後編 聖女の力と真の加護
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◇閑話◇
オブドリーが去って三ヶ月。
シビッカ国はあちこちに、綻びが出始めていた。
綻びの最初は、コーエン家に表れた。
領地からの税収が、激減しているのだ。
そのため、侯爵家はかつてない財政危機を迎えている。
「なぜだ! 昨年度の収穫は悪くなかったはずだ!」
侯爵が叫んだが、家令は首を横に振る。
「お嬢様、あ、いえ、オブドリー嬢が隣国に移られたと同時に、領地民は後を追うように出国されまして、無人の農地が広がるばかりで……」
コーエン侯爵は、苦い物を飲んだような顔色になる。
「と、とはいえ、わしの俸給もあるし、神殿からもクラスティに、謝金が入っているだろう」
「……誠に申し上げにくいのですが、入金よりも出金が多ければ、赤字になるのは必然かと」
侯爵は、家令に告げる。
「余剰な使用人を辞めさせろ」
家令はため息をつく。
「もう、既に辞めさせております。これ以上は、邸の体裁に関わります。……旦那様、あなた様もお分かりでしょう。出金の多くは、奥様とクラスティ様の浪費……」
「ええい、うるさいうるさい! わしがなんとかする! それ以上言うな!」
ドスドスと、部屋を出て行く主人を見つめる家令は、己もそろそろ潮時かと思っていた。
コーエン家の養女でありながら、第一王子の婚約者となったクラスティにも凋落の兆しが表れていた。
神殿での聖女としての活動は、思いのほか地味であり、神官たちからは容赦ない叱責を受ける。
元々、極小の御力しかクラスティは持っていないのだ。
クラスティの聖女としての資質は、当然疑問視されている。
ただし第一王子に諫言しても相手にしてもらえないので、間もなく国王と宰相に書類が届く。
「真の聖女は、オブドリーであった」と。
国王は神殿の訴えを、取り上げざるを得ない。
元聖女、オブドリーが放逐されてわずか三ヶ月。
天候は不順になり、あちこちで病が発生し、諸国との流通が滞っている。
オブドリーが聖女として活動していた期間には、いずれも起こらなかった事象なのである。
◇放逐令嬢◇
放逐されたオブドリーは、新天地に来て三ヶ月たった。
貴族子女のクラスにも慣れ、ミズキ以外の友人もぽつぽつ出来た。
シフェットも、表立った嫌がらせはしてこない。
ただし、すれ違いざまに「ニセ聖女」などと囁かれることはある。
そんな時、オブドリーは下を向き、笑いをこらえるのだ。
その程度の陰口や悪口は、母国で聖女と呼ばれていた時でも、しばしば遭遇していたからだ。
時折、ジェリックはオブドリーに声をかけてくる。
学業的に分からない時は、オブドリーから質問することもある。
ジェリックは生真面目かつ懇切丁寧に、教えてくれる。
「こちらに来て、良かったわ」
ミズキに言うと、ミズキも同意する。
「そういえば、以前シフェット様に倒された時、リーは地面に手を着こうとして止めたじゃない。あれ、どうして?」
「ああ、あの時土の上に、小さなカエルがいたの。手を着いたら潰れちゃうと思って」
「あなたって、本当に聖女なのね」
くすくすとミズキは笑う。
ミズキに呼応するかのように、外ではカエルが鳴き始める。
「明日は雨かしら……校外行事、だったわね」
その晩から明け方まで、雨は降り続いた。
◇はずれ加護の王子◇
曇天の下、高等部一年生の校外行事が開催された。
学園の裏手は丘陵地帯が続き、近くには川が流れている。
行事の目的は親交を深めるというものだが、一応課題として、丘陵地での自然観察を行うことになっている。
「昨日の雨で川は増水しているから、川原には近づかないように」
引率の教員から諸注意を受け、生徒らは丘陵地へ入る。
さすがにあちこち、泥濘んでいる。
ジェリックはマダックらと一緒に、なるべく高い場所へと向かう。着いたらそこに校旗を立てるのだ。
途中、白い野の花を観察している、オブドリーとミズキを見かけた。
オブドリーの真剣な表情にも、ジェリックは胸が鳴る。
「一緒に行こうって誘わないの? 殿下」
「殿下言うのやめろ」
ジェリックの顔が赤くなる
「最近、ジェリックと結構仲良く話してるよな、聖女さん」
「領地経営の質問受けただけだ。それに聖女呼びは失礼だぞ」
真面目に返答するジェリックに、仲間たちはニヤニヤが止まらない。
中等部から一緒にいるが、今までは、やる気も覇気もない第七王子であった。
それが。
オブドリーが編入してから、あからさまにジェリックは変わった。
元々真面目は真面目だったが、勉強も人付き合いも、ジェリックは適当にこなしていた。
およそリーダーシップとは縁のないタイプ。
王子といっても七番目だし、加護は弱いらしいし、いずれは王籍を抜けるのだろう。
それが今回の校外行事、何をしたいか話していたら、ジェリックは言った。
「丘陵の天辺についたら、旗を立てたい!」
周囲のメンバーは内心驚いた。
そして同時に思った。
恋とは男を成長させるものなのだ、と。
あっという間に、彼らは丘陵地の一番高い処に着く。
「やったね! 殿下」
「だから殿下やめれ」
ジェリックたちは、堂々と学園の旗を立てる。
旗は、風に煽られバタバタと鳴る。
ふと、ジェリックは雨の匂いを嗅いだ。
まだ降って来てはいないが、濃厚な匂いである。
「あれ? 殿下、鼻ピクしてる」
「雨の、雨の匂いがするんだ」
マダックは宰相の子息であり、幼い頃からジェリックの遊び相手に選ばれている。
すらりと通ったジェリックの鼻梁。その先端がピクピクする時は、何かの異常を察知しているのだ。
「旗をしまって、すぐ降りよう」
ジェリックの指示に、皆素直に従った。
◇放逐令嬢◇
丘陵地帯の中腹で、オブドリーとミズキはお弁当を開いていた。
低地では、なかなか見られない植物を採取し、二人とも満足していた。
オブドリーの足元で何かが跳ねた。
ゲコ!
それは一匹のカエルだった。
カエルは、地面に座っているオブドリーの足を伝って、膝のあたりで鳴く。
ゲコ! ゲコ!
オブドリーの顔色が変わる。
「ミズキ、すぐに此処を離れましょう」
「どうしたの? それにそのカエル……」
オブドリーは言う。
「間もなく、この辺が水没するわ!」
その頃、シフェットとその取り巻き五人は、川原の近くでパラソルを開いていた。
シフェットが、泥の汚れを嫌がったためである。
「あの、シフェット様。そろそろ他の人たちと合流しませんか?」
恐るおそる、取り巻きが声をかける。
近くで見ると、普段は深い緑色の川面が、濃い茶色になっている。
心なしか、来た時よりも、水面が上昇している気がするのだ。
「もう少し、お待ちいただきたくてよ。淑女のお食事は悠々とすべきなの」
取り巻きたちは、既に食事を終えている。
皆ちらちらと、川を見ている。
その時である。
ドゴ――ン!!
何かが割れたような、重く鈍い音が響く。
同時に地面がぐらぐらと揺れた。
「きゃあああ!!」
シフェットの取り巻きたちは、一斉に駆け出す。
「ちょっ、ちょっとお待ちになって! わたくしを置いていくなんて、不敬ですわよ!!」
シフェットの叫びは、轟々と流れる水の音にかき消された。
◇校長◇
丘陵地帯に轟音が響く、その少し前。
王立学園校長のクラーボーは、丘陵地帯に早馬で向かっていた。
丘陵地帯の先に建設してあるため池が、決壊するおそれありと連絡が来たのだった。
「連絡、遅すぎでしょ!」
クラーボーの後ろには、王国騎士団が従っている。
「まず、生徒たちの安全確保だ!」
クラーボーが進んで行くと、道には水が溢れ始めている。
「上手く避難しててくれ! みんな! ジェリック!」
轟音は、ため池の外壁が完全に決壊したことを示す。
あっという間に、馬の脚が半分、水に隠れる。
馬にハッパをかけながら、クラーボーはひたすら前に進んだ。
なんとか丘陵地帯に辿り着いたクラーボーは、信じがたいものを見た。
中腹で生徒が固まって避難している場所が、淡い光に包まれている。
暴れ狂うような濁流が、光の前で跳ね返されている。
「こ、これは、結界、か?」
光の中心にいるのは、オブドリー・コーエンだ。
「さすが、と言うべきか」
クラーボーが呟いたその時である。
濁流と共に流れ出た巨大な岩が、光の結界にぶつかろうとした。
いくら聖女の結界であっても、アレを弾くのは無理かもしれない。
「危ない!」
クラーボーはその身一つで岩に向かう。
瞬時にクラーボーの肉体が盛り上がり、岩の大きさを凌駕する。
彼が持つ、水牛の加護の能力が発揮されたのだ。
「全員、揃っているか!?」
岩を止めながら、クラーボーが叫ぶ。
「ひ、一人。いえ、二人、戻ってないです!」
悲愴な声が響く。
「誰だ!」
「シフェット様です! そして助けにいった、ジェリック殿下が……」
◇二人の能力◇
クラーボーが岩を止めている間に、騎士団もようやく到着した。
そして次々に、土嚢を積み上げていく。
「オブドリー・コーエン嬢!」
クラーボーが叫ぶ。
「はい!」
「ここはもう大丈夫だ! だから。
だから君は、シフェット嬢とジェリックを、助けに行ってくれ!」
オブドリーは躊躇なく答える。
「かしこまりました!」
オブドリーは一人の騎士に護られながら、川原の方面へと走る。
先ほどの、ジェリックとの会話を思い出す。
**
「シフェットが川原に取り残された」
「私、助けに行きます」
「いや、俺が行く。君はここで、みんなを守ってくれ。間もなくここにも、水が来る」
「分かりました。出来る限り、水を止めておきます。ジェリック様、お一人で大丈夫ですか?」
「腐っても、加護持ち、だからな。なんとかする」
**
まだ二人が戻って来ないということは、シフェットが見つからないのか。
それとも……
最悪の事態を思い浮かべ、オブドリーは頭を振る。
ジェリックは、「なんとかする」と言ったのだ。
それを信じて、自分の出来ることをするだけだ!
川の方へ向かうと、流れと水圧で、何度も足を取られそうになる。
騎士と一緒でなかったら、流されていたかもしれない。
あ!
いた!
川原であった場所は、水が渦を巻きながら流れているが、一本の木が水の上に枝葉を見せている。
その枝にしがみつく、女性の姿があった。
シフェットだ!
そしてその木の樹冠部から、ジェリックはシフェットに手を差し伸べていた。
シフェットは顔を横に振り続けている。
しがみついている場所から、手を放すのが怖いのだろう。
しかし。
このままだと体力が尽きて、濁流に飲み込まれてしまう。
「ジェリック様! シフェット様!」
声を限りにオブドリーは叫ぶ。
「聞こえてますか? 今から、その木の周りに、結界を張ります!」
オブドリーに気付いた二人は、瞳孔を開いて彼女を見つめる。
「結界を張れる時間は、短いです。でも張っている間は、流れが止まります。だから」
オブドリーは祈りを込めて、二人に語る。
「ジェリック様は、最大の速さで、シフェット様の手を取って、飛んでください!」
「飛ぶ、だと?」
「はい! あなたの加護の力なら、その場所から丘陵地まで、飛べるはずです!」
そうオブドリーは言って、掌を合わせた。
二人がいる木の周りには、薄い金色の膜のような結界が張られた。
「今です!」
オブドリーの声に後押しされて、のそのそとシフェットは上方へ動き、差し出すジェリックの手を取った。
ジェリックはシフェットを抱えると、樹冠を蹴って飛び上がる。
オブドリーはそれと同時に結界を解除する。
ウサギは三メートルほど、ジャンプ出来るという。
ジェリックの跳躍力は、その三倍ほどあった。
楽々とシフェットを丘陵中腹部まで運ぶと、彼はもう一度、川原の方へと戻る。
膝まで水に浸かったオブドリーが、まだ残っているからだ。
差し出された手を、オブドリーは握る。
「騎士は一人で戻れよ」
そう言うと、ジェリックはオブドリーを抱きしめるように、空中へと飛び上がる。
「このまま、しばらく飛んでいて良いか?」
耳元で囁かれたオブドリーは、頷くしかなかった。
ジェリックは本当に空を飛んだ。
一瞬のジャンプではない。
鳥のように、空中を飛んだのである。
丘陵地で岩を砕いたクラーボーは、空を見上げて驚く。
「なんだ、あいつ、加護の力の使い方、分かったんだ」
雨は、いつしか止んでいた。
◇エピローグ◇
本来であれば、生徒らを危険な目に合わせたことで、学園全体糾弾されてもおかしくなかったのだが、王宮からの連絡が遅れたことと、その担当がシフェットの父であったことから、国王の訓告で済んだ。
ジェリックは自分の加護が「ウサギ」であると、照れることなく躊躇うことなく周囲に言えるようになった。
オブドリーは、聖女の御力を使いすぎて、三日間ほど寝込んだが、ミズキの国の疲労回復の茶を飲んで回復できた。
最近は、昼食時、中庭に立ち寄るジェリックの姿を見かける。
シェフに教えてもらったとかで、ジェリックが弁当を持参する日も増えた。
シフェットは歯噛みしながらも、時々菓子や果物を、オブドリーたちに差し入れしている。
「ふん。あなたたちには手が出せない、高価なものですからね」
間もなく暑い季節になる。
「何処か、行きたい場所あったら案内するけど」
ジェリックに訊かれたオブドリーは、頬を染め、彼の耳元に囁いた。
「また、空を飛んでみたいです。二人で」
夕陽よりも赤い顔になったジェリックは、何度もコクコク頷くのだった。
クラーボー校長は、学園に落ち着きが戻った頃に、神殿を訪ねた。
そして、ジェリックが加護の力を使いこなせるようになったことを、神官に告げた。
「ほうほう、空を、飛び続けたのですな」
「ええ、ウサギの加護も、侮れませんね」
「ほっほっほっ」
神官は笑う。
「実は、ジェリック様の加護は、ウサギではないのですよ」
「えっ?」
「あなた様は王位継承権を破棄されてますので、お伝えしましょう。
ジェリック様の本当の加護は、麒麟です」
「キ、キリンって、聖獣じゃないですか!」
「ええ、まあ、余分な争いを避けたいので、ウサギということにしておいてください」
クラーボーは、神官の願いを受け止めて、誰にも言わないことを神に誓った。
はずれ加護でも良いじゃないか。
放逐されたという真の聖女と、仲良くなれたのだから。
◇閑話◇
その後、オブドリーを放逐したシビッカ国は財政破綻をきたし、レブラ国の属国になったという。
◇おまけ◇
ミズキ・ホウオウインは、レブラよりもずっと東の国の公女である。
留学生として様々な国に行っている。
彼女の真の姿は、情報取集のプロ。ミズキの国の言葉では、「オンミツ」というそうだ。
寄宿舎で同室のオブドリーは、今日はデートで不在である。
こんな日は、本国に集めた情報を送りやすい。
情報の送り方としては、動物を使ったり、普通の手紙で送ったり、様々な方法を取っている。
本日送るべき情報は、これ一択。
「聖女がいる国には、戦を仕掛けるべからず」
情報を送ったミズキは、どこからか部屋に入ってきたカエルを見て微笑んだ。
おしまい
思いのほか長くなりました。
お付き合いくださいまして、心より御礼申し上げます!!
誤字報告、助かります。
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