001 見知らぬセカイにて
視界が歪む。
感覚が薄れる。
呼吸が淀む。
ノイズが奔る。
鼓動が弾む。
自我が喪失する。
絶え間なく流れ入り、五感を侵す感覚の暴力。
まるで情報の濁流だ。
機械音にも似た耳を劈く異音。
エラー。エラー。エラー。エラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラー。
システム認証失敗。
再度認証開始──────失敗。エラー。
アークシステム認証エラー。
RAW errorcode.0011 conflict.
◆◇◆◇◆
まるで状況が掴めなかった。
一度落ち着いて、冷静になって時系列をおさらいしよう。
つい先程、時間にしてもおよそ1分にも満たないであろう前、僕は自宅の自室でPCと向き合っていたはず。にもかかわらず、瞬きをした直後このわけのわからない光景が突如目に飛び込んできたというのだから、驚いて当然だろう。
「どこだ、ここ……?」
薄暗く、カビ臭く、埃臭い。湿気漂いジメジメとしていて薄気味悪く、きのことかが生えてても不思議じゃないとすら思えた。
周囲一面を煉瓦造りの壁に囲まれた空間。辺りには古びた木棚や巻物? や本などが散乱していた。
とりあえず、置かれた状況を整理しよう。
まず第一に考えるのは、なぜ突然こんな場所に飛ばされてしまったのか、という事だ。
読者諸兄においては、僕がヤバめな薬でもキメてトリップしているのではないかと疑われるかもしれないが、僕は至って健全な高校生であり薬物の類はおろか酒やタバコにすら手は出していない。──いや、健全かどうかは、まあ置いておくが。
第二に、ここがどこで一体何のための場所なのか、である。第一については今持ち合わせてる情報だけじゃ理解不能すぎて考えるだけ無駄だろうが、ここに関してはそうでもない。
考えても無駄なら行動あるのみ。幸いにも意識はハッキリしてるし記憶の混濁などもなく、つまりはシラフである。なので色々見て調べてみれば、ここがどこで何のための場所なのか、くらいはわかるかもしれない。上手くいけば第一の事項すら謎が解けるかも。
見知らぬ怪しい施設で単身探索など、映画や漫画の世界なら完全にフラグであるとは自覚しているが、自分の置かれた状況の把握すらままならないのはそれこそ論外であり、その他諸々の条件から勘案するに、これがベストな行動だろうと直感が告げていた。
そう決意して、右足を踏み出したその瞬間。
「ぅぐえ」
なにかを踏み付けるような鈍い感覚と共に、そんな間抜けな声が足下から聞こえた。
ビックリして咄嗟に右足を引っ込め、即座に視線を下ろす。
「……なんだこいつ」
我ながらボキャブラリーに貧した感想だと思うが、咄嗟に口から出てしまったのだからどうしようもない。
視線を下ろした先には人が横たわっていた。仰向けで。目を見開いて。あと、コッチを凝視して。いや凝視しているのは踏んづけてしまったからかもしれないけど、それにしても不可解というか最早奇行だ。
白い髪、白い目、白い肌。アルビノを想起させる面持ちに装いまで白で染まっている、なんとも白々しい。こんなとこで寝てたら汚れますよとでも伝えるべきか迷っていると。
「君は誰だ」
「いやいやこっちのセリフですけど」
そんなふざけたことを抜かしやがるものだから、口にするつもりはなかったがついつい声に出してしまっていた。今この瞬間、この地上おいてそのセリフを最も優先使用する権利があるのは、間違いなくこの僕だ。決してお前ではない。
この不気味かつ得体の知れない人物、声音からして恐らく男だろう。何故こんなところで寝転んでいるのか問うべきか迷ったが、問いかけるとするならまず第一にこれだろう。
「ここ、一体どこなんですか?」
先程のやりとりから言葉は通じるようだ。怪しい人物であることに変わりはないが、会話が成立するのならあちこち歩き回って調べるよりも、この男から色々と状況を聞き出す方が数段早いだろう。
「いや、私にもわからない。通りすがりで良さげな場所を発見したため、立ち寄って行為に及んでいただけだからね」
「いや言い方!」
お前も知らないのかよ、というツッコミよりも最後の一言にどうしても引っかかってしまう。行為ってなんだよ、わざわざ濁す表現が必要な行為をしていたということなのか?
「普通、知らない場所でそんなことしないでしょ……」
吐き捨てるように独り言を溢す。
手っ取り早く情報を得られそうな相手がまさかのスカであったため、嘆くように深く嘆息し頭を抱える。さてどうするべきか、と逡巡していた矢先。
「あと、君は誰なんだい」
「だからそれはこっちのセリフだって」
この状況に一番困惑している僕を差し置いて、図々しくも再度そう問いかける男に呆れ果て、再びため息を吐く。とりあえず無視して、改めて思考を巡らすこととする。
しかしこの男、肌や目の色はアルビノ故か人種の判別まではできないものの、顔の骨格や目鼻立ちはどうも日本人ぽくない。日本人ぽくはないが日本語を流暢に話すため、少し不可解ではあるけれど、それに関しては今は置いておこう。
重要なのはこの男もこの場所を知らないという事と、この場所にはたまたま立ち寄っただけという事だ。
仮に未だ未公開の超次元的な技術、またはその実験として何者かが僕をこの場所へ転移させた──という話なら自宅から突然ここへ飛ばされた状況にも説明がつく。
この男がその何者かであり、僕を転移させた人物とするなら先程の供述と食い違うためこの仮説は間違いといえる。
この男の供述に対する信憑性だが、それは潔白で間違いないと断言できる。当然、その根拠についても説明すべきだろうが、そんなことより状況把握が優先されるため、また別の機会で語るとする。
次に重要なのは言葉が通じるため意思疎通は可能であるということ。であれば、
「さっきの、行為に及んでいたってやつ。その行為って一体何してたんですか?」
不本意ながら先程の話を咽せ返すこととする。意思の疎通が可能なら、その相手から得られるだけの情報を得るのが賢明だろう。それゆえ、この男がここに訪れた目的と、その行為についても理解するべきなのだ。その行為とやらが下世話は内容じゃないことを切実に祈るばかり。
「召喚だよ」
「しょう、かん……?」
「そう、召喚。無比なる秘奥を以ってして異なる次元、異なる時間、異なる世界から、その対象を招き呼び寄せることさ」
聞き慣れない単語に一瞬困惑したが、男が口にした「しょうかん」なるものが、自分の中での「召喚」と一致したため、その意味は理解することができた。
しかし、召喚。この男が一体何を? 恐らく男の口ぶりからして、この召喚とは裁判等における召喚状、それに応じる行為といった世間一般的な認識とは違う。これは漫画やアニメにおける悪魔召喚や異世界召喚といった部類の話だろう、そう言った口ぶりだ。
「ところで……君は誰なんだい?」
男の妄言を必死に頭で理解しようとしている最中、再三に渡り舐めた質問を重ねる始末の悪さ。本当に意思の疎通が可能なのかどうか疑わしく思えてきた。
「はあ──僕はリョウ。宮井リョウって名前ですけど」
いい加減このやりとりも煩わしく感じ、ため息を溢す。こちらが折れなければ永遠この問答が繰り広げられそうな気がしたため、不本意ながらこちらから折れてやることにした。
「で、あなたは誰ですか?」
少しだけ怒気を織り交ぜて尋ね返す。こちらが名乗ったのだからそちらも名乗るのが礼儀だろう。男は「ふむ」と呟き、一拍置いて僕の質問に答えた。
「私の名前はフェルトという。いわゆる、聖霊と呼ばれるような存在さ」
「は?」
男の返答に、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
開いた口が塞がらないとでも言うべきか、今度は本当に混乱しっ放しだった。
聖霊? 召喚ってだけでも理解不能だったのに、これまたトンデモ要素が飛び出したものだ。これではいよいよ漫画やアニメの世界だなどと馬鹿にできなくなってきた。繰り返すが、僕は決してクスリなどでトリップしてるわけではない。そこだけは信じて欲しい。それにこの男の「君たちの世界で」って言い回しも何か引っかかる。
「混乱しているようだね?」
「そりゃそうでしょ。召喚だの聖霊だの、これじゃあまるで漫画の世界だ。それに今までの話だと、まるでここが異世界であなたが魔法か何かで僕をここへ呼び寄せたみたいに聞こえるんですが」
「まあその通りだからね」
認めやがった。
異世界召喚、可能性として考慮してなかったわけじゃない。ただ突拍子もなければ現実味もなく、これに比べればトンデモ科学技術の実験台として空間転移させられたという話の方が現実味がありそうな気がしただけだ。
それに、今にして思えば周囲の本や巻物らしき書物に記された文字も、僕の知らない未知のものばかりだった。それもあって一応、可能性として考慮はしていた。とても、認めたくはなかったが。
「えっと、フェルトさん……でしたっけ?」
「フェルトでいいさ、リョウ」
「距離縮めるの早くない?」
いや、まあいいけど。
「えっと、フェルトが僕を呼び出したのは分かりました。でも、何のために僕なんかを呼び出したりしたんですか? その召喚ってのは、誰彼構わずランダムに償還対象が選ばれちゃうものなんですか?」
そうだった場合はなんだか切ないが、運の尽きというか運が悪かったと諦めるほかない。
「いや、召喚対象者は選別できる。それに、別に誰でもいいと言うわけでもないからね」
「ならなんで僕なんかを召喚したんですか。こう見えても僕は何の取り柄もないただの高校生ですよ」
訂正。こう見えても、改めどう見てもです。
しかし本気で分からない。わざわざ異世界くんだりまで召喚されたのには、何か必ず理由があるはずだと思った。
「重々承知している。だがしかし……ふむ、困った。これは私にも予想外のことだからね」
「予想外って、なにが?」
「なに、単純な話。私が召喚するはずだった人物と、君の特徴がまるで一致しないため少々混乱している」
「……えっと、それってつまり?」
「要約すると。召喚対象を間違えてしまったようだ」
「召喚ミスかよ!」
なんてことだ。適当に「誰でもよかった」と招かれた訳ではないにせよ、まさか誤召喚で異世界に飛んでしまうとは。いや、異世界召喚もので誤召喚というのはある意味定番かもしれないが、そもそもそれは漫画の中だけの話だろう。こんなことが現実に、それも我が身に降り掛かるなんて、一体誰が予想できたものか。
なるほど。先程から「君は誰なんだい」としきりに聞いてきた理由にも一応納得がいく。
「はあ……まあ間違いは人間なら誰にでもあるし──いや聖霊だっけ、まあいいや。ともかく、そのことはもういいから僕を元の世界に戻してくださいよ。もう一度、今度は間違えないように召喚し直してください」
「無理だ」
「は?」
本日2度目の間抜けな返答。続けて「不可能だ」と補足するように付け足したフェルトに、思わず開口してしまう。いい加減顎が外れそうだ。
「いや、間違いだったんなら僕がここに居る意味ないじゃないですか。いやそもそも異世界間を行き来するなんて未だに半信半疑だけど、呼び寄せることが出来るなら送りつけることもできるでしょ?」
仰向けに寝転んだ状態のまま、それを否定するように首を横に振る。
「君の言い分はもっともだが、二つ程訂正させて欲しい。一つ、私は君を召喚して魔力が底を突いてしまった。このままでは肉体を維持出来ず消滅霧散してしまうだろう」
「だから?」
「私と契約して魔力の提供、ならびに存在の維持に協力して欲しい」
「なっ──」
思わず大声を上げかける。言うに事欠いてコイツ、自分のミスで呼び付けた相手に死にそうだから助けて欲しいだなどと、太々しいにも程がある。面の皮はきっと10cmくらいの厚みだろう。
「知りませんよ。アンタが消滅しようが僕の与り知るところじゃない」
「二つ、現時点で君を元の世界へと戻す方法はない」
「なにぃ──!?」
今度こそ堪えられず大声を出してしまう。
「呼び付けるだけ呼び付けといて元に戻すのは不可能だなんて、なんだよその欠陥魔法!」
「こんな閉所で大声を出されては頭に響く……どうか落ち着いて欲しい」
これが落ち着いていられるか、と再度怒鳴りつけようかとも考えたが、フェルトが思いの外辛そうな表情を浮かべていたため、流石に控えた。そういえば魔力が底を突いたとかなんとか言っていたが、辛そうな表情や未だ仰向けの体勢のまま動けないのもそれが原因だろうか。
「はぁ……現時点では無理──って言ってましたけど、それは魔力ってのが十分に回復したら可能なんですか?」
「魔力が充填されようとも、『必要な条件下』と『適切な場所』の二つの要因を満たさない限り、君を元の世界に戻すことは叶わない」
なるほど、どのみち直ぐには解決しないということか。『必要な条件下』と『適切な場所』というのもなんだか曖昧で不鮮明な内容ではあるけど、それでも条件さえ揃えば元の世界に戻ることは可能だと言うのだ。逆を言えば、ここでフェルトを見捨ててしまえば、元の世界に戻るすべての可能性を捨て去ることと同義だろう。
「実質、選択肢は一つしかないじゃないか」
「理解してもらえたようで何よりだよ」
こいつの当然、とでも言わんばかりの自信ありげな表情は不愉快だけど、しかし元の世界に戻るためにはこいつと契約? するほかあるまい。
「そういえば、契約? するにあたって聞きたいんですが、さっきも言った通り僕は何の取り柄もない高校生で、魔力? だとかそんなものの知識も何もない門外漢なわけだけど、大丈夫なの?」
「問題ない。人間は皆誰しも、自然界より魔力を摂取し生命エネルギーへ変換ないし自然界へと放出している。当然、君にもその摂理が働いているため、私とパスを繋ぐことで契約は有効化される」
「な、なるほど?」
まずい。言ってる事は何一つさっぱりわかんないけど、なんかとりあえず問題はないみたいだ。
「そっちが良いって言うなら僕としても特に問題はないですけど……ていうか、いい加減敬語使うのもめんどくさいんでやめていいかな?」
「君が楽な方で構わない。私としてはもっとラフに接して欲しいものだ」
じゃあお言葉に甘えて、タメ語で喋らせてもらう事とする。
「それで、契約ってのはどうやって結ぶものなの?」
「契約に重要なのは各々の意志のみで、所作や作法は然程重要ではない。とりあえず、私の右側に来て貰えるかな?」
指示に従い、仰向け状態のフェルトの右手側へと立つ。
「手を差し出して」
言われるがまま右手を差し出すと、フェルトもまた右手を差し出し、僕の腕を掴んだ。僕もまた同様に掴み返すよう促され、その指示に従う。
一瞬、電流でも流れたかのような刺痛が、掴んだ右手より迸る。それと同時に、弱々しく腕を掴んでいたフェルトの握力が、徐々に強くなるのを感じた。
「僕がお前に魔力を提供する代わりに、お前は僕を元の世界に必ず戻す。これが契約だ」
「請け負った。リョウ、君が元の世界に戻るその日まで君は私を守り、私は君を護り抜こう」
仰向けの状態から起き上がるフェルト。180cmはあるだろう長身の腰を落とし、膝をついて礼をする。礼を尽くすその姿は意外と様になっており、先程までの厚顔なそれとは打って変わった誠意ある態度であった。それにさっきよりも物理的距離が近づいたせいか、その端正な顔立ちに同性ながらソワソワしてしまう。聖霊の分際で整った顔付きしやがってクソがよ。
「契約はこれにて終了だ。感謝する、宮井リョウ」
こうして、僕の異世界冒険譚が、大変不本意ながら始まりを告げたのだった。
名前:宮井リョウ
概要:手違いにより異世界へと召喚された、平凡で運のない高校生。
一刻も早く元の世界に帰りたい。
所属:なし
身分:《聖霊使い》《???》
出身:日本 東京都武蔵野市
性別:男
年齢:17歳
誕生日:12月9日
血液型:AB型
身長:165cm
体重:56kg
使力:???