EP 1
壁掛けの大型有機ELテレビから、ひどく無機質なアナウンサーの声が流れている。
『――緊迫する世界情勢を受け、某国大統領は事実上の武力行使とも取れる声明を……』
桜田リベラは、リモコンの電源ボタンを乱暴に押し込んだ。
ぷつんと画面が黒く沈み、静寂が訪れた広々としたリビングには、規則正しい小さな寝息だけが残された。
「……胸糞悪い」
リベラは腕の中で丸くなる小さな命――一歳になる愛息、優太の柔らかい背中を一定のリズムでトントンと叩きながら、忌々しげに吐き捨てた。
慶應義塾大学法学部を卒業後、若くして桜田法律事務所を立ち上げ、何人もの弁護士を束ねる代表へと上り詰めた。法廷という合法的な戦場で、時に白をグレーに、黒をグレーに塗り替えながら、どんな手段を使ってでも依頼人を守り抜いてきた自負はある。
だが、テレビの向こう側で起きているバカげた国家間の殺し合いは、彼女の管轄外だ。どれだけ法廷で無双しようとも、ミサイルが一発飛んできたら、腕の中のこの小さな温もりすら守れない。
(こんなクソみたいな世界を、優太に残してやれないっての)
学生時代、関東一帯のレディースを束ねていた頃の荒っぽい思考が、ふつふつと顔を出す。あの頃は気に入らない奴がいれば自ら乗り込んで、タイマンでカタをつければ済んだ。だが、国家相手にそれは通じない。
ため息をつきながら、手元のスマートフォンをスワイプする。
タイムラインには、悲観的なニュースと、それに便乗した無責任な煽りが溢れていた。そんな中、ふと一つの投稿が目に留まった。
『#ママ戦争を止めてくるわ』
冗談めかした、しかしどこか切実な響きを持つその文字列。
「……ほんと、行って張り倒してやりたいわ」
リベラは自嘲気味に笑い、その投稿に『いいね』のハートマークをタップした。
――その瞬間だった。
ぐにゃり、と。
視界が、空間が、あり得ない方向に捻じ曲がった。
「なっ……!?」
咄嗟に優太を両腕で強く抱きしめる。三半規管を無茶苦茶にかき混ぜられるような猛烈な吐き気と、鼓膜を破るような耳鳴り。意識が遠のき、世界が真っ暗に塗りつぶされる。
次に目を開けた時、そこはタワーマンションの一室ではなかった。
「……は?」
鼻を突くのは、古い木材と、かすかな葉巻の匂い。
ステンドグラスが嵌め込まれた豪奢な窓。重厚なマホガニーの執務机。壁には、見たこともない古めかしい大日本帝国の地図が掛けられている。
まるで、歴史ドラマのセットのような洋館の一室。
リベラは自身の格好を見下ろした。ルームウェアだったはずの服は、最高級のシルクで仕立てられた、漆黒の喪服のようなドレスに変わっている。
だが、腕の中の重みだけは変わらない。優太は不思議そうに目をぱちぱちと瞬かせている。
「奥様。……いえ、桜田財閥総帥」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、燕尾服を着た初老の執事が、深く頭を下げて立っていた。
「先代がお亡くなりになり、悲しみも癒えぬ中とは存じますが……帝国陸軍の将校の方々が、面会を求めて応接間にお見えです。国家への資産供出について、至急お話があると」
「陸軍……? 桜田財閥……?」
リベラは執務机の傍らにある大きな姿見に視線を向ける。
そこに映っていたのは、間違いなく自分自身の顔だった。だが、纏っている空気が、時代が違う。
思考が恐ろしいスピードで回転する。弁護士としての極めて冷静な分析力と、修羅場を潜り抜けてきた元不良の勘が、現在の異常な状況を即座に一つの結論へと導いていく。
(タイムスリップ……しかも、戦前の財閥トップに成り代わった?)
「奥様……?」
いぶかしむ執事の声を遮り、リベラは優太を胸に抱き直した。
理屈は分からない。だが、ここは戦争へと突き進む狂気の時代の日本であり、自分は今、国家の経済すら左右する強大なカードを握っていることだけは理解できた。
「……通しなさい」
リベラの口元に、法廷で獲物を追い詰める時の、あの氷のような笑みが浮かんだ。
「うちの子のお昼寝を邪魔する連中が、どれだけ偉いのか。私が直接、顔を見て判断してあげるわ」




