第9章「神々の黄昏」2節:蝕まれた神域
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「触手の尖塔」の内部は、生物の消化管のようでありながら、幾何学的な結晶体が壁面を覆い尽くす異様な空間だった。
壁からは無数の鉄の節足が突き出し、それらが複雑に絡み合って階段を形成している。踏みしめるたびに、アスファルトを煮詰めたような黒い粘液が溢れ出し、虚空からは数千人の囁きが重なり合った「多重音声」が、神経を逆なでするように響き渡っていた。
「……気持ち悪い。音に、色が混ざって見える」
シュカは顔をしかめ、視界をよぎる色彩のノイズを振り払った。現実の定義が崩壊したこの場所では、五感すらもその機能を失いつつあった。
「惑わされないで、シュカ。これはナイが作り出した偽りの感覚。……来るわよ!」
ネガイの警告と同時に、節足の隙間から、剥がれ落ちた空の「鱗」を纏った異形の群れが這い出してきた。それはかつての街の住人たちが、KOVID-666によって神話的要素へと上書きされた成れの果てだ。
「ウェーイク・ゴッデース!我、未・来・へと続く運・命・を紡ぐもの!」
シュカが右手を天に掲げると、純白の風が渦巻き、異形の群れを包み込む。
「我は創造者! 我は全てを忘却する純白の神風! シュカ!」
白き嵐が、鱗の怪物たちを「存在しなかった過去」へと押し流していく。しかし、倒しても倒しても、壁面の粘液から新たな個体が産み落とされる。
「キリがないわね。……私が道をこじ開ける! ウェーイク・ゴッデース!我、過去から続く宿命をほどくもの!」
ネガイが漆黒の雷鳴を拳に収束させる。
「我は破壊者! 我は全てを滅却する漆黒の神雷! 我が名はネガイ!!」
暗黒の電光が一直線に走り、尖塔の深部へと続く肉塊の隔壁を消滅させた。
一方その頃、安全圏であるはずのカフェ『前線カフェ』の二階。
リビングの窓の外では、現実の断片が剥がれ落ち、鹿島市の街並みがパズルのように組み換わっていた。
「お母さん……お空、変だよ。鳥さんが、お魚みたいに泳いでる」
明来が憂のスカートの裾をぎゅっと握りしめる。その瞳には、重力を無視して浮遊する「鱗」の群れが映っていた。憂は静かに明来を抱き寄せ、その耳元で優しく囁いた。
「大丈夫よ、明来。それはね、新しい世界の夢を見ているだけ。お母さんがついているから、何も怖くないわ」
憂が窓の外へ、ほんの僅かに視線を向けた。
その瞬間、カフェを飲み込もうと迫っていた多重音声の渦が、恐怖に震えるように霧散した。
「……末美ちゃん。お茶が少し冷めてしまったわ。入れ直してきてくれるかしら」
「はっ……ただちに。オーナー」
末美は、憂の背後に漂う、銀河の質量すら凌駕するほどの圧倒的な「静寂」に戦慄し、深く頭を垂れた。
尖塔の上層階では、ナイの冷笑が多重音声に紛れて響いている。
「いいぞ……もっと足掻け、女神たち。お前たちが力を振るうほど、この世界の『現実』は削り取られ、私の神話へと供物として捧げられるのだからな」
戦いは、まだ始まったばかりだった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




