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(7)地下の人たち

次の日、オレは上の世界の上七軒を訪れた。そう「お茶屋 お多福」だ。

地下の町の人たちが上の町でどうしているのかを知りたいのなら、上の世界でその人に会ってみれば手っ取り早いと考えたのだ。


でも、上の世界の八坂神社周辺に、オロナミンCの看板を掲げたタバコ屋なんて見たことなかったし、源さんの家は知らないし、となるとハリストス正教会かお多福なんだけど、自分のアパートからは上七軒の方が近かったので、お多福を選んだのだ。


お店は地下の町と同じ、歌舞練場の入り口近くにあった。インターホンは、やっぱりなかった。けど、下のお店より真新しく感じる。


ドアを開け、ごめんください、と声を掛けると、奥の方から、は~いと声が聞こえ、洗ったお椀を拭き拭き、和服姿の小ぎれいなご婦人が出てきた。


その姿を見て、

「幸子さんお母さん!」

オレは思わず声に出して幸子さんの名前を呼んだ。上の世界にもちゃんといるじゃないか!


するとそのご婦人は、

「え?」

と言って固まり、

「母をご存じなのですか?」

と尋ねてきた。


「え、母?」

びっくりしてオレが言うと、ご婦人は、

「はい、幸子は私の母です」

と言った。


確かに、よく見てみれば、似てはいるけど、目の前のご婦人の方が幸子さんお母さんよりだいぶ若い。

しまった、と思ったけど後の祭り。そのご婦人は、続けて、

「どうして母の名を?」

と聞いてきた。

マズイ、地下の町のことは言えない。ここは何とか凌がねば……


「じ、実は私は京大の植物学教室の学生なんですが、先日名誉教授を囲む会というのが開催されまして、その時に、参加された名誉教授のお一人が、もうおじいさんなんですけど、このお多福のことを懐かしそうに話されまして……」

「まぁ、そうですか」

「はい。なんでも、幸子さんお母さんと呼ばれていた方が、とても上品で、気さくで、ニコニコお話しをされるんだと大変褒めてらっしゃいました。齢のせいもあり、自分ではもうなかなか行けないので、よろしく伝えてくれと言われまして、植物学教室を代表して、お邪魔した次第です」


ど、どうだ、乗り切れそうか!?


「まぁまぁ、そうでしたか。それはわざわざ恐れ入ります」

ご婦人はそう言って頭を下げ、

「店先で失礼いたしました。開店前でまだお掃除の途中ですけど、どうぞお入りください」

と、ソファの一つを進めてくれた。


「母のことでわざわざありがとうございます。お多福の夕子と言います。舞子ちゃんたちからは夕子さんお母さんと呼ばれています。おビールでいいかしら?」

そう言ってご婦人は、にこやかにグラス二つと瓶ビールを持ちあげながらオレに尋ねた。


「え、あ、いや、まだ、あの、今日は大学に戻らなくちゃなのでお酒はちょっと……」

「あらそう……」

ご婦人は残念そうに手を降ろし、じゃ麦茶かしらと声のトーンまで落とし、グラスを一つ掲げて聞いた。

なんだ、何から何まで幸子さんお母さんそのものじゃないか、と少し嬉しくなって、

「はい麦茶でお願いします、ありがとうございます」

とお礼を述べた。


それから祐子さんお母さんは、オレの隣に座り、麦茶を注ぎながら、

「母のことは秋津先生から? 名誉教授の会に出られるくらい元気なら、またお店にも来てくださいとお伝えくださいな」

から始まって、あなたお生まれはどちら、京都は長いの、ガールフレンドはいらっしゃるの、今度は飲みにいらっしゃい、とほぼ一人で喋り続けた。

間違いない。夕子さんお母さんは、幸子さんお母さんの娘さんで間違いない!


その後も、ボロが出ないようにハラハラしながらお店のことや幸子さんお母さんのことを色々と話した。そして、夕子さんは、最後にこう付け加えた。

「母は、5年前に亡くなったんですよ」

と、お店のカウンターの隅に掲げてある写真を指さした。そこには、元気だったころの、というか、オレが下の町で見た幸子さんお母さんがニコニコの笑顔で写っていた。


オレは写真を見ながら、

「やっぱり素敵な笑顔ですね」

と言ってお店を後にした。

夕子さんは、幸子さんお母さんと同じように、オレが角を曲がるまで玄関のところで見送ってくれた。


大学に戻って、オレは久世教授の部屋を訪ねた。

難しい顔で論文を読んでいる教授に、

「上七軒のお多福に行ってきました」

と言うと、

「そう」

とだけ返事をした。


「なんとなくそうかなぁ、とは思っていたんですが、やっぱり下の人たちは、この世界で亡くなった人たちなんですね」

「そうね」

「幸子さんお母さんもお小夜ばあさんも源さんも、ホントはこの世界にはいないのか……」

「いるじゃないの、下の町に」

「いや、でもこの世界で亡くなった人たちなんですよね」

「じゃ彼女たちは、あなたにとって幽霊みたいなもの?」

「いやむしろ逆で。何というか、ちゃんと生きてるというか……」

「でしょ。あそこはいわゆる死後の世界、というのとは違う気がしない?」

「そうなんですよ。オレは死後の世界と言うのを見たことが無いからわかりませんけど、下の町は、実際人に触れることができるし、会話もできるし、みんな普通に歩いて、笑って……一体、何なんでしょうか、下の町は」


教授は読んでいた論文をデスクに置いて言った。

「私もね、調べてみようと思ったことがなかったわけじゃないの。知り合いの医学部の先生にお願いしてDNA鑑定をするとか、気象の先生を下の町に連れて行って、太陽のないところで暮らすことの影響を調べるとか、考えなかったわけじゃないの。でも……」

「でも、やらなかった」

「えぇ」

「科学的に解明してしまったら、消えてしまいそうな気がしたから、ですか」

「いいえ。何でもかんでもサイエンスで立証しなくてもいいんじゃない、と思ったからよ」


そこまで言って教授がオレを見る。科学者がサイエンスで立証しなくていい、その言葉を聞いて、おそらく眉間に皺でも寄っていたのだろう。

「八瀬君のその反応は科学者としては正しいわ。私たちはサイエンティスト。なら目の前のわからないことを理論と実験で解明するのは正しい姿よ。同じアプローチで、下の町のことも何かわかるかもしれない。でもね」


そう言って教授は、

「わかってもわからなくても、あの町はあそこにある。あの人たちはあそこにいる。それでいいじゃないの、とある日思ったのよ。もちろん、解明することであの町が無くなってしまったら寂しいな、という感情論もあったけど」

妙に納得したような表情になった。


「地球が出来て46億年。ニュートンが万有引力の法則を発見してからたった400年よ。まだまだわからないことだらけでいいじゃない。仮に私たちが解明する手段や方法を持っていたとしても、それを行使しないという選択もできる科学者でいたい、と私は思ったの」


普段、講義やゼミでは、「知りたい、わからない、それを追求して解明するのが研究者」と言っていた教授がこんなことを言うとは意外だ、と思ったけれど、下の町に関してはオレも同じ意見だ。


今日も下の町では、幸子さんお母さんはビールとグラスを持ち上げているだろうし、お小夜さんばあさんは……昼寝の時間かな。源さんはきっと八坂神社で新人相手にレクチャーだろう。

下の町はそれでいいのだ。いや、それがいいのだ!


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