しろがねの猫
「立てそうか? 山田電機」
ちらりと僕の方を見て、京極様は口を開いた。
「・・・はい、何とか」
背中が焼けるように痛い。でも、立つぐらいだったら、何とかできた。
「いいか・・・お主はすぐに逃げろ。わらわはここで全てを引き受ける」
「な、何を言うんですか?」
ウルフキャットがじわじわと京極様を囲もうとしていた。京極様はその動きを警戒しつつ、僕に向かって話を続けた。
「よく聞け。徳川家の真の狙いは『しろがねの猫』の血だ。奴らは花音をその象徴として狙っている」
「え、今・・・何を」
あまりにも突然のことで僕は言葉を失った。
確か『しろがねの猫』とは長い間に渡った戦争を終わらせた伝説の猫だ。しかも、花音が? 突然、言われても正直、現実感がない。
「・・・だが、徳川家は誤解をしている。花音はそんな血筋ではない。なぜなら花音は・・・私の娘だからだ。オロチと私の娘だからだ」
「・・・え?」
京極様と花音が似ているのは何となく、分かっていたが父親が・・・あのオロチなのか。
「共に心から平和を願っていた。かつては敵同士ではあるがずっと心は通じていた。花音は京極とオロチの血を継ぐ者だ。山田電機・・・お主はここから逃げて、そのことを皆に伝えろ」
「ど、どういうことですか?」
思わず質問をしてしまった。
「いま、京都の猫は分断されている。それは、わらわのせいでもある・・・でも、今ならまだやり直すことができる」
心なしか京極様の声は少し震えていた。
「・・・ここから、一匹たりとも逃がす訳はなかろう」
観月様が近づいてきた。
ウルフキャットはすっと後ろにひいて道をあけた。
「言っておくが、お主たちの相手をしていたボンベイ、エルフキャット、メインクーン、スフィンクスは、ただの使いに過ぎない」
観月様はちらりとウルフキャットを見た。
「使いの猫が束になっても、恐らく、このウルフキャット一匹には遠く及ばない」
観月様は「こっこっこっ」と不思議な声で鳴いた。
「・・・観月、わらわの命に代えてでもお主だけは許さぬ」
「死にぞこないが。観音を殺ったことが、そんなに気にいらぬか」
「貴様っ」
その瞬間、京極様がすっと動いた。速い。
観月様は反応できずに、あっという間に距離を詰められた。京極様の爪が最短で観月様の喉を狙う。
しかし、ウルフキャットはすぐに対応して身体を入れてくる。京極様の爪がウルフキャットの身体に触れた・・・いや、ぎりぎり届かず、毛が宙に舞った。
京極様は血だらけで立っていたが、目の力は失っていなかった。その圧倒的な眼力で観月様は一瞬、怯んだ。
その時、ふと頭の中に疑問が浮かんだ。
「・・・あの、質問があります!」
京都の猫の未来が、いま、この瞬間どうなるか分からない時に、僕が口を挟んでいいものか迷ったが、思わず先に言葉が出てしまった。
京極様と観月様が同時に僕のことを睨んだ。怖い。でも僕は質問を止めなかった。
「・・・なぜ、花音を狙うのですか? 花音を使って何をするつもりなのですか? 花音は観音町の普通の猫で・・・喧嘩が特に強いわけではないし、今すぐ何かに役立つとは到底思えないのです。だったら僕の方がよっぽど・・・えっと・・・」
観月様はじっと僕のことを見ていた。頭から尻尾の先まで観察をしていた。
「観音町にも、面白い猫がいるのだな」
もしかしたら褒められたのか? いや、違う。京極様の表情は険しい。恐らく、僕は聞いてはいけないことを質問してしまったのかもしれない。
「どうせ、お前はここで死ぬ。だったら、教えてやろう」
観月様はちらりと花音を見た。花音はまだ倒れて寝たままだった。京極様は黙ったまま観月様の言葉を聞いていた。
「花音は『しろがねの猫』の血を継いでいる・・・そう睨んでいた。しかし、確証がない。確証を得るための鍵は観音だった。だが、観音は徹底していた。幼き頃から預かっていた花音の素性は決して明かさぬ。だから、スフィンクスを使って強引な手段に出たまで」
観月様はこっこっと変な鳴き声で笑った
京極様の毛並みがぞわっと震えた。僕を制して、観月様の前に立った。すぐに動けば喉を切り裂くできる距離に近づいていく。
「この際だ。よく聞け」
しかし、観月様はウルフキャットに目配せしながら喋り続けた。
「徳川家は今、東京・・・いや、関東の猫たちをまとめようとしている。だが、京都とは比べ物にならないほど、厄介な猫どもがいる。歌舞伎町、渋谷、池袋・・・埼玉、群馬。簡単に従う輩ではない。もはや徳川家という名だけでは、統率がとれていない。そこで、俺は提案した。『しろがね』の血があれば、大義がつくれるのではないか、と。そう、いわば旗だ。象徴となる血が今、必要だったのだ。歴史なんて後からいくらでも捏造できる」
よく分からない地名が沢山でてきたが、徳川家と観月は戦争の「大義」のために、花音を利用しようとしていることだけは理解できた。
花音が本当に『しろがね』の血を継いでいるのなんてどうでもいい。「大義」のためなら何をしてもいいのであろう。
今まで僕は何度も「大義」という言葉を聞いてきた。観音様も言っていた。五郎丸が京極様を狙った時にも言っていた。
結局、よく分からなかった。そんなものは立場によって、それぞれだった。
「・・・なんですかそれ。血のため? そんなくだらないことのために、こんなことをはじめたのですか!?」
その言葉は本心だった。観音様をはじめ、多くの猫たちが傷つき、中には命を落としたものもいる。
僕の言葉に、観月、ウルフキャットが一斉に身構えた。そんなにまずいことを言ってしまったのか、と一瞬、うろたえそうになったが、すぐにその理由が分かった。
今までピクリとも動かなかった、徳川家がゆっくりと立ち上がったのだ。
たったそれだけの仕草で観月様は俯き、ウルフキャットは全身の毛を逆立たせて、徳川家を守るように体勢を取り直した。
「・・・愚かだな。血こそ、全てだ」
徳川家はじっと僕のことを見ていた。
その目はまるで石のように冷たい。
「種族の誇り、縄張りを守る、いや広げるための戦い・・・過去の戦争の原因を辿るとほぼ全てが『血』に関係する。お主は、それを理解していないのか?」
僕は何も答えられなかった。そんな難しいことを聞かれても答えられるはずがない。
徳川家はすぐに興味を失ったのか、僕から視線を外した。
「・・・いつまで茶番を行っている?」
たった、その一言で観月は急に震え始めた。周囲のウルフキャットに向かって「シャー」という甲高い声で鳴いた。
「もういい、殺せ。京都の猫は一匹たりとも逃すな!」
と、その瞬間、京極様が閃光のように駆けた。迷わず、観月様を狙う。血が天井に飛び散った。観月様は「ぎゃん」と鳴いてゆっくりと倒れた。
京極様はそのまま、声をあげた。
「カオマニー、立て!」
部屋の隅で倒れていたカオマニー四兄弟がゆっくりと立ち上がる。
「退路を確保しろ」
その言葉と当時にカオマニーたちは壁を駆使して、変則的な動きで出口に近づいていく。
ちらちらと僕のことを見ている。
恐らく僕のことを逃がそうとしているのだ。
しかし、ウルフキャットはカオマニーの動きを逃さない。四匹のカオマニーと四匹のウルフキャットの差は歴然だった。あっと言う間に追いつき、カオマニーを捉える。
血が次々と流れていく。
カオマニーはウルフキャットの爪に倒れていく。しかし、京極様は、その隙をついて花音を助けようとしていた。
「花音!」
気を失っている花音の首根っこを噛む。だが、既にカオマニーを制圧したウルフキャットは京極様の背中を深く、切り裂いた。天井は更に血の色に染まった。今までは何とか致命傷を避けたけど、今は、血が天井に届くほど、深い傷だとすぐに分かった。
観月様がゆっくりと立ち上がり声をあげた。
「・・・徹底的にやれ。容赦は・・・するな」
ウルフキャットは京極様を囲みながら、ひたすら傷を負わせ続けた。
京極様は花音を首根っこを掴んで立ったままだった。
もう、直視できなかった。
どれだけ血が流されたのだろうか。
「随分と粘り強いな」
観月様の言葉に、京極様はじろりと睨み返した。
「言ったはずだ。わらわは必ず貴様を殺す」
しかし、その言葉と同時に、ウルフキャットがもう一度、京極様の身体を引き裂いた。
血が・・・今まで以上に部屋の中に飛び散った。 今まで立ち続けていた京極様はついに、床に倒れてしまった。
「京極様!」
近づこうとした瞬間、ウルフキャットは僕の背中を再び引き裂いた。血がまた沢山流れた。既に意識は朦朧としてきている。
何かが聞こえる。でも、何を言っているのかよく分からない。




