外国からの禁輸措置を招き、鉄も石油も止まる。海軍さん、油がなければ戦艦はただの鉄屑ですよね?」
「なっ……なぜ、それを……!」
海軍大将が書類を食い入るように見つめ、絶句する。そこに書かれた数字と兵站の予測は、軍の最高機密であるシミュレーションを遥かに凌駕する精度と絶望的な結末を示していたからだ。
「桜田財閥の独自の情報網ですわ。……先輩方、陸軍の無能な暴走に付き合って、あなた方が築き上げた財や地位、そしてこの美しい国を灰にするおつもりですか?」
リベラは静かに立ち上がり、老紳士たちを見下ろした。
法廷で裁判官を圧倒する時の、あの冷徹で理路整然とした弁護士の顔。そして、かつて数百人の不良を束ねていた絶対的トップとしての威圧感が、華奢な身体から立ち上る。
「私は、私の息子が生きる未来に、焼け野原なんて残すつもりはありません。戦争は儲かると勘違いしている馬鹿共の兵站を、桜田の資本で内側から完全に締め上げます」
「……我々に、陸軍と全面戦争をしろと言うのか? いくら三田会の繋がりとはいえ、それは……」
「全面戦争? いいえ、そんな野蛮なことはしません」
リベラはくすりと笑い、再び席についた。
「私たちがやるのは『合法的な経済封鎖』と『政治的包囲網』です。先輩方には、議会と法廷、そして物流の面で桜田をバックアップしていただきたい。その代わり、この嵐を乗り越えた後の莫大な利権と、確固たる地位は保証します」
部屋に重苦しい沈黙が降りた。
だが、老紳士たちの目には、単なる恐怖ではなく、野心と打算、そして目の前の底知れぬ女傑に対する強い興味が宿っていた。
「……『独立自尊』、か」
大蔵省のトップが、ふっと笑みをこぼした。
「福澤先生も、随分と恐ろしい後輩を持たれたものだ。……よかろう。泥を被る覚悟があるのなら、我々『陸の王者』が、無謀な軍人どもに本当の戦争の恐ろしさを教えてやろうではないか」
「契約成立ですね」
リベラは優雅にカップを持ち上げ、老紳士たちと乾杯の仕草をした。
帝国を裏で牛耳る最大のシンジケートが、一人の赤ん坊を守るために産声を上げた瞬間だった。
ベビーベッドの優太が、「ふぁぁ」と小さく欠伸をした。




