004 確かに死んだはず
こうして宮井リョウの肉体は、完全に死亡した。
脊椎を砕かれ、頚動脈を破断し、出血多量を要因として死亡した────はずだった。
喪失したはずの意識が逆行する。
流れ出た血液は体内へと逆流し、肉体は蘇生を開始する。
踊る踊る、血肉が踊る。その肉の一片、血の一滴に至るまでの全てが自立し、踊るように時間が巻き戻る。
異常事態に気付いたのか、魔獣は僕の身体を貪るのをやめ、バックステップするが如く後方へと飛び退いた。
瞬時に身体を起き上がらせ、こちらも魔獣と距離を取るため後ろへと退がる。続いて、今し方噛み砕かれ肉を食い荒らされていたはずの首元へと手を当て、触れて確認をする。
傷が、なかった。何一つ残っていなかった。その首元はまさしく生まれたままの状態であった。傷は消え、血も消え、残るのは魔獣の唾液らしき液体のみだ。
「あ、有り得ない……」
訳が分からない。ひたすらに困惑する。
だって今、僕は死んでいた。確かに死亡したはずだった。魔物に背後から襲われ、背中に致命傷にもなり得る深く大きな裂傷を負っていた。
背中を触れて確認するが、やはり傷は残っていなかった。着ていたワイシャツが裂けているのみで、身に付けられたその傷は跡形もなく消え失せてしまっていた。
どういう事だ、たしかに人間には自己治癒能力というものが備わっている。だがしかしここまで迅速に、それも簡単に傷が消え失せてなくなるような便利な機能ではないのだ。ゆっくりと時間をかけ、徐々に傷を塞ぐといったものに他ならない。それどころか、死んで生き返るなどは以ての外。人間、死んでしまったら全てがお終い、残るのは骨のみだ。
「み、御使い……じゃと……!?」
ベトラクトと呼ばれる男が声を漏らす。御使いってなんだ、色々聞きたいのはこっちの方だ。
「油断するなリョウ。もう一体残っている」
「わ、わかってるよそんなこと……!」
そんなことは言われるまでもなく理解している。
そんな事よりも我が身に起きた異常事態を第一に考えるのが普通だろう。
「ああもう、クソ! 考えるのは後だ」
言いたいことや聞きたいことは山ほどあるが、今は置いておこう。まずは目の前の魔獣を片付けることを優先とする。
再び剣を構える。
隙を窺わんと、警戒するようにこちらを睨み続ける魔獣。しばらくの間膠着状態が続き、次第に場には静寂に包まれていた。数秒か、もしかしたら数分にも及ぶかという長い時間の中、その終わりは突然として訪れた。
「ウォオオオオオオオーーーーーンンン…………!」
どこからともなく、遠吠えが如き獣の鳴き声が路地裏に木霊した。他の魔獣の鳴き声だろうか、目の前の魔獣はその声に反応し、こちらへの警戒を一瞬だけ緩め空を見上げた。
そして、大きく後ろへ飛び退いた後、恨めしくこちらを睨みつけて踵を返し、どこかへと走り去ってしまった。
「え、っと……逃げた、のか?」
「撤退したようだね。おめでとう、はじめての実戦にしては上出来だろう」
「上出来、ね……」
油断し背後から一撃貰い、その上一度死んでおいて上出来なんて、とてもじゃないがそうは思えない。というか、
「というか聞きたいことがあるんだけど、なんで僕生き返ったんだ!?」
どういうことだ、とフェルトに問い正す。異世界に来て初日、まだ右も左もよく分からない状態に他ならない。だがしかし、死んで生き返るなんて芸当、どんな世界においても普通じゃない。どう考えても異常な事態に違いないのだ。
「どうなってるんだよ、これ!」
「まあ待ってほしい」
「待てってお前、だってこんなの──」
「いやあ、旦那! 素晴らしい腕前でした、いやあ見事見事!」
激情に任せてフェルトに問い質していたその時、唐突に路地の奥より声がかかる。
「さぞ名のある剣豪とお見受けしましたが、如何に!」
ベトラクトと呼ばれる中太りの男。揉手でこちらへと歩み寄りながら、弾んだ口調で問い掛ける。
「……いや、別にそんな大したものじゃないですけど」
「またまたご謙遜なさらず。白い旦那も素晴らしい魔法の腕前! いやはや感服いたしましたぞ!」
どうやら男は僕達に感謝を示している様子で、それはもう下手に、謙ってこちらを煽て上げていた。
「私はここヴァレンダントの市長をやっとります、ベクト・ベトラクトと申します」
「私の名はフェルトという。こっちは宮井リョウだ」
「ミヤイリョウ……変わった名前ですなあ」
失礼なヤツだな。親から貰った大切な名前を変わってるだなどと。
だがしかし、ここは異世界。僕の日本人的な名前の響きは、なるほど確かに珍しく感じてしまうだろう。
「つきましてはお礼もしたく存じますので、我が館に招待させては頂けませんかな?」
◆◇◆
路地裏を抜け、地下室より外に出て最初に目に入った大通りへと出た。先の襲撃のせいか町はより荒れ果て、道には血痕や裂傷、果ては死体までもがそこかしこに残ったままだった。
「ひどい……」
それ以外に言葉が出てこなかった。惨状、という言葉が脳裏に浮かぶ。ここまで酷い状況を生まれてこの方、一度も見たことがなかった。
当然だ。僕は平和な時代、平和な国に生まれ、紛争や戦争などといった惨事とは、縁遠い生活を送っていた。それ故、ここまで凄惨な状況に出くわすなど、考えたことすらなかった。
惨状のあまりに目を背ける。下を向き、視界に入れないようひたすら努めた。この現実を、とてもじゃないが受け入れたくなかった。
「最近はずっとこんな有様でして……いやはや、お恥ずかしい限りです」
僕の状態を察してか、ベトラクトは町の現状を嘆くように言った。
氏曰く、数年前より郊外に住み着いた魔獣の群れが、定期的に町を襲いに来るのだと言う。その総数は少なくとも千体に及び、空腹を満たすため住人を襲うのだとか。
「傷ましいことだ。心中、お察しする」
「いえいえとんでもない……お二人は私の命の恩人でございます故、是非ともお礼をさせてくださいませ」
そう言って館へと案内する男。それに続くように、僕達もまた男の背中を追う。
ヴァレンダントの中央通り。城壁とは反対の方角、町の中心へと向かいしばらく歩くと、大きな壁に囲まれた巨大な洋館が姿を見せる。
木造と石造りの立派な建築物。周囲の建物とは毛色が異なるというか、雰囲気が違う高尚な建物。否、何か違和感を感じると思ったら建物の造りではなく、その外観。周囲のそれとは異なり、傷や傷んだ箇所が全くと言っていいほど無かったのだ。
たしかに町の中心に向かえば向かうほど、建物などの被害は少ない傾向にあったが、この洋館だけは異様なまでに小綺麗なままだった。異様に、異質なまでに。
「ここが我が館でございます! ささ、どうぞ中へとお入りくださいませ」
男に誘導され、敷地内へと足を踏み入れる。舗装された石造りの道を進み、豪勢な造りの玄関口まで歩みを進めた。重々しい扉を開くと、輝かしいまでに煌びやかなエントランスに出迎えられる。
光り輝くシャンデリア。床には赤いカーペットが敷かれ、廊下の端々には彫像や甲冑、果ては宝石類や貴重そうな絵画や壺など、物々しい置物が並び飾られていた。外から見ても思っていたが、本当に豪奢な洋館だ。
エントランスから階段を登り、誘導されるがまま二階へと上がる。そして長い廊下を少し進んだ先、とある一室へと案内された。
「食事を用意いたしますので、どうぞこちらの部屋でご休憩なさってお待ちください」
男はそう言い、僕達を部屋に残したままどこかへと行ってしまった。客室の内部も造りは簡素ながら清潔で、十畳くらいはあろう広さだった。僕の部屋よりデカいし綺麗で、思わず嫉妬してしまう。クソがよ。
「まあ、お言葉に甘えて少し休ませてもらおう」
フェルトはそういい、僕にも休むよう促す。実際やることもないし、それに同意して据付られたベッドへと腰を落とす。
「そうだね。聞きたいことや確認したいこともあるし、丁度いいや」
そう言って、今日あった出来事を反芻するように記憶を呼び起こす。
まず最初に思い浮かんだのが魔獣の存在である。
「魔獣……この世界には、あんな化け物みたいなのが他にもたくさん居るのか?」
「ああ、たくさん居る。魔獣というのは、もっぱら人間を襲う危険な魔力性生物のことを言うんだけどね。あの獣は《双頭狼》と言って、この地方じゃ有名な魔獣だよ」
ツインヘッドウルフ。まさしく、読んで字の如くって感じだな、わかりやすい。
「双頭狼は魔獣の中でもかなり上位に位置する厄介な個体でね。一体一体がそれなりに強力な上、群れを成して行動するという。双頭狼の群体は、上位魔人すらも蹂躙すると言われているね」
「上位……魔人? その、魔人って言うのはなんなんだ?」
フェルトの説明の中、聞きなれないこの単語に少しだけ興味が引かれた。ニュアンス的になんとなく想像はつくが、魔獣とは異なる何かなのは確かだろう。
「この世界における人ならざる害的存在を大別して《魔物》と呼称しているんだ。それらを小別すると《魔人》と《魔獣》に分類し、魔獣とは人語を介さず意思疎通が不可能なまさしく獣をそう呼称し、対して魔人とは人語を介し高度な知性を持つ意思疎通が可能な魔物をいう。基本的に魔獣より魔人の方が個体としてより強力ではあるものの、一部の上位魔獣は魔人ですら手を焼くことがあるという」
魔人か。ゲームやら漫画に出てくるオークやらオーガとか、そう言うのが該当するのだろうか。
「まあ、魔人なんてほとんど絶滅しているし、今では見ることもないだろうけどね。今回のように、魔獣によるものが主な脅威さ」
「絶滅したって、魔獣より強いんだろ魔人ってのは? なんだって絶滅なんかしたんだ?」
「一昔前、人間や亜人、魔人を含めた人類種間戦争、いわゆる《千年戦争》と呼ばれる大規模な争いがあってね。人間以外の亜人は軒並み、この戦争で絶滅したのさ」
「ちょっと待て。その話から察するに、千年戦争の勝者は人間ってことで間違いないんだよな?」
ああ、と首肯するフェルト。それが事実なら、今な話ではとても筋が通らないように思える。
「魔人ってのは魔獣より強いんだよな? そんなヤツら相手にどうやって人間は勝ち残ったんだ」
至極当然な疑問だろう。
今日の襲撃。魔獣相手に、僕達人類はなす術もなく蹂躙されていた。いくら双頭狼が強力な個体とは言え、魔獣が人間にとって脅威である事実に変わりはない。
その脅威的存在よりも上位に位置する魔人が、人間に滅ぼされたと言うのは矛盾が生じてしまうだろう。人間より強い魔獣、魔獣より強い魔人、そしてその魔人より人間が強いという方程式は、どう考えても不自然だ。じゃんけんじゃないんだ、相性でどうにかなるような、甘い世界でもないだろう。
「人間には《使力》と言う力があったからね」
「使力……?」
これまた、知らない単語が登場した。
「君も見ただろう。あの炎を纏った剣や、風を操る不可視の攻撃を」
「あー、アレか」
魔獣との戦闘。僕が戦う直前に、魔獣と戦い死亡した二人の男が用いた魔法のような力。死んでしまった二人のことは気の毒だし、あまり思い返したくはないのだが、仕方がない。片方はどこからともなく炎を出現させ剣に纏わせ、もう片方は見えない一撃を魔獣に叩き込んでいた。あれは風だったのか。
「もしかしてこの世界の人間って、みんなあんな風に魔法みたいな力を使えるの?」
「お察しの通り。この世界の人間は皆、生まれた時より使力を身に宿している。──伝承によれば、千年戦争で危機に瀕した人類は神に祈りを捧げ、御使いを遣わされたそうだ。その御使いの手により、人類は祝福という名の加護を受け、使力を授かったという」
「へ、へえーそりゃあすごい。……もしかしなくてもその力、僕にも使えたりしないかな?」
淡い希望を込めてフェルトに問う。
異世界もののお約束として、転生及び転移時に授かるチート能力というものがある。この世界では皆が等しく特別な力を使えるというので、少しだけ特別感が薄れてしまうがまあいいだろう。むしろ、その中でも特別強力な能力がこの身に与えられたという展開も有り得る。いや、そうに違いない!
「そんなわけないだろう。君はこの世界で生まれた人間ではないのだから」
「……さいですか」
有り得ねえ。異世界ものとして有り得ねえ。主人公が何の能力も与えられないどころか、転移先の異世界住人の全てが自分にはない特別な能力を持っているという。どんなハードモードだこれ。ゲームバランス的にという以前に物語として論外だろ、こんなの。もはやイジメではなかろうか。ハブだハブ。仲間外れというのは、存外悲しいものなんだぞ。
「君には使力はないが、その代わりに私と言う素晴らしく優秀な聖霊が付いているからね。使力など必要ないし、何の心配もないよ」
「優秀ねえ……」
まあ、確かにコイツは優秀だった。最初こそ使えないヤツだと低く評価していたが、いざ魔獣との戦闘となるとその評価はひっくり返ることとなる。
なにせ、剣術どころかここ数年まともに運動すらしていなかったこの僕が、あんな強力な魔獣を同時に二体も倒すことが出来たのだ。三体目こそ油断してやられてしまったが、あのサポート能力は本物──
「そうだった! フェルト、何であの時僕生き返って──」
思い出したように、路地裏での不可思議な出来事を問い質そうとしたその時、
「ふざけるな!! この給料泥棒がぁ!!!!」
部屋の外から鳴り響く怒号に、全て掻き消されてしまった。
名前:ベクト・ベトラクト
概要:ヴァレンダント市を治める市長。リョウに命を救われる。
中太りで頭髪が薄い。
所属:ヴァレンダント市議会
身分:市長
出身:マンモン大陸 エリンダ地方 ヴァレンダント市《圏外区》
性別:男
年齢:44歳
誕生日:2月19日
血液型:B型
身長:169cm
体重:85kg
使力:???




