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悲しみ

 雲龍殿は何も言わず、オロチの次の言葉を待っていたようだった。


「当時、俺はこの異様な毛並みのせいで他の土地から追われた。幼い子を連れてだ」


 白と黒の半分ずつに分かれているオロチの毛並みが揺れていた。

 僕たちはオロチの言葉に聞き入っていた。


「流れついたのは京都の地。しかし、ここもまたひどかった。野猫は他の猫たちから徹底的に排除され、餌にもありつけない。餓死するものもいた。これが同じ猫なのか。なぜ、俺たちだけ苦しまないといけないのか」

「・・・それで、徒党を組んだわけですか」

「生きるためには、同じ境遇のもの同士で協力するしかなかった」


 オロチと雲龍殿は睨み合ったままだった。


「だから、我々を殺しても問題ない、と」


 雲龍殿は静かに口を開いた。


「争いの根には必ず理由がある。一方的に相手のせいにしても根本的な解決にならない」

「そういうのを詭弁というのです」

「なぜ、分からぬ・・・」


 オロチはぼそっと呟き、もう一度、身体を檻に押し付けた。金属が軋む音がする。

 僕は臆病のせいか、耳だけは敏感だ。

 オロチの「なぜ、分からぬ」という言葉は僕にしか聞こえていなかったようだ。

 僕はずっとオロチの様子を観察していた。同時に違和感も感じていた。オロチは徳川家やスフィンクス、ボンベイとはどこか違う。確かに言葉を発するだけで空気を震わすような迫力がある。しかし、何かが違う。表情をみて少しだけ、その理由が分かった気がした。 悲しみだ。

 オロチはずっと悲しそうな表情だった。どんなに強い言葉を使っても、悲しさだけは拭えない。

 教授から教えてもらった、しろがねの猫の歴史。京極様から聞かされた歴史。オロチから語られた歴史。事実は一つのはずなのに、今は何が真実で何が嘘だか、よく分からない。

 大きな身体、全身が白黒と分けられた毛並み、オロチは震えていた。しかし、雲龍殿はこれ以上、取り合おうとしなかった。


「・・・行きましょう」


 雲龍殿は冷徹に会話を打ち切って、部屋から出ようとした。


「なぜ、分からぬ」


 オロチは檻にもう一度、強く身体を打ち付けた。ガシャンという音と共に部屋の空気が揺れた。

 僕は思わず振り返ってしまった。

 オロチは悲しそうな表情で僕たちのことを見ていた。ごくりと唾を飲み込んだ。

 ふと檻に目をやると、何度も身体を打ち付けたせいなのか、元々なのか、分からないがオロチを閉じ込める檻の鍵が半分外れかかっていた。金属の突っ張りのようなものを少し横に移動させれば檻の扉が開くような構造だった。

 オロチはじっと僕のことを見つめていた。騒ぐ様子がない。悲しそうな目だった。雲龍殿は鍵が外れかけていることに全く気が付いていないようだった。

 雲龍殿は松虫、花音、教授を部屋から出そうとしていた。


「おい、山田電機、さっさとしろ・・・」


 中々、動こうとしない僕に業を煮やして松虫が声をかけてきた。その時、僕は外れかけた鍵に前足をかけようとしていた。自分でもよくわからない、たった少しだけこの金属を動かせば、何かが、いや世界が変わるかもしれない。そう思った。

 すると不思議な声が聞こえてきた。


『案ずるな。お主は間違っていない』


 僕は頷いた。


「おい、お前、何やってんだ!」


 松虫が叫んだ。

 同時に雲龍殿が駆けてきた。しかし、それよりも早く僕は外れかけた鍵をすっと動かした。その瞬間、ゆっくりとオロチの檻の扉が開いた。教授、花音はまたしても僕の愚行に唖然として言葉が出ない様子だ。ざわついた空気が一瞬にして重くなった。僕が開けた扉からオロチがゆっくりと出てきたからだ。オロチはまず最初に僕のことをじっと睨んでいた。


「礼だけは言っておくべきか」


 白と黒の毛並みに分かれた巨大な猫が僕に近づいてきた。たったそれだけのことなのに、僕はその場から動けず、呼吸すら出来ず、いつの間にかはぁはぁと息切れしていた。

 その瞬間、雲龍殿が目の前を横切った。今ならまだ扉の中に押し込めるかもしれない、そう思ったのであろう。しかし、オロチは悠然と雲龍殿をかわした。それでも雲龍殿は身体を翻し、もう一度オロチに襲いかかった。


「ならぬ。絶対に外に出してはならぬ!」

「異常なのはお主たちのほうではないのか?」


 オロチは雲龍殿の渾身の突撃を何なく捌き、逆に建物の壁へと雲龍を追い込み、前足の爪を突き出した。


「これ以上、邪魔をするなら、相応の覚悟をしてもらうぞ」


 オロチは雲龍殿、松虫、教授、花音、僕を順番に見た。その威圧感に僕たちは動けずにいた。そんな僕たちを嘲笑うかのように、オロチは建物の扉の位置を確かめると、そこに向かって駆けて行った。


「ならぬ、絶対に・・・」


 雲龍殿はうわ言のように呻き、オロチの後を追った。

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