第四話 魔界ってなんだ
「何をしている。疲れたのか?」
キリコはそう秋斗に問う。秋斗はその問いに対して俯いたまま沈黙で返事をした。
「仕方がないな」
キリコは全く動く気配がない秋斗を立たせようと手を取った。しかし秋斗はそれをすぐに振り払う。
「ずっと座り込んでいるつもりか? さっきの騒ぎの所為でヒトが集まってくるぞ。早く動け」
「………………生きてるのか?」
「何がだ」
「親父とお袋は生きてるのって聞いてるんだよ!」
「母親は知らんが……父親はのうのうと生きておる。今に磔になっているかもしれんがな」
秋斗はゆっくりと立ち上がった。
「会わせろ」
「今は無理だ。魔界に戻る術がなくなった。あいつが禁書を燃やしてしまったからな。それよりなぜそんなに強いか――」
「そもそもその魔界って何だ! 何のことだかさっぱりわからない。お前、狂ってるんじゃないのか」
キリコは秋斗の手を握ると、校門に向かって走った。
「何だ」
「ここから去る。人に見つかるのは困るのだ。これの隠し場所も考えないといけないしな」
キリコは首だけのルシファーを見てどぎつい目線を送った。そして語勢を強めて、
「ゲートを勝手に広げた責任も取って貰わないとな」
と言った。
秋斗は何のことだか全くわけがわからなかった。
二人はルシファーの胴体をその場に残したことを忘れていた。首からだけになっていたそれはおもむろに立ち上がり何処かへ飛び去った。
学校の裏には山がある。そんなに大きくはないが小さくもない。ハイキングに行くには小さすぎるが、ちょっと散歩に行くには大きすぎるくらいの山だ。
その山の一角、学校に面している方とは逆側に大きな屋敷がある。金竜家という何ともお金持ちそうな名前の一家が住んでいて、一家はその羽振りの良さと金への執着の強さで有名だった。つまりがっつり儲けて儲けたそばから一気に使うおもしろ一家というわけだ。この屋敷もそういった理由で建てられたもので面積は綾瀬家の倍はある。もっとも綾瀬家は敷地内に屋敷の他に道場があり、そちらの方が大部分を占めているため居住スペースとしては綾瀬家の五倍はあった。
豪華な正門には格子の門がものものしく佇んでおり、去る者追います来るもの拒みます、とでも言いたげだ。そして何よりこの屋敷の凄いところは、使用人の数が異様に多いところだった。金竜家の人々は、今家にいない人もあわせて六人、当主金竜一馬、妻靖子、娘百々、息子昇平、先代武志とその妻つねだけだ。その六人を世話するのになんと五十人の使用人がいるのだ。現在は娘百々が別居中で実質一人あたり十人の使用人がいることになる。
その金竜家の正門の前に秋斗、キリコとキリコに髪を掴まれている魔王ルシファーがいた。
「俺は聞きたいことがあるだけなんだが……」
「中で聞けばいいだろう」と、キリコは言う。
秋斗は反論したいが、もう本当にわけがわからなさすぎてどうすることも出来なかった。
キリコが手際よくインターホンを押し中へ何かを伝える。その様子から相当慣れているものだと窺える。
すぐに中からメイドの格好をした使用人二人が出てきた。背の高くてすらっとしたかっこいい印象の女性と、小さくて幼い感じの女の子だ。
「きゃ!」
メイドの小さい方が大きい方に隠れる。どうやら秋斗に怯えているようだった。
「服を着られてはどうですか?」
大きい方がきつい視線を送ってくる。隣ではルシファーが少し動いたような気がした。
「いや、これは、ちょっと木に引っ掛かって……」
「そうですか。失礼いたしました。何か着るものを用意いたしましょう」
「さあ中へ」
キリコがルシファーの髪を掴みながら秋斗を促す。
「え」
「いいから」
メイドに案内された先はこの屋敷には似合わない小さな談話室だった。そこのソファーに腰掛けキリコに訊ねる。
「……なんで?」
秋斗にはそれしか言うことが出来なかった。
「ここのおじさんがとてもいい人でな。私が頼んだら住ませてくれたのだ。本当は一日だけの宿にするつもりだったのだがな。魔界について聞きたいんだったな?」
「それにゲートとかについても。何もかもわからないことだらけだ」
「魔界とはさっき言ったとおりもう一つの世界だ。それ以上は何とも言えない。お前もこの世界について何も言えないだろう?」
「じゃあゲートって何だ? この……なんだ、黒い人が出てきたやつだろう?」
「あれはイルジオンゲートといって魔物を召喚するものだ。イルジオンという世界へと通じている。それ以上はわからない」
キリコにもわからないことが多いらしく秋斗は少し安心した。安心して思わず顔が緩んだ。
「だが!」
キリコが声を張り上げる。ルシファーも秋斗も思わずびくっとした。
「この大馬鹿者がそれ広げおった。おかげで余分なものまでこの世界に出現した。意味はわかるな?」
「こいつみたいなのがうじゃうじゃ出てきたと?」
秋斗はもう一度よくルシファーの首を眺めた。厳つい目がまだキョロキョロしていて気持ちが悪い。
そこに先ほどのメイドが駆けてきた。大きい方だ。
「貴理子様のお連れ様。今日は遅いですし泊まっていかれてはいかがでしょうか。とご主人様が申しておられますが」
秋斗はうっかり忘れていた。ここは人の家だ。キリコの家ではない。まだ挨拶もしてないじゃないか。キリコやルシファーは魔界の人間らしいから何もわからないと思うが、こちらでは普通挨拶くらいはするものだ。
「ちょっと挨拶に行ってくる。その首は俺が預かっておこうか? 俺が契約とやらをしたんだから俺が持っていないとまずいんだろ?」
そう言いながらルシファーのいたはずの場所を眺めるとルシファーはいなくなっていた。
「逃げられた? 首から下がないのに」キリコに問う。
「私が探そう。お前はここでゆっくりしておけ」
キリコは秋斗の傷ついた体を心配してそう言った。
(人の家でゆっくりなんて出来るわけないだろう。それに――)
キリコが部屋を出てすぐに秋斗も挨拶をするためにメイドと共に部屋を出た。
一際大きな扉だった。メイドに案内された先には横幅三メートル、縦五メートルほどの巨大な扉があった。メイドはその扉を軽々あけ秋斗を中へ通した。
「勝手に上がってすいません。綾瀬の秋斗です」
「よろしい! ここに来て掛けなさい」
随分と若い声だった。部屋の奥まで少し距離があり奥の机には声の主の後ろ姿が見える。それより手前には談話室のより豪華そうなソファが向かい合って置かれていた。
秋斗はおそるおそるそこまで歩いていって座った。
「ってのがやってみたかったんだよ」
声の主は振り返って言った。当主一馬にしては若すぎる顔だった。秋斗にはそれが誰かわかった。
「昇平さんじゃないですか! 元気でしたか?」
「雰囲気壊れるから今のままでいてくれよ、全く」
秋斗は金竜家の跡取り昇平と面識があった。かつて昇平は綾瀬家の道場の門下生だったのだ。歳もそれなりに近く初めは強さも似たようなものだったのでよく二人で組み手の稽古をしたりした。だがしかしすぐに秋斗は強くなり相手をしなくなり、昇平は忙しくなったため、結局昇平は道場をやめて疎遠になってしまった。昇平は正面のソファに腰掛けた。
「元気だったよ、一応。今のところは、な」
「どうしたんですか」
「さっき廊下でな……いや、やっぱりなんでもない。そんなことより! さっきのメイドどうだった?」
「どうだったって、普通の方でしたよ。別に特別礼儀正しいだとか不作法だとかはありませんでした」
「おまえは不能かよ。どうだったってのはそういう意味じゃねえよ。綺麗だっただろう?」
「まあ……。でもあの制服を着れば誰だって綺麗に見えますよ」
メイドというものは大抵制服を着ているものでこの屋敷でもそれは例外ではなく、一般的なメイドの制服を着ている。
「そうじゃないんだなあ、これが。あの人だけは特別なんだよ。お前にも見えるだろう、あの人の魂の美しさが。心の芸術が! 命の輝きが!」
「いえ……特には」
「それでいい。またライバルが減ったな」
「そんなに多くないと思いますけど」
「そんなことよりだ! お前をここに呼んだのはある理由があるからなんだ」
そう言って昇平は立ち上がった。
「泊めていただけるんですよね?」
「その事なんだが条件がある」
「別に俺はすぐ帰れるんで泊まれなくても平気ですよ」
「まあ条件を聞きなさいよ」
「はい」
「この屋敷には部屋がたくさんある。今は姉の部屋が余っている、と言いたいところだが残念ながらこの前流れ者がそこに居座ってしまった。だが俺はお前を泊めてやりたい。メイド達の部屋もあるが余ってはいない。そこで、だ。お前には俺の部屋に泊まって欲しい!」
「ちょっと待ってください!」
「いや待たない! 別に俺と寝ろなんて言ってない。お前は俺の部屋に泊まる。それでいい。俺は、と言うとだ。瞳さんの部屋で寝たいんだ。あ、あのメイドさんのことな」
「そうなんですか」
「だからお前。その旨を瞳さんに伝えてこい」
「え?」
「泊まりたいから昇平さんを部屋で寝かせてあげて下さいって言えばいいんだよ。そうすればみんな幸せになれる。いい提案だろ?」
(瞳さんは幸せじゃないと思うけどな……)
「別に良いですけど、自分で言えないんですか? ご主人様なんでしょう?」
「お前、それじゃなんか強要してるみたいだろうが。もっと、こうナチュラルにだな、なんというか、自然で、正当性を持たせた理由で寝たいんだよ」
「でもなんでってきかれますよ。別に他の人でも良いじゃないですか」
「お前が惚れたことにしとけよ。惚れたから頼むとか、そんな理由でいけるよ。さあ言って来い。俺はここで待ってるから!」
ありがとうございました。