008 二日目の朝
奪う者と奪われる者。
犯す者と犯される者。
虐げる者と虐げられる者。
そして、殺す者と殺される者。
これらは必然だ。因果だ。連結関係だ。
前者あれば後者あり。どちらかが存在する限り、対となる者もまた必ず存在する。
何故なら、これらは世界の縮図なのだから。
何かを得ようとするなら、それに見合った正当な対価が必要となる。
何かを成そうとするのなら、それに見合った犠牲もまた必要だろう。
ああ、なんてことない。ただの道理、摂理。
アタシの世界は──
アタシの見てきた世界は────だから。
アタシは、殺す者になろう。
The lonely Beheaded bunny.
衝突音が鳴り響く。鈍く、それでいて鋭敏な、金属同士が交錯する音。それは紛れもない剣戟の音色。掛け値のない命の取り合いの合唱音。
「ハァッ──!」
「フンッ!」
長身の男と少女の、互いの得物がぶつかり合う。
長刀──改め長ドスと、両刃の西洋短剣を思わせる得物による斬り合いの応酬。否、その実それは少女の一方的な攻撃と、それを凌ぐ男との攻防といった表現が正確だろう。
キィン、と金属音が木霊する。
同時、散る火花に照らされた少女の表情は、ひたすらな敵意と憎悪に染まっていた。
周囲に人影はない。今まさに斬り合いの最中にある男女の二名を除けば、そこには地面に倒れ伏した男三名の計五名のみである。
倒れ伏す彼ら三名は三名とも手傷を負っており、それらはそこな少女の手により付けられたものであった。男らは戦闘不能に陥るも、その目は決して死んでなどいなかった。それはひとえに彼を信じているからだった。それは、今も尚少女と死闘を繰り広げる男の存在によるものに他ならない。彼がいる限り、男らは決して諦めることはないだろう。
少女は孤軍だった。しかし少女は、自らの背丈を遥かに上回る男らを四対一で捌き、あまつさえ内三名を負傷させ戦闘不能とした。
極めて流麗な太刀筋。鞭のようにしなやか、それでいて剛力が如く強かな剣筋。
少女のそれはたしかに賞賛に値するものだった。
しかしそれは同時に、少女と相対する男の実力もまた同時に見事だと言わざるを得ないだろう。今し方都合十度にも及ぶ高速の剣線を捌き切ったこの男もまた、文字通り豪傑に他ならないのだから。
「──ちっくしょ……なんで邪魔をする!!」
少女は激昂する。眉間に皺を寄せ額に青筋を浮かべながら、未だ自らの行いを否定し続けるその男へと叫んだ。
「……何度も答えた筈だ。お前のその方法じゃ、根本的な解決にはならない!」
男は否定した。少女の行いを、これから成そうとするその行為を、真っ向から、実直に抗言した。何度も、何遍も、何回も彼女の行いを、その都度に自らもまた行動を示して否定する。
「根本的? ……ハッ、そもそもの話、その根本的な原因はアイツでしょうが! 張本人を始末することの何が悪いってのよ!?」
「違う! 確かに彼の行いは褒めれたものじゃない、それは確かにそうだ。たがその事でお前が、彼をどうこうするという事には繋がらない! そんなことは俺が許さない!」
少女には男の言葉が理解できなかった。理解したくなかった。
一方男は少女を理解しようとした。少女の言葉を理解したかった。
どれだけ問答を重ねようとそれらはすれ違うことしかない。いくら言葉を重ねようと、それこそ根本的に彼らは見ている物も、景色も、その立場すら異なるのだから。
何も進まない。何も始まらない。永遠に平行線だ。
馬耳東風。暖簾に腕押し。全てはまるで意味をなさない。結局は、刃を交えることでしか、己が正義を主張出来ないのだから。
「……いい加減に、そこを──」
少女の眼が光る。少女の蒼い虹彩が広がり瞳孔が閉じるその刹那、男は少女の纏う空気が変わったのを肌で感じ取った。
「退けぇえええ────っ!!」
少女の怒号と同時、警鐘が町中に轟いた。
◆◇◆
「おはよう。朝だ、リョウ」
朝。肩を揺さぶるフェルトの呼び掛けにより目を覚ます。
疲労もあってか、昨夜は割とよく眠れたのだろう。ベッドに入ってからの記憶があまりない。
ただよく眠れたのと、疲労が取れたのとでは話が全く異なる。身体は依然重く、気怠い。
普段と違う環境で眠るせいか、寝付き事態はあまり良くなかったのだろう。昨日蓄積した疲労がしっかりと回復されているとはとても思えなかった。
未だはっきりと覚醒していないのだろう、意識がやや胡乱でいる。
元々貧血気味な性質ではあるけれど、異世界最初の朝くらい気持ちよく迎えたかったものだ。
二日目。──異世界に来て、最初の朝を迎えた。
あと少し横になっていたい気持ちを抑えつつ、細まった目を擦りながら窓から外を覗く。
外はすっかりと明るくなっており、東の空には燦然とした太陽の姿がそこにはあった。
部屋に飾られたアンティーク風の時計を見やる。長針は8の字を指し示している──つまり、午前8時。昨夜ベッドに入ったのが午後8時過ぎだったと記憶しているが、ということは12時間も眠ってしまっていたのか。いくらなんでも寝過ぎだ。
「ああ……寝過ぎた、頭痛い」
「大丈夫かい? 二日酔いに効く魔法をかけるかい?」
「いや酒は飲んでないんだけどね? まあいいや、よろしく頼むよ」
二日酔いではないにせよ、気分が優れないのは確かだ。少しでも症状が軽くなるかもしれないわけだし、ここは素直にフェルトの好意に与かるとしよう。
「levamen」
言って、フェルトは僕の頭に手のひらを乗せ、目を閉じた。するとフェルトの身体が優しい緑色の光を帯び、みるみるうちに頭痛や気怠さの類が消えていくのだった。すごい、不思議だ。本当に魔法のようだった。いや魔法なんだけども。
「どうかな?」
「こりゃあ凄い。お前、実は意外と頼りになるヤツだったんだな」
実際、本当に大したものだった。寝起きの悪さに定評のあるこの僕をここまで爽快な気分にさせるこの魔法、冗談抜きでとんでもなく有能である。
「意外と──とは心外だが、まあいいさ。これからも有能であることを証明し続けるとしよう。ああそれと、ベトラクト氏からの言伝だが、朝食を用意してるから食堂に来るようにと」
「朝食か……。わかった、顔を洗ってから行くよ」
朝食、実に楽しみだ。昨日の食事はまさしく筆舌に尽くし難い程の美味だったので、朝食にも期待してしまうのは当然と言えるだろう。
だがしかし、朝食が楽しみなのは山々ではあるが、何はともあれまずは洗面だろう。いくらフェルトの魔法で多少冴えているとは言え寝起き、他人を前に寝起きの顔を晒すというのはいただけない。むしろ失礼にもあたる。そんなこんなで、まずは洗面所へGO!なんだぜ。
クソ、無性にテンションが上がるな。朝食が待ちきれない。
「おっ」
「あ、」
洗面所へ向かう途中、曲がり角からレリックさんが姿を現した。今し方洗面所で用を済ましてきたのだろう、その顔付きは彼の役職に相応しく清廉なものとなっていた。
「おはようさん。昨日はよく眠れたか?」
「おはようございます。ええ、お陰様でぐっすりと眠れました」
「はっはっは! そりゃ重畳だ」
そう言ってレリックさんはよく響く声で豪快に笑ってみせた。朝っぱらから本当に元気だな、この人。相変わらず無駄にテンションが高い。
「レリックさんもこれから食堂に?」
「ああ、俺達は今日の仕事内容を伺いに向かうってところだ」
レリックさんを筆頭とする傭兵団の彼らは町を魔獣から防衛するため、ベトラクト氏から雇われているという。
仕事内容を伺う──というのは、町の防衛に関してベトラクト氏から色々と指示を出されているのだろうか。金で雇われた傭兵とは言え、町の平和のために戦う彼らには正直頭が上がらない。
「お前さんは朝食か?」
「どうやらそうらしいです。ですが僕の方も今日の仕事内容を聞いておいた方が良さそうですね」
そう、僕にも今日から仕事があるのだ。脱引きこもり、脱ニートと言ったところだろう。アルバイトすらしたことがなかったこの僕が、今や月収50万の高給取り。まったく、随分と出世したものだ。
「そうだな。お前さんは彼のスケジュールに沿って動くことになるからな。その辺はちゃんと聞いといた方がいいだろう」
ベトラクト氏のスケジュールか。まあ護衛ということだし、彼の近辺から離れるわけにはいかないだろうから、外出する時は常に同行する必要があるわけだ。
「それじゃ、先に行ってるぜ。お前さんも早めにな」
そう言い残し、レリックさんは一足先に食堂に向かった。
「──彼が、昨日ベトラクト氏との会話に出てきた傭兵隊長かい?」
「ん、そうだけど……どうかしたか?」
レリックさんを見送る最中、唐突にフェルトがそう問いかける。よく見ると表情は少し強張っており、なにやら警戒しているような様子でもあった。
「いや、ベトラクト氏の言う通り、彼はかなりできると思ってね」
ベトラクト氏の言う通り、かなりできる…………これはつまり、レリックさんの戦闘能力のことを言及しているのだろう。
「へえ、わかるもんなの? 僕にさ正直全然ピンと来ないんだけど」
実際、僕なんてただの一般人も同然。そりゃプロのアスリートや格闘家なんかは、あくまで素人目線ではあるけど身体の出来栄えや筋肉の有無などで、ある程度その実力を押し測ることができる。それに準ずれば彼の肉体もまた相当なものだし、僕の基準からしたら間違いなく強者に分類されるだろう。
だがしかし、ここは何でもありの異世界。あまつさえ使力なんていう魔法みたいなとんでもパワーが存在する世界なのだ。そんな通常の概念や常識とは違った判断基準を設けるべきなのだろう。
でも残念ながら僕にはその使力なる力が備わっていない。そう、とても不本意ながら備わっていないのだ。だから本当に、非常にとっても残念で仕方がないのだけれど、僕にはこの世界の人間をこの世界の基準に則って判断することができない。ああ、とても残念だ。本当に残念で仕方ないね! でもどうしようもないよね、僕には使力が与えられていないんだからさあ!
「彼の歩き方、その所作で見て取れる。無駄がなく、いついかなる場合にも対応出来るよう、常に警戒を張り巡らせている。そんな感じだ」
「……へえ。僕にはよくわからないな」
気のせいではないだろうか? 僕からしたら、レリックさんはむしろかなり無防備思える。警戒感のかけらもないような能天気さすら感じる。
「まあいいや。いつまでもここであれこれ言ってるわけにもいかないし、さっさと顔洗って食堂に行こう」
洗面所はたった今レリックさんとすれ違った角を曲がった先にある。そこまで歩く距離でもないし、そう時間が掛かるような事でもない。さっさと済ませて楽しみの朝食にありつくこととしよう。角を曲がり直進すると目的の洗面所へと辿り着いた。
洗面台の蛇口を捻る。朝故の冷やかな冷水に少しだけ驚いたが、冷たさからよく目が覚めたので逆に好都合だった。
バシャバシャ、と一通り顔を洗い終え、用意されたタオルで濡れた顔を拭く。異世界とはいえ手慣れた行為。それはもうルーティンにも等しいため、所要時間は10秒にも満たない高速だ。
「よし、行こうか」
洗面所での目的を早々に終え、急ぎ足で食堂へと向かう。
途中、この屋敷の侍女だろう、昨日も色々と案内してくれた金髪のメイド服の女性とすれ違い挨拶こそしたが、さほど時間を要してはいない。
やたらと広いこの屋敷だが、僕も別にバカと言うわけではない。ある程度案内されれば構造だって覚えるし、そうそう道に迷うことはない。
階段を降り一階へと下りる。玄関ホールを無視して長い廊下を直進したそこに食堂はある。
ただ、その長い廊下を歩いている途中、何かを叩きつける様な衝撃音と共に、何者かの怒鳴るような大声が耳に届いた。
「なんですって!?」
食堂の中。扉の内側より、それは発せられていた。
なにやら言い争いでもしているのか、声を荒げて何かに抗議しているような様子だった。
やはり人間、こう言ったいざこざやハプニングの類が気になる性質なのだろうわ、会話の内容が気になり、中の様子を伺う様に扉に張り付いて耳を澄ます。
「あっ、フェルト。今日は勝手に扉開けたりするなよ」
途中、昨日のフェルトの行動が頭を過ぎり、今日は同じ轍を踏むまいと念入りに釘を刺した。それを了承したのか、フェルトは無言で首を縦に振った。
どうやら、声を張り上げているレリックさんの方らしい。
一方もう片方、ベトラクト氏の方は至って落ち着いた様子で応答しているようだ。……昨日のそれとはまるで逆だった。
「ですがしかし、それでは戦力が──」
「構わん、そんなことよりもお前は例の件に専念しろ。……以上だ、とっとと退がれ」
「……っ、失礼します」
吐き捨てるように弱々しく呟いた後、扉を開けてレリックさんは食堂の中より出てきた。
「はっ…………なんだ、お前か」
出てきたレリックさんの表情は、先ほど廊下ですれ違った時のそれとは全く異なるものとなっていた。苦々しく憂愁で陰鬱とした面持ち。つい数分前の彼からは考えられないものだった。
「どうしたんですか、顔色が良くないですよ?」
「ああ、別に気にすんな。……それよりもほら、ベトラクトの旦那が中で待ってるぜ。早く入ってやんな」
そう言って、半ば強引に話を打ち切られ、食堂内へと誘導された。そしてそのままレリックさんは退出し、結局その表情の意味は謎のままだった。




