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ママ戦争を止めてくるわ  作者: 月神世一


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2/20

EP 2

応接間の重厚な両開き扉が開くと、葉巻の煙と酷く油臭い軍服の匂いが鼻を突いた。

豪華なペルシャ絨毯の上に泥のついた軍靴のまま上がり込み、ふんぞり返っていたのは三名の帝国陸軍将校だった。中央に座る、顔に大きな傷のある佐官クラスの男――黒田少佐が、リベラを見るなり品定めの視線を向けて鼻を鳴らした。

「ほう。先代が急死したと聞いて来てみれば、随分と若く美しい後家殿が継いだものだ。だが、女子供にこの未曾有の国難は乗り切れまい」

黒田は咥えていた葉巻を灰皿に押し付けると、威圧的に身を乗り出した。

「単刀直入に言おう。桜田財閥が持つ鉄鋼所、および南洋の輸送ルートの全権を、我々陸軍省に供出してもらいたい。これは帝国臣民としての『義務』であり、聖戦を完遂するための陛下の御心である!」

バンッ! と、黒田が革手袋をはめた手でテーブルを強く叩いた。

ビクッ。

リベラの腕の中でまどろんでいた優太の肩が跳ねた。「ふぇ……」と小さな唇が震え、今にも泣き出しそうに顔を歪める。

その瞬間――応接間の気温が、急激に数度下がったような錯覚を将校たちは覚えた。

「……おい」

低く、地を這うような声だった。

黒田たちがハッと息を呑む。目の前に立つ喪服の淑女から、歴戦の猛者すら震え上がるほどの『純粋な殺気』が放たれていたからだ。

「ガキの寝顔、邪魔すんじゃねぇよ」

氷点下の眼光。それは、かつて関東の不良たちを震え上がらせたレディース総長の覇気と、法廷で相手の急所を的確に刺し貫く敏腕弁護士の冷徹さが融合した、絶対的な捕食者の目だった。

「な、なんだと……!? 貴様、帝国陸軍を愚弄するか!」

黒田が顔を真っ赤にして立ち上がり、腰の軍刀サーベルの柄に手をかけた。背後の二人の将校も殺気立つ。

しかし、リベラは優太の背中を一定のリズムで優しくトントンと叩きながら、全く動じずに冷たい微笑を浮かべた。

「愚弄しているのはそちらでしょう? 黒田少佐。……『大日本帝国憲法 第二十七条』。日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ。公益ノ為ニ必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」

「なっ……」

「軍服を着ていれば、法律を無視して民間から資産を強奪できるとでも? それは統帥権の干渉どころか、陸軍刑法に抵触する『略奪』および『職権濫用』です。それとも何か? あなた方は陛下の定めた憲法よりも、自分たちの私欲が上だと仰るおつもりですか」

立て板に水のごとく、一言一句違わずに明治憲法と軍法を突きつけるリベラ。

予想外の法知識と、返す刀で「不敬」のレッテルを貼られそうになった黒田たちは、顔を青ざめさせた。

「き、詭弁を! 我々は国家のために――!」

「国家のために、赤ん坊の昼寝を邪魔して軍刀をちらつかせるのが帝国陸軍のやり方ですか。素晴らしいですね、ぜひ明日の朝刊で世間に問うてみましょう」

リベラは一歩、黒田に歩み寄った。

「私が一声かければ、桜田財閥の全工場は明日から稼働を停止します。さらに、議会や海軍省にいる『慶應(三田会)の先輩方』に根回しすれば、あなた方の派閥の予算は次期議会で完全に凍結されるでしょうね」

「貴様……本気で軍を敵に回す気か……!」

「軍を敵に回す? 違いますよ」

リベラはふわりと微笑んだ。極上の笑顔だったが、その目は一切笑っていなかった。

「あなた方のような『軍の寄生虫』を、合法的に社会から抹殺して差し上げると言っているんです。……さあ、二度は言いません。私の息子が完全に目を覚ます前に、その汚い靴で私の家から出て行きなさい」

圧倒的な財力、完璧な法的ロジック、そして何より、刃物のような凄み。

黒田たちは額に脂汗を浮かべ、ギリッと奥歯を噛み締めると、「……後悔するぞ」と負け惜しみを吐き捨てるのが精一杯だった。

彼らが逃げるように応接間を後にして扉が閉まると、部屋には再び静寂が戻った。

「……ふぅ。ったく、どこの時代にも血の気の多いバカはいるのね」

リベラはふうっと息を吐き出すと、凄みを消し去り、いつもの「ママ」の顔に戻った。

腕の中の優太は、リベラの胸の鼓動に安心したのか、再びスヤスヤと穏やかな寝息を立て始めている。その柔らかい頬にそっとキスを落とす。

「よしよし、偉かったね優太。もううるさいおじさん達はいないからね」

そこに、先ほどの執事が青ざめた顔でハンカチを握り締めながら駆け込んできた。

「お、奥様……! あのような軍の強硬派を追い返してしまっては、実力行使に出られるやもしれません! 桜田財閥が潰されてしまいます!」

「潰される? 冗談じゃないわ。私が桜田を継いだのなら、指一本触れさせない」

リベラは応接間のソファに優雅に腰を下ろした。

ここが昭和初期であり、いずれ日本が破滅の戦争へ突き進むことを彼女は知っている。軍部を一度追い返した程度で解決するような甘い時代ではないことも。

ならば、やることは一つだ。

法律という名の刃で、そして財力という名の暴力で、この国の狂気を根こそぎぶっ潰す。

「執事さん、大至急、帝国ホテルのスイートを手配してちょうだい。それと……政財界に散らばっている『三田会』の重鎮たちに、極秘の招待状を。名目はそうね、『新総帥就任のティーパーティー』でいいわ」

「み、三田会……慶應の同窓会組織ですか!? しかし、なぜ突然……」

「ただの同窓会じゃないわよ。この国を裏から動かす、最高のカードでしょ?」

リベラはニヤリと、悪戯っぽく笑った。

「手作りのマカロンと極上の紅茶で、お爺ちゃん達の胃袋と財布、ぜーんぶ握ってあげるわ。……さあ、ママの戦争おしごとの始まりよ」

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