第9章「神々の黄昏」10節:目覚めの光、いつもの朝食
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
窓の外から、聞き慣れた雀の鳴き声が聞こえる。
かつて空を覆っていた重苦しい「多重音声」や、世界を侵食していた「粘液」の気配は、もうどこにもない。
珠花はゆっくりと目を開け、見慣れた天井を仰いだ。緒妻家の客前のものだ。
「……生きてる。私たち、帰ってきたんだ」
隣のベッドでは、叶恵がまだ小さな寝息を立てている。漆黒の神雷を操っていた時の峻烈な面持ちとは裏腹に、その寝顔は年相応の少女そのものだった。
昨夜、ナイが消滅し、崩壊した現実が再構成される瞬間を、珠花ははっきりと覚えている。誰かが「最後の鍵」を回し、世界を「観測」し直した、あの光の奔流を。「最後の鍵」を回した人物…。
戦いの記憶だけは残っているが、大事な部分が抜けている事に珠花は気づいた…。
「叶恵姉さんは覚えているのか…」。それさえも自信はない。だが、嫌な記憶は覚えていなくても良いと、それだけは思う…。
一階に下りると、キッチンから香ばしいパンの焼ける匂いと、トントントンという軽快な包丁の音が響いていた。
「あ、珠花ちゃん。おはよう。よく眠れた?」
エプロン姿の憂が、振り返って微笑む。その姿は、宇宙のすべてを統べる「大神様」ではなく、どこにでもいる穏やかな主婦、緒妻憂そのものだった。
「憂姉さん、おはようございます……。あの、街は……」
「大丈夫よ。みんな、昨日は一斉に同じ幻覚を見たって。一体、何だったのか。少し怖いけど『ちょっと派手な雷雨だったかな』くらいにしか思ってない人ばかりみたい。……さあ、顔を洗っておいで。今日は末美ちゃんも手伝いに来てくれてるのよ」
キッチンの奥では、末美が「前線カフェ」の制服のまま、手際よくサラダを盛り付けていた。
「おはようございます、……」
バステトはそう言った後、珠花にそっと近づき、耳元で「鹿島市のインフラは完全に復旧いたしました。神話的な汚染は一滴も残ってないわ」と囁くと、再びサラダの盛り付け作業に戻って行った。
「おはよー……。お腹すいたぁ……」
二階から目をこすりながら下りてきたのは、明来だった。
彼女は憂の姿を見つけるなり、その腰に抱きつく。
「お母さん、今日のご飯なに?」
「ふふ、今日は明来ちゃんの大好きな厚焼き玉子よ。珠花ちゃんも、叶恵ちゃんを起こしてきてくれる?」
「あ、もう起きてるわよ」
いつの間にか階段の下に立っていた叶恵が、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「……憂姉さん、おはよ。……ご飯、手伝う」
「いいのよ、叶恵ちゃん。今日はみんな、ゆっくり座ってて」
憂が優しく笑うと、三人の少女は顔を見合わせ、同時にはにかんだ。
外には、昨日まで神話の「鱗」に覆われていたとは思えないほど、澄み渡った青空が広がっている。
神々の黄昏は終わり、新しい太陽が昇った。
それは、彼女たちが自らの手で選んだ、守りたかった「普通の日常」の始まりだった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




