生還
水面の光が反射して宝石のように輝いていた。
ふと僕は、意識を取り戻した。さっきまで寝てたような感覚が急に晴れた。でも、その瞬間に苦しくなる。僕は今、水中の中にいる。必死にもがいた。何とかして上へ上へとあがいていく。
巨大な影が視界を覆った。その影はあっという間に僕に近づいて、首根っこを噛んで、川の中央にある・・・恐らく中州という場所へとあがっていった。気が付くとすぐ横にオロチがいた。全身の長い白と黒の毛並みがぐっしょりと濡れている。もちろん、僕もだが。
「あの、もしかして僕を・・・」
「・・・借りは返した」
オロチはぎろりと僕を睨んだ。相変わらず怖い。しかし、借りとは何だろう。もしかしたら僕がオロチの檻の鍵を外したことであろうか。意外と律儀なのだな、と思ったがすぐに肝心なことを思い出した。
「教授、教授は!?」
オロチはじっと川の方を見ている。教授は岩場と岩場の間にある、変則的な流れの中をぐるぐると回っていた。
「教授!」
僕は助けに行こうがすぐに思いとどまった。
「あの、教授も何とか助けてもらえないでしょうか?」
オロチだったら、何とかしてくれるであろう。そんな淡い期待の視線を向けた。
「無理だ。あの流れは俺でも戻ってこれない」
「そんな・・・」
僕の淡い期待は一瞬にして砕かれた、と思えたがオロチはじっと川の流れを睨んだままだった。
「あの猫の名は何という?」
「え、あの・・・教授、ですが」
意外な質問に僕はしどろもどろしてしまった。
「・・・大事な仲間なのか?」
「勿論です。教授の博識ぶりは観音町でも有名で、質問したら何でも答えてくれる。仲間、というより師匠です・・・尊敬しています」
「そうか・・・」
オロチはそれ以上、何も質問してこなかった。
「・・・ひとつだけ方法がある」
オロチは中州から少し離れた小さな岩場に目を向けた。そこには、先ほど岩にぶつかって割れたと思われる板が挟まっていた。
「あの板を流せば、流れに乗って、自然に教授のもとにたどり着く。板にしがみつけば、溺れることはないだろう。だが、あの岩場の大きさは俺の重さに耐えられない」
オロチは僕の方をちらり、と見た。中州からその岩場までは、全力で跳べば、確かにぎりぎり届く距離だ。僕の身体の大きさだったら岩場に着地することもできるであろう。
でも、僕に出来るのだろうか。失敗したら、流れに飲まれて、今度こそ浮き上がってこられない。正直、怖い。教授は、まだ流れに呑まれてぐるぐると浮かんだり沈んだりしている。今、すぐに行かないといけないは分かっている。でも、身体が動かない。見かねたオロチが口を開いた。
「・・・今、動かぬと一生後悔するぞ」
その言葉は厳しくもあり、何だか優しい口調だった。
その言葉に背中を押されるように、僕は意を決して走り出した。中州から岩場に向けて、思い切り跳ぶ。
何とか岩場に着地した。間に挟まっている、板を取り出して、ぐいぐいと何度も体重をかけて、何とか川の流れに押し出した。
板は順調に教授のもとに向かっていった。
かろうじて首から先だけを水面から出している教授は板の存在にまだ気が付いていない。
「教授、板! 板を!」
僕の言葉が聞こえたのか、偶然なのか分からないが、教授は板の上に前足を乗せた。そのまま、しばし、ぐるぐると川の流れに翻弄された後、中州へとたどり着いた。
僕はもう一度、全力で跳んで何とか元の場所に戻った。ほぼ助走できないから不安だったが、二回目のせいか思ったより余裕だった。
「教授・・・よくぞ、ご無事で」
「うむ・・・」
教授は首から上をぶるぶるさせて水滴を払っていた。
「本当に良かった」
僕は教授の身体を尻尾で撫でた。お互い、水浸しだったけど、教授は嫌がる様子はなかった。
「正直危なかった。ありがとうな、山田電機君」
教授もまた尻尾で僕の身体を撫でてくれた。
「こ、こちらこそ、僕はいつも教授にお世話になりっぱなしで・・・」
それ以上、言葉は出てこなかった。
教授はしばらく尻尾で僕の身体を撫でながらも、ぼーっと何かを考えていたようだった。
「しかし、これからどうすべきか、だな」
僕たちの板は岩にあたって割れて、どこかに流れてしまった。これ以上、移動する手段がなくなった。
「あの・・・」
恐る恐る、僕はオロチに話かけた。
「一緒の板に乗せてもらえないでしょうか?」
オロチは、濡れた毛から水を滴らせながら、じっと僕と教授のことを睨んだ。
まずい、さすがに図々しかったか。
「・・・久世橋までは、もうすぐだ。まあ、この距離なら大丈夫であろう」
意外にもオロチはあっさりと申し出を了承してくれた。
その後、僕と教授はオロチの板に同乗して、何とかして待ち合わせ場所の天神川の合流地点になる久世橋の河原にたどり着くことができた。
河原では既に五郎丸・外資系、花音・松虫が待っていた。
オロチは河原につくと何もなかったかのように、次の行先を説明した。
「ここからまっすぐに進めば、伏見稲荷につく。その裏の山を抜けて南下すれば、観音町だ」
休む間もなく、オロチは伏見稲荷に向けて、走り始めようとした。
しかし、五郎丸が憮然とした表情をしている。
「何かあったのでしょうか? 遠くから見ていましたが、オロチ殿・・・あなたが彼らを助けていたよう
に思えましたが」
五郎丸は明らかにオロチに不審な目を向けていた。
しかし、オロチは動じることがなかった。
「あの時点で脱落されては、こちらとしても迷惑。俺が、観音町の猫を助けることに、何の不自然はないかと思うが」
僕は全力で尻尾を振った。その通りだ、ありがとう、オロチ。そんな僕の全力の応援に気づかないまま、オロチは喋り続けた。
「それよりも、濁っているのは、お前の目ではないのか、五郎丸?」
「・・・どういうことでしょうか?」
五郎丸の言葉にオロチは答えなかった。
「・・・伏見稲荷、あの地は、日が暮れる前に越えたほうがいい。走るぞ」
こうして、オロチを先頭に僕たちは走り始めた。
この時、僕は川下りに夢中ですっかりと忘れていた。駅長が言っていたことを。オロチと名乗る猫が四条界隈にいるということを。
前を走るオロチの背を身ながら、何となく嫌な予感がした。
不思議な声が聞こえると、必ず困難が訪れる。結局、何とかなってきたけど、これから先、また何かがあるかと思うと憂鬱な気持ちになってきた。




