011 白い暗殺者
事前にベトラクト氏から聞き及んでいた通り、会議は長時間に渡った。部屋の外で待つ僕達にその内容は知る由もないが、かなりの長い時間、会議が続けられた事だけは確かだった。
なにせ外はすっかり暗くなっており、時計の針は既に19時前を差していた。ここへ到着したのが大凡13時過ぎだったため、約6時間程度が経過したことになる。それ故、あまりの暇さに欠伸が漏れ出る始末。護衛の仕事の真っ最中であるにも拘らず、緊張感の欠片もない。
暇を紛らわすためか、徐に外を眺める。
窓から見えるは見事な満月。雲一つない凄然とした星空に、我ここに在りとたしかな存在感を示していた。その光景に、思わず息を呑む。
丸い、丸い月。何一つ欠如することのない見事な望月。その、あまりの美しさに、つい見惚れてしまう。
異世界で見る月の模様もまた、兎の姿を象っている。
その姿に懐かしさを感じると同時に、安堵のような落ち着きを覚えた。
物珍しさばかりが引き立つここ異世界ではあるものの、こういう見慣れた景色、自分の中での当たり前を再度実感するというのもまた、悪くはないと思えたからだ。
月を眺めながらニヤニヤしていると、背後からギィ、という鈍い音が耳を鳴らす。
「大変長らくお待たせしました」
振り向くと会議室の扉が開かれ、その内より続々と人が外へと出始めていた。僕達の依頼主、ベクト・ベトラクト氏もまた、その中の一人だった。
「いやはや、なにぶんこう言った情勢ですので、思いの外会議が難航しまして」
「……魔獣の対策ですか?」
会議の議題。普通に考えたらそれは、町の今後の方針や施策、また問題定義などが主な内容となる。
差し当たって、この町で起こっている問題。それは部外者であるこの僕にさえ一目瞭然であった。
魔獣の存在、である。
双頭狼と呼ばれる魔獣の襲来が、この町に深刻な被害を与えているのだ。ベトラクト氏の話を聞いた限り、現在の対策は税金で雇った傭兵に町を守らせるといったものだ。
だがしかし、それら傭兵の数は僅か10名程度と極めて少数。これだけ広い町の全てをそんな少人数で守るというのは、流石に難しいのではないかと僕は思っている。
事実、町の被害は計り知れない。どういった防衛体制を取っているのか不明だけど、昨日だって容易に町の中へと魔獣の侵入を許している。その上住民に被害まで出しているのだから、今の対策が十分なものとは言えないのではなかろうか。
「魔獣の対策……仰る通り、町の防衛に関しては、極めて重要な議題です。日を重ねる毎に被害が増えております故、防衛体制を一新或いは傭兵の雇用数を増やす必要がありそうですな」
簡単な話、これまで10名で町全体を守っていたものを、その数が倍になれば、一人あたりがカバーする範囲は単純に半分となる。つまり人員を増やせば増やしただけ、魔獣への対応も容易になるというもの。
しかしいざ傭兵を雇う、というのもタダでという訳にはいかない。彼が僕に報酬を支払うように、労働には正当な対価が必要となるのだ。
そしてその報酬もまた、湯水の如く湧く訳ではない。
如何ともし難いのはこの点だ。僕はこの町の財政に明るくないが、財源には必ず限りがある。だってそりゃ、際限なく傭兵を雇えると云うのであれば、何十人でも何百人でも雇って、魔獣討伐に投じればいいだけの話だ。
そうしていない、と言うことはそう出来ない何かしらの理由がある筈だ。
その理由として真っ先に思い浮かぶのが、先にも述べた通り経済的な問題だろう。
だから、こればかりはどうしようもないのだろう。
「……さて、遅くはなりましたが、屋敷へ帰るとしましょうか」
会議も無事終わり、当然だが帰宅する運びとなる。
「帰りも馬車ですか?」
「はい。ここまで時間を掛けるのは想定外でしたが、17時にはここへ来るよう手配してありますので、ご心配なさらず」
そうは言っても、予約した時間から既に2時間以上経過している訳だ。その間ずっと外で待ち惚けというのだから、仕事上仕方ないとは言え、御者のおっさんが気の毒でならない。
そうやってあれこれ話しながら通路を歩いていると、気づかぬ内に議事堂の出入り口へと辿り着いていた。
ようやく長かった一日が終わる。そんな感慨に耽ながら、伸びをしていると、
「うむ?」
扉を抜けた先、外へと出たベトラクト氏は面食らったかのような表情を浮かべ、ぽつりと声を漏らした。
その視線の先、議事堂の正面を向いていたが、そこにあるはずの物が無いことに僕も気がついた。
「あれ……馬車が来ていない?」
道中聞いていた話では、馬車は既に到着しており待機している……その筈だった。しかし、目の前に広がる光景はそれとは全く異なるもの。来た時には議事堂の目の前、道路端へと停めていた馬車。当然そこを見遣るが、目の前どころか周囲のどこを見渡してもその姿は一向に確認出来なかった。
辺り一面に光はなく、光源はこの議事堂の窓から漏れ出る光のみだったけれど、それでも馬車の姿くらいは十分確認できた筈だ。
それに馬車にはランタンがあるだろうし、例の魔器という赤く光る光源がある筈だ。多少暗くたって簡単に見て取れるだろう。
ああ、流石に2時間は待ちきれなかったかと、内心僕はそう思った。しかしそれを言うなら僕達は6時間も待たされていたのだ。実に3倍の時間、しかし僕達はしっかりと待ち続けていた。確かに2時間は待つには長い時間だけど、もう少し仕事に誇りを持った方がいいんじゃないか?
「ふ、ふざけおって……もう金は払い終えていると言うのに……!」
えらくご立腹な様子のベトラクト氏。
そりゃそうだ。聞けば賃金は往復用を既に払い終えているのだとか。金を払わせておいてサービスを提供しないなんて、これ以上に理不尽なことはそうそうないだろう。
確かに少し待たせはした。……実際、2時間を少しと表現して良いか異論は認めるが。しかし何も言わず勝手に帰ってしまうなど言語道断だほう。僕なら二度と利用しないし、ネットで口コミに悪評を書きまくってやる程だ。
「あれ?」
そんな事を考えていると、視線の先の街道にポツポツと光が灯った。どうやら、道路端に聳え立つそれらは街灯だったらしい。
「あれ光るんだ」
「ああ、見るのは初めてかな? 街灯だよ」
「んなこた知っとるわい。というか、元の世界にもあっt」
言いかけて、咄嗟に口を手で塞いだ。
あ、危ない。フェルトのクソボケに釣られて、ベトラクト氏の目の前で異世界人であると自白してしまうところだった……!
幸い彼は怒りのあまりこちらの会話に気づいていない様子だが、今の返しはあまりに不用心だったな。猛省しよう。
というか、薄々そんな気はしてたけど、この世界でも電気やらが利用されているのだろうか。屋敷での明かりも電気っぽかったのは確かだ。あれは蝋燭やらに火を灯すようなものではなく、元の世界にもあったような照明や電灯といったものに近かったように思う。
「ううむ、一度考え出したら気になって仕方ないな。次回は生活インフラなどについて調べるとしよう。………………ん?」
独り言を呟きながら街灯を眺めていると、ひとつの違和感に気が付く。その違和感は街灯そのものではなく、それに照らされた地面に残っていた。
残っていた。何か凄い力で抉られたよう地面のそれ。まるで自動車を急発進させて後のような、タイヤ痕のようなもの。
来た時にあんなタイヤ痕のようなもの、あったっけか?
思い出せる限りの記憶を辿るが、やはりそんなものを見た覚えはなかった。
「なあ、フェルトあれ──」
気になった道路の抉れを、フェルトにも確認しようと声を掛けたその瞬間──目の前、数メートル先に人影らしき白い何かが、空より降り墜ちた。
「──────は?」
思わず、声を漏らす。
目を疑った。だって、それは人影らしきというより、人そのものだったから。
音もなく上空から飛来し、軽々と着地した人間。それはあまりに突発で、唐突で、短兵急が過ぎたから、驚嘆で暫く思考が停止してしまう。
「うん? なんだ貴様は、どこから現れた!?」
「…………」
無言で俯いたままの白い人影。
なにやら耳の付いた特徴的な、フードのようなものを被っているらしく、その表情はおろか容姿すら確認することは叶わなかった。
「…………」
凍り付く場の空気。
そして、永い沈黙。
しかし恐らく、実際は一秒にも満たないほどの一瞬。張り詰めた空気から錯覚する、濃縮された永遠にも等しい瞬き。
そして、その均衡が破られるのは極めて容易で、且つ驚くほど唐突だった。
「…………」
ゆっくりと、人影が顔を上げた。
瞳を見た。すると自然、視線が交錯する。
その瞬間、咄嗟にベトラクト氏の首根っこを掴み、背後のフェルトへと投げやった。
「────おっ」
無造作に、ぞんざいに、荒々しくその巨体を投げ飛ばす。
火事場の馬鹿力か、体重90kg近い彼を片手で投げるなど、普段の僕からは考えられない怪力だった。
しかし、今はそんな事を悠長に言ってられるほど、楽観的な状況ではなかった。
白い人影、それと視線を交わして察した。
《殺意》というものを初めて肌で感じた。
コイツは、彼を殺しに来たのだと、直感的に、瞬時に理解した。
「護れ、フェルト!」
「遅い」
耳元でそう呟く、細い声音。気がつくとそいつは、僕のすぐ隣まで距離を詰めていた。
今し方、つい先ほどまで数メートル前方に居たはずのそいつは、一瞬にしてこの距離を詰め寄ったのだ。
そして、その手には脇差しを思わせる剥き出しの短刀が握られており、直感した通り、ベトラクト氏の命を狙っているものと思えた。
「この──」
応戦のため、反射的にこちらも剣の柄を握った。そこで──
「はっ───────」
そこで初めて、自身が既に斬られていた事実に気づく。
右肩から胸にかけて裂傷を生じる。
噴き出した赤く、妙に温もりを帯びた液体。それが血液であると理解するまでに、少し時間を要した。
──は? 斬られた? いつ???
真横に接近された瞬間か? よもや、それよりも前か?
理解不能。ひたすらに混乱。
だってそうだろう。僕が斬られたことに気づいたのは、真横に詰め寄られそれに応戦する形で、剣を抜こうと柄を握ったその瞬間だ。
僕がソレから目を離したのはベトラクト氏をフェルトに放り投げ、目の端で後方のフェルトに視線をやったその一瞬のみ。
その後は傍まで詰め寄られたことに驚きはしたものの、ついぞ目を離すことは無かった筈だ。
無論、剣を抜く所作はおろか、僕を斬りつける様子すら確認してはいない。
しかし実際問題、こうして僕は斬られている。
切り口は鋭い刃物で間違いなく、こうして地面に膝を付いている。
有り得ない。頭の中で必死に事象を整理するが、とても合理的な解答が出そうにない。故に、こうしてひたすら混乱するばかり。
「リョウ!!」
フェルトの呼び声から、即座に我に帰る。
腹の底まで響きそうな、力の限り張り上げた声音。普段のあいつからは考えられないそんな呼び声に、呆けてきっていた思考が呼び戻される。
剣を握り、鞘から引き抜くその勢いのまま、白い刺客へと横薙ぎに斬り掛かる──が、その勢いを殺すように短剣で受け流しながら、側転をするが如く都合三度跳ね、再び僕達から距離を取った。
「身軽なヤツ……!」
体勢を立て直そうと腰を上げたその瞬間、今度は首が斬られていたことに気がついた。
「ゲホッ………ゲホ……!」
咄嗟に傷口を手で押さえる。
先ほどのよりも傷が深く、気管まで達したか、血液が喉に流れ込み咳が止まらない。
サクッと、綺麗なまでにパックリと割れた切断面。首のパックリ割れLv:80って感じだ。
「……致命傷にはならない程度に斬ったけど、まさか反撃してくるとは思わなかった」
「ゲホッ……何が、ゲホッ………致命傷には、ならないだ……」
別に殺す気はありませんでした、ってか? いくらテメエにその気が無かろうと、それを判断するのはテメエじゃねえ司法だ。日本では絶対に、100%の確率で殺人未遂罪となる。そうに決まってる。
「邪魔しないで」
次は殺すから。そう付け足して、今度こそと言わんばかりに、ベトラクト氏の方へと歩み寄る刺客。
「ヒィイ!!!!!!!!」
突き刺さるように鋭い殺気。それに中てられてか慄き悲鳴を上げる標的を嘲笑うが如く、一歩一歩ゆっくりと歩みを寄せる殺人鬼。
「……さて、もうイケるんじゃないかな、リョウ?」
などと血も涙も、思いやりの欠片すら持ち合わせていない、厄介極まる聖霊の言葉。しかし業腹ながら、コイツの言っていることもまた、間違いなく事実であった。
「……ゲホッ………人遣い、荒くないか?」
フェルトの言う通り、傷はもうほとんど治りかけていて、最初の切傷に至っては完治して血の一滴すら流れていない状態だ。
斬られるのは御免だが、仕事である以上、護衛対象は身を挺して護る必要がある。……なかなかどうして、僕向きの仕事じゃないかと、そう思った。
「ハァ……案外タフだね」
「勿論だとも。私の回復魔法を舐めて貰っては困るね」
勿論嘘である。このクソ聖霊、回復魔法どころか強化魔法の一つすら僕に掛けていない。……あ、テメエ今思い出したように強化魔法掛けやがったな。なに素知らぬ顔してやがる、オイ。
「……そう言うわけだから、彼を狙うならまずは僕を殺してからにして貰おうか」
とは言っても、先ほどのもそうだがどう言うわけか、この世界に来てから僕は死なない身体になってしまっているため、殺してから──というのも無理な話なのだが。
でも実際、僕はこの不死身の肉体にどの程度信頼を置いていいのか、未だに不鮮明なままだった。
本当に、本当の意味で不死身なのか。例えばめちゃくちゃに自然治癒能力が強化されていて、傷が治るのはそのせいだとか。……そうなってくると、首を刎ねられたり頭を潰されたりだとか、即死級の攻撃をされたら呆気なく死んでしまう可能性だってある。
そう言った可能性が少なからずある以上、あまり強気には出ることはなるべく避けたいが、今は状況が状況だ。やるしかあるまい。
「……わかった。不本意だけど、お望み通り」
そう呟いたその瞬間、場を包み込む空気がガラリと変わるのを実感する。
突き刺すような殺気が消え失せ、その代わり、表現し難い重力のような重苦しさが周囲を包み込んだ。
暗い闇の中、刺客の眼が光る。
蒼く、不気味なほど蒼く。闇夜に映し出された青白い虹彩は、まるで満月を想起させた。
直感的に理解した。コイツは、今やっと初めて本気になった。先ほどのまでのは本当に、殺すつもりで戦ってはいなかったのだと。
「───殺してあげる」
狙いは首。その視線で、一切合切を理解した。
刹那、次の瞬間に、僕の首は飛んでいる。
俊足の一太刀。音すら撫で斬る高速の刃。
ヤツが一歩足を踏み出した次の瞬間、首が刎ね飛ぶ幻覚を垣間見た。
「────え?」
驚きからか、僅かに声を漏らす。
目を見開いて、凝視する。
有り得ないモノを目の当たりにした、そんな面持ち。
殺人鬼は、目の前の男に困惑していた。
「そんな、あり得ない……だってそれ……師匠と、同じ……」
硬直する蒼い瞳。その眼に映るそれを、否定しようと必死に脳を回す。
だがしかし、それに映るは真実真理のみ。いくら気持ちが否定しようとも、脳が決してそれを許すことはない。
「…………?」
対する宮井リョウもまた、同様に困惑していた。
今し方、確かに死を覚悟した。
先ほどまでの刺し殺すが如き殺気も、確かに度し難いものではあったが、しかしその後に放たれた形容し難い重力のような空気の淀みは、それを遥かに凌駕するほどの脅威を本能が訴えていた。
それは真実、不死身である自分が死を覚悟するほどの恐怖を抱かせるに相応しい畏怖。
にも関わらず、依然自分は生きている。
それどころか、傷一つ負ってすらいない。
今度は気がついてないわけではない、事実ヤツはその場から動いてすらいないのだから。
「…………クソっ」
吐き捨てるように呟いて、暗殺者は踵を返す。
次いで、建物の壁を蹴り上がり、あっという間にその屋上へと駆け上った。
その身軽さに呆気に取られていると、再びこちらへと振り向く。
満月の下、蒼い双眸が見下ろす月下。
月の下においてその白い姿は、いやに鮮明だった。
蒼い瞳と、そして凛々しい顔付き。
月明かりに照らされた白い装いが、まるで天女の羽衣にも見えた。
なんだかそれは、とても幻想的で。
とてつもなく、風光明媚な。
それほどまでに、その姿は玲瓏としており。それほどまでに、ただ美しいとそう思えた。純粋に、そう感じた。
「……次は、必ず殺す」
そんな、美しい情景とはとても不釣り合いな言葉を残して、白い暗殺者は闇夜に姿を消した。




