東方辺境砦騎士隊の一日
隣国フルムとの境にある東の砦は、この時期はあまり、人通りが多くはない。数か月後の王都ルーダーで催される生誕祭などであれば国境を跨いでやって来る旅人も少しは増えるだろう。しかし、南方にある、クロダ港を使う方がこの国に入るのには時間が掛からないというのもあって、乗船代をケチる者以外はあまり利用されることはない。
そう言った事情もあるためか、砦で働く騎士たちには緊張感がない。隊長であるエドガー・オルコットは大きなため息を付いて、壁に寄りかかり無駄口を叩いていた騎士二人を怒鳴りつけた。
ここ何十年も大きな戦争もなく、隣国とも友好な関係を結んでいるために、この国は平和だった。辺境の砦は、王都や町でのいざこざもないために、その対応に追われることもない。たまに、近隣で盗賊が出た、害獣が出たといった騒ぎになれば駆け付けるくらいだが、それさえ、数か月に一度あるかないかだ。
そんな、場所だ。騎士たちがだらけて居ても不思議はない。しかし、もしものことがあった場合に対処できなくては騎士として大問題だ。三十という若さで隊長の地位に付いたエドガーはオルコット伯爵家の次男であり、妻帯もしていないため、それなりの地位を持った隊長職の任に付くには適した人物であった。少し、融通が利かない性格が、騎士隊の上層部から、あまり快く思われていないためなのか、辺境の地の砦の隊長に選ばれた要因の一つかもしれない。
砦の人員の多くは近くの街や村の少年少女が多く騎士希望だけではなく、洗濯や掃除、食事担当を希望するものが多い。王都からわざわざ、辺境の娯楽さえないところに好んでやって来る騎士はいないし砦を職場にしようとする女性もいない。貴族の地位に付いているのは隊長であるエドガー以外には、副隊長のダレン・モーガンとその妻である従軍医師のマチルダ・モーガンぐらいだった。
王都からやって来た採用試験官が砦で勤務するに相応しいか(主に体力や病歴の有無)見極め、合格者を選出。数か月の見習い期間を設けて、人員に採用。騎士に関しては王都の騎士よりも簡単に騎士になる事が出来る。しかし、給金は思ったほど高いわけではないので離職率も高い。それが王都で騎士の従騎士から訓練を受けて正式な騎士になったものに比べるとかなりの差が出る。
それでも、田舎の安い賃金で雇われる労働者に比べればましなのか、年に数十人は志願者がいる。
「隊長、ちょっと宜しいですか」
通路で無駄口を叩いていた騎士はぺこぺこと頭を下げて、その場から逃げ出した。果たして、効果があったかは分からないのだが。その矢先、後ろから声を掛けられてエドガーは振り返った。改まった口調に騎士らしい敬礼、唯一の貴族位を持つ青年、副隊長のダレンが手に書類を手にして立っていた。みんな、こうだったら良いのにとエドガーはダレンには気付かれないように嘆息した。
「何かあったか」
「はい、早急に目を通していただきたい書類というか書簡があります。こちらです」
そう言って、一枚の書簡を差し出した。上質な紙に押された王家の刻印、早馬で届けられた書簡を一目見ただけで、今度はあからさまに、ダレンにも気づかれるほどのため息を付いた。そうなると理解して渡した節のあるダレンはそれでも、忠実に「どうなさいますか」と尋ねた。中の書簡は開けなくてもおおよそ何が書かれてあるのか分かった。こんな風に半年に一度やってくるのだ。
「また、あの方ですか」
「多分な、早馬で寄越すほどの大事なモノでもなかろうに」
国費の無駄遣いだと、誰にも聞こえない声でぼやくと、一緒に持ってきてくれたペーパーナイフで封を開ける。三つ折りに畳まれたものは書類というよりは手紙に近いだろう。見慣れた文字を追ってエドガーはまた、ため息を付いた。
「あの方は馬鹿か」
「また、こちらに来られるのですか」
ダレンはまたと言った。この五年ほど半年に一度、王都から療養と銘打って、やってくるこの国の王太子は、エドガーがお気に入りで、何度もやってくる。五年前にこの砦の副隊長に就任してからエドガー会いたさにやってくる。今年の春に隊長に就任したエドガーを祝いたいと書いてあった。隊長の任についてはいたが王都で就任式などは行っていない。
「しかし、殿下がいらっしゃればここの士気も上がるので私は大歓迎ですよ」
「その点は不本意だが…」
見目麗しい御年十七歳になる王太子は貴族の子女にとっては、結婚相手に望む一番の相手だし、それ以外の女子にとっても近くで見る機会がないのでそれは大騒ぎになる。騎士たちも王族が来るというだけで士気があがって、それから数か月は仕事にも身が入るようだ。
「まぁ、王太子に付き従って来る護衛たちもいることだから、こちらの仕事は通常通りになると思う。王太子が来ることは砦内だけに周知にしてくれ。掃除ぐらいはきちんとするように」
「了解です」
少しは忙しくなった方が砦の騎士たちにとって良い事だろう、そう自分を納得させてエドガーは溜まった書類をこなす為に執務室に向かった。手に、王太子からの書簡以外にいくつかの書類を手にしたダレンが付き従った。
* * *
王太子のやってくる当日は砦内は慌ただしかった。黄色い声を上げながらメイドたちがそれでもてきぱきと仕事をこなしている。そのため、砦内はどこも綺麗に磨き上げられている。少し前までは、エドガーに熱を上げていた少女たちもいつの間にか、王太子の話題で持ち切りだ。
騎士たちも真面目に仕事をしているし、王太子がやってくると分かってからは真面目に訓練にも顔を出している。
毎日そうだったら良いのにエドガーは小さく嘆息した。
砦の入り口付近が騒がしくなった。どうやら、王太子一行が到着したらしい。何度目かの来訪で数人の幹部の者たちも心得たものでゆっくりした足取りで移動した。
「王太子殿下、ようこそこんな辺境の砦に。ゆっくり、療養して…」
騎士の礼を取ったエドガーが頭を下げた一瞬、馬車から飛び出した何かがエドガーに抱き着いた。王太子ではない。いくら、エドガー大好きな王太子でもそんなことはしないだろう。
「!」
顔を上げると、首に腕を回した銀髪の少女が抱き着いている。満面の笑みを浮かべて頬を上気させて、とても美しい少女が。見覚えのない少女にぽかんとされるがままのエドガーに少女の後ろから王太子の笑いが聞こえた。それでも、冷静さを取り戻したエドガーは優しい所作で少女を引き離すと王太子と少女を交互に見返した。王太子は少女よりも明るい金髪だが瞳の色は同じ澄み渡った空の色だ。顔立ちも似ている。見覚えがないと思ったが王太子に似た顔立ちの少女を知っている。
「まさか、マリアンヌ様ですか?」
「ふふ。エド、お久しぶりですわ」
王太子は悪戯が成功したのが嬉しいのか、満面の笑みで近付いてきた。最後に王女に会ったのは五年前だ。当時、十歳だった王女はまだまだ小さなレディでしかなかった。王女が一緒に来るなどとは、手紙にも書類にも一切書かれてはいなかった。完全に予想外の出来事だった。
「陛下のお許しがあったのですか」
「エドのところに行きたいってお願いしたら喜んで許してくれたわ」
国王は一人娘には特に甘かった。無理を言って困らせたに違いない。エドガーの兄と国王は同年齢だった。乳兄弟なので、エドガーとも同じく乳兄弟に当たる。幼い頃から三人で仲良く遊んだ。小さい頃からの王太子も王女も知っている。
兄は家督を継いで伯爵家の当主に収まっていたが、今でも国王とは仲良く酒を飲み交わすこともあった。
「お父様、エドのこと心配していましたわ。私はそれを確認しに来たんです」
「私はこの通り元気にやっておりますよ。姫君は?」
「私も元気ですわ」
「お二人ともまずは中に。お茶の用意をさせます」
二人の背を押して、砦の中に案内する。砦とはいっても少し小さいお城と言った佇まいだ。他の砦に比べると重要性が低いためにそれほど大きいわけではないが要人を迎えられるぐらいの設備は用意されてあった。普段は滅多に使われない応接間に案内する。基本、メイドもこの土地の者なので、今日だけはマチルダが引き受けてくれた。従軍医師なので細々とした雑務はお手の物だ。
二人の前に温かいお茶を用意して甘いお菓子も置いた。王太子に出す物として、もう、お菓子で喜ぶ年齢ではないだろうと思ったが王女が来たので無駄にはならなそうだった。
「こちらで従軍医師を務めていますマチルダ・モーガン。副隊長のダレン・モーガンの妻です」
部屋からの退席間際に王女の視線に気付いたマチルダが先制するように挨拶した。エドガーの恋人と勘違いさせないためだ。それで、王女は納得したのか「ありがとう」と言ってお茶菓子に手を付けた。甘いものは昔から好きで今も変わらないようだ。
部屋にはエドガーと王太子レイモンドと王女マリアンヌ。エドガーの隣りに座りたそうにしていたが流石に礼儀を弁えてくれたようだ。そして、この場所にやってきた理由もあるようだ。ただ、エドガーの心配だけなら、王都に何か理由をつけて呼び戻せば良い。
「何かございましたか」
「あのね、エドガー」
王女はエドガーの目を真っ直ぐに見つめて、愛称でなく名前を呼んだ。レイモンドも妹の決意に口を挟まない。ただ、傍観するのみだ。
「隣国サジャスタの第一王子シャルル様の元に輿入れが決まりました」
驚いたようにエドガーの目が瞬いた。王女王子の婚約なら幼い頃から決まっていてもおかしくない。ただ、国王が余りにも子煩悩だったためにずっと決められていなかったと思っていた。それが何故、突然決まったのか不思議だった。
「オスタン王に待ってもらっていたらしいよ。シャルルもマリーのことを気に入ってたから、あちらも特に婚約者を決めてはいなかった。それが、ようやく父上が重い腰をあげたわけだ」
「そうだったんですね。私も初耳です」
「シャルルの身近にマリーぐらいしか年の近い王女がいなかったというのもあるけど。父上、僕らに甘いから」
それは自覚しているのだろう。妹とシャルルの事に関して、レイモンドは少しほっとしたようだ。
「後はレイモンド様だけですね」
「まぁ、急いでいるわけじゃないし。釣書見て決めるよ。おいおいね」
「おめでとうございます、で宜しいのでしょうか」
「うん、シャルル様のこと嫌いじゃないし、私分かってるつもりです」
「父上が甘いと子供の方が冷静になるものだよ」
決まったことは覆らない。王家に産まれた以上は婚姻も自由に出来ないことは学んでいた。だから、甘やかしてくれる両親に甘え、好きな人に全力で突撃していったのだ。この恋が実らないと分かっているからこそ。
「エドガー、いつも私に優しく接してくれてありがとう。私、幸せになります」
「姫君の幸せをお祈りしております」
こうして、王女の初恋は終わった。数日ほど、砦に居座った二人は大きく手を振って王都に帰って行った。その後、王太子の婚約者も無事に決まったことをエドガーは知った。
今日も賑やかだが、穏やかな東方辺境騎士隊は平和だった。
前サイトから、加筆修正して再投稿したものです。




