最終章「SAGASAGA」9節:起動開始の日
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
その日は、人類の歴史が「物理の呪縛」から解放された記念日として永遠に刻まれることになるだろう。
Sカンパニー本社の管制室。中央モニターには、世界地図を埋め尽くす無数の光の点が明滅していた。それは、SAGA SAGAへのアクセスを待つ、数億人もの「魂」の鼓動だった。
「教授、全リージョンの同期、完了しました。トラフィック負荷、予測範囲内。……経済圏の流動性指数も、あなたの設計した均衡点(平衡解)で安定しています」
教え子たちの声に、哲人は静かに頷いた。
40歳。人生のあらゆる難問を学問と執筆、そして家族への愛で解いてきた男が、今、最後の一撃を世界に放とうとしていた。
「哲人さん。皆、待っているわ」
隣に立つ憂が、優しく彼の手に自分の手を重ねた。彼女の指先からは、神としての「慈愛の波動」がシステムを通じて世界中に微かに伝播している。哲人が構築した鋼のロジックに、憂が柔らかな命の体温を吹き込む。この「夫婦の共鳴」こそが、SAGASAGAの真のエンジンだった。
「……始めようか。現実よりも、ずっと優しく。夢よりも、ずっと確かな世界を」
哲人がメインコンソールの実行キーを叩いた。
その瞬間、世界中のデバイスを通じて、数億の意識が「次元の壁」を飛び越えた。
――光の洪水。
そして次の瞬間、人々が目にしたのは、かつての戦乱や疫病の記憶を「癒やしの風景」へと昇華させた、比類なき美しき世界だった。
「……暖かい。本当に、ここにはもう『ナイ』はいないんだね」
「見て、僕の体が……傷ついていたはずの場所が、光り輝いている」
SAGASAGAの各地で、歓喜の声が上がる。
哲人が再利用を試みた「触手の尖塔」の残骸は、今や巨大な「世界樹」のようなエネルギーの塔となり、人々に無限の活力を供給していた。
経済学博士としての哲人が組み込んだ「貢献と慈愛」のトークンエコノミーが回り出す。ここでは、誰かを助けることが、そのまま自分の世界の色彩を豊かにする。富を奪い合う必要はない。なぜなら、愛を与えれば与えるほど、システムが「存在の解像度」を向上させるように設計されているからだ。
「教授! 見てください、システムの成長速度が指数関数的に向上しています。人々の『喜び』が、そのまま世界のテクスチャを書き換えている……。これは工学の域を超えています!」
教え子の叫びに、哲人は眼鏡の奥の瞳を細めた。
「当然だ。世界を維持するのは数式ではない。そこに住む者たちの『意志』だ。私はただ、彼らが自分を愛するための『器』を提供したに過ぎない」
25歳で結婚し、40歳になった今。哲人は知っている。
最高の工学とは、愛を技術で支えることであり。
最高の経済学とは、愛が循環する仕組みを創ることである。
「憂さん。見てごらん。君が言っていた『魂が安寧できる場所』に、世界がなり始めている」
「ええ、本当に。……でも、哲ちゃん。ここからが本当の始まりなのね」
憂の視線の先では、アバターとなった人々が、かつての国境や人種を超えて手を取り合っていた。シュカの風が吹き抜け、ネガイの雨が過去を洗い流す。
SAGASAGAは、人類の「第二の故郷」として完全に胎動を始めた。
40歳の哲人教授が遺した最大の論文は、数式でも論文でもなく、数億人が微笑むこの「新しい現実」そのものだった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




