(11)そして
船岡山の104号室にいた若き日の久世教授に言われた通り、次の日オレは、教授と地下の町に降りて行った。
久世教授は久しぶりだったからか、お小夜ばあさんや源さんに捕まって、中々解放してもらえなかった。
その後、教授が行こう、というので船岡山にも登った。
昨日見た建物が見えてくる。
教授とオレが飛び込んだその建物には、社務所と書かれた看板が掲げられていた。
「あれ104号室じゃない……」
オレが不思議そうに言うと、教授は、
「実験をしましょう」
と社務所を見つめたまま言った。
オレは黙って頷き、お小夜ばあさんのタバコを取り出し、先生に一本渡してから、オレも一本火をつけた。
眼下の町並みを眺めながら、教授とオレは特製タバコを吸った。
「ここからの景色、20年前と何も変わってないわね」
教授が言うので、
「上の景色ともほとんど変わらないですよ。銭湯の煙突が何本か減ったくらいでしょうか」
久世教授は、ふふっと微笑んでから、
「さて、実験結果はどうかしら!」
そう言って振り返ってみると、なんと看板は理学部植物学分館104号室に変わっていた。
「おおぉ、看板が変わってる……! 推論が正しいことが、実験によって証明されました!」
とオレが言って、教授と一緒に扉に向かって歩いていくと、おもむろに扉が開いた。
「あら」
と言って、中から出てきたのはこの前の女性、理学部4回生、20年前の久世先生……いや、久世学生だ。
久世教授と久世学生が向かい合っている。
「そっくりだ」
オレは、この時の発言をすぐに死ぬほど後悔した。もう少し、気の利いた発言が出来なかったのか!
二人はチラリとオレを一瞥しただけでスルーした。
「元気そうね」
と教授が言った。
「おかげさまで。あなたが上の世界に戻れたせいかわからないけど、私は日の入りを過ぎても影にならなくなりました。文字通り24時間研究三昧です」
「いいんだか、悪いんだか」
「たまに、あなたのところの学生さんを驚かせてしまってるみたいだけど」
やっぱり! 保管庫のウワサはこの人のせいだったんだ!
「結婚は?」
「してないわ」
「せっかく出してあげたのに」
「そうね。でもお小夜さんや源さんやあなたのこと、それにこの町のことが気になって結婚なんて思いつきもしなかったのよ」
「そうね、きっと私もそうかも」
そう言って、二人は笑った。
それから二人は104号室の前にあるベンチに座って話をしていた。オレは、女性の話を立ち聞きする趣味はないし、少し離れたところで町の景色を眺めていた。
しばらくすると、
「八瀬君、戻るわよ」
と教授が声を掛けてきた。
振り返ると久世学生がいない。
「あれ? 久世先生、じゃなくて、えぇっと、久世学生さんは?」
「もう部屋に戻ったわ。実験中のサンプルがあるから、あまり外の風に当てたくないんですって」
「はぁ、研究者の鏡だ」
教授は見習いなさいとでもいうようにオレの肩をポンと叩いて、104号室の扉を見つめながら話し出した。
「いつだったか、私、彼女と話したことがあるのよ」
「えぇ!」
「104号室から上の世界に戻ってくることができて、また研究に打ち込みだしたの。戻ってすぐの頃、葉っぱの分析でずっと保管庫にこもって顕微鏡を覗いていた時にね、いきなり電話が鳴ったのよ」
「電話なんてあるんですか、あそこ?」
「奥の机の上にね。今でもきっと黒電話のままじゃないかしら」
思い出し笑いをしながら教授は続ける。
「真夜中に、ひとりで、しーんと静まり返った保管庫で、じっと顕微鏡を覗いていたら、いきなりジリリリリーンときたから、もう本当に心臓が飛び出すかと思ったわ」
「真夜中に保管庫で電話……考えただけでも恐ろしい」
「でね、恐る恐る取ったの。そしたら私だった」
*****
「……もしもし」
「もしもし? 私、ですか?」
「え?」
「久世……先生ですか? 私、下の世界の敬子です、4回生の」
「え、私?」
「はい。先生が出て行った後も、私はここに残って研究を続けています」
「どうして……私はそこを出て行ったはずなのに……」
「私にもよくわかりません。ただ私はまだここにいて、研究をしています」
「……」
「今日も日の出を過ぎたので、ここに来てみたら葉っぱが動いているので、もしかしたら上の世界では、まだ私が、あ、先生が保管庫にいるのかなと思ったので、電話をしてみました」
「え、ちょっと待って。番号は何番を回したの?」
「8743です」
「この番号だわ……この番号からこの番号に掛けて話し中にならないなんて……」
「私もそう思ったんですけど、繋がっちゃいました、うふふ」
*****
「うふふって、教授……」
「私だって、若い頃はそうやって笑ったのよ!」
いちいち突っ込むなという表情でオレを睨む。
「そうやって、時々彼女と話したの。思ったような分析結果が出ない時とか、論文が認められたときとか。いつだったか、配達の帰りに船岡山に登って扉を開けたことがある」
「え、会えたんですか!」
「ううん、ただの社務所だった」
「お小夜ばあさんのタバコを吸って開ければよかったじゃないですか!」
「その時はお小夜さんのタバコのおかげだなんて知らなかったのよ」
「あ、そっか」
「だから、今日は久しぶりに元気な、20年前の私に会えてよかった。感謝するわ、八瀬君」
「どういたしまして」
と言ったら、教授が104号室の方を指さした。
その方向を見て、オレは驚いた。
「あれっ!」
なんと看板が「理学部植物学分館104号室」から「社務所」に変わっていたのだ。
「どうやらタバコの効き目にも時間制限があるみたいね」
はぁ、そうなのかぁという顔で看板を見つめていたら、
「あと17本よね、大事に吸いなさい。じゃ、私は来た道戻って階段上がるから、八瀬君はちゃんと昨日の階段から戻ってね」
そう言って、教授は山を下りて行った。オレは反対側に下山して、その後、右往左往しながらなんとか下長者町通りに辿り着き、昨日の階段から上の世界に戻った。
*****
それから数日後。遂に新棟の工事が始まった。と言ってもまずは現地調査と測量らしく、重機などはまだ入ってこなかった。
久世教授を筆頭に、オレも含めた何人かの植物学教室の研究員と学生が立ち会った。
植物園の一番奥の森の中に扉が見つかった時、作業員たちは大騒ぎだった。
関係者が地下に入って行く。オレは地下の町のことがバレてしまわないかヒヤヒヤだったけど、出てきた作業員たちは、口々に葉っぱ標本の地下倉庫だった、これどうすっかな、面倒くさいもんがあったなぁ、と苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
すると、
「理学部植物学教室100年の研究成果を保管した倉庫です。慎重なお取り扱いを!」
久世教授が毅然と作業責任者に言い放った。
教授室に戻る途中、
「地下の町が見つからなくてよかったですね」
オレが教授に言うと、
「あれが本当の姿なのよ。元々あそこには標本の葉っぱしかないし、フツーの人には葉っぱしか見えない。あそこが地下の京都に見え、そこに暮らす人たちと話せるのは、そういうチカラがある人だけなのよ」
まっすぐ前を見据え、歩きながら教授が答える。
「八瀬君、最初に保管庫に標本を取りに行くようお願いしたとき、20年前の私を見たと言ったわよね。見えないはずの彼女が見えた君には、そのチカラがあるんだと思ったの。だから地下の町へのお使いをお願いしたのよ」
「それは……後を継げってことですか?」
「そんなこと思ってないわ、私だってまだまだ現役だし。ただ、20年ここにいて、そのうち15年も学生を指導する立場にあるけど、君だけなのよ、地下の人が見えたのは。だから、八瀬君も地下の人たちも、お互いをもっと知っておいた方がいいかと思って、何度もお使いをお願いしたの」
なるほど、という感じで二度、三度頷いてから、
「結局あの地下の町と、そこに住む人たちは何なんでしょうか?」
地下の町……オレたちと同じように普通に暮らす地下の人たち、一体あの人たちは何なんだろう、と独り言のように言うと、教授は立ち止まって、
「見た通りよ。日が出ている間はフツーの人。日が暮れた後は、あなたも知っての通りアレが徘徊して、上の世界の人間を喰らう恐ろしいところ」
と答えた。
「これからどうするんですか?」
「どうもしないわ」
教授はけろっと言った。
「地下倉庫は残るでしょうし、どうしても潰すというなら代替場所に新しい地下倉庫を作ってもらい、そこにすべての葉っぱを移すだけ」
「その時はオレ、扉運ぶの手伝いますよ! 何と言ってもあの町は扉が無いと始まりませんもんね!」
「扉は重要じゃないのよ、何なら無くてもいいくらい」
「へ?」
まだまだ君では跡継ぎをお願いできそうもないわ、というあきれ顔でオレを一瞥して、教授は言った。
「重要なのは葉っぱと、それを保管できる部屋。そしたらまたそこが新しい地下の町になるでしょう? 葉っぱがある限り彼らはいなくならないのよ」
「……不思議だ」
「それがこの町、京都でしょ」
教授は笑ってウィンクしてみせた。
了




