京都の治安を乱す猫
五郎丸が案内してくれた場所は、小さな建物だった。
人の気配はなく猫が数匹たむろっていた。その中でかなりの高齢と思われる猫がいた。全身の体毛を数年いや数十年整えていないのだろうか、とにかく、あらゆる方向に伸び放題であった。少し歩くだけで大量の毛がずるずるとまるで別の生き物のように床を這う。
高齢の猫は横たわる花音を見ていた。聞こえるか聞こえないかの低い声で鳴いたと思うと、取り巻きの猫が花音を部屋の奥へ手際よく運んだ。暫く花音の様子を見ていた高齢の猫が五郎丸に近づいた。口元の毛がもぞもぞと動いている。恐らく何か喋っているのであろう。五郎丸は表情を変えずにじっと、その言葉を聞いていた。
「とりあえず一命はとりとめた。しかし、余談を許さない」
五郎丸は僕と教授を外に出して花音の状況を説明した。ほっとしたのは束の間だった。花音がまだ戻ってこれないと聞くと不安は増していった。
「・・・あの・・・『マムシ』という黒猫は何者なのですか? 五郎丸殿は何か知っているような態度でしたが・・・」
マムシという言葉に反応して五郎丸は少しだけ僕に視線を向けた。
「飼い主も家もない・・・野猫の集団だ。一匹では生きることが出来ないが故に奴らはいつも徒党を組む」
野猫・・・確かに観音町でも数は少ないがいつも一緒に行動をしている。近寄りがたい集団ではあるが何か悪さをしている様子はなかった。マムシとは何が違うのであろうか。 五郎丸は説明を続けた。
「奴らは他の猫を傷つけ、何かを奪うことを躊躇しない。まさに京都の治安を乱す猫の集団、と言われている。中でも、ぬるま湯につかり、贅沢な暮らしをしている飼い猫どもを忌み嫌う」
「だとしたらマムシにとって祇園の猫は天敵そのものじゃないですか?」
「・・・ああ、そうなるな」
五郎丸は一度、何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
「・・・なぜ、マムシが急に動き出したのか。狙いが何なのか、私もよくわからない・・・山田電機と教授といったな? お主たちに今一度、頼みたい」
五郎丸はじっと僕と教授を見つめた。
「マムシを退治しろとは言わない。だが頼む、改めて祇園に京極様を探しに行ってくれないか。いま、京都で何かが起ころうとしている。京極様なら妙案を教えてくれるだろう」
あまりの無茶ぶりに僕は唖然とした。無理無理、絶対に無理。ついさっきまで命を落としかねない危険な状況だった。祇園に近づいたら襲われると分かっているのに近づく馬鹿猫はいない。しかし、すぐ隣の教授が意外な声をあげた。
「承知しました。京極様に会えば何か分かるのですな?」
「確実とは言えない。が、恐らくは」
「うむむ」
僕は身体がふらついたフリをして思い切り教授の前足を踏みつけた。
「ぎゃん」
教授の鳴き声に構わず、僕は話を続けた。
「教授、本気で言っているのですか? 我々の先程の体たらくを自覚していないのですか? たった二匹で何が出来るというのですか、もう一度マムシに見つかればイチコロです」
教授は僕の言葉に急にしゅんとなってしまった。
「それはそうだが、それ以外に何か出来ることは・・・」
教授の言おうとしていることは分かる。でも、いま僕たちだけで出来ることは何もない。
困り果てた僕と教授を見て、五郎丸は少し呆れた様子だった。
「もしかしたらお主たちは何か勘違いをしていないか?」
「と、いいますと?」
もったいぶった五郎丸の言い方に僕は少しイライラした。
「この状況だ。お主たちだけで行ってもらおうとは思わない。もちろん私も行くつもりだ。数は多いにこしたことがないからな」
「え、本当ですか?」
僕は思わず尻尾を大きく縦に振ってしまった。教授も気を大きくしたのか、
「ではともに祇園へ参りましょう!」
早くも気を大きくしてこの場を仕切っている。そんな教授はさておき、五郎丸が同行してくれるのは本当に心強い。マムシに再び襲われても五郎丸がいたら何とか退治してくれるであろう。
教授の仕切りに五郎丸は頷いた。
「すぐにでも祇園に向かいたいところだがこちらも準備がある。互いにあまり寝ていないのであろう。再び、日が暮れかける頃にもう一度、この橋の下で落ち合おう」
これからすぐに行くと言われたら全力で拒否しようと思っていたので正直助かった。教授もまた同じ気持ちなのだろう。ロクに寝ていないせいか、目は既にトロンとしている。
「では、また後ほど」
五郎丸はととんっと軽快に河原の斜面を駆け上がっていった。朝日が昇りかけていた。鴨川も水面が不思議な色にてかてかと照らされていた。僕も教授も次第に睡魔が蘇っていた。あまり言葉をかわすことなく、とりあえず寝ようということになった。寝床をつくりながら、ふと心の中が急にざわついた。このまま僕たちはゆっくりと寝て、明日また日が暮れる頃に祇園にむかう。教授は既にいびきをかいて寝ていた。僕もすぐにでも寝たい。でも何となく違和感があった。マムシという黒猫たちは一体何者なのだろう? 狙いは何なのだろう?
僕は、言いようがない不安に襲われていた。
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