第4章「創造と破壊の始まり…」6節:侵食の序曲
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
有明海の干潟が、まるで鏡合わせの悪夢のように歪み始めた。 物理法則が「外界」のノイズによって乱され、鹿島市の海岸線には、色彩と重力が混濁した不気味な淀みが広がっている。
「……っ、うわああああ!」
堤防に立っていた珠花は、足元の地面が泥のように揺らぐのを感じて悲鳴を上げた。空を見上げれば、雲の間から見たこともない異形の影が、地上を覗き込んでいる。
「落ち着きなさい、お嬢さん! これはナイが仕掛けた『パンデミック』の予兆よ。あやつ、人間の『意味』を剥ぎ取って、無理やり自分の眷属に書き換えようとしているわ!」
バステトが黄金の瞳を鋭く光らせ、珠花の前に立ちはだかる。 ナイの狙いは、この鹿島の街から人間を消し去り、すべてを蕃神の理で満たした「自らの王国」に作り変えることだった。
「てちち、珠花を守りなさい! わらわがあの『反転の起点』を叩き斬るわ!」
「分かってるよ、猫耳女! おい珠花、ぼーっとすんな! 髪飾りに念じろ! 自分が『何者でありたいか』を強く描くんだ!」
黒いチワワの姿をしたてちちが、喉を鳴らして叫ぶ。
珠花は震える手で、憂から贈られた「女神の髪飾り」を握りしめた。 その時、混濁した空間の裂け目から、幾重にも重なるノイズのような声が響いた。
『——人間である必要はない……。意味を捨て、我らが物語の一部となれ……』
それはナイが放った侵食の波動。一般人を異形へと変える呪いだ。珠花の持つ天女の魂は、その汚染を最も強く引き寄せてしまう。
「……いやっ。私は……私は、お姉ちゃんたちと……明日も、一緒にご飯を食べて、笑っていたいんだから!」
珠花の叫びと共に、髪飾りが爆発的な光を放った。
「ウェイク・ゴッデス!」
光の羽が反転した海を切り裂き、珠花を天女の装束——戦乙女の姿へと変える。 しかし、その輝きが増すほどに、珠花の意識の端で「人間」としての境界が薄れていく。覚醒は「人間を辞める」ことへの片道切符。神話という名の監獄が、彼女の純真な魂を飲み込もうと口を開ける。
「珠花!!」
堤防の下、認識阻害の霧を突き抜けて走ってきた叶恵(願居)が叫んだ。 彼女は歌を封じられ、今はただの「普通の人間の器」としてそこにいる。けれど、彼女の瞳には、神話の序列さえも超越した「姉としての祈り」が宿っていた。
その様子を、大神家のリビングで眺めていた緒妻憂が、ふと指先を動かした。
「ええ、いいわよ、叶恵。……この世界では、貴女の『想い』を特別に許可してあげる」
憂の囁き。それは世界の基盤そのものの「肯定」。
その瞬間、叶恵を縛っていた罰の制約が、一瞬だけ珠花の盾へと変質した。珠花は「反転した海」に向かって、真っ直ぐに手をかざす。有明の天女が放つ一閃。それは、ナイの陰謀を押し戻し、この街を「日常」へと引き戻すための、最初の一撃だった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




