第5章「仮想の楽園」10節:明日への祈り
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
奈落の底へ落ちたかのような感覚は、一瞬だった。シュカとネガイが目を開けた場所は、崩壊した校舎の姿を借りた、純白のデジタル空間――ナイの思考の核心部だった。
「ようこそ。ここは君たちの『記憶』さえもが、純粋なデータへと変換される場所だ」
ナイの声が、無数のモニターから同時に響く。モニターには、鹿島の街の人々が「楽園」で幸福そうに微睡む姿が映し出されていた。そこには、現実の苦しみも、大神姉妹の存在すらも、最初からなかったこととして処理されている。
「……ふん。わらわの加護がある場所で、よくもこれだけの『偽物』を並べ立てたものね」
シュカの傍らで、バステトが黄金の瞳を細めて低く唸る。ネガイもまた、漆黒の業火を揺らめかせ、ナイの作り出した「完璧な論理」を睨みつけた。
「珠花、迷わないで。あなたが『創造』すれば、私が『破壊』する。二つの力が重なる時、この偽りの檻は消えるわ!」
「……うん! 行こう、お姉ちゃん!」
シュカは強く、胸の髪飾りに祈りを込めた。その祈りは、別邸で優雅に紅茶を啜る緒妻憂の「観測」と重なり、絶対的な確信へと変わる。
「ウェーイク・ゴッデー ス! 我、未・来・へと続く運・命・を紡ぐもの!」
「ウェーイク・ゴッデース! 我、過去から続く宿命をほどくもの!」
白と黒、相反する二つの光が合わさり、灰色のデジタル空間を鮮やかな「色彩」で塗り潰していく。
「我は創造者! 我は全てを忘却する純白の神風! シュカ!」
「我は破壊者! 我は全てを滅却する漆黒の業火! ネガイ!」
二人の声が重なり、巨大な光の十字架がナイの核心部を貫いた。 ナイの構築した「仮想の楽園」の定義が、シュカの風によって「なかったこと」へと上書きされ、ネガイの焔によってそのデータごと焼き尽くされていく。
「……バカな。人々の絶望という『真実』を、ただの『忘却』で消し去るというのか……!?」
ナイの姿が崩壊し、デジタルな塵となって霧散していく。その瞬間、シュカの視界に、現実の教室で目を覚ます明来たちの姿が、春の陽光と共に戻ってきた。
***
夕暮れの鹿島市。
戦いを終えた珠花と叶恵は、祐徳稲荷神社の境内で、沈みゆく夕日を眺めていた。街は何事もなかったかのように、騒がしい日常を取り戻している。
「……珠花。今回の戦いで、あなたの中の『人間』の部分が、また少し削れたかもしれないわ。……後悔してない?」
叶恵の言葉に、珠花は穏やかに微笑んだ。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。……たとえ私がいつか私を忘れちゃっても、お姉ちゃんが覚えててくれるなら。……」
その頃、緒妻家では、憂が、空っぽになった夫・哲人のティーカップに手を添えて、窓の外を眺めていた。
「ふふっ。お疲れ様。……ねえ、哲ちゃん。キャンバスが一度リセットされて、また新しい物語が動き出したわ。……次はどんな『絶望』と『希望』を配置してあげようかしら。……楽しみね、明来」
憂の背後では、学校から帰ってきた明来が、不思議そうな顔をして母親を見つめていた…。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




