(2)地下の町
久世教授の使いで来てしまった地下の町。
普通に家があり、人々が歩き、しゃべってもいる。どこからどう見てもフツーの町だ。違うところと言ったら、上を見上げても空が無いということくらい。
「教授、ここはどこなんですか……」
オレは教授から預かった標本の葉っぱを入れた箱型ザックを降ろし、途方に暮れた。
ここは一体何なんだ。ジュール・ベルヌの地底旅行の世界かよ。あの本なら子供の時にワクワクしながらあっと言う間に読み進めた。けど今はワクワクというより、バクバクだ。
ザックを開けてみると、標本の葉っぱは数枚ずつ白い紙に巻かれ、そこに住所と氏名が書いてあった。
「この人に届けろってことか……?」
一番上に置かれた葉っぱの紙の住所を読んでみる。
「東山区松原町……八坂さんの北か」
オレは、ところどころの家に貼られている町名表示板を見ながら、とりあえず歩き出した。携帯のGPSが使えれば早いんだろうが、生憎こんな地下ではGPSを受信できない。
「右、八坂神社って石灯篭がさっきあったから、このまま行けば松原町の方だよな……」
道行く人とすれ違ってもオレを変な目で見る人はいないから、松原町はどっちですかと聞けば確実なんだろうけど、どうもまだ誰かに話しかける勇気が出ない。なので、町名表示板頼みで歩くしかないのだけど、注意しながら歩いていくと、幸いにもすぐに松原町の表示が出てきた。
一軒目。
比較的簡単に探し出すことができ、玄関の前に立ったがインターホンがない。
どうしたもんかと悩んでいると、ガラッと引き戸が開いた。
出てきたおばさんは、オレを値踏みするかのように頭のてっぺんから足の先まで見て、
「何だいあんた、何か用かい?」
と、ぶっきらぼうに言った。
「あ、あ、あの、突然すいません。久世敬子教授にこれをお持ちするように言われて……」
オレは白い紙に包まれた葉っぱを差し出した。
するとおばさんは一気に喜色満面の笑顔に変わり、
「あぁ、久世先生の! わざわざ届けてくれたのかい、おおきに」
と、拝むように両の手をオレに向かって合わせてから、大切そうに葉っぱを受取った。
「今週いっぱいくらいで無くなりそうだったから助かったよ」
「それはよかったです。いきなりお邪魔してすいませんでした、では失礼します」
オレは頭を下げて足早に立ち去った。
悪いことをしたわけではないのに、むしろお届け物をしておばさんにも感謝されたのに、なぜか早く立ち去らねばという気がしたのだ。
が、すぐに足を止めざるを得ない事態に遭遇した。
歩き出して一分も立っていないのに、御所の石薬師御門がそこに現れたのだ。
「え、何で? 御所? いやいやいや……えぇ、どうして!」
来た道を振り返れば、まだおばさんの家が見える。
目の前の門を見上げれば、間違いなく御所の石薬師御門だ。
「松原町と言えば八坂神社のすぐ北だ。そこから一分で御所とか。どうなってるんだ、これ」
しばし呆然と門を見上げていたが、久世先生のお使いを思い出し、次の葉っぱの住所を見てみた。
「桝形商店街、八百一……八百屋さんか。しかも桝形ってことは、ここから近いじゃん」
升形商店街なら今出川を超えればすぐだ。キツネにつままれたような気分だったが、気を取り直して歩き出す。
今出川通りには市電が走っていた。そして、今更ながら気付いたことだが、車が一台も走っていない。おかげで楽に道を渡ることはできたけど、車が一台も走ってないってどういうことだろう。仮にここが昭和時代の京都だとしても、車くらい走っているだろうに。
そんなことを考えながらも歩き、桝形商店街に入り八百一を見つけた。
オレは店先で威勢のいい声で呼び込みをしていた主人と思しきおじさんに声を掛けた。
「あのー、すいません」
「あいよ、お兄ちゃん、いらっしゃい! 今日は新鮮なキャベツが入ったよ。若いからって肉ばっかりじゃなく野菜も取りなよ!」
「あ、はい、ありがとうございます。でも今日は買い物じゃなくて、うちの大学の久世先生の使いで、これを……」
持ってきました、と言い終わる前に、主人はオレの手から葉っぱをぶんどった。
「おー、待ってたんだよ、これ! この前もらった分、明日でなくなっちゃうからヒヤヒヤしてたんだ。ありがとよ、お兄ちゃん!」
そう言って主人は、さっきのおばさんと同様、拝むように両の手をオレに向かって合わせた。
おじさんはお礼にとキャベツを持たせてくれた。遠慮したんだけど、お兄ちゃんが要らないなら先生に渡してくれと、半ば強引に押し付けられた。オレはキャベツを持ちながら商店街を抜け、そして今度は腰を抜かしそうになった。
そこには船岡山、建勲神社の鳥居があったのだ!
「慣れない、そしてあり得ない。この地理、どうなってんだよ……」
何気に右を見ると姉小路通りの標識があった。
「出町桝形商店街を抜けると船岡山で、そこに姉小路通りって……」
これはもう、そういうもんだと受入れるしかない。しかし住人たちは困惑しないのだろうか。でも見る限りそんな様子はない。フツーにおしゃべりをして、買い物をして帰っていく。
オレはため息を一つついて、次の葉っぱを見てみた。住所は姉小路。
「……これって、もしかして、次の届け先のすぐそばの道が出てくるようになってる?」
この町に入ったのがタバコ屋のばあさんのとこで、最初の松原町は歩いてすぐだった。次は桝形商店街だったけど、松原町から一分で御所。そこから五分で八百一さんに着いた。今度は姉小路だから、相当南だと思ったけど、商店街を出たら姉小路……
「うーん……楽っちゃあ楽だけど……よくわからん」
そこでオレは、姉小路の次の葉っぱの届け先を見てみた。
「蛸薬師、か。まさか……」
姉小路通りを横切り、次の小路まで行くと、果たしてそこは蛸薬師通りだった。
「……あね さん ろっかく たこ にしき、じゃないのかよ! 三条通りはどうした三条は! デタラメにもほどがあるな、この町の地理は。地上と全然違うじゃん」
あね さん ろっかく たこ にしき……とは、京都の子どもたちが碁盤の目になっている通りの名を覚えるための歌だ。
姉小路通りは、京都市内を東西に横切る道路で、その一本南が三条通り、さらにその南が六角通り、そして蛸薬師通りとなっている。だけどこの町では三条と六角をすっ飛ばしていきなり蛸薬師になっていたのだ。
でもこれでハッキリした。次に葉っぱを配るべき家がある場所や通りが、オレのすぐ近くに現れるのだ。いや待てよ、この地理を知っていた教授が、その順に葉っぱを並べたってことか?
「どっちにしても帰ったら、教授に聞くことが山ほどある!」
オレは全ての葉っぱを配り終え、ちょっと探検したい気持ちもあったが、教授からなるべく早く戻って来い、と言われていたので、素直に元のタバコ屋まで来た道を戻り、そこにつながる小路から無事にオレの世界に戻った。




