作品素材インプットの話
まずは色々なところで様々な人が言っている創作の初歩的なお話。作品を作ること、すなわちアウトプットするには、まずインプットが重要という話。そりゃ、物語を作るには、色々な物事を脳内に仕入れておいた方がいい。誰でも容易く予想出来る事だ。お仕事小説ならその業界のことを知らないとダメだし、歴史小説なら歴史用語と年表の理解は最低限必要だ。
そしてそれらを練り合わせて創作の下ごしらえである。そこに登場人物と舞台(背景を含む)と筋書き(プロット)とオチが紡がれる必要がある。
お話の軸になるひとつにオチのパターンも僕の場合には重要だ。それも含めてインプットの考察といきたい。
僕が影響を受けたものはいくつかある。
まずは神話である。日本神話(『古事記』・『日本書紀』など)やローマ神話・ギリシア神話、ゲルマンの神話などである。特に日本神話についてはここ数年、結構な数を読んだり、解説書を読んだり、動画配信なども参考にして多くの事象を脳内に蓄えてきた。まあ、ポンコツな僕のレベルでの話だ。ここに伊勢や東京、神奈川などの神社の縁起など、現地の情報なども交えたモノがアウトプットされることも多い。西洋の神々なら、その役割やキャラクター、アトリビュート、星座の神話などもこの項目に入れて、僕のインプットの基本事項と考えている。
これら神話や説話系の物語のオチは一見単純そうに見える。だが実は参考になる。「めでたしめでたし(ハッピーエンド)」、「それを機に天罰が下されたとさ(教訓オチ)」、「それ以降○○と言われるようになったとさ(縁起由来オチ)」などである。
例でも挙げておくと、『御伽草子』の一寸法師なら「うちでの小槌で大きくなった一寸法師はお姫様と夫婦になって仲良く暮らしたたとさ。めでたしめでたし」だ。『イソップ童話』の「ヘルメースときこり」では、欲にまみれた木こりは自分の池に落とした斧を金の斧と欲張った嘘を言ったために自分の斧さえも返してもらえなかった。日本神話では「天孫降臨」のニニギノミコトのお話では、姉の岩長姫を娶らずに妹の此花咲夜姫だけを娶ったために、この世に寿命というものが出来てしまったという由来になっている。ちなみにこの寿命オチは海外の神話にも散見されるため、総称した用語で「バナナ型神話」と呼ばれている。
次に歴史書や歴史の読み物などからの習得である。とりわけ日本史や欧州史、特に英国史やイタリア史なども含めたギリシア、ローマの時代、即ち古代から中世での知識である。ただ僕が教育を受けた時代の三分法や四分法は近年大きく見直しが進んでいるので、そのためここでの時代区分の誤差や小さな未更新は許して頂きたい。
三分法はヨーロッパ史学の基本、おおもとの根っことなる時代区分の方法で、歴史の時間軸全体を古代・中世・近代という三つに分けるという考え方である。おおざっぱに代表的なモノとしては、古代はギリシア・ローマの時代でローマ帝国とそれ以前だ。イギリスのハドリアヌスの長城などの出来た頃である。中世は一般にはフューダリズム、土地を媒介とした主従関係や「暗黒時代」などともされている。その中身は支配者と隷属者の主従関係に由来していることが多い。だがセルバンテスの残した作品のようにネガティブな要素ばかりではなく、郷士の武者を題材にした騎士道精神の面白い時代背景もある(『ドン=キホーテ』)。同じく英仏では七王国、ヘプタ―キーからノルマン・コンクエストの時代やフランク王国などの時代である。土地という財産に対する価値観では、日本の荘園時代のそれと少し似ている。そして社会が整った産業革命以後が近代という現代に通じる時代であり、大量生産とマスメディア、大衆化社会の今へといたる。
日本のそれは、欧州の三分法に江戸時代が特別な存在で、欧州のそれに則さない部分が多いので、古代・中世・近世・近代という四つの区分で時間軸全体を分けたものである。近世は中世ほど酷い時代ではないという前提で定義されている。江戸期が算術や医学、学術の発展、出版などの文化形成や交通、貨幣経済による都市の発達という近代に一歩近づいた過渡的位置づけにあったことによる日本という地域性を加味した独特の時代区分と僕は教わった記憶がある。
江戸期を題材にした物語は人気があるため、日本独特の近世がいかに魅力的なのかということもわかる結果である。元禄文化、幕末、お伊勢参りなどは度々物語の題材になっている。
三つ目はマンガ、コミック分野だ。人によってはアニメやドラマ、映画もこの類いに入れても良い。結構、前者二者とはガラリと変わるが、同じく知識をマンガなどから入れる人も少なくない。サイボーグ、コールドスリープ、タイムリープ、サイコキネシス、テレポーテーション、テレパシー、ワープ航法、四次元世界などこれらの用語をマンガから仕入れていたSFファンの一部もいた。僕らの世代になるとそういう人もちらほら出てくる。そして僕自身もそんな一人だ。SFのファンはどうしても小説だけというわけではなく、松本零士や藤子不二雄、石森章太郎、竹宮恵子、萩尾望都、高橋留美子といった著作のマンガを読んでいた人も多い。特にスペースオペラ(僕は自分の小説では書けません・笑)やタイムリープなどのジャンルはマンガ独特の世界観が描かれている場合が多いためだ。
『銀河鉄道999』、『21エモン』、『地球へ』などは良く周知されたSF作品である。
映画ならルーカスやスピルバーグ、そしてその門下生たち。ゼメキスやダンテである。『トワイライトゾーン/超次元の体験』は結構僕の中で刺さったSF作品だった。日常SFとしての大ヒット作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などもこの類いだ。
四つ目は小説。これはダイレクトに文字から文字の吐き出しになるので、じつは僕の場合はネタにするというよりも文体に影響を受けたり、世界観に影響を受けるというのが多い。心象世界だ。実際に、筒井康隆や星新一、新井素子、眉村卓、平井和正というSF勢だけでなく多くの文芸作家や歴史的な文豪の雰囲気は僕の作品の肥やしになったと考えている。例えば少々堅いところで言えば、芥川龍之介はオチの天才と言われるように、「蜘蛛の糸」での教訓オチや「杜子春」のようなSFまがいのフラッシュバック型の時空ものも超真面目に描いている。しかも言ったとおりオチも完璧だ。武者小路実篤の「友情」なども漱石の「こころ」と並び心情と選択で揺れる人間の本質をオチで感じさせていた。小説で教訓オチで真っ先に思い浮かぶのは『注文の多い料理店』である。作者の主観による道徳観とも言えなくないが、まあハンターに対して何でもかんでも猟で殺生をすると良くないよ、というオチが見られる。
とまあ、語り出せばまだ少しは具体例を出せそうだが、長くなるのも決して良いことではない。ほどほどという長さで一単元を区切るのも大切である。ではまた。




