第8章「神話の胎動」 4節:腐食する境界、母の祈り
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
尖塔の第4層。そこはもはや、上下左右の概念すら消失した情報の墓場だった。壁面からは溶け出した時計の針が粘液と共に滴り、かつてそこにあったはずの「鹿島市の風景」が、ちぎれたフィルムのように空間を漂っている。
「……あ、れ? わたし、今……何をしようとしてたんだっけ……」
シュカがふらりとよろめく。純白の翼が、周囲の「定義の腐食」に当てられ、薄汚れた灰色に変色し始めていた。
「ダメよ、シュカ! 意識を『今』に繋ぎ止めて!」
ネガイが叫び、漆黒の雷を自分たちの足元に叩きつける。衝撃による痛みが、辛うじて二人の自我を現実の側へと引き戻した。
だが、空からは無数の「節足」が絡み合う巨大な網が降り注ぎ、彼女たちの神性を物理的に雁字搦めにしようと迫る。
その頃、緒妻家の居間。窓の外では重力が反転し、街路樹が空へと「落下」していく異様な光景が広がっていた。
「お母さん、テレビが……テレビが変な音しかしないよ」
明来が、砂嵐と多重音声が混ざり合う画面を指差して泣きじゃくる。憂は静かにテレビのスイッチを切り、明来を温かい毛布で包み込んだ。
「いいのよ、明来。今は、お母さんの声だけを聴いていて。……ほら、外の雨音が聞こえるでしょう? それは世界が新しく生まれ変わるための、準備の音なの」
憂の穏やかな声が、部屋を満たす狂気の残響を塗りつぶしていく。彼女がそっと床に触れると、そこから広がる黄金の波紋が、物理的な崩壊を食い止める「重石」となった。
(バステトちゃん。あの子たちの『座標』が霧散しかけているわ。……少しだけ、彼女たちの『原風景』を照らしなさい)
「御意に、大神様。……このバステト、彼女たちが帰るべき『日常』を、その魂に刻み直しましょう」
末美が影の中で黄金の祭器を激しく鳴らす。その音色は、尖塔の絶望に沈みかけていたシュカの耳元で、憂が料理を作る包丁の音や、明来の笑い声となって響いた。
「……そうだ。わたしには、帰らなきゃいけない場所があるんだ!」
シュカの瞳に、再び光が宿る。変色していた翼が、一気に眩い純白へと弾け飛んだ。
「行くよ、ネガイ! 私たちの『定義』を、この闇に叩き込む!」
「ええ! 私たちの絆が、この悪夢を切り裂く刃になる!」
二人の女神は、再び神気を爆発させる。
「ウェーイク・ゴッデース!我、未・来・へと続く運・命・を紡ぐもの!」
「我は創造者! 我は全てを忘却する純白の神風! シュカ!」
「ウェーイク・ゴッデース!我、過去から続く宿命をほどくもの!」
「我は破壊者! 我は全てを滅却する漆黒の神雷! 我が名はネガイ!!」
螺旋を描く神風と神雷が、空間を覆う節足の網を粉砕し、第4層の闇を消し飛ばした。
光の先に見えたのは、脈動する肉塊の門。その奥から、ナイの嘲笑が聞こえてくるようだった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




