逃げるが勝ち
鳥居の奥には観音町では見たことがない建物が並んでいて、そのどれもが踏み込んだら二度と出てこれないような怪しい雰囲気を醸し出している。スフィンクスは鳥居の奥の道をくねくねと曲がり、その先に竹林に囲まれた厳かな建物が見えてきた。恐らく、その建物が徳川家のいる場所であろう。さっきまで嫌というほど聞いた鉄の塊の喧噪は一切、聞こえない。そのことは逆に今、ここで何が行われても外からは分からないことを意味する。
僕は絶望した。奥に行くにつれて、時々振り返るスフィンクスの目はより大きく、眼光が鋭くなっていたからだ。
これから何をされるのだろう。教授や花音はまだついていないのだろうか。いや、とっくにスフィンクスにやられてしまったのだろうか。嫌な想像が止まらない。段々と気持ち悪くなってきた。
僕は決意した。まだ間に合う。このまま引き返して全速力で逃げよう。逃げるなら早い方がいい。昔、教授が言っていた。人間の諺に「逃げるが勝ち」というものがあると。恐らく、猫にもおおむね、当てはまる。現に野猫との喧嘩でも僕はそうだった。いつも喧嘩になると逃げていたけど負けたとは一度も思っていない。
そうと決まれば逃げるのは早いほうがいい。後ろ足に思い切り力を込めた。
でも・・・一瞬、筋肉が緩んだ。もし、教授も花音も捕まっていたら裏切者にならないだろうか。裏切者が逃げて、また観音町でのんびりと暮らすことが出来るのだろうか。
「いや、違う。僕は何も知らないんだ。知らないから裏切ったことにはならない」
自分で自分を言い聞かせるように自然と呟いてしまっていた。スフィンクスは振り返り、僕のことをじっと睨みつけていた。まずい、思わず声に出してしまった。気づかれた。このままだと追いつかれる。いや、まだ間に合う。いちかばちかで逃げるか。必死に考えた。脳味噌をフル回転したら、何だか身体が熱くなって、くらくらとしてきた。
スフィンクスは何度か僕のことを見ながらも建物の入口をすっと中に入っていった。今がチャンスだ、僕はもう一度、後ろ脚に力を込めた。
その時だった。みやぁという鳴き声が微かに聞こえた。気のせいだよね、そうだよね、何度も思いこませようとしたが、鳴き声は耳にこびりついて、なかなか離れない。僕の身体は外に向かっているのに、耳だけは鳴き声の方を向いている。
僕は臆病者のせいか、耳だけは敏感だ。
「教授、花音・・・?」
僕は、とぼとぼとスフィンクスの後を追って、部屋に向かって歩き始めた。
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