第6章「輪廻の境界」5節:夕闇の鐘
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
多良岳の稜線から響いた鐘の音は、一度きりでは終わらなかった。低く、重く、腹の底を揺さぶるような残響が、夕闇に包まれ始めた鹿島の街にゆっくりと溶け出していく。
「……何の音、今の。お寺の鐘にしては、ちょっと変な感じ……」
ようやく意識を取り戻した明来が、まだ少しふらつく足取りで立ち上がり、遠くの山を不安げに見つめた。彼女の瞳からは先ほどの「白き手」の影響は消えている。けれど、珠花の目には、街全体を覆う空気が、古い写真のようにセピア色に煤け始めたのが見えていた。
「大丈夫だよ、明来ちゃん。……ただの風のいたずらだと思うから」
珠花は無理に笑顔を作り、親友の肩を抱いた。変身を解いた後の脱力感が、じわりと体を蝕んでいる。従来の「デジタルな浸食」は、消すべきノイズが明確だった。けれど、今回、向き合った「因果の残滓」は、まるで泥水の中に落ちた墨汁のように、どこからが敵でどこからが日常なのかの判別がつかない。
「(珠花、油断するな。ありゃ『呼び鈴』だ)」
カバンの中から顔を出したてちちが、険しい表情で鼻を鳴らす。
「(呼び鈴……? 誰を呼んでいるの?)」
「(この土地に眠る、行き場のない『古い影』たちさ。ナイが現実の境界をボロボロにしやがったせいで、奴らが這い出しやすくなっていやがる)」
そんな二人――と一匹を、少し離れた場所から憂が静かに見つめていた。彼女は閉じた和傘を杖のように突き、誰にも聞こえない声で独り言を漏らす。
「……そうね、物語は、一度壊れたところからしか新しくは紡げない。……あの子たちが次に直面するのは、計算可能な『未来』ではなく、清算しきれなかった『過去』。……少し、過酷かしら?」
憂の背後で、バステトが不機嫌そうに喉を鳴らした。
「……ねえ、あっちからも誰か来ているわよ。あの、湿っぽい執念の塊みたいなのが」
バステトが視線を向けたのは、校門へと続く坂道の下だった。そこには、一人の女性が立っていた。Sカンパニーの制服を着た叶恵――ネガイではない、日常の姿。けれど、彼女の背後には、いつになく深く重い「破壊の影」が引きずられている。
「……叶恵お姉ちゃん?」
珠花が呼ぶと、叶恵はハッとしたように顔を上げた。その表情は、先ほどの共闘で見せた凛々しさとは程遠い、何か「取り返しのつかないもの」を恐れるような怯えの色が混じっていた。
「……珠花。明来ちゃんを連れて、早く帰りましょう。……この街の『音』が変わってきているわ」
叶恵の手は、微かに震えていた。
彼女は知っているのだ。かつての歌の女神として、そして破壊を司るネガイとして。この鐘の音が、かつて自分が「歌」を失い、「罰」を受けたあの時の因果と、どこかで共鳴していることを。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




