007 初日の終わり
それからしばらく、大浴場ではレリックさんとの会話に花を咲かせていた。
10分か20分か定かではないが、かなりの時間を話し込んでいたと思う。魔獣が襲ってくる前は綺麗な町だった~とか、どこそこの店は飯が上手い~とか、俺の母ちゃんの飯はまずいんだ~とか、可愛い妹と弟が居るんだぜ~とか、様々な話をしてくれた。
彼はとにかくおしゃべりが好きなようで、一度話始めると際限なく話し続けていた。だがそんな彼の話が異世界人の僕にとってはひどく新鮮で、とても興味深く心惹かれる内容だったのも確かだ。どうも、彼とはなかなか気が合うのかもしれないと思った。
だがどうやら僕は、彼ほど忍耐強くはなかったようだ。
話を聞くのは楽しかったし、機会があればぜひともまた聞かせてほしいとすら思えたが、如何せんそれは長時間に及び過ぎたのだろう。僕はすっかりのぼせてしまった。
次第に思考が薄れていく感覚に危機感を覚え、話を打ち切って一足先に上がることを告げた。どうやら彼はもう少し浸かっていくようで、自分の忍耐力のなさに嘆くべきか彼の強さに恐怖するべきか迷った。
衣服は魔獣との戦闘で背中が破れてしまったのでどうしようかと思っていたが、気を利かせてくれたのか脱衣所には代えの服が用意されていた。モノは元々着ていたワイシャツに近い物のようで、特別高級そうな見た目でもなかったため気兼ねなく着ることが出来る。とてもありがたい。
用意された衣服に袖を通していた最中、立ち眩みのような感覚に苛まれた。
やはり長風呂をし過ぎたか。今のは数秒視界が眩み、少しだけ平衡感覚が薄れた程度で済んだが、もう少し長く居座っていたら本格的にやばかったかもしれない。あまり身体が強いわけでもないのだ、今後は気を付けよう。
◆◇◆
「おや、お帰り」
ベトラクト氏から用意された滞在用の部屋へ戻ると、フェルトがベッドの上でふんぞり返って胡坐をかいていた。いい御身分ですね、まったく。
「どうだったかな?」
「ああうん、いい湯だったよ。疲れが取れるね」
のぼせかけて余計疲れてしまったなどとは、恥ずかしくてとても言えないな。
「いや、そういう事ではなくてね。異世界にやってきて、今日一日どうだったかなって?」
「ああ、なるほどそっちね」
どうだっと聞かれても、どう答えればよいものか。
今日一日、色んなことがあった。フェルトを含め様々な人と知り合って、今こうしてここに居る。
たしかに異世界は何もかも新鮮だ。知らない世界、知らない情報、なにもかも知らないことだらけで正直興味が尽きない。
未知というのは厄介で、人間とは探求心に駆られ未知を追い、既知にせんと欲する生き物だ。それ故、知らない事柄には自然と興味をそそられるもの。だから今の僕においてもその例に漏れず、少なからずこんな状況にワクワクしている自分もまた存在するのだ。
「まあ、なんていうか……不思議な気分だよ。違う世界ってのは」
元の世界では決して拝めない風景、伝統、生き物に想いを馳せる。訳も分からず知らない世界に飛ばされ、一度死にかける思いをした。こんな状況であるにも関わらず、能天気にもそんなことを考えてしまう。
「いきなり知らない世界に召喚されて、不本意ながらお前と契約して、訳も分からないまま魔獣に襲われて……そんな忙しない一日だったけど、退屈しない一日だったとは思うよ」
「充実していたと?」
「充実とはまた違うだろうけど、まあ悪くはなかったよ」
その言葉は、嘘偽りのない本心からのモノだった。
忙しなく、危険で、死の危険に瀕するような事態もあったけれど、それでも今日の一日は痛快で得難い経験だっと、そう思った。
「なるほどね。……どうだい、ずっとこの世界に残り、私と旅を続けるというのは?」
──正直、元の世界に帰る必要なんて、本当にあるのだろうか。
フェルトの言葉から、ふとそんな思いが心の底より湧き上がる。
だってそうだろう。この世界での僕は《聖霊使い》という特別な存在。周りからはチヤホヤされ、今だってこんな好待遇を受けている。間違いなく、この世界での僕は特別な存在だ。
それに引き換え、元の世界での僕は何でもない高校生の……いや、高校生と呼ぶのも烏滸がましいただの引きこもりだった。
約一年前。高校一年生の夏に起こったとある事件以来、僕は学校に行っていない。
不登校、登校拒否、自宅警備員──つまりは引きこもりだ。自室に引きこもり、一日中PCと向き合ってネットの海を泳ぐ。父親はそんな僕の状況を快く思っておらず、出張から帰ってくる都度僕に登校をするよう促してくる。……そんなたまにしか帰ってこない父親の顔色を窺いながら、惨めに引きこもり続けるくらいなら、フェルトの言うようにこのままこの世界に残るというのも悪くはないんじゃないか。
「……今ならそれも悪くはないかなって、僕も思うよ」
もし何の憂いもなくそうできたのなら、幾分かマシだったかもしれない。
「でもな、僕には元の世界で、やらなきゃいけないことがあるんだ」
そう、不登校で引きこもりで、救いようのないダメな存在の僕にも、やらなくてはならないことが存在した。
「僕は、元の世界で人を探さなきゃならない」
そうだ、僕には探さなきゃならない人がいる。
引きこもりになろうが、学校をやめようが、そんなことは関係ない。
どんなに時間がかかっても、かならず見つけ出すと誓った人間が、元の世界に存在した。
「──だから、僕は帰るよ。元の世界に」
僕の眼を見て、ただ一言「そうか」と呟いて、フェルトは観念する様に肩を竦めた。
「決心は固いようだね。すまない、どうやら私は君を見くびっていたようだ」
そう言って、こちらに向き合い深々と頭を下げるフェルト。
確かに僕は、コイツのミスによりこの世界に誤召喚された。これは紛れもない事実で、すべての非はフェルトにある、それは間違いないのだろう。
だがしかし、コイツは聖霊。契約者とその魔力がなくては生きていけない存在。そんな奴が、契約者もなしに己が全魔力を消費して何者かを召喚しようとしていた。例えそれが事故で誤った相手を召喚してしまったものとはいえ、その行為は間違いなく命がけだったのだ。僕には知る由もないけれど、それほどの意味が、命をかけるだけの意義が、たしかにそこにはあったのだろう。
であればそれを、最初から頭ごなしに否定するわけにはいかない。そこにはちゃんと、払うべき敬意が存在するはずだ。
それに、コイツは僕との契約がなくなれば、いずれ魔力を失い消えてしまうのだろう。……短い付き合いとはいえ、コイツが野垂れ死ぬというのも本意ではない。こいつが居なければ魔獣に殺されていたかもしれないし、今こうしてここに居るのは少なからずフェルトのおかげでもあるのだ。
だから、コイツにこんな風にしおらしくされては、こちらとしても立つ瀬がない。
「……謝らなくていいよ。お前は、僕が元の世界に戻るために全力を尽くしてくれたら、それでいい」
そうだ、それでいい。負い目を感じるくらいなら、責任を果たしてくれる方がずっといい。その方が、ずっとずっと建設的だ。
「了解した、改めて誓おう。必ず君をもとの世界に返してみせると」
晴れ晴れとした快活な面持ちで胸を叩き、フェルトは快く了承した。
「そうだね。手始めに君の疑問を解決することから始めるとしよう。さっきも質疑応答の途中だったし、何か聞きたいことがあればなんでも聞くといい」
フェルトの言うとおり、この屋敷に来て最初に行ったのが質問タイムだった。
この世界に来て右も左もわからない僕が、フェルトにあれやこれやと質問攻めしていたのだ。
実際、ベトラクト氏の怒号が気になって、質疑応答を中断したせいで、その後の会話において知識不足が災いしイマイチ会話が成立しなかった。なんとかフェルトに助け舟を出してもらったから事なきを得たが、以前《御使い》というものの存在は謎だった。それに──
「そういえばフェルト、《御使い》っていったいなんのことなんだ?」
今日一日、僕はふたりの人間にそうではないかと問われた。
ベトラクト氏と、レリックさんだ。二人の人間に同じことを問われたということもあり、僕にはその《御使い》と呼ばれる存在と重なる特徴があるのかもしれない。レリックさんにも言われたが、これは他人事ではない自分自身のことなのだ。ちゃんと自分で把握しておいた方がいい情報だろう。
「《御使い》とは、一言で言うなら不死身の英雄だ」
「────ん?」
聞き間違いだろうか。今、不死身って言わなかったか?
「不老不死。老いず死なず、彼らは千年戦争後期に突如として地上に現れ、その不死性と圧倒的な力をもってして人間側を勝利に導いた英雄とされている」
どうやら、聞き間違いではなかったようだ。
「不死身って、そんなの本当に存在するのか!?」
不死身。不老不死。本来それはあり得ない存在だ。
不死というモノの定義には意見が割れるところではあるが、どちらにせよ不可能だろう。
現代科学の粋を以てしても、決してそれは叶わない。
不老においてもそうだ。たしかに細胞老化を抑制する技術は年々進歩している。だがしかし、完全な不老化の実現は技術的にも理論上も不可能なはずだ。
たとえどれだけ科学技術が発展しようと、人が人である以上不老不死の実現は不可能だろう。
「実在する。事実彼らは数百年変わらぬ姿で今もなお生き続けているし、煮ようが焼こうが決して死ぬことはない」
フェルトの言っていることは真実だった。嘘を言っているようには感じられない。彼は至極真面目に、真剣に不老不死の存在を肯定していた。
「ベトラクト氏は、魔獣から致命傷を喰らいながら傷が回復する様を見て、伝承に伝え聞く《御使い》ではないかと思ったのだろう。……まあ、実際は私の治癒魔法によるものだがね」
それだ。会食の場、ベトラクト氏との会話においても感じたこの違和感。
「……あのさ、どうして僕が《御使い》じゃないなんて嘘を吐いたんだ?」
きょとん、と目を丸くして驚くフェルト。
フェルトは嘘を吐いている、それだけは確かだった。
物心ついた頃から、僕には他人の嘘を見抜くことが出来た。
根拠はない。先ほど科学的に~とか大層なこと言っておいてなんではあるが、根拠などない単なる第六感のようなものだ。
だがしかし、根拠はなくとも絶対的な自信があった。事実それが外れたことは一度としてない。
フェルトや、ベトラクト氏、レリックさんとの会話においてこの第六感が反応する場面がいくらかあった。僕が《御使い》ではないかという氏の質問にフェルトが否定した際もそうだ。
「別に根拠があるわけじゃないけど、確信はある。昔から、嘘が分かる体質なんだ」
「……なるほど。正直、これは想定外だ」
想定外? まあとても想定できるようなことでもないだろうし、当然だろう。
「騙すつもりがあったわけじゃないんだ。ただ、私としても確証がなかっただけでね」
「確証? どういうことだ?」
そんな僕の問いかけに「順を追って説明しよう」と手をかざし静止するフェルト。
「君の言うとおり、ベトラクト氏への説明は虚偽だ。魔獣に負わされた致命傷を治したのは、私ではない」
そう言って、フェルトは断言した。その言葉からは嘘の気は感じられなかった。つまり真実なのだろう。
「第一、あのタイミングで君への治癒が間に合うならば、先にやられた護衛の二名にも同様に治癒しているだろう」
フェルトの言うとおりだった。
魔獣との戦闘において、戦力となる人間をむざむざ見殺しにする理由が見当たらない。僕を救えたなら、同様に彼らも救えたはずだ。そうしなかったということは、それ即ちできなかったというということに他ならない。
「私の治癒魔法は直接患部に触れなければ効果を発揮しない。故に、あの傷を修復したのは私の手によるものではないんだ」
「なるほど……」
あの説明に関しての違和感の正体、嘘だったという事実は確認できた。
だが理解できない、納得できていない点はまだ他にもある。
「あの説明が嘘だっていうのはお前が認めたから確証を得れたけど、実際僕はその《御使い》ってもので間違いないのか?」
あの傷を治したのがフェルトではないとしたら、それは僕自身の力によるものとしか思えない。
だが実際、傷がひとりでに元に戻るなんて事象、生まれて一度も体験したことはない。
普通に生きていればそりゃあ怪我くらいたくさんする。元の世界において、怪我が勝手に再生するなんてことは一度もなかった。
であれば異世界召喚において、何かしらの特異体質となった可能性すらある。それこそ、《御使い》と呼ばれる存在と同じ体質に。
「その可能性もあるが、極めて低いと言わざるを得ない」
「なんでだ?」
「《御使い》はもう二度とこの世に発生しないはずだからさ。伝承にもある通り、御使いをこの世に送り込んでいた存在は《神》と呼ばれるものであり、その《神》はもう存在しないからね」
なるほど。であれば一応納得がいく。要するに生産者が居なくなったのだから、新しい製品は生み出されないと、そういうことだろう。
ていうか、神はもういねえってどういうことだ? ニーチェじゃあるまいし。
「だが、あの傷の治り方……あれは確かに治癒魔法や自己修復のそれを逸脱している。あんな芸当は《御使い》以外には不可能だろう。よって消去法的に、本来ならあり得ないことだが、君を《御使い》であると認めなければならないだろう」
結局のところ、フェルトが言うには僕は《御使い》という伝説上の存在と同様なものらしい。
《聖霊使い》というだけでも希少な存在だというのに、これ以上希少価値を上げてしまってもいいのだろうか。うれしい悲鳴ってやつだな?
「僕が《御使い》で間違いないなら、なんでベトラクト氏に噓を吐く必要があったんだ? 別に隠しておく必要なんてないだろう」
「大いにある。《御使い》とは元来、単独でも強力な戦力となる。それは戦略級兵器と同様であり、単身でひとつの軍隊を相手取ることすら可能だ。何故なら真実不死身なのだからね、どうやって殺せと言うのか、そういうものだ。故に《御使い》の存在は国を揺るがしかねない極めて危険なものであり、千年戦争終結以降それらは例外なく自由を剝奪され、連合国政府の監視下におかれることとなった」
強力故に自由を奪われると、そういうことか。なるほど、フェルトはあの時僕の身を案じて嘘を吐いたと、そういう事か。
「む、ちょっと待て。その連合国政府ってのは、一体なんなんだ?」
連合国政府。恐らく読んで字のごとく様々な国の連合体の統一政府ってところだろうか。異世界といえど言葉の意味は同じだろうから、多分こんなとこではなかろうか。というか自然すぎてスルーしてたけど、なんで日本語で話が通じてるんだろう。不思議だ。
「千年戦争後期、人間側は大きく分けて三つの勢力に分かれていたんだ。各勢力がそれぞれ一人の《御使い》を王として擁立し、彼らを中心として勢力を拡大した。彼らは人類の勝利のため同盟を結び、亜人種のひとつを同盟に組み込み、そして戦争に勝利した。戦争終結後、生き残った同盟国同士で争いが起きぬよう盟約を結び、連合国政府というひとつの統一政府を生み出した。──これが、今この世界を支配する勢力の成り立ちだよ」
「なるほどねえ」
随分とまあ壮大な話だ。
今の話からすると、この世界はその連合国政府っていう単一組織が支配しているっぽい。
つまり僕が《御使い》だと知れてしまうと、世界そのものを敵に回すのと同意だということだ。
……なるほど、ここはフェルトに感謝すべきだろうな。先の会話で僕が《御使い》だと知れてしまっていたら、面倒な事態を避けられないところだった。
「もう理解できたとは思うが、君が《御使い》、もしくはその可能性があるということは絶対に悟られてはならない」
「……わかってるよ、肝に銘じておく」
言われるまでもない。面倒ごとはなるだけ避けて通りたい、これに尽きる。ましてや自ら面倒ごとを引き起こすなんてのは以ての外だろう。このことは絶対に隠し通さなければならない。
「ありがとう。とりあえず、今のところ聞きたいことは全部聞き終えたかな」
差し当たって重要なことはほとんど聞き終えたと思う。
今日手に入れた情報を一度整理しておさらいしたいところではあるが、飯食って風呂に浸かったら途端に眠気が襲ってきた。外はとっくに暗い、油断していると欠伸が漏れ出る始末。
「明日からの仕事に備えて、今日はもう休むといい」
そんな眠そうな様子を察してか、フェルトの方から休むよう提案される。
「そうだね、そうさせて貰うよ」
お言葉に甘え、二つあるうちのベッドへと横たわる──が、
「……お前は寝ないの?」
ベッドに横たわるどころか一向に寝る気配がなく、むしろ扉の方へと向かいフェルトの行動に疑問を感じた。
「ああ、私に睡眠は必要ないからね。君の就寝中は、私が屋敷の周囲を警戒することとしよう」
そう言って、早々に部屋から出て行ってしまうフェルト。
聖霊ってのはつくづく便利な身体だな。
「まあ、いいや。お言葉に甘えて、僕の方は休ませて貰うとしよう」
フェルトの言う通り、明日からの仕事に備えてゆっくり身体を休めなければ。
目を瞑ると、瞼の裏で今日の出来事が反芻される。
魔獣との戦い、ベトラクト氏やレリックさんとの会話。今日みたいな色々な体験を、きっと明日からも積むのだろう。
そうした期待感に胸を弾ませつつ、ゆっくりと深く眠りに落ちるのだった。
こうして僕の、異世界における最初の一日が終わった。
名前:宮井リョウ(ver1.1)
概要:手違いにより異世界へと召喚された、平凡で運のない高校生。
一刻も早く元の世界に帰りたい。
所属:なし
身分:《聖霊使い》《御使い》
出身:日本 東京都武蔵野市
性別:男
年齢:17歳
誕生日:12月9日
血液型:AB型
身長:165cm
体重:56kg
使力:???




