第三話 ものの一秒あればいい
「何をうぬぼれている? 貴様程度の魔力で我が輩をどうにか出来ると思ったのか? 貴様ら二人を殺すなど、本気でかかればものの一秒あればいいというのに」
ルシファーはそう言い放って真上へ飛び上がった。
「お前! いい加減にしないと消してしまうぞ! マスターの言うことが聞けないのか」とキリコが叫んだ。
秋斗はそれを凝視して、今置かれている状況が特異なものであると悟った。
(何もんだ? こいつ)
「ああ、勇ましい勇ましい。消される前にじっくり殺してしまおう」
ルシファーは一気に降下を始めてキリコに掴みかかった。右手を喉に左手を腹に当てて強く握っている。キリコは為す術もなく腕をダランと垂らしている。足は校庭の土と離れ宙に浮いている。
(……人が死ぬのか)
秋斗はゆっくりとルシファーに歩いて近づいた。暗闇の中、一歩一歩距離を縮めていく。そしてキリコを掴んでいる腕に手を置き、
「痛い目見るぞ?」
と、優しく語りかけた。
赤く光る鋭い眼光が秋斗を上から睨んだ。
ルシファーはキリコを投げ捨てると秋斗に殴りかかった。
「そうか、お前から先に殺して欲しいのか!」
秋斗は体を大きくねじってそれを避けた。そしてすぐに距離を取る。
「ほう? 我が輩の攻撃を避けるとは。余程の強者だな。……だが」
ルシファーは右手を秋斗にかざし、手から五センチほどの黒く光る光球を放った。それはまるで強者の正拳のように速く、秋斗は避けきれず右手に当ててしまった。服が派手に破け、焼けただれたように肌は黒くなった。
「ふふ。痛かろう?」
キリコは少し離れた地点で伸びている。
(コイツ、何者なんだ? あの女は何か知っているのか?)
「どうした? 痛すぎて声も出ないか」
「お前何者だ」
「言ってどうなる? お前はじきに死ぬんだよ。知っても無駄だ」
「俺はこんなことでは死なない」
「やせ我慢を。確かにお前は普通より少しばかり強いようだが、我が輩の前では無力に等しい。一秒が数分に変わるだけだ」
ルシファーはさらに光球を飛ばした。前のよりも大きい。直径三十センチはある。ミサイルの弾頭みたいだ。だが一度見た技は例えこの世のものではなくても避けられる、秋斗はそういう人間だ。少しかすりはしたが秋斗は綺麗にそれをかわした。代わりに近くにあった禁書が燃えてそのあたりの土が塹壕みたいにえぐれた。
(直撃すれば一発だったな。じいさんの蹴りよりは遅いが)
「まだ避けるか。それなら!」
ルシファーは両手で弾を作り始めた。大きい! サンドバッグより大きいんじゃないだろうか。
スーっという綺麗な音を出してそれが秋斗に向けて発される。
今度も秋斗は軽く避けた。サッカーゴールが跡形もなく吹き飛んだ。いや吹き飛んだんじゃない。溶解されて粉々になったのだ。
「ふふ、お前は後の楽しみに取っておこう。まずはあの女からだ」
ルシファーは向き直ってキリコの倒れている方を向いた。剣で刺すような視線が彼女の方へ向けられる。キリコは殺されるのを察して瞳を閉じた。
こうなることを彼女は覚悟していた。この世界に来る前からだ。禁書を持ち出し純族の世界に行くことは重罪だ。もし秋斗を殺し魔界へ帰れたとしても処刑、あるいはそれよりも重い処罰が待っているのだ。
(私も死んで、秋斗も死んで……それでよかったのだ)
ルシファーの手が黒く光るのを彼女は感じた。魔法は使えなかったが魔力を感じることは出来た。それにルシファーの魔力が大きすぎて空気の振動も伝わってくる。
(父上、私はあなたの敵を討つことが出来ました。すぐにあなたの所へ行きます)
光球の動きがスローモーションに感じられる。だんだんと波動が大きくなってキリコの体に近づいてくる。感覚でその距離、大きさまでわかる。前住んでた城の屋根くらいかな。それがだんだんと近づいてくる。
――そして、あと一歩の所で消えた。それと同時に爆音が鳴り響く。おそらく近所で寝ている人は目を覚ましただろう。だが彼女の意識はまだあるし痛みは全くない。
「何?」
キリコは目を開けた。
「死んでないか?」
上半身を露わにして血だらけになった秋斗が、そこには立っていた。その周りの地面は大きく削り取られ二メートルほど下まで見える。彼はあれを背中で受け止めたのだ。
「バカな男よ。走って逃げていればさらに数分命が延びたものを、わざわざ縮めに走るとは」
ルシファーの低い笑い声が聞こえる。
「お前、なぜ私をかばうのだ! 私はお前を殺そうとしたんだぞ」
「死人は誰も殺せないんだ。だから……死ぬな」
そう言ったあと、秋斗はキリコに向かって俯せに倒れ込んだ。
「おい! しっかりしろ! まだ生きてるんだろ? なあ!」
キリコが秋斗を呼ぶが返事はない。代わりに秋斗の手がキリコの背中を叩く。
「なんでお前は……あの男と……こんなところが似てるんだ。殺せないじゃないか……」
キリコの眼球がしっとり潤んだ。
「殺せと言ったりしっかりしろと言ったり、人間ってのは面倒なものだな」
ルシファーはゆっくりとキリコに歩み寄った。
「おっと、忘れていた。我が輩としたことが、ゲートを広げていなかったではないか」
ルシファーは自分が出てきた魔法陣を探して歩き始めた。
ルシファーのメシリメシリという足音だけがグラウンドに響き渡る。
「仕方ないな。おい、秋斗起きろ! 目を覚ませ。生きてるんだろ?」
キリコは秋斗の頬を軽く叩いた。
「ああ」
「私の言うとおりにしろ。そうしないと私もお前も死んでしまう」
「俺を殺すのが目的だったはずだ。それで充分なはずだ」
「…………お前に死んで欲しくない」
(こいつをこんな奴に殺させるわけにはいかない。いつか、私の手で――)
キリコには無知な秋斗をこの場で死なせるのが躊躇われた。もっと絶望感と罪悪感を与えて殺そうと思った。
「何?」
「何度も言わせるな! お前は黙って指示に従っていれば良いんだ」
「どうすればいい?」
「簡単なことだ。ルシファーに向かって、契約しろと言え。はいと言うまで何度でも、だ」
「でも、まだだ」
「は?」
「俺は負けてない」
「何を言っている! 私もお前も死ぬんだ。相手はルシファーだぞ? ただの魔物とわけが違う。法でも禁止されている魔法陣を使って呼び出された物なのだ。私の指示に従え!」
秋斗は文様の上でごそごそしているルシファーに向かって歩いた。
「行け! 我がしもべよ」
ルシファーが突然叫んだ。すると模様が大きく広がり半径十メートルほどの巨大な赤い円となった。
すると中から視認しづらい大量の何かが、轟音を立てて空へと上がっていった。
「おい、貴様。俺と戦え」
「貴様、我が輩をバカにするのはよせ。ただの純族風情が、我が輩に太刀打ち出来るわけなかろう。魔族の高等魔術師が二十いても負けんわ」
秋斗はさっと地面を蹴り、ルシファーの腹目がけて軽く左正拳で突いた。ルシファーは秋斗の力を侮っていて防除姿勢すら取らなかった。
ルシファーの体が後ろに仰け反る。すかさずそこへ右フック。綺麗に決まってルシファーはその場に倒れた。
「どうした? その程度か?」
秋斗はルシファーの頭に右足を乗せて、挑発した。
「フハハハ!」
ルシファーは笑いながら秋斗の右足を掴み、立ち上がって宙づりにした。そしてそのまま飛び上がり、上空百メートルまで上昇した。
「フン!」
頭に持ち替えてそのまま急降下する。
「秋斗!」
キリコの叫びもルシファーには聞き届けられず降下は止まらなかった。
地表に近づいた所で秋斗を地面に投げつけルシファーは空中でホバリングした。
秋斗が投げつけられた所は土煙が舞って、夜の闇とも相まって見えなくなっていた。
「――――そんな……」
「人間よ、諦めるが良い。我が輩を倒してもさっき開けたゲートから仲間が現れる。それを閉じなければ結局は同じなのだ」
ルシファーが広げたイルジオンゲートからは無数の魔物が出続けていた。それらがそれへ舞い上がり四方八方へと飛び去っている。
キリコはゲートを閉じるため近くに寄った。開けるのは面倒だが閉じるのは簡単だ。魔法陣を一部でも良いから消せばいい。
秋斗は砂煙の中、立ち上がった。頭蓋骨は頑丈で損傷はなかったが肋骨が二本折れていた。しかし問題はない。彼は目を凝らしてルシファーの居場所を探した。
「ほう。ゲートを閉じるか。それは困るな」
ルシファーはキリコに向かって飛行した。
秋斗には見えた。ルシファーがキリコに飛びかかるのが。そしてその高度の低いのが、見えた。
痛む脇腹を気にせずに一気にキリコに走り寄り、そのままルシファーの頭に飛びかかった。
「まだ生きておったのか!」
正面から飛びかかったので汚い口や髪に手が当たった。しかしそんなことはどうでも良い。
両足で体をロックし両手で頭部を左右から潰した。秋斗にはヒトだって潰せた。岩だって。魔物が潰せないわけがない。
ルシファーの顔がグチャグチャに潰れて動かなくなった。そのまま地面に倒れ込む。
「よかった。早く契約を!」
魔法陣を消し終わったキリコが叫んだ。
「……いや、こいつは死んでる。早く埋めてやろう。可哀想だ」
「違う! 早くしないと――」
「もう遅いわ!」
どこからかルシファーの声が聞こえる。
「人間だからとなめておったが、まさか鬼族だったとはな。道理であれでは死なないはずだ。まあこんなにタフな鬼族も初めて見るが」
秋斗がルシファーの倒れていた所を見るとグロテスクに潰れていた頭部がほとんど元に戻っていた。
「うわあああああ!」
そう叫びながら秋斗は再び頭部を潰す。
しかし数秒でそれは元の形を取り戻した。
「無駄な」
ルシファーがそう言い終わらないうちに、さらにもう一度潰す。
それでも再生は止まらない。
「早く契約しないからだ!」
秋斗は治りかけの首を両手で掴んで、引き抜いた。ブチュという嫌な音が聞こえて胴と離れる。
「これで良いだろう。俺と契約しろ」
首だけになったルシファーの髪を握り、それに語りかける。何ともおかしな光景だ。
「あ……」
「はいと言え」
キリコが左の眼窩に右手を差し込んだ。指ではなく手だ。すぐに眼球がえぐり取られる。そのあとから視神経がだらりと垂れ下がった。
「あ…………あ……あ……」
喉より下が無いため声が出せないようだ。
「秋斗、自分の首を切って、その血をこいつの切断面に付けろ」
「俺に死ねと? 殺されるのはごめんだが自殺もごめんだ」
「少しでいい。血が出るくらいで」
秋斗はおもむろに自らの首をつまむと一つまみ分ちぎった。そこから少しだけ血が流れる。そのままそれを差し出し、
「これで良いか?」
キリコに見せつけた。
「充分だ」
秋斗はその血をルシファーの首の切断面に塗った。
「これでどうなる?」
「ルシファーに契約の意志があれば契約完了、お前の使い魔として使役できるようになる。なければ、イルジオンに帰してしまえばいい」
「どうやって判別する」
「額に手を当てろ。意思疎通できるはずだ」
言われたとおり秋斗は額に触れた。
『いい加減、我が輩をはなさんか!』
かすかにそう感じた。
「……本当だ」
「出来たか」
秋斗には疑問に思うことがあった。
「お前に契約は無理なのか?」
「鬼族であるお前にしか出来ない。一生で一度だけ一体の魔物とできる」
「なぜお前はそんなことを知っている。何者なんだ。お前もこいつも」
「私は魔界から来た。お前を殺すのが目的だった。こいつはルシファーさっきイルジオン呼び寄せた。お前も見ていただろう?」
「イルジオン、魔界……、聞いたことのない単語だ。そのルシファーというのは人なのか?」
「魔物だ。イルジオンから呼び寄せ使役する」
「使役していたようには見えなかったが……」
「上級の魔物だ。悔しいけど私では制御しきれなかったみたいだ。それよりなぜ倒せた。おかしいじゃないか」
「強すぎるからだ。加減が出来なかった。こいつには済まないと思ってる」
「そうじゃない! お前はただの鬼族だ。魔物でもなければ高等魔術師でもない。肉体強化の魔法もかかっていない。なのになぜ」
理由を聞いて弱点を探る必要がある。
「鬼族ってなんなんだ? なるべく一つ一つの単語をわかりやすく説明してくれ。お前の言葉はわかりにくい」
「お前の生きている世界はただ一つではない。ここは真世界といって純族、つまりお前が毎日見るヒトが住んでいる。私は魔界から来たと言ったが魔族が住んでいる。魔族は私のようなヒトのことだ。唯一魔法が使える。鬼族とは魔界の奴隷みたいなものだ。肌が黒くて卑しくヒトではない。そしてイルジオンがある。魔物の世界だ」
「でも、俺は純族なはずだ。契約は出来ない」
「いやお前は鬼族だ。間違いない。父親は確かに鬼族なんだから」
身体的な疲れと精神的動揺で秋斗はその場に座り込んだ。
ありがとうございました。
面白くなかったら感想を下さい。
もちろん激励でも喜びますが指摘の方が嬉しいです。