(10)久世教授の告白
長くなるから、と教授はオレにソファをすすめてくれた。
教授が言うには、地下の町のことは先代の教授から引き継いだそうだ。
「いるのよ、あそこに。先代の教授も。私も」
「私もって、オレが会ったあの若い女性ですか?」
「そう。20年前、私はここで植物学を学ぶ普通の学生だった」
教授はコーヒーを淹れながら話し始める。
「今のあなたたちと同じように植物の採集もすれば分析も行い、資料室や保管庫にも始終出入りしていた。ある日、教授に地下倉庫に保管してある薬草を取ってくるように言われたの」
「地下倉庫って……」
「えぇ。あなたも行った、あの地下倉庫」
「どうやら教授は、地下の町に行ける能力を持っている学生を探すために、指導している学生全員を倉庫に行かせてたみたい。その中で私だけが、倉庫ではなく地下の町に行けたのよ。他の学生はみな指示された薬草を持って帰ってきただけだった」
ティファールのお湯が沸き、カチッとスイッチが切れる。
「それから教授は何度か私を地下の町に連れて行ってくれ、お小夜おばあさんや源さんや、町の人に紹介してくれたの。これからはこの久世敬子が薬草を届けに来るから、と」
「そんな頃から薬草を……」
「もっと前からみたいよ。教授も自分が研究員だったころの教授から引き継いだと言ってたから。下の世界の八坂神社の注連縄を張った岩のところに大きな木があるでしょう? あれの葉っぱなのよ。だけど、下にはあの木一本しかないから、こちらの世界で植えたみたい」
教授は続ける。
「ある時、薬草を配り終えた後に、船岡山に登ったのよ。あの町を上から見てみたくて。標高は100メートルと少しだから、市街一望、というわけにはいかなかったけど、素晴らしかったわ。お小夜さんにもらった自家製タバコを吸いながら、しばらく眺めてた。帰ろうとして振り返ったら、植物学分館104号室と書いてある建物を見つけて思わず入ったわ」
「ちょぉっと待ってください!」
お小夜ばあさんのタバコ、と聞いてオレは思わず教授の前に手のひらを突き出し、待ったを掛けた。
「お小夜ばあさんのタバコを吸ったんですか?」
「えぇ。昔は私も吸ってたのよ」
「いえそうじゃなくて。104号室で会った女性が、昔の久世教授が言ってたんですよ。普通、上の人にはこの建物もドアも見えないハズだって」
「どういうこと?」
104号室に入る前、教授もオレもお小夜ばあさんの特製タバコを吸っていた! そこから思い当たることは何だ!
「その女性に、お小夜ばあさんからもらったタバコを吸って船岡山を駆け上がってきたら104号室が見えたって言ったら、その人は、お小夜さんのタバコか、しょうがないわね全く、的な感じのことを言ったんですよ!」
そう、まくし立てるようにオレが言うと、教授は少し考えてから、
「……つまりお小夜さんのタバコを吸ったから104号室が見えた、と?」
そう言うことなの? という顔でオレを見た。
「じゃないでしょうか」
「だとしたら、私は運が良かったのね。自分のではなく、お小夜さんにもらったタバコを吸ったのだから。でもいつか実験してみたいわね。まだお小夜さんのタバコ持ってるの?」
「19本あります!」
教授はにっこり微笑んだ。
「で、教授。その104号室はやっぱり保管庫だったんですか?」
「えぇ、そこは間違いなく資料室の保管庫だった。朝、私が仕訳けたばかりの薬草が置かれてあったから間違いないわ。そして、なぜその保管庫だけが上と下の世界で繋がっているのか不思議で、色々探し回ったのよ。隠し階段があるんじゃないかとか、隠し扉があるんじゃないかとか。でも何もなかった」
コーヒーを一口飲んで教授は続ける。
「そうこうしているうちに夕焼け小焼けが鳴りだしたの! いけないと思ってその日降りてきた階段目指して走ったけど、間に合わなかった。そして私はアレに喰われたの」
教授が喰われた? アレに……! え、じゃ目の前にいるのは誰だ?
いや待て! ドアを開ければ資料室に繋がってるんじゃないのか!
「え、ちょっと待ってください。源さんも104号室にいた若い久世教授も、上の世界の人がそこに入って、一度扉を閉め、次にその扉を開けると資料室に繋がるって言ってましたよ。現にオレもそれでここに帰って来れたんです」
「私は閉めなかったのよ」
「え?」
意外な答えだった。
「閉めなかったの。104なんて聞いたこともない部屋で、開けたら薄暗くて、扉を閉めたら最後、出られなくなるんじゃないかと思って、怖くて開けっ放しだったの。そこに夕焼け小焼けが鳴りだしたから、そのまま飛び出して逃げたのよ」
「……なるほど」
「そして、アレに喰われた私は、気が付いたら104号室にいた。一瞬、無事だったんだと思ったけど、下の世界の人間になったんだとわかるまで大して時間はかからなかった。お腹が空かないし、眠りもしないし排せつもしない。そして何より日の入りから日の出まで、影だけになってしまうのよ」
教授の独白は続く。
「そこは、こちらの世界では資料室の奥にある保管庫だから、学生たちがあちこちで採取してきた葉っぱがどんどん毎日大量に運び込まれた。私たちが影になっている間にね。そして、日の出後、影から人型に戻ったら私はその分類と分析をするの。好きなことに好きなだけ没頭できる。食事も睡眠も不要で研究ばかり、最高の時間だったわ」
「逃げ出そう、というか上の世界に戻ろうとは考えなかったのですか?」
「もちろん考えたし、試しもしたわ。でも104号室の扉を開けると、そこはいつも船岡山なのよ。私が喰われた時に降りてきた階段が残ってないか探してもみたけど、見つからなかった。降りてきた人が喰われると階段は無くなっちゃうのかもね」
だからね、と教授はこちらを振り向きながら力強く言った。
「私は研究に打ち込むことにした。アレが嫌がるとの言い伝えがある八坂神社の葉っぱの話を源さんに聞いて、どんな成分で、どんな効果があるのか、朝も昼も研究ばかりしていた。夜には影になってしまうから、葉っぱに触ることはできないんだけど、思考は止まらなかった。本当に、24時間、365日、研究に打ち込んだ」
そして、と教授は言って、コーヒーカップをデスクに置いた。
「10年くらい経ったある日、夕焼け小焼けの音楽が鳴りだしたとき、いきなり104号室に誰かが入ってきてドアを閉めたのよ、八瀬君と同じように息を切らして。何かに怯えたような表情をしていたから、降りてきた階段まで戻れず、多分アレに見つかりそうになって、ここに飛び込んで来たんでしょうね。その人は私を見つけると、声を上げてびっくりして、慌ててドアを開けて出て行ったわ。そうしたら、不思議なことにそこは船岡山じゃなくて資料室だった。彼女も驚いていたようだったけど、そのまま資料室のドアも開けっぱなしにして駆け出して行った」
教授が続ける。
「私は、保管庫の扉の向こうが船岡山ではない景色を始めて見た。そしてその景色が植物分館の廊下だってこともすぐにわかった」
「それで出て行ったんですね?」
オレが聞くと、教授は頷いた。
「ここから出て行ったらどうなるんだろう、と思った時にはもう出ていたわ。10年ぶりの上の世界、現実の世界! 嬉しかったけど、10年も失踪していた者がいきなり現れたら大騒ぎになるんじゃないかという不安もあったわ。でもその不安は教授室に着く前には解消された」
「何があったんですか?」
「同級生とすれ違ったのよ。彼女がね、私を見て、何の驚きもなくこう言ったの。「あ、敬子。教授が呼んでたよ」って」
「え、どういうことですか?」
「教授室に戻る前にラウンジの新聞で日付を確認したら、なんとアレに喰われた日だったのよ」
「えぇ!」
「つまり、私は確かに104号室で10年以上、下の人間として過ごしたけど、上に戻ったら1日も経っていなかったの」
オレは口開けたままぽかんとした表情だったのだと思う。そんな様子を見て教授は説明を続けてくれた。
「前も少し話したと思うし、私の体験に基づく想像でしかないけど、地下の町は、かつて生きていた人たちが住んでいるのだと思うの」
「かつて生きていたって、幽霊ってことですか?」
「幽霊とは違うって八瀬君も言ってたじゃない。そう言うのとは少し違うのよ。この世界では亡くなってしまったけれど、下の世界でこれまでと変わらぬように暮らしている、とでも言えばいいかしら。そんな地下の町に迷い込んだ上の人間が、日の入りまでに帰れず生きたままアレに喰われると、そのまま住人となってしまう。そして、もし外の世界に出られたら……それは今のところ、船岡山の104号室の扉を、上の世界の人間に開けてもらうしかないのだけれど、もし誰かが開け、外に出られたら、食われた日に戻るみたい。だから地上では失踪とかの事件にはなってなかったわ。そして不思議なことに地下の私は、そのまま104号室に残っているのよ」
教授は窓から地下室の扉の方向を見下ろしながら言った。
「まだまだわからないことが多いわ、あの町には」
それからこちらを振り返って、
「ところで新棟建設のことは聞いた?」
とオレに言った。
「はい、聞きました。計画通りに建つと町への入り口が塞がれちゃうんじゃないですか? しかも分館まで立て直しの計画があるとか。扉と分館が無くなったら地下の町はどうなっちゃうんでしょうか……」
「さぁ。でも大学の決定には逆らえないわ」




