前編 ボーイミーツガール
プロローグ
何処から紛れ込んだのか、庭にウサギがいる。
ベージュ色の毛並みと、ブドウのような瞳。
少女が近づいてもウサギは逃げない。
「あっ……」
ウサギの足には血が滲んでいる。
「ケガ、してる」
逃げたくても、逃げられなかったのか。
そっと抱き寄せ、少女は頭を撫でる。
ウサギは目を細めた。
少女は持っていたハンカチを、ウサギの傷に巻く。
「早く治りますように」
少女が呟くと、ウサギの毛並みは、黄金色に光った。
◇放逐令嬢◇
その日、コーエン侯爵は言った。
「オブドリー。お前を放逐する!」
コーエン家次女、オブドリーは黙って頭を下げた。
「理由も訊かんのか」
「婚約を……殿下との婚約を破棄された、からではないか、と……」
コーエンは鼻息を一つ吐く。
「それだけではないわ、馬鹿め! お前が偽聖女だと、喝破されたからだ!」
オブドリーは唇をきゅっと噛む。
聖女などと、オブドリー自身は思ったことがない。
ただ、身の周りの動物たちと遊んでいたら、いつの間にか『聖女様』と祭り上げられただけなのだ。
何よりも真っ先に王宮に売り込んだのは、父コーエンではないか。
「まあ、放逐して、何処かで野垂れ死にでもされたら寝覚めが悪い。隣国のレブラに留学する手続きは済んでいる」
コーエンはオブドリーに向かって、何枚かの書類を投げつける。
「レブラ国の王族は、特別な『加護』を持つそうだ。加護持ちの男でも捕まえたら、戻って来ても良いぞ」
まあ、お前みたいな女じゃ無理だろうなと言いながら、コーエンは右手でオブドリーを追い払う仕草をした。
その日のうちに、オブドリーは邸を出た。
用意された馬車は、片道だけのもの。持ち物は、古ぼけたボストンバッグ一つ。
僅かな路銀は、聖女としての労働報酬。
誰にも見送りされない出発だった。
馬車に揺られながら、オブドリーは数日前の、高等部の卒業パーティを想い出していた。
それは唐突な宣言だった。
「オブドリー・コーエン侯爵令嬢。本日、貴様との婚約を破棄する!」
宣言したのは、シビッカ国第一王子のゴルフレン。
ゴルフレンの隣には、オブドリーの義姉クラスティが寄り添う。
義姉の胸には、シビッカ国の国旗と同じ、三色のサファイアが輝いている。
「貴様は『聖女』の肩書を振りかざし、クラスティ嬢に暴力を奮い続けたそうだな。しかも、神官から聞いたぞ! 貴様よりもクラスティ嬢の方が、聖なる御力に恵まれているというではないか!」
ゴトゴトと馬車は進む。
婚約破棄、それ自体はどうでも良かった。
しかし、オブドリーが聖女の肩書を振りかざしたことなど、ただの一度もない。
弁明の機会すら与えられなかった。
そもそも、父にも殿下にも、信頼されていなかった。
それが悲しい。
亡き母に申し訳ない。
涙が出そうだ。
『あなたの能力は、誰かを幸せにするためのもの』
聖女として神殿に認められた頃、オブドリーの母は他界した。
すぐに父は後妻を迎えた。
義母とその連れ子の義姉は、我が物顔でコーエン家を支配する。
義姉は、義母譲りの美貌を武器に、オブドリーの婚約者であるゴルフレンに取り入った。
ゴルフレンも、あっと言う間に彼女の色香に篭絡された。
義姉に『聖女』の御力があるとは思えなかったが、神殿が判定したのなら、きっとそうなのだろう。
家にも学園にも、神殿にすら、オブドリーの居場所はなくなったのだ。
だから、今更放逐されたところで、嘆く必要はない。
オブドリーは顔を上げ、目尻を拭く。大きく息を吐いて、馬車の窓を少し開けた。
綺麗な色の鳥が、レブラ国への進行方向に飛んでいる。
その姿を見たオブドリーの心は、ほんのりと温かくなる。
何か。
良いことが、あるかもしれない!
オブドリーは自然に微笑んだ。
オブドリー・コーエン、十五歳の春である。
◇はずれ加護の王子◇
放逐されたオブドリーが向かっているレブラ王国は、豊かな領土と強力な軍事力を誇る。
国力の維持に必要なのは、資金と人材だ。
人材育成のために、この国では王立の学園に広く門戸を開いている。
学園の食堂で、男子生徒三人が雑談をしていた。
継承権を有する王子と、その側近二人である。
「シビッカ国から『聖女』がこの学園に来るんだって?」
「元な。元聖女さま」
「美人かなあ、ジェリック、何か知ってる?」
「さあ……婚約破棄されたっていうから、期待しない方が良いんじゃない?」
興味なさそうに答えるジェリックが、王国第七王子だ。
さらりとしたクリームイエローの髪が、長めに額にかかり、海の浅瀬のような瞳を半分ほど隠している。きちんと整えれば、間違いなく学園きっての美形だが、そんな評価を得ることに、彼は興味がない。
さらに言えば、王族であることや、王位継承権などにも、関心がないジェリックである。
よって、他国の聖女もどきが来ると聞いても、表情が変わることはない。
ジェリックは「冷静な王子」もしくは、「はずれ王子」と言われている。
はずれとは?
レブラ王国建国者の血を引く、現王族の者たちは生まれながらに加護を持つ。
建国者とは神とその眷属。
王族の者は、いずれかの眷属の加護を受ける。
上位眷属は四体の聖獣であるが、いまだ聖獣の加護を持つものは現れず。
聖獣に次ぐ力を持つ赤竜は、現国王に加護を与えているという。
五歳を迎えると、王族は神殿にて、加護の審神を受ける。
輝く金髪と蒼い瞳を持つ第七王子は、生誕時に周囲の者たちすべてがため息をついたほど、美しく、愛らしかった。
王も王妃も、他の従者たちも期待した。
ひょっとしたらこの王子こそ、聖獣の加護を受けた者ではないかと。
だが。
神官が告げた第七王子ジェリックの加護眷属とは。
「ウサギ、です」
「はっ? えっ? ウ、ウサギ?」
「はい。ウサギです。あ、眷属のウサギですよ。月の神様の」
神殿に集まっていた、王と王妃、そして六人の王子たちは脱力した。
建国以来、初めてのウサギ加護。
どんな力を持っているのだろう。
王は赤竜の加護により、敵の小隊を炎で瞬殺したことがある。
王妃は孔雀の加護を持ち、あらゆる毒に耐性がある。
ジェリックの兄たちも皆、それぞれ白狼や双頭の蛇など、強そうな加護持ちなのである。
ところがウサギ。
特殊能力は何だろうか。
逃げ足が、早い、とか?
「まあ可愛いから、いっか」
あまり、喜ばれない加護であること感じたジェリックの顔を、王妃は両手で挟む。
この日以来、ジェリックは兄たちに練習をつけてもらっていた、剣術の稽古を止めた。
◇放逐令嬢◇
オブドリーは、レブラ王立学園高等部に編入した。
小国とはいえ、オブドリーは貴族階級出身であるため、編入先は貴族子女のクラスとなった。
レブラの教育課程では、基礎科目の他に、領地経営や外交政策などの実学が含まれており、オブドリーにとってはどれも新鮮で、面白い内容である。
母国であるシビッカでは、オブドリーは神殿にいる時間が長かった。
邸に帰れば、義母と義姉からは嫌がらせのように、「淑女の嗜み」と女主人の仕事や家事を押し付けられた。
勉強は、睡眠時間を削るしかなかったが、ランプの油が無駄だと灯りを落とされるため、あまり進まなかった。
「こんなに普通の生活送って、良いのかしら……」
編入と同時に寄宿舎に入り、のびのびと過ごすことが出来るようになった。
同室のミズキも、他国からの留学生だという。
「良いんじゃない?」
ミズキは、出身国特産だという緑色のお茶を、オブドリーに渡す。
黒髪に黒い瞳のミズキは、校内の情報をいろいろ教えてくれた。
特に、人間関係。
要注意人物の名前と爵位を、オブドリーは覚えた。
「ねえ、この国の王族って、何かの『加護』を持っているって、ホント?」
「ああ、それってウチのクラスじゃ禁句だよ」
「えっそうなの。でも、なんで?」
「王族いるのよ、一人。 七番目の王子が」
「知らなかったわ」
王子と聞いて、オブドリーは一瞬、かつての婚約者だったゴルフレンを思い出す。
彼は尊大な態度で、いつも取り巻きをぞろぞろ連れて、闊歩していた。
そんな態度の人って、いたかしら。
「目立たないように生活しているからね、ジェリック殿下。あと、彼の加護って、山羊だったか、羊だったか、なんかあんまり強くなさそうなの。だから嫌がるわ、その話題」
ジェリックという名前は覚えていた。
窓際の席の、サラサラ金髪の男子だ。
言われてみれば、どこか浮世離れしている。
「ところで、明日、お弁当持ってく?」
ミズキに訊かれ、オブドリーは頷いた。
◇はずれ加護の王子◇
「シビッカ国から参りました、オブドリー・コーエンと申します」
編入してきた隣国の元聖女は、丁寧なお辞儀をした。
校内なので、膝折礼ではないが、育ちを感じさせる所作である。
胡桃色の髪は肩よりも長く、大きな瞳は薄い菫色。
何よりも、纏う空気が清々しい。
さすがは元聖女といったところだろうか。
視線が合いそうになって、思わず俯くジェリックの鼓動は早い。
「ねえジェリック。結構可愛いじゃないか。元聖女さん」
小声で後ろの席のマダックが囁く。
「そ、そうかな」
いつものように無関心を装うとしたが、ジェリックの声は掠れた。
マダック以外の男子も、「編入してきた、あの子可愛い」などと囁きあっている。
話をしてみたい。彼女、オブドリー嬢と。
ジェリックが、他人にそんな感情を持ったのは初めてだ。
同時に、自分の感情を少々持て余す。
その日の放課後、ジェリックは校長室をノックした。
王立学園の校長は、二番目の兄クラーボーが務めている。
クラーボーは、水牛の加護を持つ。
逞しい肉体を持つが、武力行使には向かないと、クラーボーは教育の道を選んでいる。
「兄上、じゃない、校長先生。し、質問があります」
「なんだい? ジェリック。あっ、ひょっとして、編入生のことかな?」
クラーボー校長は、口元がにやけている。
「えっいや、ええと。……そう、です」
「個人情報だからね。差し障りのないコトだったら、まあいいけど」
「あの、コーエン嬢って、聖女だったの?」
「そうみたいね。神殿で治癒の施術、していたらしいよ」
「なんで、辞めたんだろ……それに、婚約破棄とか」
クラーボー校長は、軽くため息をつく。
「その辺は、お隣の国の内政問題だからなあ。ま、隣国の王太子候補って、一回会ったことあるけど、感じ悪かったよ。あんな態度取ったら、ウチの陛下なら火を噴くね」
婚約破棄した相手って、王太子だったのか。
なぜかジェリックの胸がズキンとする。
「いつまで、いつまでわが国にいるの? コーエン嬢」
クラーボー校長は一瞬間を置いて答えた。
「本人が望むなら、ずっと、だ」
あとは自分で聞いてみろと、校長はジェリックの肩を叩く。
珍しく、生き生きとした眼をしている弟を見て、クラーボーは思う。
ひょっとしたらオブドリー・コーエンは、聖女というより女神なのではないかと。
◇放逐令嬢◇
オブドリーはミズキと、校内のベンチでお弁当を食べていた。
食堂もあるが、なるべく節約したい二人である。
「良い天気ね」
日差しは暖かく、鳥が囀る。
大きな池から噴水が上がっている。
噴水の周りの花壇には、色とりどりの花が咲いている。
「来月くらいから、雨の日が多くなるよ」
昨年からこちらへ来ているミズキが、オブドリーに告げる。
二人が食べ終わろうとする頃だ。
何人かの女生徒が、二人が座るベンチを囲んだ。
「何か……?」
一人の女生徒が、ずいっと近づく。
ミズキが小声でオブドリーに言う。
「シフェット公爵令嬢」
なるほど、一番面倒な女生徒だと、以前ミズキが言っていた人である。
「ちょっとよろしいかしら。元、聖女様」
ブロンドの縦ロールが揺れている。
眉は跳ね上がり、額に青筋が浮かんでいそうだ。
「オブドリー・コーエンです。公爵令嬢」
立ち上がり、オブドリーは表情を変えることなくお辞儀をする。
「ふん! 知ってるわ。わたくし、シビッカに伯母がいるのよ。偽の聖女を名乗った罪により、国外追放されたコーエン家の恥さらし、だそうね、あなた」
無言のオブドリーに、シフェットは畳みかける。
「それに、せっかく王太子の婚約者だったのに、お姉さまに横取りされた可哀そうな方! よく生き延びていらっしゃったわね。わたくしなら、そんな目にあったら自害するわ」
「第一王子です。王太子ではなく」
さらっと訂正したオブドリーを、シフェットはキッと睨む。
その視線に怯むことなくオブドリーは言う。
「私は自分の命を、自分の名誉のためだけに、散らす気はないですから。見解の相違、と思っていただければ幸いです」
「何よ! せっかくわたくしが、あなたの心配をして、差し上げているというのに!」
拳を振り上げたシフェットを、見かねたミズキが止めようとする。
「関係ない異国人は、黙っててちょうだい!」
シフェットはミズキを振り払う。
「ミズキ!」
倒れそうなミズキをオブドリーが支えようとすると、シフェットの取り巻きたちが、ここぞとばかり、オブドリーを突き飛ばす。
よろけたオブドリーは受け身を取ろうとしたが、地面を見てはっと手を上げる。その手を掴んだシフェットが、オブドリーを思いきり池へと投げ飛ばす。
体勢を崩していたオブドリーは、観念した。
水に濡れても、暖かい気候なのでなんとかなるだろう。
でも。
制服が濡れてしまうのは、嫌だな……
その時である。
金色の風が吹く。
木の葉がパラパラと落ちた。
噴水の音が、聞こえなくなった。
池の畔、その水際で、オブドリーは誰かに抱えられていた。
はっとして顔を上げると、金髪と蒼い目が見える。
同じクラスの……ジェリックだ。
「大丈夫?」
体を離してジェリックはオブドリーに訊く。
「あ、は、はい」
ジェリックは、シフェットに向かって告げる。
「編入生へのいじめか? ダセエよ、シフェット」
さすがにシフェットも、伏し目がちになる。
「い、いえ、違います。違うんです! ええと、見解の相違です」
シフェットは取り巻きたちに、小声で文句を言う。
「男子はいないって言ってたわよね!」
「いなかったです。まして殿下は食堂に入ったきりで……」
ジェリックはオブドリーに尋ねる。
「どうする?」
「大事に、したくはないです」
予鈴が鳴る。
シフェットと取り巻きの令嬢たちは、そそくさと立ち去った。
◇はずれ加護の王子◇
間に合って良かった。
心からジェリックは思った。
食堂に向かう途中、中庭でミズキと一緒にいるオブドリーを見かけた。
同時に、シフェットの取り巻きたちが、中庭のあちこちでウロウロしているのも見えた。
シフェットの評判は、はっきり言って良くはない。
自分より爵位の低い生徒を陰でイビッていると、何回も苦情が上がっている。
とはいえ確たる証拠がなかったため、不問にしてきたが、今回、はずれとは言え王子が見咎めたのだから、しばらくは自重するであろう。
ジェリックは手早く昼食を済ませ、食堂を出た。
中庭では案の定、シフェットが喚いている。
しかもシフェットが、オブドリーを投げ飛ばした!
危ない!
反射的にジェリックの身体が動く。
加護とは、眷属の持つ超人的な能力の発揮。
同時に、眷属である元の動物の、固有能力を付与されている。
ジェリックに加護を与える、ウサギの超人的な能力はいまだ不明である。
だが。
ウサギの固有能力を発揮することは、ジェリックにも出来る。
すなわち。
馬よりも早い瞬間時速で、駆け抜けること。
「あの……本当に、ありがとうございました」
オブドリーはジェリックに礼を述べる。
ジェリックは照れたように、顔を横に向ける。
「いや、たいしたことじゃないし。はずれでも、一応加護持ちだから、これくらいは……」
ほおっとした目で、オブドリーはジェリックを見つめる。
王族ゆえの加護持ち。
加護とは、はずれといっても、普通の人間には真似できない能力なのか。
オブドリーは少し、足を引きずっている。
ミズキも腕を押さえて、顔をしかめていた。
「だ、大丈夫? 医務室に行く?」
恐るおそるジェリックは訊いた。
するとオブドリーは微かに笑う。
「このくらいなら……」
オブドリーは、ミズキの腕に自分の手を軽く当て、目を閉じた。
すうっと、七色の光が集まる。
「えっ? あれ? 痛くない!」
ミズキが驚きの声を上げた。
「ふふ。出来損ないで放逐されたとはいえ、『元』聖女、ですから」
「いや凄いって、リー! 私の国じゃ、こんなこと出来る人いないから!」
興奮して喋るミズキの横で、ジェリックは眩しそうにオブドリーを見つめた。
続く
お読みくださいまして、感謝申し上げます。次話で完結します。
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