最終章「SAGASAGA」10節:永遠のサーガ(本編完)
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
SAGA SAGAの全世界へ向けた起動開始から数日が過ぎた。
世界中が新しい「定義」に熱狂し、仮想と現実が緩やかに溶け合う新時代の幕開けに沸く中、その創造主である緒妻哲人は、静かにSカンパニーのメインデスクを離れた。
「教授、本当に行かれるのですか? まだ調整が必要なパラメータが山ほど……」
背後で教え子たちが名残惜しそうに声をかける。哲人は、デスクに置かれた愛用の万年筆を胸ポケットに差し込み、中指で眼鏡を押し上げた。その動作には、40歳という年齢にふさわしい、穏やかな余裕が満ちていた。
「これ以上の調整は、私ではなく、あの中に住む数億人の『意志』が行うことだ。経済学的に言えば、市場(世界)はもう自律走行を始めた。工学的に言えば、私のコードはもう、彼らの血肉となったんだよ」
哲人は軽く手を挙げ、管制室を後にした。
エレベーターを降り、夕暮れに染まる鹿島市の街を歩く。かつての肉塊や触手はどこにもない。そこには、SAGASAGAと同期し、復興に向けて力強く動き出した人々の営みがあった。
「ただいま」
玄関のドアを開けると、懐かしい出汁の香りが鼻をくすぐった。
25歳で結婚し、この家に住み始めて15年。海外の教壇に立っている時も、地下のシステムルームで現実の崩壊と戦っていた時も、哲人が帰る場所は、常にここだった。
「パパ! おかえりなさい!」
居間から、明来、陽、樹の三人が駆け寄ってくる。
「パパ、SAGASAGAですごいことが起きてるんだよ! 私たちの作った広場に、世界中の人が集まって歌を歌ってるの!」
「僕たちの作った魚も、どんどん進化してるんだ!」
子供たちの瞳は、かつての恐怖など微塵も感じさせないほど、希望に満ち溢れていた。哲人は、大きな手で子供たちの頭を一人ずつ撫でた。
「そうか。それはパパの計算を超えた、素晴らしい進化だね」
「哲ちゃん、おかえりなさい。……お疲れ様」
奥から、エプロン姿の憂が現れた。
宇宙最強の神としての威厳を内側に秘め、今はただ一人の人間であり、愛する家族がいる「緒妻憂」として夫を迎える。その微笑みこそが、哲人にとっての絶対的な真理であり、世界を再構築する原動力となった「愛の定義」そのものだった。
夕食の食卓。
哲人は、妻が作った手料理を口に運びながら、ふと思った。
工学博士として宇宙の理を解き、経済学博士として社会の最適解を導き出した。だが、結局のところ、この小さな食卓にある「温かさ」を数式で表現することは、人類最高峰の知性をもってしても不可能だろう。
「……憂さん」
「なあに、哲人ちゃん」
「25歳で君と結婚した時、僕は世界を救うなんて大それたことは考えていなかった。ただ、君のこの笑顔を一生守りたい、それだけだったんだ」
哲人の言葉に、子供たちがニヤニヤと顔を見合わせる。憂は少し照れたように、しかし慈愛に満ちた目で夫を見つめ返した。
「ええ。でも、(あなたは世界をこれで2回救った。覚えてはいないけど…)その『それだけ』が、結果的に世界を救ってしまったのね。……ありがとう、哲人ちゃん。私を、この子たちを、そしてみんなを、素敵な場所に連れて行ってくれて」
哲人は窓の外を見上げた。
現実の夜空には星が輝き、その向こう側の仮想空間『SAGA SAGA』でも、同じように数億の魂が輝いている。
「戦いの物語」は終わり、ここから先は、彼らが紡ぐ「日常という名の物語」が続いていく。
「さあ、明日は大学の講義がある。……でも、その前に少しだけ、家族でSAGASAGAの海を見に行こうか。パパが、とっておきの秘密の場所を設計しておいたんだ」
「やったー!」
子供たちの歓声が、緒妻家に響き渡る。
今、正に人生の折り返し地点。
知の巨人は、愛する者の手を取り、再び歩き出す。
神さえ成し遂げられなかった、ちっぽけな人間である彼が起こした軌跡は、新世界を照らす永遠の灯火となり、未来へと繋がっていく。
『End of Saga: Beginning of our New Daily Life.』
哲人のノートに記された最後の一行と共に、物語は静かに、しかし力強く幕を閉じた。
(シュカ本編・完)を
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




