最終章「SAGASAGA」8節:プロトタイプ起動…
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「……お父さん、本当に大丈夫なの? これ、つけても変なことにならない?」
緒妻家のリビング。明来が、新型のVRデバイスを手に、少しだけ不安そうに首を傾げた。その横では、勝と樹が、最新ガジェットへの好奇心で目を輝かせている。
「ああ。お父さんとお母さん、それにSカンパニーの皆で、何万回もテストを重ねた。……約束するよ。そこは、世界で一番安全な場所だ」
哲人は、リビングのソファに腰掛け、穏やかな笑みを浮かべた。40歳。外の世界では「教授」や「救世主」と崇められる彼も、この家の屋根の下では、ただ一人の父親である。
25歳で憂と結婚し、27歳で初めての子を授かってから、彼は常にこの「家族という小宇宙」を守ることを最優先に生きてきた。SAGASAGAという広大な宇宙も、彼にとっては、このリビングにある幸せを拡張するための試みに過ぎない。
「それじゃあ、みんなで行きましょうか。……リンク・スタート」
憂の合図と共に、家族全員がデバイスを起動した。
次の瞬間、彼らの意識は物理的な肉体を離れ、哲人と憂が共作した「新世界」へと転送された。
――そこは、光の粒子が舞い踊る、新緑の佐賀だった。
「わあ……! すごい! 鹿島の祐徳神社みたいだけど、空の色がもっと透き通ってる!」
明来が歓声を上げ、自分の手足を見つめた。アバター・エンジン『結』により、彼女の姿は、彼女自身が心の底で抱いている「理想の自分」――活発で、希望に満ち溢れた少女の姿として具現化されていた。
「重力が……変な感じがしない。パパ、これ、本当に仮想空間なの?」
陽が地面を蹴り、ふわりと高く跳ね上がる。物理法則を「許容」の範囲内で微調整した哲人の工学的工夫が、子供たちに最高の自由を与えていた。
哲人は、アバターとなった自らの姿で、隣に立つ憂を見た。
憂は、現実世界の時よりもさらに神々しく、それでいて親しみやすい、まさに「神性」の神髄を体現したような姿で微笑んでいた。
「……どうかな、憂さん。僕たちの作った『庭』は」
「ええ、最高よ。哲ちゃん。理論と計算だけで作ったとは思えないほど……空気が、優しいわ」
二人の前には、かつての戦いで傷ついた鹿島市の街並みが、美しく、それでいて「過去の記憶」を大切に保存した形で再構築されていた。
哲人は、経済学における『共有地の悲劇』を回避するためのアルゴリズムをこの空間に組み込んでいる。ここでは、誰かが何かを所有することで他者が損をすることはない。慈愛と共感が、そのまま世界の解像度を高めるエネルギーとなる「贈与経済」の極致が、ここには実現されていた。
「パパ、見て! 向こうの川に、見たことない色の魚がいるよ!」
樹が指差す先では、シュカの神風とネガイの神雷が、世界の「循環」を司る環境プログラムとして溶け込み、幻想的な生態系を作り出していた。
哲人は、走り回る子供たちの背中を見つめながら、静かに独白した。
「君と初めて出会った時は僕は自分の能力で、君を守りたいとだけ願っていた。……だが、40歳になった今、ようやく分かった。本当の幸せとは、君たちが自由に駆け回れる『無限の広場』を創ることなんだ」
「哲人さん……」
「工学も経済学も、結局はそのためにあったんだ。……学問とは、人を支配するためではなく、人を自由にするための翼なんだよ」
哲人の言葉は、かつて教壇で語ったどの理論よりも、深く、温かく響いた。
彼が憂と初めて出会って四半世紀の歳月をかけて辿り着いた答え。それは、家族という絆を核にして、全人類を「愛」という名のネットワークで繋ぐことだった。
「さあ、みんな! 今日はこの世界の『名付け親』になってもらうよ。どこのお店をどうするか、どんな遊びを作るか、パパに全部教えてくれ」
哲人の呼びかけに、子供たちが笑顔で駆け寄ってくる。
SAGASAGAは、緒妻家の笑い声と共に、ついに真の生命を得た。
それは、世界で一番小さな「家族」が、世界で一番大きな「未来」を祝福した瞬間だった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




