第6章「鏡像の黄昏」10節:神話の終焉
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「……あ、……ぁ……」
ナイの喉から漏れたのは、言葉以前の、ただの空気の震えだった。
シュカの「忘却」が、この仮想空間を維持していたナイの執念ごと、因果をゼロへと押し戻していく。 ネガイの「滅却」の炎が、ナイの身に纏わりついていた虚飾の翼を焼き尽くし、彼女をただの「名もなき情報体」へと還していく。
「バイバイ、ナイ。あなたの寂しさは、この風が全部連れて行ってくれるから」
シュカの声は、神の如き威厳を持ちながらも、どこか慈しみに満ちた少女の響きを遺していた。 純白の神風が吹き抜ける。その風に触れた瞬間、崩壊しつつあったデジタル世界は、まるで最初から存在しなかったかのように、光の粒子となって霧散していった。
静寂。
意識が浮上する。 鼻孔をくすぐるのは、冷え込んだ冬の空気の匂いと、微かに漂うお線香の香り。 そこは、祐徳稲荷神社の奥の院――ではなく、緒妻家の居間だった。
「……珠花? 珠花、起きて!」
肩を揺さぶる手の感触。目を開けると、そこには心配そうに顔を覗き込む明来の姿があった。
「あき……ちゃん……?」
「よかったぁ……。急に二人して眠り込んじゃうから。お母さんも『今は寝かせてあげて』って言うし、私、どうしようかと……」
珠花は体を起こし、隣を見る。そこには、いつものスーツ姿に戻った叶恵が、軽く頭を振って意識を正していた。二人は、一瞬だけ視線を交わす。 そこには、神話の戦場を駆け抜けた者同士にしか分からない、深い信頼と――そして、わずかな「喪失」への覚悟が刻まれていた。
「ただいま、明来。……心配かけてごめんね」
叶恵が、いつもの「お姉さん」の顔で微笑む。
「……ふふっ、二人とも、いい夢は見られたかしら?」
居間の隅で憂が、穏やかに声をかける。その瞳は、すべてを知っているかのように深い。
「……はい、憂姉さん。とっても、お腹が空く夢でした」
珠花のお腹が、くう、と鳴った。 一瞬の沈黙の後、居間に笑い声が弾ける。
ナイが消えた後の世界。神話は再び日常の影に隠れ、彼女たちはただの「人間」としての時間を取り戻した。
しかし、珠花は気づいていた。 自分の記憶の隅に、真っ白な空白が、また一つ増えていることに。
窓の外では、冬の朝陽が佐賀の街を照らし始めていた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




